6.
アイリス達が泊まりに来て4日がたった。厨房や薬草畑で手伝いをしたり、時には洗濯や使用人達の部屋の掃除まで何にでも手を出そうとするので、神出鬼没の主にみんなドキドキとしながらも、来てくれないかとソワソワしているのが感じ取れた。
午後の会議が終わったあとにはセフィロスがフリーになるので、迎えに行こうと会議室へ向かう途中だ。
「やっとセフィロス様と過ごす時間が取れますね」
「お忙しいもの。それにしても、風の都へ行くの楽しみだわ! お金の使い方もちゃんとお勉強したし、今度こそきちんと買い物してみせる! ……あら?」
何かに気が付いたアイリスが足早に駆けていく。
「大丈夫? 一緒に持つわよ」
使用人の女性が大きな箱を持とうとヨロヨロするのを手助けしようと、アイリスは箱の反対側をもって支えた。
それに驚いたのは女性の方。突然現れた主の登場に驚いて後ずさると、台座に置かれた生け花の花瓶にドンッと当たってしまった。
「あっ……!」
その後は言うまでもない。盛大な音を立てて花瓶が割れ、花と水が廊下の床に散らばった。
「ご、ごめんなさい。私が急に手を出したからビックリさせてしまって……」
女性は唇を震わせ、青ざめている。当然だ。この神殿に置かれている物は全て一級品。使用人として一生働いても払いきれない額の物だろうということは容易に想像がつく。
「アイリス、どうしたんだ?」
会議室から出てきたセフィロスが向こうからやってくる。
「あ、あの、その……うっかり私、ここの生け花にぶつかってしまって。こちらの女性の方が片付けてくれようとしたところです」
アイリスの目は泳ぎ、変な汗をかいている。おまけにソワソワとして挙動もおかしい。これなら天使の5歳児の方がまだ上手く嘘を付ける。ただでさえ嘘を見破るのが上手いセフィロスを騙せるはずもないが、主はただ「そうか」とだけ答えた。
「大事な物だったのでしょうか、こちらの花瓶」
「随分と昔にテスカに貰ったものだ」
「それなら今度テスカ様にお会いした時に謝っておきます」
「テスカならそんな事は気にしない。それよりエレノア、ここの片付けを頼んだ。2人ともケガをしないように」
セフィロスは女性にも声をかけると、アイリスと一緒に風の都へ出かけて行った。
「え、エレノア様……どうしましょう。私、嘘を……」
顔面蒼白なまま女性が、涙をいっぱいに溜めた瞳でエレノアを見つめる。
「嘘をついたのはあなたじゃなくてアイリス様よ」
「でも……後で本当のことをきちんとお話しした方が……」
「セフィロス様はちゃんと分かってらっしゃるから大丈夫よ。でも、正直者があの方はお好きだから、あなたが本当のことを話そうとしていたことは伝えておくわね」
エレノアは女性の背中をそっと撫でる。
「大丈夫、大丈夫よ。さあ片付けちゃいましょう」
片付けを終えるとエレノアは、馬場へと向かう。風の都へのお供はネリダが「たまには私もアイリス様と一緒にいたい!」と言うので譲った。と言うよりか、普段はタメ口で呼び捨てにしていようともネリダは上官だ。変われと言われれば従うよりほかない。
そういう訳でフリーになったエレノアは、虹の天使たちの様子を見に行くことにした。
「テリス、歩様が乱れてる! アグネテはもっとジュノとの距離を詰めて!」
馬場にノクトの指示が飛ぶ。今日は馬術訓練だ。アイリスの家にも馬が1頭だけいるが、虹の天使たちは本当に必要最低限の乗馬技術しか持っていない。なのでこの7日間でみっちり教えようと言う訳だ。
「そろそろ馬が疲れてきているから、次の馬に乗り換えて」
ノクトが指示を出すと、虹の天使たちは控えていた次の馬に乗り換える。
乗られる側の疲労は考えても、乗る側の疲労は考慮に入れない。これがここでのやり方だ。
自分の限界がどこにあるのかを分からせるためにあえてこう言うやり方をするのだが、真意が分からない者には、ただただ虐め抜かれているようにしか感じられない。
エレノアも昔、風の天使になってすぐに乗馬の訓練をした。これまで一度も馬になんて乗ったことなどないのに、いきなり襲歩で走らされたり、障害の柵を飛ばさせられた。
「落馬して死んだらどうするのよ!」
と抗議したが、
「守護天使になったんだから、骨の1本や2本折れたところで死なないよ。怪我して動けなくなっても、命さえあれば後でセフィロス様が治して下さるから大丈夫」
とノクトにさらりと言われたことは、今でもハッキリと覚えている。
エレノアがセフィロスの後天守護天使になった後、自分も風の守護天使になりたいと言う輩が何人も訪れた事がある。セフィロスの所ならまだ最上級神の守護天使の座に「空き」があると踏んだのだ。
そういう甘っちょろい考えで門を叩いた者は、試用期間中にことごとくノクトとネリダに滅多打ちにされ、ひと月と持たずに去っていった。
最上級神付きの守護天使になると言う夢破れた者たちは「風の神のところはヤバい」とある事ないこと(ほぼあったことだけど)言いふらして、ますますセフィロスの評判は下がっていった。
それを考えると、よくもまぁ、自分は契約を結んで貰えたものだとしみじみと思う。
昔を懐かしんでいるうちに訓練が終わったようで、虹の天使たちが産まれたての子鹿のように足を震わせ馬から降りていた。
「休んでる暇ないよ。馬の手入れを夕食までに終わらせて」
乗った馬は一人3頭。可哀想に。
それでも誰一人として愚痴もこぼさず弱音も吐かず、大したものだと感心する。虹の天使は能天気だし軟弱な所はあるが、素直で曲がったところがない。完全にノクトを慕っている彼らは黙々と試練をこなしていく。さすがはアイリスの生み出した天使たちだ。
その夜、エレノアは一人、セフィロスに花瓶のことを話しに行った。
「黙っておくように」
そう一言、笑いながら言われただけだった。