27. 克服(2)
「久しぶり〜」
日がすっかり沈み、満月が登り始めた頃にやって来たのは月の女神・ルナだった。
「いやぁ、なかなか来れなくてごめんねー。なにせみんなこの位の時間に、こぞって私のところに来るもんだからさ。」
フレイと全く同じ髪と瞳の色を持つ彼女が、フレイと違うところは、その瞳の瞳孔が猫のように光の加減で変化するところだ。ルナは夜行性で、昼に軍部を統括するロキと共に、夜はルナが天界の守りを担っている。
ルナに用がある者は、彼女にとっては寝起き、皆にとっては仕事が終わる間際の、この時間帯に詰めかけるらしい。
「ウワサの神獣を見せてよ」
と言ってきたのでエルピスを呼ぶと、森の奥から颯爽と駆けてやって来た。
エルピスの首筋を撫でるルナを、アイリスはぼぅっと見とれてしまう。
長いストレートヘアをひとつに束ねた金色の髪が、毛先に向かってオレンジ色になっていてる。それが朝焼けの様にも、夕焼けのようにも見えてグラデーションが美しい。
背には弓を腰には剣を携え、スラリと伸びた体躯はヒラヒラしたドレスよりも、軍服の方が良く似合う。リアナがルナは女にモテると言っていたのも頷ける。――カッコイイ。
「それで、神鳥の方は?」
「あそこでずっと、羨ましそうに見ていますよ」
アイリスが呼ぶとエフティヒアは音もなく飛んできて、エルピスの背に止まった。
「はは、ユニークな顔してるねぇ。アイリスってブサ可愛いのが趣味なの?」
「ぶさ……」
「あ、ごめん。変な意味じゃないよ。かわいい、かわいい」
エルピスを見たあとにエフティヒアを見せると、個性的とか、面白い顔だとか、みんな微妙な反応をする。ロキにいたっては「ブッサイクだなー」と堂々と言われた。こんなにカワイイのに!と声を大にして言いたい。
アイリスの神獣と神鳥をひとしきり愛でたあと、家に入ってお茶をすることにした。
天界の南側にあるこの場所は比較的温暖な気候なものの、山奥にあるので夜はとても冷える。窓際で月を見ながらお茶をすると言うのも悪くない。
「聞いたよ。剣術の練習をしているんだって?」
「はい」
練習を初めてからもう半年以上経つ。最近ではやっと真剣を手に取るようになったものの、数分持つのがやっとだ。実際には剣術というよりは、剣を持つだけの練習にしかなっていない。
そんな現状と、ノクトとエレノアに虹の天使たちが稽古を付けてもらっていることを話したら物凄い勢いで驚かれた。
「げぇっ、あの2人に稽古つけてもらってるの!? 通称『地獄の三丁目』って言われてる、あの特訓でしょ?」
「地獄の三丁目……何ですか、それ?」
「ああ、アイリスは知らないのか。ロキの所の稽古は『地獄の入口』。セフィロスの所は『地獄の三丁目』って言われてるんだよ。ロキは癒しの力を使えないからその分手加減してくれるけど、セフィロスは死ぬ寸前まで滅多打ちにするからね。だから地獄の三丁目」
……やっぱり普通じゃなかったんだ。
ちょっと厳し過ぎるんじゃないかとは思っていたけど、アイリスには普通の稽古という物がどの程度なのかよく分からない。セフィロスも黙っているのでこう言うものなのかと納得していた。
「いつも同じ相手で稽古をしても腕が上がらないからさ、たまに別の神の天使の所へ行って稽古をつけるんだ。風の神殿でやるって時には、天使たちはみんな死を覚悟して行ってるよ。有難いことに大抵は稽古の様子をセフィロスが見ていてくれるから、ノクトが容赦なく殺しにかかってくるんだよね」
「でも他の神の守護天使達も、強いのではないのですか?」
虹の天使たちはもともと筋が良くないのでボコボコにされるのは分かるけど、他の守護天使ならそれなりに強いはずだ。
「はは。ノクトとまともに渡り合える天使なんて火の守護天使長か、雷の副・守護天使長くらいだね。私も手合わせするのイヤだもんなー」
「そうなんですか……」
そうなると、虹の天使たち相手にやっている稽古は多分、全然本気を出していないんだろう。
「フレイ様やリアナ様も癒しの力を使えますけど、そこまで厳しくは無いのですか?」
「やだなぁ。あの2人に、他人が苦しむ様を見て喜ぶ、なんて趣味は持ち合わせてないよ」
「…………」
セフィロスにだってそんな趣味は持ち合わせていない。と思いたい。
「天使たちはそんなに厳しい稽古を付けてもらっているのに、私はまだ真剣すらまともに握れないなんて。本当に何やってるんでしょうね……」
話を聞いていたらどんどん自分が情けない存在に思えてきた。神獣と神鳥を得たことで少し回復していた自信が、すっかり萎んでしまう。
「アイリスのそう言う、自分に自信がなくなる気持ち分かるなぁ」
「ルナ様がですか?」
ルナがフッ、と苦笑する。
「私ね、最上級神の中で断トツでいちばん弱いんだ」
「ルナ様がですか?」
天界一の武器の使い手で、暗闇では負け無しだと聞いた事がある。断トツと言うのは言い過ぎじゃないだろうか。
「アイリスは私たち最上級神が生まれた時、力比べをした事があるって話知ってる?」
アイリスはこくんと頷く。会議に向かう馬車の中でアレクシアに、殺し合いまがいの戦いをしていたと、そんな話を聞いた。
「私はその時、真っ先に降参したよ。だってアイツら、化け物みたいに強いんだもん。私の神気の半分近くは、フレイから貰っているような物だからね」
ルナは月を眺めながら、遠い過去の記憶を思い起こすように話を続ける。
「ずっとそれがコンプレックスで、最上級神会議に参加する度に『私はここに居ていいのか』って思ってた。こんなに弱い私が、みんなと肩を並べてもいいのかってね」
月の光がルナの輪郭をくっきりと映し出している。アイリスはその横顔を眺めながら、静かに言葉の先を待った。
「いよいよ耐えきれなくなって、ある日みんなに言ったんだ。私はここに居るべきじゃないって。そしたらさ、みんなに笑われたよ。『お前がいなかったら、夜おちおち眠れねーじゃん』だってさ。私がいるから夜、安心して身体を休めて、次の日に最高のパフォーマンスが出来るんだって」
外を眺めていたルナの目が、アイリスの目を捉えて言う。
「アイリス。君は、自身が高位神と言う地位につきながら弱いと言うことを恥じているかもしれない。でもね、君には君にしか出来ないことがあるんだよ。アイリスの神気は皆を幸せな気分にさせたり、夢を持たせたり、希望を抱かせたり、そんな素敵な力を持っている。だから、もっと自分に自信を持ちなよ」
それに……と、少しだけ困ったような、申し訳なさそうな顔をして続ける。
「君がそうやって焦ってしまうのは、解決策を提示できていない私たちがいけないんだよね。こうやって長く生きていると100年や200年なんて、ほんのごくわずかな時間にしか感じられないんだけど、生まれたての君にとってのこの数年は、ずっとずっと長く感じられるんだろうね」
ルナが姿勢を正してアイリスを見つめてきたので、アイリスもピシッと背筋を伸ばして見つめ返した。
「だけど、アイリスにとって何がベストな方法なのかって言うのをきちんとみんなで考えているから、だから、もう少しだけ待っていて」
もう、その言葉だけで充分だった。「はい」とだけ返事をすると、2人で月を眺めながら少しだけ冷めた紅茶を飲んだ。