10. 愛の説教
天界最上層の東に位置する、天空の神が管轄する地に向かう馬車の中で、アイリスはカーテンの隙間から外をぼんやりと見つめる。
他の神と無理に番う必要は無い、と最上級神達の許しを得たことを聞いた。アイリスの神気に翳りが出ることの方が天界に与える影響が大きいから、との事だった。
その決定に安堵しつつも自分の不甲斐なさに気落ちする。
(またセフィロス様にご迷惑をかけてしまったわ……)
テスカには非常に申し訳ないことをしてしまった。それにも関わらず先日、テスカは何事も無かったかのようにアイリスの家に遊びに来てくれた。本当に優しい方だと思う。
申し訳なさと不甲斐なさ、そしてもう一つの事がアイリスの心を占めていた。
自分には、博愛の心が無いんじゃないか。
博愛の精神は神が持つ基本の精神だ。にも関わらず拒絶してしまうなんて。
セフィロスに触れられる時にはあんなに悦びを感じられるのに、他の人から触れられると不快感でしかない。
いつまでもまた一人でウジウジと悩むのは良くないと思い、誰かに相談しようとこうして辻馬車に乗り込んでいる。
「到着致しました」
一緒に付いてきたジュノが御者にお代を払うと、馬車を下りて神殿へと足を踏み入れる。
こんな悩みをバカにせず、真剣に、かつ最も的確な答えを出してくれそうな人。
愛を熟知するその神は――。
「アイリス様、お待ちしておりましたわ!」
ピンクブロンドの髪に、おっとりとしたタレ目。常にピンク色のほんわかハッピーオーラを出しているヴィーナスだ。
「本日はお時間を頂きありがとうございます」
「イヤですよぉ!そんな風に改まれると距離を感じます。せっかくアイリス様と仲良くなれたのに! さあさあ、天使たちはあっちへ行って好きにお茶でも飲んでダベってなさい」
自身の守護天使とジュノを部屋から追い出すと、ヴィーナスと2人きりになった。
「うふふ、こうして2人だけでお茶をするなんて、なんだか新鮮ですね」
愛の神殿には何度か来たことがあるが、いつもフローラやセリオンも一緒だったので1人で来るのは初めてだ。
ヴィーナスがお茶を注ぐと、ローズヒップティーの酸味のある香りが広がった。
「フローラ様から頂いたはちみつと一緒にどうぞ」
「ありがとう」
早速お茶にはちみつを入れて、爽やかで甘酸っぱい味と香りを堪能する。
「それで、今日はどうされたのですか? セフィロス様が天界にお帰りになられたからアイリス様も元気を取り戻していると思ったんですが、何だか以前にも増して生気がなくなってますよ」
「あの……あのね、こんな悩みを相談できるのはヴィーナスだけだと思って……その……」
「まぁ、アイリス様のお悩み相談に指名していただけるなんて! 私で良ければいくらでもお聞きしますよ」
アイリスがモジモジとしていると、ヴィーナスが満面の笑みで返してきた。
うん、ヴィーナスのハッピーオーラは素晴らしい。包み込まれるような安心感がある。
「私ね、セフィロス様がお帰りになられてから、他の神と番う許可を頂いたの」
「ええ、そうなりますよね。セフィロス様とのお子様は生まれましたし」
「それで……その……私、いざと言う時に、お相手の方を拒絶してしまって……」
笑みを浮かべていたヴィーナスの顔に、少しだけ驚きの表情が浮かぶ。
「その方の事を嫌いなわけじゃないの。凄く好きなのに……でも触れられるのが怖いと言うか、嫌で嫌で仕方がなくて……」
思い出すと次々と涙が溢れ出してくる。酷いことをしたのは自分であって、テスカじゃないのに。泣く資格なんてないのに。
「アイリス様、息を大きく吸って落ち着いてください。大丈夫ですから」
ヴィーナスが隣に座り直してアイリスの手を柔らかく握ってくれる。
他の神と番う必要がある事に気付いた時のこと、フローラに相談した時のこと、テスカが来た夜のこと、そして下された決定のこと……
夏の神の披露目の儀があった10年前から今日までの事を洗いざらい話している間、ヴィーナスは柔らかい表情を浮かべたまま、ただ頷いて聞いてくれた。
「……それでアイリス様は、自分には博愛の心が無いんじゃないかと思ったのですね」
コクンとアイリスが頷くと、ヴィーナスはハッキリ、そしてキッパリと言い切る。
「アイリス様は間違いなく、博愛の心をお持ちですよ」