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76話:行軍と将軍1

 この日帝都では、広大な宮殿前広場を解放して、出兵の式典が執り行われていた。

 帝都全体も馬車道が飾り立てられ、軍服を着た楽隊が盛大に演奏しながらパレードを行う。


 これが僕の初陣だ。


「すまない、アーシャ。お前たちも、アーシャを頼む」


 宮殿前で謝る父は、できる限りの権限を僕に与えてくれている。

 また、すでに退役してるヘルコフには手ずから剣を与えて、独自に戦闘できる権限を付与し、宮中警護のイクトも特例で僕について来れるようにしてくれた。

 これは父の決定とストラテーグ侯爵の許可があった上で、いつもは邪魔する公爵たちが他を押さえた結果得られた、とても大きな特例だった。


「アーシャさま…………」


 泣き濡れた声が聞こえて見れば、一般民衆とは別に見送る人の中に乳母のハーティが手を振っている。

 僕を見送るため、わざわざ地方から出て来てくれたんだ。


 離れてからも手紙をやりとりしてたけど、それでも随分心配させている。

 暗殺未遂だとかあった時も、単身帝都に会いに来るというのを手紙で宥めた。

 何せ、ハーティはその時新しい夫との子を身ごもっていたんだ。


 涙で見送るハーティの隣では、その夫が確かに細い肩を支えて立っている。

 大丈夫だと思える半面、再会は笑顔が良かったなと申し訳なくなった。


 けどやると決めたからには、帰って笑顔での報告を目指そう。

 僕はやる気を奮い立たせて、出立のため歩き出した。


「つまり、ヘルコフに与えた剣は皇帝の権威も同じ。その剣を持つヘルコフの行動は将軍でも縛れないと」


 僕は帝都をパレードする馬車の中で、改めて重要事項を確認している。

 この馬車はそのまま移動に使うから、オープンカーじゃない。

 窓は透明度の高いガラスだけど、僕は声が聞こえないのをいいことに、沿道に手を振りつつウェアレルと話し合いを続けた。


「二人に馬を与えたことも権威づけの意味があり、やはり独立して動く許可を象徴することになります」


 ウェアレルは僕と一緒に馬車移動だけど、ヘルコフとイクトは馬に乗って馬車の両脇を固めてる。


 ちなみにノマリオラもついて来た。

 名目は僕の世話係なんだけど、軍のほうで用意するとか、父も人手用意するとかで別に残ってくれて良かったんだけど。

 妹も元気になって、逆に戦地に向かう僕を心配してくれたらしい。

 その妹に請われてノマリオラは僕と同行することを頑なに主張したんだ。

 なので、僕専用の人手と一緒にノマリオラは別の馬車で移動している。


「やり過ぎじゃない? 軍っていうか、将軍からすると自分が一番上のはずなのにってならない?」

「そこは皇子を伴っての派兵ですから。己の責務を理解し務めてくれるよう願うしかありませんね」


 今回のパレードは父が、僕は放逐されるわけじゃないと示すために計画してくれた。


 渋るふりをする父を納得させるため、公爵たちも特権という無理を軍に通している。

 僕としてはそれが、現場での軋轢にならなければいいと思う。


「早く戻るためにも、軍との軋轢は避けるべきなのは確かです。ですから、まずはこの軍についておさらいをいたしましょう」


 ウェアレルも軍とか詳しくはない。

 そこはヘルコフに教えてもらいつつ、ウェアレルも一緒に学んだ。


「まず軍団の団長は名目上アーシャさまですが、実際は陸軍所属ロコピオス・ワゲリス将軍になります」


 派兵が決まって顔合わせをした将軍は、紺色の鼠の獣人だった。


 うん、いや…………正直、あれって鼠でいいの?

 カピバラは最大の鼠だけどさ、なんで熊のヘルコフ並みに体に厚みのあるカピバラの獣人?

 あとさりげなく目つきが怖いし、前世だと温泉入って和むイメージなのに和みとは全然遠い。


「将軍直属の部隊はおわかりになりますか?」

「司令部で、そこに独自の付隊がいて、イメージ的には近衛かな。他に、歩兵で構成された連隊と、騎馬隊、戦車隊、魔法大隊、施設大隊に後方支援部隊があるんだよね」

「はい、そうです。兵隊規模としては師団ですが、ここにアーシャさまを中心とした近衛連隊と、独自に後方支援部隊が存在します」


 他にも偵察や通信、衛生を担う隊がいるし、パレードしてる楽隊もいる。

 兵以外も含めれば、数にして凡そ一万。

 その頂点が名目上は僕になっていた。


 …………心情的には荷が重い。


「大人しくワゲリス将軍に任せよう」


 経験もない、実績もないのが僕だ。

 だったら本職にお任せしたほうが上手くいくはず。


「ヘルコフどのが言うには、癖のある用兵をなさる方ではないとのことです。年代が近い方だそうで、共に轡を並べたこともあるようですよ」

「そう。貴族との関わりはどんな感じ? セフィラ」


 僕が声かけると窓から見えない位置に光球が現われる。


「妻は男爵令嬢。帝都在住の男爵は、宮殿仕えの皇帝第二衣裳部屋管理者」

「ごめん、その役職って大事?」

「アーシャさま、皇帝の生活に関われる職分というものは、それだけ皇帝のお耳に言葉を入れることができる身分となります。位は低くとも、決して侮れる立場の者ではありません」


 軍には疎いウェアレルは元教師であり、伯爵家に仕えた人物だ。

 本来宮殿の職務なんて詳しくはないはず。


 こういう言葉が出るのは僕の周辺を思って、気を配ってくれていたからだろう。

 申し訳ないけど、ウェアレルが側近でいてくれてありがたい。

 僕は皇子だけど、貴族社会が未だに不慣れなんだよね。


「ってことは、今回はワゲリス将軍も乗り気? 嫌なら義父を伝手に断るように仕向けるはずだし」


 ただ、そんな風には見えなかった。

 顔合わせでも素っ気ないし、ビジネスライクすらない対応だったんだ。


 無礼ではないけど仲良くする気なんてないよと全身で表していた。


「僻地の内輪揉め。鎮圧したところで功績としては低く、無闇に時間がかかり、移動距離がそのまま負担となります。ましてやただ倒すだけでは地元民の反感を買うだけ。難易度ばかり高くて成果が乏しい戦いであり、働きに対する評価のつり合いが取れないと不平を漏らしておりました」


 セフィラが言いにくいことなどない様子で、この派兵を批判したワゲリス将軍の内情を暴露する。


「いつの間にそんな盗み聞きしたの? 駄目だってば。個人の内情を土足で踏みにじるようなことしちゃ」

「主人の益となる情報です」

「いや、不満は顔合わせでわかってたから。逆に次に会った時、僕の対応が不自然になったらどうするの。駄目だよ、他人の秘密を侵害するようなことしちゃ。偶然聞いてしまったなら、それはそれで胸にしまっておいて」


 不満そうに浮遊するセフィラは、まだ人間のセンシティブなことは疎いようだ。


「力を借りたい時にはお願いするから」

「情報は先んじてこそ有益です」


 セフィラが退かないって、これは反抗期?


「アーシャさま」

「何、ウェアレル?」


 向かいに座るウェアレルがセフィラを横目に見ながら、口の側に手をかざす。


「アーシャさまのためを思っての行動を、褒められたいのではないかと」

「え、そうなの?」

「予想値を下回る評価の訂正を求める」


 セフィラが主張することをかみ砕けば、どうやらウェアレルの解釈で合ってるらしい。


「そっか、そういうこと考えるようになったんだ。うん、ありがとう。僕を思ってくれたのはわかったよ」


 僕も言い直すと、セフィラはそれ以上言わなくなった。


「あ、アーシャさま。帝都を出ます」


 ウェアレルが気づいた様子で窓を指す。

 窓の外は暗くなって石造りの建造物の中へ入ったのが見えた。

 これが帝都を守る外壁に作られた城門だ。


 僕は今、初めて帝都を出た。


「もっとわくわくした気分で出たかったな」


 これなら宮殿から帝都へ出た時のほうがずっと心躍る経験だ。

 今は、上手くやれるかどうかを気にしてばかりで、初めての体験を楽しむ気にもならない。


「あぁ、準備はあれで足りたかな?」


 先を思えば、備えが足りるかどうかが不安になる。

 けれどもう後戻りはできない。


 僕は無闇に脈打つ胸を押さえて、城門を越えたことを報せる光に目を細めていた。


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