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6話:侯爵の手1

 皇帝に双子の息子が生まれたそうです。

 僕の弟が二人も増えたんだけど、もちろん人伝に聞いた。

 しかも妊娠すら聞いてない。


 そう言えば妙に父の側近が話に割り込むと思ってたんだよね。

 月一、二回の面会の邪魔がそんな理由だなんて。


「会えないにしても、あの一件はどう思われているんだろう? テリーもお兄ちゃんかぁ」


 僕は錬金術の器具を使ってエメラルドの間で蒸留水作りをしている。

 何をするにもこうして混じりけのない水を作るのが基本工程だ。

 錬金術の本にも細かくして綺麗にしろって書いてあるしね。


 すごく詩的というか妙な薬で幻覚でも見たんじゃないかと思う形容で書かれていたけど、読み解いてみれば実験を行うには当たり前の指示だった。

 結果を左右する不確定要素は抜いて行く。

 これは科学でも言えることだ。


「父上には説明したんだけどな」


 突然呼び出され上の階の謁見の間で、テリーと庭園で何があったかを聞かれた。

 一方的に責めるようなことはせず、一から聞いてくれたんだ。


 迷子を見つけてイクトが側つきを捜索し、僕とハーティで面倒を見つつ庭園の見通しのいい場所に行ったこと。

 また虫に驚いて泣いたことも伝えた。


「それはいいけど、その後がなぁ」


 僕から聞き取りを終えた後、他からも話を聞くということで一緒にいたハーティとイクトも呼ばれた。

 そしてやっぱり警護が剣の柄を掴んだのはとんでもない失態だったらしい。

 父まで怒って宮中警護を統括する侯爵か誰かを呼び出し、再発防止だとか、警護たちは配置換えだとか息巻いていた。


 父は解雇も訴えたんだ。

 ただ父の側近が止めて、やりすぎてはいけないとか言ってさらに皇帝を怒らせてしまっている。

 皇子に敵対した者に対する刑罰相当だと反対に父に怒られていたけど、あれは一応父の立場を思ってのことでもあったんだとは思う。


「アーシャ殿下、よろしいでしょうか。そろそろ次の勉学の時間となります」

「入って大丈夫だよ、ありがとう」


 ドアを叩く音とイクトの声に応え、僕は蒸留のためつけていた火を止めて片づける。

 入って来たイクトも手伝ってくれた。


「私には何が何やら。ウェアレルも器具を使いこなすことに驚きと称賛を贈っていました」

「ちゃんと仕様書ももらってきてくれてたからだよ。それに散歩もできないんじゃ時間もあるし、使い方わからなくても試せばいいんだ」

「それは、警護の者にやはり私が…………」

「いいよ、イクトが無理することはないって」


 実はあれ以来散歩に出るにも宮中警護が睨んでくるようになった。

 というかこの区画を出ようとすると何処へ行くのか、何をしに行くのかうるさい。

 今まで挨拶一つしない無視だったのに、まるで危険人物扱いだ。


 うるさいし、ハーティが男性に絡まれるような状態になるから今は散歩自粛中。

 弟のテリーは怪我もないし、悪いことしたわけじゃないし。

 どっちかっていうと警護の失態のせいで皇帝に直々に怒られた八つ当たりな気がする。


「アーシャさま、こちらですか?」

「あ、ウェアレル。授業だよね。ごめん、すぐ片づけるから」

「いえいえ、少々書籍を借りてきましたのでお渡ししようと早く来たまでです。歴史の授業にしても親しみやすくと思い、大陸東について纏めた紀行文をお持ちしました」


 ウェアレルが見せてくれるのは豪華な装丁の本。

 帝室図書にあって恥ずかしくないしつらえってやつだ。


「おや、我が国ニノホトについても?」

「ありますよ、アーシャさまもイクトどのの国に興味を持たれると思いこうして栞を挟んでおります」


 ウェアレルは片づけをする僕たちに見えるように両手で本を支えて広げてくれた。

 そこには港町らしい風景を描いた挿絵が載っている。

 色々大袈裟に描かれてるけど、平屋に近い建物は瓦葺っぽい。


 イクトの名前から思ってたけど、ニノホトは和風の国?

 いや、けど瓦くらいなら中国周辺にもあるか。


「イクト、トトスって家名はこのニノホトの家名なの?」

「いいえ、こちらで爵位を受けるにあたって作りました。私のニノホトでの名前は、イクザエモン・トシアキ・トードーと申します」

「イク、ト、ト?」


 ウェアレルが聞き慣れない様子で呟く。


「えぇ、そうして私の名前が聞き取れない方が多かったので、そこからもじってイクト・トトスとこちらの名前を作ったのですよ」


 イクト、思ったより和風感ゴリゴリの名前だった。

 珊瑚色の髪とか、肌が青っぽくてファンタジーなのにイクザエモンさんなのかぁ。


「ただ海人の大本の故地は、ニノホトより南、チトス連邦になります。昔は小さな国々の集まりで、帝国の支配下になってから連邦を築きました。同時にそれまで交流のなかったニノホトとも交易を行い移住もあり。そのため私はニノホト従来の人族ではありません」

「イクトどのは教師役もできますね」


 滔々と語るイクトに、ウェアレルが本気交じりに笑う。


「いやいや、経験ならいくらでも語れますがね。ただ歴史や順序だった説明となると」

「できれば一緒に講義をしていただきたいですね。やはり知る者の言葉のほうが耳に馴染む。ニノホトに限らず、大陸東部は帝国を築いた帝室の故地。アーシャさまも知っておくべきです」


 家庭教師ウェアレルの申し出に、イクトも補助程度ならと応じた。


 片づけを終えて、僕は金の間に移動する。

 本来ならサロン室というお客を招く部屋なんだけど、使い道ないから勉強部屋にしてる場所だ。

 と言ってもやっぱり無駄に広くて物がない。

 部屋に備え付けのテーブルセットと、何故かあるグランドピアノ。

 いや、王侯貴族は音楽が必須の教養らしくて、これも勉強の一環で弾かせられるんだけどね。


「今帝国のある大陸中央部は、長く未開の地でありました。その理由は先日学びましたね?」

「四方を山脈に囲まれてて、その山を越える道がなかったからだね」


 ウェアレルは地理で学んだことを復習として絡める。


「はい。そして人族は昔は東のほうに住む種族でした。今では大半が大陸中央部に住んでいます。ニノホトも今では帝国を除く一番人族の多い国家ですが、帝国樹立以前は小国でしかありませんでした」

「他の国は残ってないの? 全部大陸中央に移ってしまった?」


 僕の質問にイクトが答える。


「実は東は災害が多くてですね。帝国ができてからは壊滅した都市を復旧させるよりもと、中央部に移る人族が増加したそうです。さらに人が減ったところに毎年のように海からも山からも地下からも天からも災害が襲いまして」

「…………それ、逆になんでニノホト残ってるの?」

「一番災害に強かったんでしょうねぇ。台風だ、土砂崩れだ、噴火だ、大雨だと騒ぐんですが、翌日には復旧に向けて働きだすという。じっとしていられない性分もあるかもしれません」


 僕の前世も似たようなものだけど、こうして他人から聞くと大変そうだ。

 ちなみに海人の住む地域でも災害はあるけど、海人は海の中に逃げ込むということができるため陸上の住まいは最低限でいいそうだ。


 どうやら大陸東は自然災害の多発地域らしい。

 山脈越えの難行をしてでも、新天地を見つけたかった先祖の苦労がしのばれる。


「生息する魔物とか違う? 騎士の代わりになる職業とかある?」


 妖怪や侍はどうなんだろうと思って遠回しに聞くと、イクトは考える様子だ。


「違いと言いますか、魔法で対処できない呪いというものは知っていますか?」

「エルフのほうにも獣人のほうにも呪いの伝承はありますよ?」


 両方のハーフであるウェアレルが指を立てる。


 この世界の魔法は種族によって使える属性が違う。

 海人であるイクトは水、ウェアレルはエルフの風、ヘルコフは獣人が使える身体強化の魔法だ。

 そして人間は魔法を極められはしないけど全部使えるという特性がある。


「それが、魔法など使えないただの生物による呪いの実例と言われている話があるんです。蟹の呪いと言われます。ある所に蟹好きで毎日蟹を食べないと収まらない男がいた」


 イクト曰く、その男は毎日まいにち蟹を食べ続け、ある時、蟹を触ると体中が赤く腫れ始めたそうだ。

 周囲は止めたが男は蟹を食べることをやめられず、なおも蟹を食べては息を切らし、食べては眩暈を起こし、食べては吐いて、ついには死んでしまったという。


「これが小さな命にも長く無体を続ければ呪うほどの一念を生じるという戒めの昔話になります」

「恐ろしいような、そうでもないような?」


 イクトとウェアレルは教訓話として受け止めたようだけど、僕には違うように聞こえた。


 それ、アレルギーじゃない?

 甲殻類アレルギーって大人になってからなる人もいるとか聞くし。

 この世界にもアレルギーがある上に、魔法じゃどうしようもないらしい。


「錬金術ならどうにかできるかな?」

「できたら殿下は錬金術の大家となれるでしょう」


 イクトのこういう時って難しいぞって言ってるんだ。

 うん、今は大人しく本に書かれた内容を習得することに専念しよう。


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