29. 克服(4)
振り上げ、そして――剣を落とした。
「申し……わけ、ありません……。出来ません」
膝から崩れ落ち、アイリスの頬を涙が伝う。
「代わりに、私の腕ひとつでお許しください!」
アイリスは落ちた剣を拾うと、自身の腕に振り下ろした。
と、思った。
振り下ろしたと思った剣は、アイリスの腕を切り落とすことは無かった。
「もういい。これ以上、無理をするな」
「セフィロス、さま……?」
剣を持つ手は、セフィロスの手でがっちりと掴まれている。見上げると、いつもの、アイリスを暖かく見守るような目をしたセフィロスの顔があった。
「其方は何があっても、何者をも傷付けられない。そう言う事だ。分かっただろう?」
セフィロスが、アイリスの頭をそっと撫でる。
「分かったら、もう剣技の練習はしなくていい」
――ああ、そういう事だったのか。
私が殺生出来ないことくらい、分かっていたのか。
思わず嗚咽が込み上げてくる。
今までのは一体何だったんだろう。何のための努力だったんだろう。恐怖心を必死で堪えて練習をした日々は、少しずつ前進している、そう思っていたアレは、なんの意味があったんだろう。
感情がごちゃ混ぜになる。
「な……ぜ、何故できないと分かっていて、そのまま練習を続けたのですか?!」
八つ当たりと分かっていて止められない。思わず睨むように見つめてしまう。
「いつから分かっていたのですか?」
「初めから」
「はじ……めから……」
頭に血が上る。生まれてからほとんど怒ったことなんてない。常に一緒にいる守護天使にだって腹を立てたことなんてない。こんな激しい感情を持ったのは初めてだ。
「それなら何でっ……!分かっていたのでしたら、こんな事初めからしなければ良かったではありませんか!!私がしていた努力は一体何だったのですか?ずっと無駄なことをしているとバカにして見ていたのですか?!」
「初めから無理だと言ったら、其方が納得しないと思ったからだ」
「…………っ」
「やれるだけの事をやってみて、それでも駄目なら諦めが付くだろう? 努力をしてみた結果なら、他の誰も文句は言えないし、何より自分自身も納得できる」
「そんな事のために、1年も私に付き合ってくれたのですか?」
「1年なんて、たいした時間じゃない。それに、そんな事という事はない。もしここで気持ちにけじめを付けられないままでいたら、この先何千年、何万年と苦しむことになる。命に限りがないというのはそういう事だ」
――バカだな、私は。
全部、自分のためにしてくれていたのに。なんて失礼な態度をとってしまったのだろう。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
また涙がこぼれてくる。
「其方はまだ若い。謝ることなど何もない」
セフィロスが抱きしめてくれると、アイリスはそのまま子供のように泣きじゃくった。
アイリスが泣きやみ落ち着くと、家に入って用意してもらったハーブティーを飲む。カモミールの甘酸っぱいリンゴのような香りが、心を落ち着かせてくれる。
「私としては本当は、出来るところまで練習をさせたかったんだがエルピスに止められた」
「エルピスに、ですか?」
「先日来た時にエルピスに呼び出された。もちろんジュノの通訳を介してだが。それで其方が武器を手に取ると、神気が濁ると言ってきた」
この前練習中に、少しだけジュノと席を外していたのはこの事だったのか。てっきりジュノに何か注意をしているのかと思っていた。
「虹の天使たちにも聞いてみたら、其方から流れてくる神気に違和感を覚えたり、嫌な感じがするのだと言っていた」
「えっ? そうだったの?」
そんなのは初耳だ。驚いて天使たちの方を見る。
「耐えられない程とかでは無くて、何となーく妙な感じがすると言うくらいだったので、僕達自身もそんなに気にとめていなくて。エルピスに言われて、そういう事かって気付いたんです」
「それに、アイリス様が必死で頑張っているし……ねぇ」
天使たちがちょっと気まずそうに目を合わせ合う。
「獣であるエルピスの方がより敏感に、神気の変化に反応したのだろう。神気が濁る、つまり穢れると言う事だ。これ以上剣技の練習を続ければ其方の身体に影響を及ぼしかねない。それで稽古を付けるのを止めた方がいいと言う判断をした」
「そうだったのですね」
なんだかさっきまで怒ったり泣いたりしていたのが、急に恥ずかしくなってきた。天使たちも知っていたのか。
「手荒なマネをしてしまってすまなかった」
「いいえ、私の方こそお恥ずかしい姿を晒してしまった挙げ句、セフィロス様に八つ当たりまでして……」
セフィロスがコトン、とテーブルに小瓶を置く。
「これを飲んでおいた方がいい。リアナから貰ってきた」
リアナの作った聖水だ。アイリスは小瓶を受け取ると、こくこくと一気に飲み干す。これでリアナの超超一級品だと言う聖水を飲むのは3回目だ。何とも軟弱で、厄介な身体に生まれてきてしまったものだ。
「リアナが其方の為なら、樽いっぱいの聖水でも作ると言っていた。親バカの神と言うのは初めて見たな」
「私が世話のかかる子過ぎるんですね、きっと」
はぁ、と思わず吐息を漏らしてしまう。
「いつだったか、子を持つ天使が手のかかる子ほどかわいい。と言っていたな。リアナとフレイも困ったと言うよりはいつも楽しそうだから、あの話は本当だったんだな」
顔が熱くなってきた。多分耳まで赤くなっている。気恥ずかしくなって、ハーブティーを飲んでごまかしてみる。
セフィロスがその様子を微笑みながら見ると、席を立った。
「それでは私はそろそろ失礼しよう。疲れているだろうから、何も考えずにゆっくりと休むといい」
「はい、ありがとうございます。あの、またお越しくださいますか?」
アイリスも席を立ち、いつもの様に聞いてみる。
「ああ。近いうちに、また」
セフィロスからいつもの返事が戻ってきた。
だから、何も気にせずにその姿を見送った。
――それからセフィロスはぱったりと、アイリスの元を訪れなくなった。