前へ次へ
29/114

28. 克服(3)

 ルナと話した夜から、アイリスは自分を鼓舞して練習に励み続けた。

 どんなにゆっくりでもいい。とにかくやる事に意味がある。例え、立神までに上手く剣を振るえなかったとしても。



 練習を始めてから1年近くが経とうとしていた。虹の天使たちは厳しい稽古の甲斐あって、アイリスの目にも分かるくらい腕を上げているのがわかる。

 ジュノなんて、リスっぽかったのが今ではイタチくらいには強くなっている。


 当の本人であるアイリスはと言うと、真剣を数回なら振れるくらいにはなった。1年もかけてたったこれだけ。でも、アイリスにとっては大きな進歩だった。


「真剣を少しだけなら振れるようになったな」


 練習に今日も付き合ってくれているセフィロスが言った。


「そろそろ軽く、実践をしてみよう」


「実践……ですか?」


 まだ数回振ることしか出来ないのに、手合わせなんて出来ない。一体何をするのだろう。

 アイリスが不思議に思っていると、ノクトが布を被せてある荷物を持ってきた。馬と一緒に置いていたらしい。


「その荷物は何ですか?」


 中からカサカサと何かが動く物音がする。

 ノクトが布を剥ぎ取ると、毛玉の入った檻が現れた。


「これは、ウサギですか?」


「そうだ。今日はこのウサギを使う」


 ウサギと実践。何も繋がらない。


「何をするのでしょうか?」


「殺す」


「……こ、ろす? このウサギをですか?」


「この位なら剣をひと振もすれば殺せる。逃げないように繋いだままでいい」


 ノクトは手早くウサギの胸部に縄をかけ檻と繋ぐ。ウサギは逃げようと、必死に地面をかいて暴れていた。


「剣を振るうという事は、誰かを傷付けるという事だ。いきなり魔物では昔の事もあって怖いだろうから、初めはウサギにしよう。さあ、剣を手に取れ」



「で……も、このウサギは何も罪を犯したりしていませんし……その……」


 頭の中が真っ白だ。何も考えられない。心臓がバクバクと言う音だけが聞こえてくる。


「無駄な殺生、と言う訳じゃない。其方が無事殺すことが出来たら、このウサギは風の神殿で使用人たちに夕餉として振舞おう」


 殺して、食べる。


 普通のことだ。何も変な事は言っていない。

 それは頭では分かるのに身体が動かない。全身が氷漬けにされたかのように、冷たく強ばる。


「アイリス、剣を抜きなさい」


 いつもとは違う威圧感のある言い方をされて、アイリスはビクリと震える。

 剣を鞘から抜かなければ……。そう思うのに、手が震えて柄を掴むことが出来ない。


「もう一度言う。剣を抜け」


 ゴクリと唾を飲み、どうにか柄を握り剣を抜いたものの、カタカタと震えて落としそうになる。とてもじゃないけど、殺すことなんて出来ない。

構えたまま動かずにいると、更にセフィロスが声を掛けてきた。


「どうした。何故何もしない」


 セフィロスからのプレッシャーが徐々に重くなってくる。苦しい。


「殺すのが嫌だと言うなら、軽く傷付けるだけでもいい。その後私が癒しの力を使って治そう。それなら出来るだろう?」


 治してくれるなら……。


 いや、やっぱり出来ない!出来ない!出来ない!!


 剣を構えたままセフィロスの方を向き、必死で目で訴えるが、はぁ。とため息をつかれた。

 見返してきたのは、どこまでも底冷えのするような、冷たい瞳だった。


「それすら出来ないのか?」


「は……い……」


「それならこうしよう。命令だ」


「めい、れい……?」


「頼みを聞いてもらおうと言うのでは無い。命令だ。やれ」


 ――命令。


 厳密な階級がある天界では、下位の者は上位の者の命令には逆らえない。絶対だ。

 でなければ、処罰がくだる。


 1番信頼していると言っていい者から命令と言われれば、やるしかない。

 でも、やりたくない。こう言う時はきっと、自分の心を押し殺してでも実行すべきなんだろう。分かっている。

 アイリスはぎゅっと目を瞑り、剣を振り上げる。


前へ次へ目次