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7 GO! GO! 婚約解消!

『婚約解消をお願いしたく、こちらに参りました』



 祝祭前に隣領から、伯爵家当主殿と、幼い末の妹の婚約者(ハイネハリ卿)の訪れがあった。

 末の妹の婚約者殿は月一の訪れがあるので珍しくは無いのだが。ご当主殿を伴っての訪れに、人払いを願ってまで、我が父と内密の話し合い。

 何事かと思っていたら、末の妹の婚約者殿――長男の不慮の事故で次男から継嗣となった少年が、私と話すことを望んだ。


 正直、目を見張る思いだった。

 愛らしくも幼い末の妹の、まだまだ年若い婚約者。

 今の今まで、そう、思っていた。

 いつの間に十八歳の立派な青年となり、(まつりごと)を語るようになっていたのか。

 壮健だと思っていた父上さえ、引退を口にするようになっていたというのに。時の流れを実感していなかったのは私の方かと、忸怩(じくじ)たる思いだった。

 まったく、これではどちらが「大人」か、わからんな。


『大湖の水棲魔獣はほぼ掃討されました。ならば、河川の中型、小型魔獣さえ駆逐すれば、河川は運河となりましょう。

 これは物流の転換、国の在り様を変える一大事です。

 しかしながら、河川の魔獣を駆逐と、言葉では簡単に言いましたが。一夜明ければなんとなんと魔獣は姿形も見えず、とは、魔法八王のような夢物語でしかありえません。

 河川から水棲魔獣を駆逐する、それは河川流域の貴族が一家も欠けることなく、総力を挙げてかからなければ成し得ない事でしょう。


 また。

 我が父もこちらのご領主様も、近々、当主の座を我らに譲ることを考えていたのは、周知の事実です。

 であれば、我らが、我らの代こそが、河川から魔獣を駆逐する、国の命運を担うことになるのではないでしょうか。


 領地の統治に関しては、父の素晴らしい手腕に、まだまだ未熟な自分は後塵を拝すしかありません。

 しかし、河川流域から一斉に魔獣を駆逐する、このことに関しては。父も祖父も、いかに偉大なる我らが祖先であろうと。

 先達はおりません。

 行われたことの無い大業に、優劣はありません――未熟な我らでも。そして、いずれは自分たちの代が為さねば成らぬことであるのですから、最初から、我らが事に当たってもおかしくありません。

 むしろ、相応しい。


 もちろん、父やご領主様に報告は上げますし、相談も致します。

 しかしながら、このことに関してだけは。

 あえて当代には次代の働きを見守ってもらい、拙い所があれば助言をいただく形を取ったほうが良いのでは、と考えた次第です』


 本当に、これがあの幼い妹の婚約者かと、信じられなかった。月に一度、花や菓子を手土産に、妹とおままごとのような茶会をしていた少年と、本当に同一人物なのかと愕然とした。

 そして、次の春夏の祝祭では、王家から発表まであるという。王家など、我らごとき打ち捨てられたような河川流域の貴族には、無縁のものと思っていた。

 呆然とする私を置き去りに、まだ驚きの話が続く。


『王家からの発表前に、こちらと我が領、そして南領の河川三領――伯爵三家で、ある程度の大枠を話し合っておきませんか? 南領にはこちらから話を通しておきます。

 そして発表があった後、間を置かず、この河川流域の貴族会議を開きましょう。

 中心となる我ら河川三伯が先に意見を合わせていれば、他の貴族もまとまりやすいかと思います』


 それは、この河川の流通は、我らが主導で行うという宣言か。


 これほどの大業を、怖気に震えることなく語る声に。私よりも一回りも年下の声に。

 ……同じ次代を担う継嗣であるのに。

 ただただ、耳を傾けることしかできないとは。


『姉の、最近ようやく人の分かる言葉を話し始めたわずか三歳の幼子に、侯爵家から縁談があったそうです。

 侯爵家から子爵家への、二爵落ちをものともしない縁談。機を見る敏さは、さすが高位貴族かと感心致しました。

 我ら三領、今後は様々な貴族と縁を結ばなければなりません。それは河川流域に限らず、王都、大都の大貴族とも。

 それも、わざわざ手を伸ばさずとも、あちらからぜひにと請われて、です。

 さて。

 大地を血に染めた我らの遺恨は、祖父の代で結ばれた絆により、すでに過去のものとなりました。領地の線引き、約定として結ばれた妹君との婚約のことですが』


『婚約解消をお願いしたく、こちらに参りました』


 もちろん、こちらに異存はない。喜んで応じる旨を伝えはした。伝えはしたが、政治を語ることとは別に、何度も重ねて問うてみた。

 本当に、解消しても良いのかと。

 ……妹を慕う言葉は、その口からついぞ出てくることはなかった。



   ◇   ◇   ◇



 よっし、これで政略的に、婚約解消が成立したっ。

 いやもう、ほんと、義兄さんには頭上がらない。


 義兄さんから父に。

 貴族っぽい言葉で理尽くめで話してもらって、もっと良い縁を結ぶべきって唆してもらって、婚約解消するべきって動いてもらった。


 大・成・功!


 ついでに俺も同行させるべき、新事業も次代に任せるべきって口添えまでしてくれて、もう義兄さんには、感謝しかないよね。

 俺が何言っても父は聞かないから、義兄さんから言ってもらって良かった!


「いやっほぅっ! 祝、婚約解消! ラン姉、ありがとう、俺これから毎日、ラン姉を拝むよ!」


「おめでとう、ハリー!

 お姉ちゃんに感謝なさい、でも毎日はいらないわ!」


 ラン姉のとこのタウンハウスで、またまた三人集まって秘密会議、の前に、俺は真っ先に婚約解消の報告をした。

 両手を上げて、ハイタッチ!


 喜び合う俺たちを誕生日を迎えた三歳児と五歳児が不思議そうに見上げてきたから、えいっと両手を上げてもらって、ちっちゃな手と大きな手でハイタッチ!

 春の庭園に、きゃらきゃらと子供特有の甲高い歓声が上がった。


 義姉上が微笑ましそうに子供たちを見守る――俺とラン姉も一緒に見守られてそうなのは、きっと気のせい。

 名残惜しいけど、侍女さんたちに甥っ子たちを頼んで、秘密会議開始。


「俺、向こうのお兄さんと話してきたんだけど、当事者の感情は関係無しで、あくまでも政略の解消ですって、猛烈にアピールしてきたよ。

 それで、これから領地の発展をお互い頑張りましょう、って話して納得してくれたと思う」


「そっかぁ、なら安心ね」


 ラン姉が引き止められなかったかと心配してたから、大丈夫と伝えておく。

 後継ぎのお兄さんとはしっかり話をしたから、向こうの伯爵様にも俺が納得してる感じが伝わって、全方向に角が立たないと思う。

 向こうの次代様(お兄さん)、すっごい心配してたなぁ。ほんと、俺、あの子にベタ惚れって思われてたんだなぁ。好きじゃありませんとも言えなくて、あくまでも政治都合ですって、強調してきたよ……。


「ハイネハリ様、河川三伯会議で話すことは決まっておりまして?」


 義姉上に頼んで、会議を開くのは、王都にある南領の伯爵邸にしてもらった。ウチも西領も、今は陸路で南領を通らないといけないので、物流を抑えてる南領の要請を無碍にできない。

 同じ伯爵家とはいえ、力関係でいえば、南領の方が上なのだ。


「河川流域全体で、とりあえず目立つ中型の水棲魔獣は駆逐して。小型のは水運の仮運用しながら掃討、五年ぐらいをメドにしたいです。

 さらに十年ちょいで大掛かりな河川工事をある程度こなして、ここらの流通網を形にして、二十年ぐらいで一大経済圏ができあがる頃に、かわいい甥っ子に伯爵位を渡す、のが理想ですね」


 つらつらっと、考えていた大枠を義姉上に伝える。机上の空論でしかないけど、ノープランよりはマシだろ。

 

「……ハイネハリ様が、当主に興味がなく、本当に良うございました。安心して、我が子が二十五歳になるのを待てます」


 義姉上がおっとりと笑う。

 言い方が不穏! 俺が当主に興味があったら、どうしてたんでしょうねぇぇ!? 俺の可愛い甥っ子の、将来がちょっと心配になるおじさんです。


「ところで。このたび、大湖の子爵様(ラントリア様の夫君)からのお言葉で、新事業はハイネハリ様に任されましたが。

 なぜ、とお尋ねしても?

 直接、ハイネハリ様からお義父様に進言なされば、先を見据えた素晴らしい見識だと、その才を喜ばれるのではないでしょうか」


 純粋に疑問に思った義姉上が、言葉を飾らず、不思議そうに聞いてきた。


 ああ、うん、義姉上のこーゆー真っ当な所、好きだなー。俺が、父に褒められるよう、良く思われるよう、自然と動いてくれる。

 ラン姉も俺と同じように思ったのか、つい、姉弟で視線を合わせて、ほっこりしてしまう。


 義姉上の言葉に心が温かくなったけど、これ、やっぱ、俺が説明するのが筋なんだろうな。

 ラン姉が口を開く前に、俺から現状を説明した。俺が中継ぎする、後に甥っ子のものとなる現在(いま)の伯爵家の歪な在り様を。


現伯爵()は、俺やラン姉が言ったことは、内容がなんであれ、却下します。あるいは、余計なことを言うな、って言って聞きません。

 でも、他の貴族(他人)の言うことには耳を貸すんです」


 肩をすくめるしかない話で、義姉上に説明するのにも、自然と苦笑しながらになった。


「祖父が、人の意見を聞かない、何でもかんでも自分の思い通りにしようとする人、だったらしいです。

 でも優秀だった。例えば、西領との平和条約とか、他にもいろいろ。

 優秀だったから、自分勝手に動いても結果を出して、だから祖父の独断は許されて、祖父のやることは正しいとされた」


「偉大な祖父の、その後継である父。父は父なりに努力したそうですが、なにせ祖父は、人の言うことを聞かない人、だったらしいので。

 息子の――父の意見なんか、一顧だにされなかったそうです。

 そして、祖父の早逝を経て、父が伯爵位を継いで」


「父は、偉大な祖父の姿を真似ました。

 他人の意見を聞かず、自分の行いは、なにがなんでも正しいとして。そして、時流は変化しているのに、祖父が決めたこと(正しい)を頑なに守って。

 大事なのは伯爵家、そして後継ぎのバッサニオ兄上様だけ。

 他の貴族の言うことに耳を傾けるのは――たぶん父の頭の中では、他の貴族、イコール、祖父みたいな立派な貴族っていうカテゴリーだからかな、と。

 ラン姉と俺は、祖父が父(父が子)の意見を退けたのを真似るための――決まりきった様式美を繰り返すための、道具か舞台装置みたいなものなのでしょう。

 だから、俺やラン姉がどんな真っ当な意見を言っても、却下されるんです」


「使用人たちも、相性が悪かった、いや、逆の意味で良すぎました。祖父の代で、言う通りに動くことに慣れきってしまって……いやまあ、祖父が、言いなりにならない人間を、さくさく辞めさせていったのが原因ですけど」


「そもそも、執事が家政を取り仕切らないとダメなんですが。執事も祖父に教育された真面目ちゃんで。

 言ったことしか、しない、動かない。

 祖父がいなくなった後も、変わらず。つまりは、父の言ったことしか、しない、動かない。

 父は、祖父じゃないんですよ……」


 言って力なく笑う俺に、義姉上は言葉もない。

 外から見たら、普通に回ってるように見えるからなぁ、ウチの領地。昔ながらの、旧態依然として、ただただ続いてるだけなんだけど。


「アタシが九歳で、ハイネハリが生まれたんだけど。父が、バッサニオの予備に要るって、母からハリーを取り上げたくせに、面倒を見る指示をしてなくて。

 まぁ、普通? 赤子生まれて、その父親が、乳母やヤギの乳とか清潔な布とか産着とか、そんな細々したこと、指示しないでしょうけど。

 あの家では、指示が、必要だったのよ!」


 当時を思い出したのか、ラン姉の声が高くなる。

 驚いて、子供たちを遊ばせていた使用人さんたちが振り返った。慌てて、手を振って笑って、何でもないって合図する。


「ごめんごめん、ちょっと思い出して。

 ほんとアタシ、アレで『思い出して』良かったわ。

 ハリーの泣き声聞いて、アタシの赤ちゃん、って当時は錯乱してたけど。そうじゃなかったら、九歳児がゼロ歳児の面倒見るなんて不可能だから。

 と、まぁ、そういうわけで、あの別館で今、住んでもらってるけど。あの別館は、もともと、アタシがハリーを育てた所なの」


「よく気の付く使用人たちで、助かっておりますわ。

 ……お義母様も、あまりお家に関わらない方でいらっしゃいますものね」


「母は、とうに父を見限ってるわ。

 そりゃ、愛想も尽きるわよね」


 言葉を濁す義姉上に、いっそ清々しく、ラン姉が言い切った。話がずいぶんと逸れたけど、義姉上にそろそろウチの事情を説明しないといけない時期だったから、ちょうど良かったかな。


「ねぇ、ハリー。

 婚約解消したのはいいけど、また別の婚約話が上がるでしょ。それで、また相性の悪いのに当たったら、目も当てられないじゃない。

 今回の言い訳で、政略で新しい縁を探す、水運の取り回しするっていうことになってるじゃない。

 それならその関係で、自分で都合の良い婚約を探します、って方向に持っていけるんじゃないかしら。

 旦那様に頼んでみるわね」


 あら、アタシったら、天才! とか言い出すラン姉。


「すごいっ、ラン姉、天才!」


 天才だった!

 思わず、立ち上がってハイタッチしてると。


「あの、いくら子爵様から勧められたとはいえ、今回のような一大事業、まだ当主ではないハイネハリ様に、本当に一任されるのでしょうか。

 普通なら、当主が責任もって事に当たるものですが」


 義姉上が、水運の取り回しからの自力婚約者探し、を心配そうに問いかけてくる。

 横やりが入らないか(父が口出ししないか)、気にかける気持ちも、わからなくはない。

 でも。


「義兄さんに、上手く言ってもらったから大丈夫です。直接、俺がやるっていうと、却下されるので……。

 ええと、まず俺にやらせてみて、失敗したら尻拭いしてやったらどうか、みたいな言い回しで話をもっていったら、俺に任せるのに同意してくれたそうです」


「このような一大事業を、失敗前提で任せるのですか……?」


 信じられないと呟く義姉上に、俺は頷き返した。


「水運なんて、祖父はしなかったので。父は、前例が無いことを――祖父がやっていなかったことを、やりたがらないんです。

 あの人の頭の中で、祖父がやってなかったことは、やってはいけないこと、になってるみたいで」


 この考えに辿り着くまでに、ラン姉も俺も、何度も父と衝突した。昔と今は違うと言っても、何一つ聞いてはくれなかった。


「それで、新しいことを父はしないけど、俺がやって失敗するのは、『かまわない』ことなんです。

 だって、失敗するのは俺だから……祖父に怒られるのは、父じゃないから」


 呆れたように、疲れたように、哀れみを込めて、ラン姉の口から呟くように声が零れた。


「あの人はいまだ亡くなったお祖父様に、褒めてほしくて、構ってほしくて。そしてだからこそ、言いつけ(祖父が決めたこと)一つ破れなくて、怖がっているのよ」


 それなりの伯爵家の内実がコレです。いやほんと、俺、ラン姉に育てられて良かった!

 もの問いたげな義姉上に、ラン姉が話を続ける。


「和解を進めようとする気持ちも、少しはわかるつもりよ。家族、一族なんだからって。

 でもね、父はもういい年した大人だから、これから性格を矯正なんて、できやしないわ。子供の言うことなんかに、耳を貸すわけないし。

 それにねぇ……子供産んだら、ちょっとわかるでしょ。

 子供に学ぶ時って、ない?」


 ふ、とラン姉が、春の明るい庭に顔を向けた。

 五歳児がとことこと何故か必死な顔つきで歩き、三歳児がいつの間にか護衛の腕の中ですやすやと眠っている。


「父は子に学ぶ機会が、三度あったわ。それをあの人は、自ら放棄したんだもの。

 アタシには、女子供と見下して、優越感を得た。

 バッサニオには、過去の自分を重ねて、自分の代わりに自由を与えて、過去の自分を慰めて満足を得た。

 ハイネハリには、自分には厳しい父がいて何一つ自由ではなかったのにと、羨み、妬み、虐げて、鬱憤を晴らした。

 ――いもしない相手に、反抗してるのよ、今さら」


 ラン姉の言葉は、父との決別で。

 俺が同意するよう頷くと。

 義姉上は俺たちを痛ましそうに見やり、そっと目を伏せた。


やっと、婚約解消に辿り着きました。

この7話、なんでこんなに心痛い家族不仲な話書いてるの、今からジャンル:文芸に変更すべきか、と血迷った問題作です。なお8話目、元のファンタジーパートに戻りますので、ご安心ください。


次回8話 「凡才なりに」

お楽しみに!

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