閑話10:とある庭師
第一皇子は十歳になり、今日も宮殿の庭園を歩いていた。
「これがね、雪晶花って言って…………」
元から落ち着きのある子供で、話せばわしの弟子より良くできた子だったが、今日は普段とは様子が違った。
第一皇子が、子供らしく弾んだ声を上げているのだ。
「あ、兄さま、チョウチョ!」
「あたま、チョウチョいるよ!」
第二皇子の紺色の髪に蝶々がとまると、双子の皇子が楽しげに声を上げる。
だが昆虫が苦手なのか、第二皇子は幼い顔を顰めて固まった。
わしら庭師は使用人と変わらない立場で、直接声をかけるなどできない。
以前弟子がそれをやって無事だったのは、ひとえに温厚な第一皇子だったからだ。
今もこうして仕事の手を止めて、梯子の上から見るだけしかできない。
そう、ちょうど庭木の高さを揃えようと登ったらな、見えただけで。
うん、別に声が聞こえたからわざわざ登った訳ではないんだ、これは。
「あ、ははは。テリーはまだ虫に慣れてないんだね」
第一皇子が声を出して笑った…………。
数年顔を合わせているが、初めてのことだ。
第一皇子は優しく手を振ると、蝶々を追い払う。
それを見て双子の皇子たちは残念がった。
「虫の寿命はとても短いんだ。あの蝶々もひと月生きていられるかどうか。少し休むならさせてあげていいと思うけどね」
「みじかい、じゅみょう?」
「捕まえるの、だめなの?」
第一皇子はまだ幼い双子の皇子に優しく教え諭す。
まったく、庭園を管理してる貴族に見せたいもんだ。
これでどうして第一皇子が弟を虐めるなんて噂、恥ずかしげもなく喚けるもんだか。
ましてや暗殺なんてあるもんか。
「あの、兄上。まだ慣れてないって、どういうことですか?」
第二皇子が、下二人に比べて硬い様子で問いかけた。
「あぁ、あの時はテリーも三歳だから覚えてないか。前に会った時にね、花から飛び出した虫に驚いて泣いてしまったんだよ」
「…………初めて、聞きました」
第二皇子は表情まで硬くしてしまった。
きっと第一皇子の噂は、第二皇子にも聞こえていたんだろう。
自分が虐められて泣かされたと。
「けど、言われてみれば、花をこう、触っていた記憶が…………」
第二皇子が両手で包む形を作ると、第一皇子は光る花を見ていたと語る。
明るかったから、手で覆って暗くするようにしたようだ。
「光るの、お花?」
「見たい!」
双子の皇子がせがむと、第一皇子は微笑んで首を横に振った。
「今の季節、花は終わっているんだ」
「お花が終わるってどういうこと?」
「兄上、どういうこと?」
庭師をしているからにはわしもわかるが、確かに終わっている。
もう葉っぱしかない上に、次の花に植え替えられているんだ。
「そうだなぁ…………あ、確か今なら動く花が咲いてるはずだよ。そっちを見に行かない?」
第一皇子の提案に双子の皇子はもう興味を移して大喜びだ。
確かに今の季節、動く花は植え替えた後に花もついている。
蜜を求める虫を包んで受粉を確かなものにする習性のある花で、触ると花が閉じた。
子供ならきっと喜ぶだろう。
「植物も生き物なんだ。必要だから花を咲かせるし、葉を広げるんだよ」
焦って走ろうとする双子の弟の手を繋いで、第一皇子は優しく語りかける。
「あれも?」
「これも?」
「そうだよ」
弟たちに応じながら、第一皇子は説明を続けた。
後からついていく第二皇子は気おくれした様子で声をかける。
「兄上は、すごく植物に詳しいんですね」
わしら庭師からすれば基本だが、子供からすれば詳しいくらいか。
しかし、思えばわしらも特に第一皇子にそうしたことを教えてはいない。
第一皇子は第二皇子を振り返って子供らしく笑う。
「実はね、次にテリーに会った時、もっと庭園のこと話せるようにと思って勉強したんだ。帝室図書には庭園で育てる草花の図録があるから、興味があるなら見るといいよ。彩色された絵も描かれているから、見やすいと思う」
わしは堪らず梯子を下りて、曇る視界を擦った。
「どうしたんです、師匠? 俺も登って皇子たち見ていいです?」
下で梯子を支えてた弟子がねだるので、しょうがなく梯子を押さえる役を代わる。
一息ついて周囲を見ると、同じように梯子を下りる庭師仲間がいた。
中には鼻をすする者、何度も頷く者など、わかりやすすぎるわ。
まぁ、他人のことは言えないがな。
「なんか、兄ちゃんって感じのことしてますね、第一皇子」
満面の笑みながら、すぐに降りて来た弟子。
どうも皇子たちが移動して見えない範囲に行ってしまったようだ。
それでも手を引いて話をしつつ、目を配る様子は見えたんだろう。
「あと、第二皇子は後ろからついて行ってるのなんすかね? まだ暗殺とか疑ってんすか?」
「そういう感じじゃあ、なかったと思うがな?」
受け答えはしていたし、第一皇子も双子と比べて変わらない対応をしていた。
「それに、暗殺云々疑ってんのはその後ろだろ」
わしの指摘に弟子は素直に顔を顰める。
庭師仲間たちも頷いていた。
仲のいい兄弟の後ろで、渋い顔してついていく大人たちがいたのだ。
一人は見慣れた第一皇子の護衛だが、他にも同じ制服だから皇子の護衛、後は皇子のためだろう飲み物やタオルを手にした侍従や侍女がぞろぞろと。
「あの海人の護衛の人より前に出る奴いなかったけど、感じ悪い目してたっすよね」
「第一皇子疑ってんだよ。だから第二皇子の頭の蝶を追い払うにも浮足立って、双子の皇子が手を繋ぐのにも慌てるんだ」
「えー? 兄弟なのにそんなこともさせないって、お偉いさんわからんないっすよ。子供同士仲良くしたほうがいいでしょ?」
弟子は素直だ。
たまに叱らなきゃいかんが、真っ直ぐで気がいい。
ただこいつも最初は第一皇子が何かするんじゃないかと怒鳴ったし、それはわしも同じだった。
「その内わかるだろうさ。第一皇子は意地悪もしなければ、暗殺なんか企みやしねぇってことを。それを疑ってる奴らの目が曇ってんだってことが」
「…………気づきますかね? 管理者の人、未だに第一皇子は悪人だって言ってるじゃないですか。第四皇子のことだって、俺らが何言っても聞きやしねぇ」
弟子がいうのは、もう何年も前に親戚が辞職した管理者だ。
第一皇子のせいだというが、ただの決めつけでしかない。
双子の皇子も、大人が目を離したすきに迷子になり、全員で捜しに出たことが発端だ。
誰もいなくなった四阿に、第一皇子が双子を保護して連れていった。
そこで、病弱だった第四皇子が倒れたんだ。
つまりは、第二皇子の時もそうだったんだろう。
迷子を見つけて相手をしていたが、虫に驚いて泣いたところに目の曇った大人が現われた。
「捜して見つけられなかった奴らの動きと、いつも第一皇子が通る場所突き合せりゃ、俺らの所に来る途中で迷子見つけたくらい想像つくでしょうに」
弟子は管理者に対して含むところができちまったらしい。
こりゃ、態度に出さないようきっちり言っておかねぇと。
腕は悪くねぇんだから、その口が先に出ちまうのを改めさせなけりゃな。
ま、それはそれとして、今回のことでは全面的にこの弟子に賛成してやる。
「貴族やなんかのことだ。どうせわしらには口も出せん。…………だが、聞かれた時にゃ、答える言葉くらいは持っておけるってもんだ。間違い正すことに遠慮はいらねぇ」
第四皇子の暗殺未遂と噂になった時、幾つもの高位貴族から話を聞かせろと命じられた。
だからわしらは語ったさ。
第一皇子が無実だとな。
途端に不確定なことを吹聴するなと上からお達しだ。
ろくでもない思惑があることはわかったが、わしらに逆らう力はない。
だが、子供相手にあんまりだと思う心は強制できねぇ。
だったら次もまた馬鹿な事件が庭園で起きないように、目を光らせておくのも勤めの内だろう。
あんな皇子たちを見られるなら甲斐もあるってもんだ。
ブクマ1000記念