12(終話) それは愚かな 私の罪科
何も悪いことをしていないのなら。
『顔を上げて、胸を張りなさい』
幼い私は、その言葉を口にすることに、何の疑いもしなかった。
何たる傲慢、何たる浅慮。
柱の影にうずくまって泣いている小さな男の子を見かけて、話を聞いて、別れ際に命じるように口にした言葉。
事情を知らず、境遇を知らず、そう振る舞った後のことを想像もせず。ただただ自分の正しさだけを押し付けた、無知蒙昧な私。
幼い頃の私は、学べば学ぶほど、称賛された。
努力して結果を出せば、認められて、評価された。
小さな私の、狭い世界。
その子が、妾腹の出ならば?
その子が、後妻の子であればどうする。
その子が、外に出せぬ醜聞の子だった時は!
美貌も、利発さも、その子にとっては害にしかならない。それを、事もあろうに、私は。
『顔を上げて、胸を張りなさい』
それは昔の、そして今も続く、私の罪科。
あれから何度も探しに行ったけれども、どこの誰とも分からぬままに、二度と会うことなく。
せめてもの償いにと、自らを戒めた。
何があろうとも、顔を上げて、胸を張り、生きていく。
これが、もう顔も忘れて分からなくなってしまったあの子への、償いになることを願って。
それからしばらくして、私の努力が廻り回って私自身を酷な状況に追いやることとなったけれども。
これがあの時の報いかと、腑に落ちた。
だからこそ顔を上げた。
だからこそ胸を張った。
私の言葉に頷いて、花咲くように笑ってくれたあの子を、裏切ることだけはするまいと。
そして状況は、私の献身も誇りも矜持も何の価値も無いと言わんばかりに、悪化の一途を辿った。薄々は感じていた、この私自身には何の価値も無いということを、思い知らされた。
たった一日のことだったけれど。
離縁された当日の、父母からの罵詈雑言、知人からの嘲笑、顔も知らぬ者からの侮蔑と都合の良い道具呼ばわれ。
きっと一生、忘れることはないでしょう。
そして、離縁後一日で、即座に申し込まれた婚約の申し込み。徹頭徹尾、政略結婚だと、理路整然と説明された。
納得のいく事情での婚約だったけれども。
続く日々は、納得のいかないものだった。
月一で、直筆の手紙。こまめなお茶会の都度、渡される趣向を凝らした花束。
交流を図りましょうと連れ出される先は、ことごとく私の好む出先で。
……政略結婚?
事ある毎にハイネハリ様は「政略結婚」と口にされ、確かに侯爵家と伯爵家の結束を固めるための結婚で、間違いはないのですが。
祝祭では私のせいで、元夫の公爵家を完全に敵に回して不利益を被ったというのに、私を責めるでもなく、守る為にと伯爵領へ。
忌まわしき閨のことを口にされ、自身でさえも悍ましいと捨てたくなるこの体。なのに、離すまいと力強く握られる手。
…………政略結婚??
そして何故か大事になっていく「政略」。ええ、政略の結婚であることに間違いはないのですが。
所詮は一侯爵家と一伯爵家程度の結びつきのはずが、なぜ殿下の言祝ぎを賜り、国に在る遍く貴族の融和の象徴になるのでしょうか。
意義も説明され、過程もそれこそ渦中にいましたので分かりましたが……理解はしたくありませんし、いまだに納得もできません。
そしてハイネハリ様が不在の間、月に一度、必ず届けられる直筆の手紙。気遣いに溢れる内容に、魔獣に喩えられてはいるけれども、私を綺麗だと切々と伝える、手紙というより恋文。
婚約が申し込まれた時、『持参金など不要、身一つで嫁いで来てもらって結構』と、その言葉に偽りないと言わんばかりに、粛々と揃えられる衣服に家具、茶葉に絨毯――増えていく品々はすべて私の好みを反映したものばかりで。
………………政略結婚???
冬、ハイネハリ様が討伐から戻られたら、前にも増して用意される私好みの品々。屋敷でさえ、私に当てられた一画丸ごとが、少しずつ私好みに模様替えが行われた。
結婚式では、王太子領軍の兵士が列をなして儀礼用の剣を掲げるという、王族の結婚式かと見紛うほどの有様で。
私の夫となる方は私と結婚する為に、ただそれだけの為に、国をも動したのだと知りました。
柱の影で泣いていたあの子。傲慢で浅慮な私の言葉に、顔を上げて笑ってくれたあの子。
もしも今、あの子に会えたとして。
私は、胸を張って会っても良いのでしょうか。
思い悩むも、時は過ぎ。
空には大きな銀の月と、付き従う小さな金の月。夜闇が翼を大きく広げ、満天の星が夜空を飾る。
そして、差し出される花束。
「『顔を上げて、胸を張れ』、あのお言葉を、心の支えにしてがんばってきました」
……え?
ハッピーエンド本編は、これにて終了です。
残り2話、いわゆる「ざまあ回」なので、苦手な方はここまででお願いします。
13 余話 「あなたを愛することはない」
14 最終話「砕けた杯」
本編は終了しましたので、ささっと(?) 2/22(木)昼12時、夜20時に続けて更新して完結とします。
どうぞよろしくお願いします。