6. 練習(2)
「……リアナ様」
目をゆっくりと開けると、2つの顔がアイリスを心配そうな顔で覗き込んでいる。
「ああ、アイリス!無事でよかった」
安堵の表情を浮かべたリアナにぎゅうっと抱きしめられた。
どうやら私は助かったらしい。ヘルハウンドに噛まれたはずの首に恐る恐る手を触れてみるがなんともない。焼け付くような痛みも、息が詰まるような感覚も無くなっている。
肉の焦げるような臭いがして自分のすぐ脇を見ると、ヘルハウンドの死体が転がっている。その身体はまるで蜂の巣のように穴だらけで、原型をとどめていない。
「あの、何が起きたのでしょうか」
「フレイが光の矢でヘルハウンドを射抜いて、直ぐに私が癒しの力であなたの首を治したのよ」
意識を失う間際に見たあの光は、フレイの光の矢だったのか。2人の顔を見ると、自分の顔以上に真っ青になっているんじゃないかと言うくらい、血の気が引いている。とんだ心配をさせてしまった。
アイリスも首の傷は癒されているとは言え、自らの血でぐっしょりと赤く濡れていた。
「とにかく一度着替えましょう」
リアナの言葉で天使達がパタパタと着替えの準備をし始めた。
*
「アイリス、一体どうしたんだい?何故何もしなかったんだい?」
体に付いた血糊を拭い、新しいドレスに着替え終わった所で困惑した表情のフレイが聞いてきたけれど、聞かれたこちらも訳が分からない。
「あの……、神気で倒すというのはどうすれば良いのでしょうか?」
「え? えーっと……。ほら、さっき僕がヘルハウンドを殺したようにだよ。ねぇ?」
「そ、そうよ。どうって言われても……神気を使えばどうとでも攻撃出来るでしょう?」
「いきなり魔物が相手だと怖かったかな? それならあそこにある花瓶を壊してごらん」
そう言ってフレイは7、8mほど先にある花瓶を指さした。
「手を触れずに、ここから。でしょうか?」
「そうだよ」
分かりましたと頷いてアイリスは花瓶の方を見つめる。取りあえず「花瓶よ壊れろ!」みたいな念力は送ってみるけれど……
……何も起こらない。
「あー、アイリス。もしやりにくいんだったら手をこうしてみたらどうかしら?」
リアナは花瓶の方向に腕を伸ばして、手のひらをかざしてみせる。魔法使いなんかがよくするポーズだ。
こうすると、体の内に巡る神気を一点に集めるイメージがしやすくなるのだと説明をうけると、言われた通りにアイリスも手を花瓶に向けてみる。
自分の中に神気があるのは分かるので、手のひらに自分の神気を集めるようなイメージをしながら先程と同じように念力を送ってみるけれど……
数分たっただろうか。やはり何も起こらない。
「んんーーー」
フレイは腕を組んでうなり出した。
「もしかして、神気を武器に乗せて使うのが上手いタイプなんじゃないかしら?!」
「なるほど、ルナタイプか」
「月の女神のルナは、神気をそのまま使うよりも武器に乗せて使った方が得意なのよ」
武器無しじゃ戦えないって訳じゃないんだけどね。とリアナが追加で呟くのが微かに聞こえた。
「ドレイク、子供でも使いやすい小さめの剣を持ってきてちょうだい」
「はい、ただいまお持ちします」
「まだ剣術の練習をしていないから下手でも構わないわ。とにかくやってみましょう」
リアナが用意させた剣をアイリスに差し出してきた。
――ドクンッ、ドクンッ
剣を目の前に差し出されると、心臓が激しく音を立てるのが聞こえてくる。それと同時に全身の血がサァッと引いて気持ちの悪い冷たい汗が吹き出してきた。
「アイリスどうしたの?受け取りなさい」
「……はい」
泣きたくなるような気持ちを堪えて剣を受け取ると、頭の中に、この剣の切っ先が何者かを切り裂くイメージが広がってきた。
赤い血しぶき、悲鳴、苦痛、断末魔。
――誰かを傷つける……?
そう思うと、どうしようもなく怖くなって手が震えてくる。止められない。汗で手が滑る。
「はっ……、あっ……いや……」
もうこんな恐ろしい物を持っていたくない!
ガシャーン!
と金属が床に当たる音が、部屋にこだました。
恐怖が体を覆い手足がガクガクと震える。立っていられなくて思わずくたっとその場に座り込んでしまった。
「ごめんなさい。出来ません……」
「出来ない……って言うと?」
「剣が怖くて」
涙で2人の顔がゆらゆらと歪んで見える。
「怖い?」
「その剣の刃が何者かを傷つけるのかと思うと、どうしようも無く怖くなってしまって……」
リアナとフレイはしばし互いに見つめ合う。
何が起きているんだろう???と。