1 俺の可愛い婚約者
明るい栗色の髪にミントグリーンのリボンを細かく編み込み、十三歳の少女らしく、可愛らしい柔らかいオレンジを基調としたドレスに、ライムイエローのボレロ。
少女の目の色と同じリーフグリーン色のペンダントが胸元を飾り、若々しさと初々しさをこれでもかと盛りに盛った姿で、鮮やかに繰り出される教本通りのカーテシー。
かわいいって思う前に、気合と決意を友達にして挑みに参りました、という顔だな、というのが俺の第一印象だった。
典型的な貴族の婚約。
親世代がパワーバランスを鑑みて、打算と妥協と調整を重ねに重ねて選別し、これぞと思う相手に婚約を打診、その後、結婚へと至る。
そこに、当事者の意思はほとんど、ない。
たまに稀に、選別したお相手が二人で甲乙つかない場合は、互いの相性が測られる場合があるも、そんな「場合」はほとんど、ない。
稀によく、可愛い末子には好きな相手を選べ、などと言う場合もあるらしいが、それはある意味、兄姉で地固めは済んだから、もうどうでもいいお前は好きにしろ、という意味かと。
そして、好きな相手を選べと言っても、目ぼしいのはもうとっくに刈りつくされている。有望な株を望むなら、若木どころか苗木を探さないといけないんじゃないかな。
のんびりと後から探して、運よく有望株が見つかったとしても、その有望株は、ほぼワケアリだ。
だから、好きな相手を選べといっても、じゃあ王子様が好きだから結婚するのは王子様がいい! という意味ではない。
伯爵家次男の俺が、何の因果か紆余曲折を経て、跡取りと――立派なワケアリの跡取りとなった。
そしてそんな俺の婚約も、親世代の打算と妥協と調整の結果だ。
親世代がにこやかに挨拶を交わしている横で、硬い表情のご令嬢と、できるだけ柔らかい微笑を顔面に張り付かせた俺。
互いに名乗り合い、型にはまったやり取りを交わし。
俺より二つ年下の婚約者との初顔合わせは、決められた通り、予定調和を乱すことなく、恙無く終わった。
それから二年。
俺は月に一回、婚約者に直筆で手紙を書き。
月に一回、お茶会をして、交流を図り。
半年に一度、お出かけをして親交を温め。
一度目の誕生日には、俺のセピアブラウンの瞳に似た色合いのアンバーのペンダントを贈って。
二度目の誕生日には、俺の黒髪にちなんでブラックスピネルを飾り石にした金鎖のブレスレットを贈った。
さて。
手紙は直筆とはいえ、時候の挨拶から始まる定型文だったかもしれない。
お茶会で交流を図ったとはいえ、張り付けた笑顔だったかもしれない。
親交を温めるつもりだったとはいえ、お出かけ先は俺が決めてたし、俺の独りよがりだったかもしれない。
誕生日の贈り物も、もっときちんと相手の希望を聞いてから、贈った方が良かったかもしれない。
ここまでは、俺が考えうる、俺が反省すべき点。
だけどな?
返ってくる手紙は、すべて侍女による代筆の、俺よりももっと形式ばったあからさまな定型文。俺はちゃんと、そろそろ暖かくなりましたねーとか、定型文に自分の言葉を足したぞ。
二年経つのに、お茶会ではいまだに、気合入れて頑張らなくちゃ私の義務よ、感が溢れる表情で挑まれるし。貴族の義務を果たす責任感はあるが、そもそも、俺に興味がないんだろう。なにせ、俺ばっかり話を振って、相手のこと聞き出そうとして……逆に向こうから、俺の趣味とか、好きな食べ物とか、聞かれた覚えがない。
お出かけも、希望聞いても、お任せしますの一点張りだ。夫に付き従う夫人や淑女のつもりか知らんが、俺がそっちの好意を得ようと頑張ってる姿勢はガン無視か。
贈り物も、贈った直後はつけてくれたな、ありがとう。で、二度とお目にかかってないんだが? 義務を果たした後は、俺の色は身に付けたくないってか。
ちなみに、俺の誕生日に、向こうからの贈り物は、一応、あった。流行のタンブラーグラス、流行のペーパーナイフ。とりあえず流行りもの贈っておけばいいか、てことですかね。
なにこの一方通行。政略なのはお互い様だろうに。俺は、ちゃんと、仲良くなろうとがんばったぞ。
春。
春の暖かい日は、ガゼボでお茶を。
ガゼボはこの日の為に、冬の間の汚れを拭い、木の葉や枯れ木を掃除して、綺麗な真っ白い元通りの姿に。真っ白い円柱とベンチに、チョコレートブラウンの屋根で、上にちょこんと乗った風見鶏がチャームポイント。
かわいいガゼボだと、俺は思うんだよね。
春の花もたくさん咲いてて、婚約者とのお茶会を、庭も全力で応援してくれてる。
俺は心持ち柔らかく聞こえるように、愛想良くにっこり笑って言った。
「良いお天気ですね。花も咲いて、春らしくなりました」
「そうですね」
「今日の装い、テラコッタのドレスに、マリーゴールドのボレロが、とてもお似合いですね。
黄色やオレンジ色が、お好きなのでしょうか」
とりあえず、婚約者の好きな色ぐらい知っておかないとなー。そこから話繋げて、好きな花とか聞き出せばいいかね。
そーいえば、お茶……やっべ、茶の名前なんぞ知らんが、それは用意した侍女が詳しいか!?
いや、落ち着け俺、まずは好きな色や花からだ。贈り物とか、花が定番だしな。
「……特には。
お褒めいただいて、ありがとうございます」
待てや、小娘。
それだけか!? なんか他に言うことあるだろっ。
「……えっと、いえ、ほんと、お似合いで……。えっと、では、この庭いかがでしょうか。お好きな花など、ございますか?」
「きれいなお庭でございますね。どの花も素敵です」
きりっと真面目な顔つきで、丁寧な口調で礼儀正しく返してくる十三歳の婚約者。
礼儀はなっ、いいがなっ、そーじゃねぇんだよ!
会話しようよ、会話!
「我が家自慢のお茶と茶菓を用意しました。お味はいかがでしょうか、お気に召すと良いのですが。
甘いものはお好きでしょうか。もし良ければ、好きなお茶や、茶菓を教えていただけないですか?」
ええい、こうなったら、回りくどいことせず、直球ストレート! さぁ、返答や如何に!?
「たいへん美味しゅうございます。このお茶と茶菓、とても気に入りました。これが好きになりましたわ」
はい、しゅーりょー、終わり!
おーあーるぜっと、とか、おーてぃーえる、とか言って、地面に手をつく場面だな、これ。
夏。
王都の夏は暑い。領地だと、人も少ないし緑も多い――平たく言うとウチの領地が田舎で、森とか湧き水の近くなんかが涼しいんだけど。
繰り返すけど、王都は暑い! なので、婚約者を誘って、小さな川の流れてる郊外の林、ちょっとは涼しい所へお出かけだ。
もちろん、二人っきりなんかじゃないけどな。
馬車で、両家の護衛と給仕役を引き連れて、ぞーろぞーろとアリさんかと。さしずめ馬車は、運ばれるエサか。
なんて考えてると休憩場所に着いて、さくさくとセッティングされるテーブルとイス。
水が飛沫を上げて流れてて、せせらぎの音も聞こえてきて、物理的にも気分的にも涼しい。木々が日差しを遮ってくれて、ほっとして席につく。
ふと川向うを見れば、林が切れて、雲一つない一面の空が、青く青く広がっていた。
「ああ、ほんと、空が青くて――キレイですね」
目に染みるような、遮るもののない晴れ渡った空に、俺の口から思わず零れ落ちる感嘆。途中で同行者がいるのを思い出して、慌てて末尾を問いかける形に取り繕う。
「はい」
……いや。そこで、はい、なの?
そうですね、とか共感の言葉じゃないの?
そろっと見ると、空を見もせず、いつもの、気合を入れて失礼のないようにがんばってます、的な婚約者の顔。
涼しいと思うんだけどなー。気持ちがいい空間だと思うんだけどなー。
護衛とか給仕の奴らの方が嬉しそうって、どうなの。
まぁ、とりあえず。今回の収穫。
こんなにきれいな青空に、この反応。
この子、青色が好きってわけでもなさそう、ってのが分かっただけでも、良しとするか。
やっぱ、黄色やオレンジが好きなんだろうな。
俺は、サフランイエローの夏物のドレスを爽やかに着こなした、明るい栗色の髪に前と同じミントグリーンのリボンを細かく編み込んだ婚約者に、夏に相応しいすっきりとしたミントティーを勧めた。
秋。
収穫の秋!
甘いの、酸っぱいの、甘酸っぱいの、女の子の好きそうな果物いっぱい、盛りだくさん。
どうかと思いつつも、男友達に喜ばれそうな塩っ辛い酒ツマみたいなのも一応、用意。
いざ、勝負!
「先日は素敵なお届け物をありがとうございました。どれも、美味しゅうございました。我が家を代表し、御礼申し上げます」
酒ツマにツッコミも無しかよ!
秋らしく、髪と同じ明るい栗色を基調としたドレスに、キャロットオレンジの上着をきた婚約者。
食べ物と一緒に、ピンクコスモス、金木犀、赤ダリア、アメジストセージ、いろんな色の花束をつけたんだけどな。
どれもこれも、素敵なお花、だそうだ。
冬
相手のタウンハウスでのお茶会。
薪を惜しまず、がんがんに暖めた部屋で、ぬくぬくと温かいお茶。もう俺、これだけで幸せ。
真っ白な花瓶に赤の寒椿、黒い壺っぽい花瓶に白の大振りなゴードニア、一輪挿しのオシャレな背の高い花瓶には、青紫のブルーサルビアが一枝。
屋敷のメイドさんたちが、華やかになるようにがんばってくれたのがよくわかる、ありがとう!
そして俺を迎え入れる、定型文句の挨拶に、生真面目な顔、教本通りのカーテシー。
「冬とは思えないほど華やかですね。これほど心配りいただいて、嬉しく思います。
あなたのお気に入りの花はどれでしょうか? 一枝なりとも、持ち帰りたいのですが」
気に入ってる花はあるか、じゃなくて、どれかと問いかけるあたり、俺も学習してるよな。そしてどれかを持ち帰ってやるから、どれが良いか、テメーのオススメを言え! さぁ、言え!
「まあ。気に入っていただいて、ありがとうございます。それでは、すべて花束にしてお渡しいたしますわ」
裾に金糸の刺繍がアクセントの、スノーホワイトの室内ドレスに、柔らかいクリームイエローのカーディガンを羽織った婚約者は、傍に控えていた侍女に、帰りにすべて花束にするよう事務的に申し付けた。
貴族の御令嬢らしく暴言など露と知らず、常にご丁寧なお言葉で、礼儀正しく行儀よく、未来の夫の言葉に異を一つも返さない大人しい良い子ちゃん。
ある意味それが大問題な、文句のつけようもない型にはまった丁寧なやり取りの、仮面夫婦ならぬ仮面婚約者。
二年前の十三歳、まぁ、多感な少女時代にはありがち、ありがちって思ったよね。その内、現実と向き合って、お互い努力していけると、思ったんだよね。
二年経って十五歳――まだ十五歳、然れども早や十五歳。二年経ってもまったく成長が見られないって、どうよ。
婚約して、二年。
あの春夏秋冬を、もう一年、もう一回、繰り返したんだよ。
俺、めっちゃ、がんばった!!!
もう、試合終了していいよな???
というわけで、ラン姉。
へるぷみー、エスオーエス、トトトツーツーツートトト。
昔教えてもらった「助けて」って、これで合ってたよな?
冬の終わり。
珍しく晴れて、雲一つない抜けるような青い空を見ながら、俺は姉ちゃんに助けを求めた。
◇ ◇ ◇
呼ばれて、駆け出て、お姉ちゃん、参上!
突っ走ってきたよ!
42.195キロを、五、六時間で走り切れる人間って凄いでしょ。
街道とは言え、山あり谷あり道ならぬ道を、江戸から大阪の550キロ、人力リレー方式でわずか四日間で届けてたって、凄すぎでしょ。
この走破能力が、他の生き物を差し置いて人間がこの大地に蔓延った最大理由だと、お姉ちゃんは思うのよ。
馬とか、人間よりも走るのに適した動物?
ノン、ノン、馬なんて本気で長時間走らせたら、死ぬわよ、体の熱が下げられなくて。しかも、飼い葉に厩舎とか維持費かかりすぎでしょ。
人間ほど、ローコスト、低燃費で、長距離走が可能な生物って、そうそういないのよね。
ただし、魔獣は例外。あれは別枠です。意味も生態も不明です。
……この前、旦那様に怪我をさせておきながら、川に逃げて今なお隠れている指名手配水棲魔獣。ぜってぇ見つけ出して、鍋にして食ってやるからな、首洗って待ってろよ。
◇ ◇ ◇
久し振りに会ったラン姉は、ウェーブのかかった赤い髪を緩く編んで前に垂らして、着ている服は腰の細さではなく、胸の豊か、もとい、豊満な曲線を魅せる、飾り少なめの裾の長いすっきりした衣装、色はヘーゼルブラウンの姿で、俺の前に現れた。
軍服みたいな乗馬服を着替えてからのシンプルすぎる室内着に、髪と同じ色のファイアレッドのショールが良いアクセントになっている。
今の流行は、コルセットで絞りに絞った可憐さを強調する細腰、それを知ってか知らでか、あえて流行を蹴っ飛ばした姿。
結婚して嫁にいって子供ができても、相変わらず我が道を行ってるなぁ、と俺は安心した。
「突っ走ってきたは比喩だからね、ちゃんと馬を乗り継いで六日、急ぎに急いでやってきたよ。
弟よ、お姉ちゃんは会えて嬉しい。
それでハイネハリ――ハリー、一体どうしたの、継嗣になったから物理的には大事にされてると思ってたんだけど。あの人たちに、また何かデリカシーのないこと言われた? お姉ちゃんに話してみ。
それか、とうとう、この家自体に愛想が尽きた? なら、ウチの子になる? 出てくる前に旦那様とも話したんだけど、ハリーならいつでもオッケー、ウェルカムだから」
「待った、姉さん、ストップ、落ち着いて、はい、息継ぎしてー」
三年前に他家に嫁いでいった、九つ年上のラン姉。
俺は両親ではなく、姉に育てられた。
「今回は、俺の婚約者のことで、助けてほしくて呼びました。悪い子じゃないんだろうけど、俺とはぜんっぜん、合いません。
もう婚約解消したいんだけど、いちお、女側の意見を聞きたくて。俺も男だから、女の子の考えてることは、ヨクワカリマセン。俺が汲み取れてない不満とか、あるのかなって。
婚約者とは、二年前――俺が十五で、相手が十三歳で婚約して、今、向こうのお嬢さん、十五歳なんだけど。
十五歳って子供? 女の子? 早い子は十六歳でうっかり結婚して、大人の仲間入りしてるよな?
子供産んでも、自称「お姉ちゃん」な姉さんが一般的な女性かっていうとちょっと疑問だけど、他の女性に聞ける内容じゃなくて……姉さん?」
俺と同じセピアブラウンの目を猫のように細めたラン姉が、口の端を吊り上げて、表情を微笑みのない嗤いに変えた。
「ハイネハリ、おかしなことをおっしゃいますね。ワタクシは、一般的な、ごく普通の女性でしてよ?
――あと、未来永劫、魂に刻み込め。忘却の河を渡ろうとも忘れるな。女はどれほど年月が経とうとも、女子、女の子、妙齢の美女、お姉さま、だ」
「イエス、マム!」
目を炯炯と光らせたお姉さまに、俺は被せるように返事をした。
俺知ってるー。これヘタに間違うと、人類の半数を敵に回すやつー。
試食を勧める時、外見が女性であれば、「おねーさん、一ついかがですか~?」
社食で、厨房の方が女性であれば、「おねーさん、一つください~」
世界の常識です。