2 月が欲しいと泣く子供
ちょっと両親とか各所に断り入れて、王都のタウンハウスを出て領地に。ヘルプコールした姉とは、領主本館でなくて、ちょっと離れた別館にて合流した。
ラン姉曰く、スープの冷めない距離ならぬ、ちょうどスープが冷める距離、とか言ってたな。
部屋数は20しかない、こじんまりとしたこの別館。子供用の背の低い家具を各種取り揃えた、子供を育てるのに便利な館。
俺が姉に育てられた「家」。
ここには昔に姉が、最近では俺が、厳選した使用人しかいない。だから、内緒話するにはうってつけってわけ。
「ハリーにーたま、ランねーたま」
別館に住む四歳の甥っ子。姉とは三年ぶりで、最初は人見知りを発揮して、木に登ったリスのように、俺を盾にじっと姉を見つめていたが。
姉が、かわいい! って言って、甥っ子が俺の足にしがみついて隠れようとするもなんのその、リスのしっぽみたいなふわっふわの頭を、ぐりぐりと撫で繰り回したっていうね。
ちなみにラン姉は、いたいけな幼児に、ランおねえさま、と自己紹介していた。
今、甥っ子は、にっこにこの笑顔で、甘味の強い果物を頬張ってて。ラン姉が向かいの席で、にっこにこの笑顔で、それを見てる。
低めのテーブルを、子供用に調整してさらに低くしたテーブルに、義姉上、つまり甥っ子の母親も同席。
俺の絶対の味方と、俺に絶対に味方しないといけない人間、の女性二人。
とりあえずこれで、外に漏れることなく、婚約者の相談ができる布陣が整った。
赤毛の迫力美人と、ミルクティーベージュの清楚美人と、同席になったのは偶然だ。甥っ子もいる。
「わたくしもバッサニオ様からお手紙はいただいておりましたが、季節に一度、直筆と代筆と交互ぐらいでしたわ。月に一度のお手紙、そのすべて直筆とは、最恵待遇かと。
そして誕生日の贈り物も、品も良くさり気ないものですし、相応しい『色』を選んでいらっしゃる。
ハイネハリ様は、十分すぎるほどの誠意をお相手に示していらっしゃると、わたくしは思います」
政略結婚でウチに嫁入りした義姉が、俺の婚約者への態度に、太鼓判を押してくれた。
「なにその小娘。アタシの弟に、なんの文句があるっていうのよ。
慇懃無礼っていう言葉があってね? 無礼を隠すために礼儀を、不敬を隠すために敬語を使ってんじゃないわよ」
相変わらず、姉の口が悪い。
でも、俺の味方をしてくれるのは嬉しい。
「悪い子じゃないんだろうけど。もう俺としては、お付き合いをご遠慮したい、婚約解消したい。
けど、積極的に大事にしたいわけでもなくて。
どんな理由があれば、あんな対応になるんだと思う? まだ俺に、なんかできることあると思う? 女の子の気持ちを想像して、お願いします」
「あー、もうこんな話、ネットの海に放流したら、今北産業とか興味津々で絶対食いついてくるし、考察班が勝手に盛り上がるやつじゃない。
弟に塩対応な子の裏事情を、なんでわざわざアタシが考えてあげないといけないのーっ」
ラン姉がもぐもぐしてる甥っ子に、ねーっ、と同意を強制する。
わけもわからず、真似して同じように、ねーっ、と頭どころか体ごと傾げて、バランス崩して子供用の低いイスから転がり落ちそうになる甥っ子を、甥っ子付きの侍女さんがさっと体を支える。
侍女さん、ナイスキャッチ。さすが手慣れてる。子供って、ほんと頭が重くてバランス悪くて、すぐ転ぶよな。
「ハリーもよく転んでたわよ」
そんな昔のこと、覚えてません!
「ラン姉、ネットとか急に言い出したら、義姉上が困るって」
俺は生まれて育てられて、ラン姉とは付き合い長いから、ある程度は話についていけるけど。知らない単語の羅列に、ラン姉が変人と思われるのはイヤだ――それがたとえ事実でも。
十七歳の若造には、直視したくない現実ってのがあるんですよ。
「大丈夫です。ラントリア様がいかに奇矯な物言いをしようとも、四年前の大恩を忘れることはございません。
あの時も、耳慣れない言葉を叫びながら、わたくしと、この子を守ってくださいました。
あの緊急時に教えていただいたヒッヒッフー、妹にも教えておりましてよ」
にこりと品良く微笑む、清楚美人。
いいなぁー、癒されるなー、ちゃんと会話になってるなー。奇矯だって、ズバリと現実をつきつけてきてるけどー。
「わたくしが思いつくのは。
なんらかの理由があり、婚約の解消をハイネハリ様の方から言わせたいのではないかと。それも、自分の瑕疵にならないように」
青灰色の目で真っ直ぐ真摯に、進言してくる義姉上。
そうだよ、これだよ、この感じ。ちゃんと「俺」と向き合って、話し合おうとしてくれるこの姿勢。
あの婚約者は、俺を目の前にしても、「俺」と話し合ってくれないんだよなぁ。
それに比べてこの義姉上、正当な後継ぎの甥っ子が二十五歳になってちゃんと当主になるまでは、中継ぎの俺の方が地位が上だと、俺を立ててくれる淑女の鑑。
義姉上と話してたら、ますますあの婚約者が、ありえない存在になってくるな。
「なんらかの理由……あー、もしや、黒髪に茶色の目で、ぱっとしない奴だとか。社交界でハズレ引いたなー、とか言われてるとか? 知らんけど」
ラン姉と義姉上を見て、自分の顔を省みると、うん。なんでこんなモブ野郎が同じテーブルについてるんだろ、て思うかな。
「なに言ってるの、ハリー! そのツヤっツヤの黒髪、まさしく烏の濡れ羽色、見惚れるぐらい綺麗よ、セピアブラウンの目だって、アタシみたいに吊り上がってなくて優しげじゃない、姿勢も良いし――」
「はい、ストップ、ラン姉、止まって、ほら、息吸ってー。身内びいきが過ぎるお世辞はちょっと……でも、ありがと」
まぁね、ブサイクだとは思ってない。服装とか雰囲気で、そこそこ見れるぐらいのフツ面にはなってると思うんだよ。それを言ったら、婚約者の彼女だって、かわいいとは言っても、絶世の美女ってわけじゃなし。
だから見栄えだけなら、俺たち二人って、そこそこかっこいいかわいい二人組になると思うんだよね。
んで、それが。
あえて、俺から婚約解消を言い出すのを待つ作戦?
絶対に自分の瑕疵にならないよう、俺が怒り出すのを誘発しようと?
でもそれだと、あの気合の入った、義務を果たそうという責任感ばりばりの真面目な顔が、違和感。
でも、その義務、責任感にも、義姉上からダメ出しがあった。
「義務というのであれば。
わたくしもこちらに嫁ぐ前、両親からは、たとえ相手の心が無くとも、無ければ余計に、その心を射止めるよう努めよと、言い聞かせられました。
婚約者たる者、ハイネハリ様の心を射止めるために努めなければなりません。
その努力が、ただただ礼儀正しく接するだけ、などというのは論外です」
そっかー、論外かー。
にこやかな笑みの消えた清楚美人――氷みたいな冷たい美貌って、こういうのを指すんだな、一生知りたくなかったなぁ、俺。
「ねぇ、ハリー、まさかとは思うけど。
……もしかして、好きなの?」
ラン姉が、びみょーな顔つきで俺に聞いてきた。
「月一で直筆の手紙、贈り物も毎回創意工夫を凝らして、お出かけもイイネ!スポットを厳選してって――めちゃくちゃ熱烈ぞっこんラブって感じなんだけど」
「無い、絶対に、それは無い!
俺にだって好きな女性ぐらいいる!」
名誉棄損で訴えるぞ!
ラン姉のあんまりな言いがかりに、俺は思わず悲鳴を上げて反論した。
反論、してしまった。
――やっべ。
「い、いや、万が一、彼女を好きだったとしても、この二年間で、粉々に砕け散って、跡形もなくなると思うなー俺」
あははー、へらりと、とりあえず笑ってみる俺。
誤魔化されてくれ!
「待ちなさい」
ダメだった。
だらしなく斜めに体を傾けて座っていたラン姉が、きちんと座り直し、真顔で俺の目を見つめた。
義姉上も息を一瞬だけ止めた後、膝の上で手を組みなおし、いつもの穏やかな微笑を口の端に張り付けて、視線だけで圧をかけてくる。
いつの間にか眠り込んだ甥っ子を、侍女さんたちが連れて行き。
テーブルには、俺とラン姉と義姉上の三人だけ。
これだけ、姉たちに「圧」をかけられて、黙っていられる弟がこの世に存在するだろうか。
……十年前の初恋なんて、今さら話したところで何にもならないんだけど。
俺はあきらめて、口を開いた。
長女ラントリア9歳、長男バッサニオ7歳、それで最後に俺、ハイネハリが生まれて、伯爵家三姉弟。
姉は政略の駒、長男は後継ぎ、次男の俺はスペア。
なんか俺だけ年も離れてるし、名前の系統違うくない?
――多感な年頃には、当然湧き上がる疑問。
姉曰く。
父も母もがんばって、あきらめずにがんばって、やっと授かったのがあなた。名前は神殿の方に、縁起の良い名前を願ったの、と。
小さな頃は、それで誤魔化された。
今ならわかる。
名前、考えられなかったんだな、って。
あの典型的なお貴族様の義務ってやつで仮面夫婦やってる父母が。
スペアが必要なのはわかっているから、1シーズンに一回ぐらいは部屋を一緒にしようとか決めて。
俺が生まれるまではその決まり事を二人して義務的に守ってた――ぐらいが真相だろう。
姉と兄が生まれる間は、祖父が現役で、二人を寝室に閉じ込めてたんだろうなぁ、と察するぐらい、冷えきってるあの二人。
よく生まれたな、俺。
それで、お家大事な両親が、真綿にくるんで上げ膳据え膳、大事にしたのは当然のごとく長男のバッサニオ兄上様だけ。
姉曰く、長男教、というそうだ。
次男の俺は、両親から目をかけてもらった記憶がほとんどない。
食事も用意されたし、虐待もなかったけど、声をかけられることもほぼ無かった。端的に言って、無関心。
そんな俺は、姉と使用人たちに育てられた。
特に姉は、両親なんか目じゃないぐらい、できるかぎり精一杯の愛情を俺に注いでくれて……おかげで小さい頃、俺、姉を母親だと思ってたんだよな。
3歳児から見た12歳の女の子なんて、十分大人ですー、と言い訳しておく。
俺が彼女に会ったのは、俺7歳、バッサニオ兄上様が14歳、ラン姉が16歳の時で、王都のパーティに参加した時。
たった一回だけ、あの両親に連れられて、王都のパーティに。……だから、彼女に会ったのは、一回だけ。
俺が7歳になって、貴族の慣例のお披露目と、ラン姉の婚活。
ラン姉の婚約者病死の、婚約解消一回目、両親がくどくど言ってたのを覚えてる。
ラン姉が両親に、婚活の挨拶回りに連れていかれて。俺がバッサニオ兄上様に預けられて。
バッサニオ兄上様は、当たり前だけど、早々に俺を放り出した。
ただ、放り出す時に、ひどいことを言われて。
もう昔過ぎて、その時言われた正確な台詞は忘れたけど。内容は、大体、こんなだったと思う。
スペアって、今使ってるのがダメになったら、すぐ替えれるよう用意してるものだろ。替えて、すぐ使えるのが、スペア。
後継ぎとしてもう自分は十分に足りてる。なのに、7歳の未熟すぎる俺は、スペアにならない。そもそも、もう14歳で後継ぎとして十分立派で、ダメになんかならないんだから、スペアなんて要らない。
だから、俺は、ただのごく潰し、汚らしい煤頭のお部屋様、近寄るなと。
言い捨てて、バッサニオ兄上様はどっか行って。
残された俺は、言われた内容よりも、実の兄だという人に悪意をぶつけられたことがショックで。
中庭の端っこの柱に、隠れて泣いてたんだけど。
はい、定番で悪いんだけど、そこに現れた初恋の君。
俺、初めて会った時、子供姿の月の女神様って思ったよ――ああ、うん、これだけで分かるよね。そう、月下の君と名高い、あの方だよ。
ハンカチ渡されて、慰められて、惚れましたが、なにか?
男女が逆じゃね? とか言わない。
7歳が10歳に惚れて、何が悪い。
ちなみに、彼女が人妻なのは、とっくに知ってますー。
彼女から、「顔を上げて、胸を張りなさい」って言われて。
俺は泣き止んだ。
……手の届かないお月様を、子供じゃなくなった俺が、泣いて欲しがる真似はできないよ。
話した内容は、たとえラン姉にだって言わないから。あれは、俺の、俺だけの宝物。恋バナの材料は他で用意して。
っていうか、ラン姉は、義兄さんからの結婚の申し込みとか、あの一連の熱愛騒動で十分だろ!?
二回目の婚約解消、からの、義兄さんとの恋愛騒動。
あれを超える恋バナって、そうそう無いと俺は思うよ。
雰囲気「フツメン」←自己評価です