28. 克服(3)
ルナと話した夜から、アイリスは自分を鼓舞して練習に励み続けた。
どんなにゆっくりでもいい。とにかくやる事に意味がある。例え、立神までに上手く剣を振るえなかったとしても。
練習を始めてから1年近くが経とうとしていた。虹の天使たちは厳しい稽古の甲斐あって、アイリスの目にも分かるくらい腕を上げているのがわかる。
ジュノなんて、リスっぽかったのが今ではイタチくらいには強くなっている。
当の本人であるアイリスはと言うと、真剣を数回なら振れるくらいにはなった。1年もかけてたったこれだけ。でも、アイリスにとっては大きな進歩だった。
「真剣を少しだけなら振れるようになったな」
練習に今日も付き合ってくれているセフィロスが言った。
「そろそろ軽く、実践をしてみよう」
「実践……ですか?」
まだ数回振ることしか出来ないのに、手合わせなんて出来ない。一体何をするのだろう。
アイリスが不思議に思っていると、ノクトが布を被せてある荷物を持ってきた。馬と一緒に置いていたらしい。
「その荷物は何ですか?」
中からカサカサと何かが動く物音がする。
ノクトが布を剥ぎ取ると、毛玉の入った檻が現れた。
「これは、ウサギですか?」
「そうだ。今日はこのウサギを使う」
ウサギと実践。何も繋がらない。
「何をするのでしょうか?」
「殺す」
「……こ、ろす? このウサギをですか?」
「この位なら剣をひと振もすれば殺せる。逃げないように繋いだままでいい」
ノクトは手早くウサギの胸部に縄をかけ檻と繋ぐ。ウサギは逃げようと、必死に地面をかいて暴れていた。
「剣を振るうという事は、誰かを傷付けるという事だ。いきなり魔物では昔の事もあって怖いだろうから、初めはウサギにしよう。さあ、剣を手に取れ」
「で……も、このウサギは何も罪を犯したりしていませんし……その……」
頭の中が真っ白だ。何も考えられない。心臓がバクバクと言う音だけが聞こえてくる。
「無駄な殺生、と言う訳じゃない。其方が無事殺すことが出来たら、このウサギは風の神殿で使用人たちに夕餉として振舞おう」
殺して、食べる。
普通のことだ。何も変な事は言っていない。
それは頭では分かるのに身体が動かない。全身が氷漬けにされたかのように、冷たく強ばる。
「アイリス、剣を抜きなさい」
いつもとは違う威圧感のある言い方をされて、アイリスはビクリと震える。
剣を鞘から抜かなければ……。そう思うのに、手が震えて柄を掴むことが出来ない。
「もう一度言う。剣を抜け」
ゴクリと唾を飲み、どうにか柄を握り剣を抜いたものの、カタカタと震えて落としそうになる。とてもじゃないけど、殺すことなんて出来ない。
構えたまま動かずにいると、更にセフィロスが声を掛けてきた。
「どうした。何故何もしない」
セフィロスからのプレッシャーが徐々に重くなってくる。苦しい。
「殺すのが嫌だと言うなら、軽く傷付けるだけでもいい。その後私が癒しの力を使って治そう。それなら出来るだろう?」
治してくれるなら……。
いや、やっぱり出来ない!出来ない!出来ない!!
剣を構えたままセフィロスの方を向き、必死で目で訴えるが、はぁ。とため息をつかれた。
見返してきたのは、どこまでも底冷えのするような、冷たい瞳だった。
「それすら出来ないのか?」
「は……い……」
「それならこうしよう。命令だ」
「めい、れい……?」
「頼みを聞いてもらおうと言うのでは無い。命令だ。やれ」
――命令。
厳密な階級がある天界では、下位の者は上位の者の命令には逆らえない。絶対だ。
でなければ、処罰がくだる。
1番信頼していると言っていい者から命令と言われれば、やるしかない。
でも、やりたくない。こう言う時はきっと、自分の心を押し殺してでも実行すべきなんだろう。分かっている。
アイリスはぎゅっと目を瞑り、剣を振り上げる。