71話:北の兵乱1
十一歳になって、ここのところの楽しみな日が巡って来た。
「兄上、こんにちは!」
「兄上、今日は何教えてくれる?」
「こら、ワーネル、フェル。走るなと言われているだろう」
可愛い弟たちが僕の所にやって来たんだ。
「いらっしゃい。テリー、ワーネル、フェル。ここまで歩いて来て疲れただろう。飲み物を用意しているから、休んでからにしようか」
双子の弟は今、僕が錬金術をするエメラルドの間をテーマパークのように歩き回って遊ぶのがお気に入りだ。
また末の妹姫がまだ一歳で手がかかる上に、妃殿下は公務もあって忙しい。
甘えたい盛りの双子は相手をする僕の存在を喜んでくれるし、僕ももちろん進んで、望んで、喜んでやっている。
「兄さま、今日はいつまでいていい?」
フェルが聞いている姿に、ちょっとテリーへの兄さま呼びが羨ましくなる。
うーん、でも兄さまも捨てがたいけど、兄上呼びもいいんだよね。
ぐっとくるところがある。
青の間の控えから奥の広い部屋に通せば、ノマリオラがジュースを用意していた。
ここは以前、家具が何もないだけの部屋で作りつけの棚も空だった部屋だ。
今はディオラからの研究論文の他にも歳費で手に入れた本が並び、歳費とは別に妃殿下が何もない部屋を憐れんで椅子や机、絨毯や置物など色々調度を揃えてくれた。
今では弟たちがいても恥ずかしくない立派な図書室に整えられている。
「父上が会議で、母上もロムルーシ大使夫人と面会するって言ってたから、日暮れ前までは誰も呼びに来ないと思う」
テリーは近くの警護に確認しつつそう答えた。
そろそろ顔馴染みになって来た警護たちなんだけど、イクトと目が合うとすぐさま手を後ろに組んで剣を触らないアピールをする。
指示を守ってくれてると思うべきか、イクトが何かしたと疑うべきか。
そんなテリーの警護曰く、緊急の会議があるから本館がバタバタするらしい。
宮殿は住まいとしての利用を主目的にする施設なんだけど、やっぱり政治的な場だから貴族が出入りしてて忙しい時は忙しい。
なので今日は本館よりもこの左翼で遊ばせておいてほしいようだ。
午前の勉強終わらせてきてるから存分に時間は使っていいという。
「じゃあ、今日はエッセンスを使った魔法の再現をしようか。ちょっと扱いに注意が必要だからテリー、やってくれる?」
「えー! 僕できるよ!」
「僕もやりたい!」
「錬金術は兄上の指示に従うことが条件だっただろう」
エッセンスは比較的安全だから双子も触ったことがある。
だからこその主張だろうけれど、テリーがお兄さんを発揮して諌めた。
去年まではずっと長男のような立ち位置で育てられたのに、降って湧いた僕という兄が現われている。
しかも最初にめちゃくちゃ喧嘩を売ってしまったという負い目もあり、弟扱いに慣れないことでぎくしゃくしていた。
今ではすっかり慣れてくれて、こうして指名すると双子の手前なんでもないふりをするけど、僕に期待の目を向けるくらいになってくれている。
「それじゃ、まずはエッセンスについてのおさらいだよ」
ジュースを飲み終えた弟たちに実験前のお勉強だ。
僕の言葉に応じてノマリオラはジュースを片づけ、ウェアレルがエッセンスの効果や特性を図解した絵図を本棚にかけて見やすくしてくれる。
これもだいぶ手慣れた。
態度が急変したノマリオラに一時不安があったものの、言いつけを守って僕と側近、あとウォルドの前以外だとクール系侍女を保っている。
一度タガが外れると、妹がハッカ油から匂いに対する興味を強めて香水作りを模索してるとか、苦しさが収まって活動的になったとか色々笑顔で報告してくれるんだけどね。
(さてそろそろ、セフィラ・セフィロト)
胸の内で呼びかけるこの謎の知性体は、さすがに今も秘密にしてる。
ノマリオラはもちろん、ウォルドにも、そして父や弟たちにもだ。
セフィラを作り出した功績とかって言われたら誤魔化しようないし、できればこのままフェルが錬金術に興味を持って成長し、セフィラのような知性体を生み出して発表してほしいところ。
僕でもわからないことを解明するかもしれないし、表立ってセフィラを使ってもいい日が来るかもしれないと考えるとわくわくする。
(戻って来てる?)
(主人の要望どおり、会議を盗み聞きしてきました)
(おかえり。兵乱って話だったけど、ヘルコフの言ってた係争地?)
緊急会議の議題は、帝国の北、ロムルーシという帝国傘下の獣人の国について。
帝国との国境には、獣人同士が争う地があるそうだ。
(ロムルーシ、ベイファー地方、ファナーン山脈近辺において、イスカリオン系獣人とロムルーシ系獣人による小競り合いが悪化。それぞれの首長が出て来たことでさらに激化し、近隣領主が要請を受け兵を出してのにらみ合いに発展したとのこと)
(あー、ロムルーシ側が帝国側に向かって兵並べちゃったのかぁ)
意味するところは宣戦布告なんだけど、ただ一部地域の首長や地方領主の独断だ。
ロムルーシも国として慌てていることだろう。
イスカリオン帝国としても、傘下の国に剣を向けられて黙っていては体裁が悪い。
だからと言ってそんな地元民の喧嘩に本気で介入しては安くみられる。
(陛下側からの理想的な解決方法は、ロムルーシが自国民を鎮めて公に帝国側に謝罪すること、かな)
(会議に呼ばれたロムルーシ大使にその意思はないようです)
(まぁ、ロムルーシが舐められるだけに終わるからね)
大使も国の側の動きがわからない状況で安請け合いはできないだろう。
そして国の側からすれば迷惑な話。
けど現地民からすればたまりにたまった不満の発露であり、そう簡単には退かないし、下手に刺激すれば死者が出る。
(陛下はすぐに動く気はない?)
(両国の民が傷つくことは望まないとのことで、ロムルーシ大使とは意見が一致していました)
となると、やっぱりどっちが泥をかぶるかという政治的な話し合いだ。
「わ、わ!」
「あぁ、慌てないでテリー。そのままゆっくり押していけば大丈夫だから」
エメラルドの間に移動して、今はエッセンスを使った実験中。
やってるのは、エッセンスを混合して作った物体を加圧することで、静電気を起こす実験だ。
どうやらテリーは途中で混ぜ方が悪かったらしく、静電気ではなく火花が散ってしまった。
驚いて加圧を急激に行うと危険だから、僕はテリーに手を添えて指導する。
すると、無事に紫電が音を立てて試験管の中で弾けた。
「…………兄上のように上手くできなかった」
どうやら僕が一度やって見せたから、余計に違う結果に驚いてしまったらしい。
「兄上には敵わないな、魔法も、錬金術も…………」
「そんなことないさ。僕がテリーより年上だから経験が多いだけだよ。テリーも僕の歳になればできることは今よりずっと増えるはずだ」
どうやらテリーは僕を目標にしてくれているようで、兄冥利に尽きる。
ただ本当に僕は錬金術以外まともにやってないからね、すでに追い抜かれるのは既定路線だ。
家庭教師の数も違えば質も高いのが次期皇帝のテリー。
兄としてはやる気を刺激しつつ、折れないようにフォローでいいかな?
前世でもそういうのが上手い塾講師は、生徒のモチベーション上手く維持してたし、そういう塾講師は人気で好かれていた。
僕も弟たちには好かれたいしこれからも頑張ろう。
「見て火!」
「僕、水!」
まだ魔法が使えないため、焚きつけていどにしかならないと言われるエッセンスでも、ワーネルとフェルも楽しそうだ。
警護も魔法よりも軽微な現象しか起こせないエッセンスでの遊びを見守ってる。
ただ今も剣を器具にぶつけられると困るから、入り口に待機だ。
イクトは一回もぶつけたことないから室内にいるけどね。
「ご歓談中失礼、殿下」
「ヘルコフ?」
珍しいというか、僕が弟たちと遊んでいる時に割って入るなんて今までにない。
僕は室内を警護に任せて一度金の間のほうへ移動した。
ヘルコフはロムルーシ出身だし、北での動きは一度故郷から報せの手紙が来ていた。
その分気にしてたから、情報収集のために左翼から出していたんだ。
「軍の知り合いからの情報で、さっき会議は終わったと。それで、ですね…………」
何やらヘルコフが言いよどむような事態が起きているらしい。
僕はあえて笑みを浮かべて頷き、先を促す。
「実は権威づけとして皇子を派遣するという話が出ています」
「それ…………十歳未満の弟たちってことは、ありえないよね?」
当たり前の問いだけど、ヘルコフは熊の顔を険しくしたまま重々しく頷いて見せたのだった。
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