44話:病名蟹の呪い4
広間の一件から五日が経ち、今のところ平和な日々が続いている。
と言っても僕の日常がセルフ謹慎的な引きこもり生活なんだけど。
「何故主人は正しく評価されないのでしょう?」
「バイアスかかってるし、かけてるから」
「改善を提案します」
「却下します。僕は地味に錬金術に傾倒した無害な皇子でいたいの」
「すでに破綻しているため無駄な努力です」
「ちょっと、セフィラ・セフィロト。もう少し人の心を慮ってよ」
あれ以来セフィラ・セフィロトがうるさい。
毒性のある鉱物を扱う時は静かでも、慣れたお酒の蒸留をしてるとうるさくなる。
そう思っていたらいきなり静かになるのでいぶかしむと、また突然爆弾発言をした。
「十人以上の人間が階段を上がっています」
「ストラテーグ侯爵ではないでしょう。アーシャ殿下、こちらへ」
僕たちのやり取りを見守っていたイクトが、セフィラの警告を受けて動く。
実験器具の危ないものは止めて、僕たちはヘルコフとウェアレルが待機する青の間へ向かった。
「お、イクトにも聞こえたのか?」
熊耳を動かしてヘルコフが振り返る横で、ウェアレルも三角の耳をぴんと立てている。
「セフィラ・セフィロトが検知したんだよ。十人以上って、誰だと思う?」
「剣を下げている音がするので宮中警護だと思ったのですが?」
ウェアレルはイクトを見るけど首を横に振られた。
「アーシャ殿下の特殊性を鑑み、訪ねていらっしゃる場合は外に二人立てるのみで内部へはストラテーグ侯爵とレーヴァンの二人と決めています」
そんな取り決めいつの間に?
ともかくストラテーグ侯爵にしては人が多いらしい。
「ウェアレル、お前さんは殿下と金の間行っておけ。俺たちが」
ヘルコフが言いさしたところにノックがあった。
外から聞こえた声は父の側近のおかっぱで、こんなこと今までにない。
僕の許可を受けて、ヘルコフがドアを開く。
「皇帝陛下と妃殿下が参られます」
「なんで?」
思わず聞き返すと、眉を顰められた。
そう言う表情久しぶりだなぁ。
ともかく突然のご訪問だ。
おかっぱの指示で金の間の広い控えの間に、サロンにある応接に使える椅子と机を移動することになった。
ばたばたと家具を移動する移動だけでもうやって来る。
時間稼いでもらおうと思ったけど、おかっぱは眉を顰めたまま壁際に控えてしまう。
「急に悪いな、アーシャ」
「いいえ、ここは陛下の持ち物の一部。誰を憚る必要もありません」
いつもの面会ならクルクル抱っこなんだけど、今日は厳しい顔をした妃がいるから僕も父も大人しく応答をする。
「あー、その、何をしていた?」
「錬金術を少々。粗衣で申し訳ありません」
妃がいるから普段より僕たちも硬い会話になっていた。
あと僕は着替える暇もなかったので、普段着状態。
しかも錬金術やってたから、エプロンは外したものの、汚れてもいいシャツと慌てて羽織った上着という姿。
「錬金術か、黄金を作るのか?」
「え、いえ、精神の生育と魂の帰結についての討論を、ですね」
セフィラ・セフィロトのこと言ってないし、だからってお酒造りしてましたとも言えない。
嘘ではないけど真実でもないことを口走り、つい答えが曖昧にしてしまう。
すると妙な空気が流れ、微妙な沈黙が落ちて、妃が溜め息を響かせた。
「茶の準備にしても時間がかかりすぎです。どこの家の侍女を使っているのです」
言われた途端、僕は硬直し、側近たちは目を見開く。
ついでにおかっぱも息を飲んだ。
そうです、誰もお茶の準備なんてしてません。
けど陛下と妃が来てもてなし一つないってなしだよね。
「不調法で申し訳ございません。何分、人を招くなどないことでして。失礼して僕が淹れましょう」
「そんなことができるのか、アーシャ?」
「はい、ちょうどいいコーヒーがあるんです」
お酒の材料だけどね。
前にカルアミルクで試したら味が良くなったと、モリーがさらにグレードの高い豆を回して来たんだ。
「結構よ」
けど妃が拒否し、何やら僕に挑むような視線を向ける。
「侍女については家名だけで結構」
「えっと…………」
答えられる家名なんてないので沈黙するしかない。
すると父は何かに気づいた様子で考え込んだ。
あぁ、もうこれは気づかれるのも時間の問題か。
「いません」
「なんですって?」
「僕の下に、侍女はいません」
使用人と侍女は違う。
簡単に言うと主人に関わる度合いで仕事の役割が違う。
住まいを整える使用人はいるし、そこはこの左翼部全体に配置されてる。
けど侍女は僕自身を世話する特別な職業で、そんな人はいない。
ハーティがその役目を担ってたけど、乳母がいなくなってからは自分でやってた。
「まさか、ハーティだけ? 引継ぎなどは、あ、乳母、だからか?」
父は最初から侍女なんて用意されてない事実に気づいてしまったらしい。
再婚で乳母を辞める報告はしたし、父は個人として祝福し、別に祝い金と手紙を渡したとも聞いた。
父は乳母というより僕の世話をするハーティの代わりが来るものと思ってたんだろう。
ただそれを用意するはずの人はニスタフ伯爵家だ。
ハーティが個人で頼める家格では宮殿には上がれないし、伯爵家は用意する気がない。
もちろん、ここに引き篭もってることになってる僕には侍女を務められる貴族令嬢に伝手なんてあるわけがないんだ。
「そんな、ありえませんわ。では、第一皇子の世話はいったい誰がしていると?」
妃が狼狽えて僕が虚偽を言っているのではないかと疑う。
「自分でできますよ?」
「着替えは? 配膳は? 湯あみの用意は? 自分でできるなどと誤魔化せるとお思い?」
「着替えは自分で。配膳と湯あみは…………いえ、やってくれる者はいますのでご心配なく」
しまった、父の顔色が悪い。
心配かけまいと思ったのに、妃の勢いで答えてしまった。
「アーシャ」
「…………はい」
父がいつにない真剣な声で呼びかけて来るので、僕は迷った末に観念して返事をする。
「嘘偽り、いや、誤魔化しなく答えなさい。お前の世話をする侍女は?」
「いません」
「ウェアレル、ヘルコフ、イクト以外に世話をする者は?」
「…………いません」
ちょっとストラテーグ侯爵とレーヴァンの顔が浮かんだけど、この問題で飛び火はさすがに可哀想だ。
悪いのは後見のはずなのに世話を放棄してるニスタフ伯爵なんだし。
そして父は自分で聞いていてダメージを負ってる。
うん、今まで放置して現状知らなかったらそうなるよね。
うん、親ならそうだ。
子供が満足に生活できてないって知ったらそうなるはずなんだ。
…………なんか、ちょっと嬉しいな。
前世の親が僕がご飯食べてるかどうかなんて気にせず、根詰すぎて貧血起こした時も情けないと言って怒ったような人たちだった。
それに比べれば目の前の父は自分の不明を恥じて後悔してる。
そう言う父だからこそ、僕も黙ってたし、前世独り暮らしした庶民の経験から苦でもなかったし。
「…………アーシャ」
「はい」
「部屋を見せなさい」
「え?」
それは困る。
その思いが声に出てしまった。
途端に父は厳しい皇帝の顔でもう一度僕に命令する。
「誤魔化しはなしだ」
「…………はい」
壁際では、ウェアレルが額を押さえ、ヘルコフが天井を見上げ、イクトは溜め息を抑えるように口元を覆っていたのだった。
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