9 やるなら今でしょ
いわゆる収穫祭。秋の終わりに、王城で大規模パーティが開かれる。王都近隣の貴族は出席するし、遠方の貴族は自領で過ごす。
それぐらいの緩いパーティで、俺も去年は参加しなかったけど。
今年は魔獣討伐や運河のこともあるから、義務だと思って出席した。これでも河川三伯とか言われて、注目浴びてるから。
売名は大事。
ウチの領地に投資しません?
魔獣駆除が終わった暁には、取引しましょうね。
今の間に資金援助してくれるなら、後々、優遇するのもやぶさかではないですよ?
そんなこんなで、人の海の中を回遊魚ばりに泳いでたら。
幅広のレース襟で首回りを詰めた、一部たりとも肌を見せないスタイルのラン姉に、俺の腕が引っ掴まれて、壁際に拉致られた。
いつものフリーダムな服装じゃなく、ちゃんとお堅い貴婦人スタイルがまったくもって見慣れない。
あ、壁のお花さん、こんにちは。
ちょっとお隣、失礼しますね。
「ハリー、知ってる? いや、知らないわよね、聞いて!
月下の君……離縁されたんですって!」
は?
いやいや?
「結婚して三年、子宝に恵まれずで、『子無きは去れ』って、グラシアノ卿から正式な離縁だそうよ。
向こうの、高位貴族が集まってる方の会場で、面と向かって離縁宣言。それも、別の女の腰を抱いて、だそうよ!?
ばっかじゃないの、グラシアノ公爵家!!!」
衝撃のあまり、思考が止まる。
確かに噂は聞いてたけど、でも。
この前、春夏の祝祭で、遠目で見た時には、顔を上げて、胸張って、旦那さんの隣にいたじゃ……。
「ハリー、しっかりなさいっ」
ラン姉の声に、我に返る。
そうだ、驚いてる場合じゃない。
「アマリエラ様に、いやこの場合、侯爵家に、縁談、申し込まないと」
「そうよ。こんな大っぴらに子無しで離縁なんて、もうマトモな縁談なんて来ないわよ。そうなったら体目当ての愛人とか、どんな助平爺に売られるか、わかったものじゃないわ。
相手は格上だけど、ハリーは今や河川三伯の一角。縁談を申し込むのに、不足はないわ」
同じことを考えていたのか、ラン姉が力強く拳を握る。俺も片手で拳を握り、軽く合わせる。
「仲人を義兄さんに任せても?
今話題の、大湖の子爵家から回ってきた河川三伯の縁談、これを断る貴族はいないだろ」
「いないわよ、任せて!」
ラン姉が、すごくイイ笑顔で請け負ってくれた。
よしっ。
無力だった俺、何もできず、何もしなかった俺。
お会いすることもできず、ただただ初めて会って言われた言葉を、ずっと守り続けることしかできなかった俺。
ただの偶然、他力本願、自分の力じゃないけれど。
それでも、今、機会があるのなら。
俺は、月が欲しいと手を伸ばすよ。
◇ ◇ ◇
侯爵家御一家が王都にいたから、翌日、義兄さん経由ですぐさま申し込んだ。
契約は結ばれ、即時に婚約を結び、来年の春夏の祝祭でお披露目して、再来年に結婚、の予定が承諾された。
うっきうき、わっくわくの婚約期間中。
月一の手紙は当然直筆。
月一のお茶会は大喜びで交流を図るつもりだった。
なのに。
冬初めの水棲魔獣への一当てが、俺の皮算用の前に大きく立ち塞がった。
第一印象が大事なんだよ、初めのお付き合いが正念場なんだよ、月一のお茶会ぐらいさせろや!
河川の魔獣どもに、本気で殺意を覚えた。
てめぇら、俺の恋路の邪魔すんじゃねぇ、と。
無事に契約できて、婚約の承諾を得たのは良かったのだけれど、予定が詰まりすぎてて、婚約申し込んだ秋の終わりから冬至まで、お会いすることができなかった。
手紙は直筆で、それはもう、心を込めて書いたけれども!
やっと侯爵家を訪れることができて。
侯爵家ご夫妻に、誠心誠意、ご挨拶を申し上げた所。
三年子なしの娘だが良いのか、などと言われました。
それが何か? こちとら七歳の時から十年以上、拗らせてますが、とか内心荒ぶりつつも、そっと蓋をして。
自分は二年後に伯爵位を継ぎますが、中継ぎで、正当な後継には亡兄の子がおりますので、と丁寧に返事をした。
それなら安心だ、などと言ってくる侯爵家夫妻。
何が安心なんだ、それって娘の心配じゃないよな、こいつらも両親と同類か、これだから貴族は、と一瞬思ったけど。
義兄さんや義姉上だって貴族だ、主語を大きくしたらダメだ、と思い直した。
ちなみに、ラン姉は貴族に入りません。
ちょっと息を吐いて、無理やり貴族風笑顔を取り繕った。
来年の春夏の祝祭に、婚約者同士としてお披露目かねて出席できれば幸いです。
そしてその次の年、順当にいけば俺が伯爵位を継ぐので、同時に結婚が望ましいです。
持参金も要りません、身一つで嫁いで来られて結構です。婚資は将来的に侯爵領での茶や小麦を、我が伯爵家の運河を通じて流通させていただくことでと、重ねて伝えた。
案内された客間。
暖炉の火で、部屋はぬっくぬく。
冬用の厚い絨毯、艶やかな飴色の二人用テーブル、水神神殿を描いたタペストリー。落ち着いたベージュ系でそろえられた室内で、彼女は俺を待っていてくれた。
小さい頃に俺が見上げた彼女は、記憶にあるよりも華奢で、俺の目線が下を向く。
動きに合わせてさらりと流れる銀月の光を紡いだような銀色の髪、銀月の夜にしか咲かない月花と同じ鮮やかな青色の瞳。
簡素なローズグレイのドレスに房飾り一つ無い濃い臙脂色の上着は、侯爵令嬢が着るには質素すぎる衣装なのに、流れ落ちる銀髪が彼女自身を生きた宝石だと主張する。
当代一の美貌に偽りなく、目元は涼やかで、真珠のようなまろやかな頬、人形よりも整った端麗な顔立ち。
玲瓏たる風情は人の立ち入らぬ峻厳な山の、さらにその上にあって下界を見下ろす銀月の凛然たる風格そのままで。
子供が泣いて欲しがったお月様が、そこにいた。
白のノースポールとコチョウラン、黄のデイジー、赤のカメリア、青紫のセントポーリア。
冬の最中でも彩りをと、精一杯用意した花束をお渡ししたら、にっこり笑って、ほんとに嬉しそうに受け取ってくれた。
「ノースポールがなんて可愛らしい。カメリアの赤も、なんて艶やか……。
一気に華やかになりましたわ、ありがとうございます。私の部屋に飾らせていただきますね」
雲一つない真昼の空のような、どこまでも澄みきった気高い青の瞳が、俺に向けられた。
あ、もう俺、これだけで幸せ。好きな花、気に入った色、ちゃんと言ってくれる!
幸せのハードルが低いような気がするけど、きっと気のせい。
「本当は、もっと早くにお会いしたかったのですが。ご存知の通り、河川の魔獣討伐でどうにも体が空かなく、申し訳ありません。
ですので、体の空いてるこの厳寒の時期と春の間に、たくさんお会いしましょう!」
俺が願望を込めて力強く告げる。
ちなみに簡素な衣装のせいで、首の細さとか、体の線とか、スタイルの良さとかっ。ちょっと艶めかしいんだけど、俺は見ない、見ないぞっ。
男のチラ見は女にはガン見――どこぞの赤い髪の胸と尻が大きいお姉さまが昔言ってた言葉だ。
俺は嫌われたくない!
「本当に私でよろしいのでしょうか。河川三伯の貴方様であれば、今なら選り取り見取りでしょうに。
私は、子無きは去れと追い出された女で……」
「俺は、貴女が良いのです」
言葉を遮って、断言する。
目を見張るアマリエラ様に、俺は隙を与えず追い打ちをかけた。
「あのバ……グラシアノ卿の補佐や放蕩の後始末、尻拭いをしていたのが誰かなんて、それこそ誰だって知ってます。
俺は中継ぎです。血を継ぐのではなく、家を継ぐ者です。俺の隣には血を継ぐのではなく、家を維持して取り仕切り、次代に家名を渡してくれる人が、必要なんです」
忠告めいた言葉で俺に翻意を促す時も、向かい風に張り合うように真っ直ぐ前を向いて、うつむかずに胸を張って話すアマリエラ様。
「俺は、貴方が良いのです」
青の瞳を真っ直ぐ見つめて告げると、ふっ、と息を吐き、アマリエラ様は微かに口元を緩ませた。
「……離縁された後は、愛人か後継のいる後添えの打診しか無いだろうと思っていた所に、まさかの河川三伯の一角からの正式な申し入れ。
一体どのようなご事情が、と思っておりましたが」
「政略です。紛うこと無き、政略結婚です。
こちらの侯爵家は内陸で、広大な茶畑と小麦畑を持っているじゃありませんか。ウチはこれから水運事業を始めるんです。茶葉を運河で大量輸送、夢が広がりますね。
政治上の都合です、『うぃんうぃん』の関係です。侯爵家のご令嬢に、伯爵家の継嗣。釣り合いも取れて、完璧ですね」
パズルのピースをはめていく政略結婚、万歳。
ガッチガチに隙間なく、硬く固めて積み上げて、誰にも文句なんて言わせやしない。
どんな言いがかりも横やりも、そして後から泣いて喚いて取り縋られたって、絶対に応じられない雁字搦めの結婚を。
「貴女が隣にいてくれれば、百人力なんです」
真摯に告げれば、戸惑いながらも嬉し気に口元を綻ばせる彼女を見て。
彼女に似合うのは白バラとか白王牡丹とか思ってたけど、雪割草みたいに可愛い花も似合いそうだなって、俺は思った。
侯爵邸を出て、ふと、空を見上げる。
冷たい空気の中、晴れた冬の空。あの人の瞳と、同じ色。晴れた空を見上げるのは、七歳の時からの俺の癖。
『ハイネハリ様は、どのような色合いを好まれますか?』
今日、生まれて初めて、婚約者から好きな色を聞かれた。
目を真っ直ぐ見ながら、青、って答えた。
ほんと、空が綺麗で、幸せだ。
やっと出てきた初恋の女性(※イマジナリーではありません)。
空を見上げるたびに、想いを募らせていた激重、もとい、一途な主人公でした。
この物語は、ジャンル:恋愛、です。
さて皆さま。ドアマットヒロインを颯爽と救うヒーローに、思ったことはありませんか? ヒロインがドアマットの間、てめぇ、何してた、見殺しにしてたのか、と。
思ったことある! という方は、ぜひ、いいね! で教えていただけると、作者が喜びます。
また、今作のハイネハリは、その解の一つとして書いてみました。白鳥が水面下であがくがごとく、ヒーローも走り回っていたという、裏側のストーリー。
それでは、次回9.5話、小ネタ 「じじばばが集まったら、子供が困るアレ」
本日は9.5話も、更新します(15時)。
お楽しみに!