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5話:皇帝の長男5

「申し訳ありません!」

「イクトが謝ることじゃないでしょ。気にしないで。助けに来てくれてありがとう」

「それは、当たり前のことです。しかしアーシャ殿下に宮中警護が剣の柄に手をかけるなどあってはならないこと」


 部屋に戻ってイクトが僕に謝る。

 ハーティなんて逃げるようにテリーとその周辺が去ると悔し泣きしてたけどね。


 どうもあのドレスの女性は弟の乳母か世話係でそれなりに高位の貴族出らしい。

 警護も三人が常設で、やはり身分は高いとか。


「アーシャさまがいったい何をしたというのです! 感謝しろとは言いませんが殺さんばかりに! 同じ陛下の子であることは変わりないではないですか!」

「ハーティもごめんね。もっと慎重に行動すればよかった」

「いやいや、そこは殿下が気にすることじゃないですよ」


 ヘルコフは熊顔で口を開くけど、元が猛獣顔なのでそれだけで威圧感がすごい。

 ただ僕を思っての表情だっていうのはわかる。


 ウェアレルは耳も尻尾も毛が逆立った状態だった。


「ともかくこれは警護の失態。皇子殿下を前に剣に手を出すなど罰せられて当然のことですよ」

「でも、言ってどうにかなるもの?」


 僕の問いに大人たちは言葉に詰まる。

 まぁ、悔しがる一因はそれだ。

 宮中警護を掌握するのもまた高位の貴族で、妃の子でもない皇子の僕を下に見てる可能性が高いから相手にされないと思う。


 父がたまにしか来ないのもわかってるだろうし、正直僕の側近たちは身分が高くない。

 というか、一代男爵のイクトと、子爵家出身で貴族籍があるハーティの二人が貴族で、ウェアレルとヘルコフは貴族ですらない。

 訴えても改善を実行してくれる伝手がないし、こういうのは時間を置くと問題をうやむやにされるだけだ。


 ただ不愉快なだけだと座りが悪いので、これを機に僕も自分の立場を見直してみよう。


「僕は陛下が後ろ盾ってことでいいの?」


 僕に一番便宜を図ってくれると同時に身元も保証してくれる相手だ。

 けどハーティはハンカチで目元を押さえて別の名を上げた。


「本来なら、ニフタス伯爵家が、アーシャさまの後ろ盾なのです」

「あ、そうか。僕の名前イスカリオン=ニフタスだから、ニフタス伯爵家の所属なんだ」


 イスカリオンは帝国の名前であり、皇帝の家名。

 けれどニフタス伯爵家の三男をしていた父は、皇帝となってからはイスカリオンだけが家名になった。

 イスカリオン家でニフタスがつくのは僕だけだ。


 本名を使わないから忘れてたし、この世界普段使いは愛称だから問題なかったけど、僕の正式名称はアスギュロス・フリーソサリオ・モヴィノー・イスカリオン=ニフタス。

 厳ついし長いし呼びにくいので愛称のアーシャは気に入っている。


「伯爵家って何かしてる?」

「何も! 時候の手紙すら! 伯爵家を出て以来一度の伺いもありません!」


 ハーティのお怒りを要約すると、本来僕が貴族として生活するための基盤を世話するのがニフタス伯爵家らしい。

 けれど伯爵家は僕とのかかわりを断ち切っている。

 そのため力になってくれる王宮の伝手を紹介することもなければ、必要な教育を施すための家庭教師の斡旋もしていない。


 今僕に貴族としてのマナーを教えてくれているのはハーティだ。


「僕、ニフタスの名前いらないんじゃない?」

「まぁ、殿下は聡いからすぐわかると思いますが、そうして皇帝の息子だが正統じゃないってのを名前の上で印象付けるためだわな」


 ヘルコフが雑に教えてくれる。

 不服そうな声からどうやら大人の事情が深く絡んでいるようだ。


 ただそうなると余計に疑問が生まれる。


「僕が今回テリーといて剣を抜かれそうになったのは、どうして? それだけ帝位から遠ざけているのに。何より僕は全く公式の場に出ていない。どんな人物かもわからないのにいきなりあれは過剰反応すぎるよ」


 疑問を呈すとウェアレルが溜め息で教えてくれた。


「陛下が、低い生まれから帝位に上ったことも遠因でしょう。どんなに高位の生まれでも、低位の継承権者が覆した前例があるならば可能性は否定できません」

「僕もテリーがいなければ帝位につけるって? だからテリーが泣いててあの反応?」


 しっくりこないけど、それほど僕は危険視されてるってこと?


 僕の困惑を見てイクトが補足してくれた。


「殿下は聡いからこそ分からないかもしれませんね。疑心暗鬼を生ずと我が国では言います。疑う心があなたの虚像を映し出すのです。実物を知らず、いえ、知らないからこそどれだけかけ離れていようと気づかない」

「つまりテリーの周囲にとって、僕は帝位簒奪を目論む極悪人?」


 とんだ邪推だ。

 しかも僕本人の主義思想は一切勘案されないとくる。


「派閥の問題もあるのです」


 涙をひっこめたハーティがハンカチを直して説明してくれた。


 どうやら僕という存在は勢力闘争をする者にとって、いるだけで問題の種らしい。

 皇帝である父の与党はルカイオス公爵派閥で妃の実家。

 テリーが生まれている今、時と共に権力は強まることが約束されている。


 その公爵派閥と権力を争う派閥にとって揺さぶりに使えるのは僕のみだ。

 また、公爵派閥に入りたい側にとっては僕を貶し悪しざまに吹聴することで公爵派閥の人間のご機嫌取りになる。


「もっと他にすることあるんじゃないの?」

「俺もそう思うぞぉ。けど人間の集まりである国を動かすには皇帝一人じゃ土台無理なんですよ。派閥は必要だし、陛下は現状ルカイオス公爵頼りでしかいられない。で、その派閥に入ることができたニフタス伯爵としてはそのまま勝ち馬に乗りたいわけです」


 ヘルコフは口調は軽いのに相変わらず猛獣の顔をしていた。


 僕の後ろ盾であるはずのニフタス伯爵家が手を引いて冷遇するのは保身のため。

 大派閥のルカイオス公爵に睨まれてまで僕の世話をする気はない。


「他に考えられるのは単純に陛下の足を引っ張るため、守られていないアーシャさまを狙う輩でしょうか。公爵派閥に現在の権能を奪われたくないストラテーグ侯爵、血筋は上なのに帝位に座り損ねたユーラシオン公爵。挙げればきりはないですね」


 ウェアレルが言うには父も血筋で反発が強いらしい。


 聞いたことがあるけど、どうやら旧態依然の状況を変えようとしているそうだ。

 帝国は長生きだからこそ古すぎてもはや機能してない無駄な体制や制度がある。

 新しいことをするためには古い無駄を切り捨てる必要があるけれど、その無駄にしがみつく人もいるんだって。


 こんな五歳児が知る必要のないことを知ってるのは、今目の前で行われる意見交換のお蔭だ。

 静かにしてるとまだ小さな僕はみんなの視界から下に外れる。

 だから僕の存在を忘れて情報交換が白熱するんだ。


「ルカイオス公爵はその旧態依然の決まり事である長子相続を失くそうとしていますからね。その点では陛下の味方ではあるんです」

「けれどこうして陛下のご子息を蔑ろにしています。今すぐに公爵に睨まれるわけにはいかないため陛下のお耳に入れられないのが口惜しいこと」


 難しい顔をするウェアレルにハーティが悔しさを滲ませる。


 そうか、この帝国は長子相続なのか。

 それで言えば僕が長子だけど妃の子じゃないから後回しにされてる。

 これはもしかしたらルカイオス公爵からすれば無理を通した結果で、だからこそ僕を異常に警戒しているのかもしれない。


 絶対無理ならまだしも、排除できない可能性が残り続けるから疑い続けてる。

 だからって弟と交流することすら命がけとかどうなの?

 権力なんてそんないいものじゃないと僕個人は思うのにな。


「帝位が欲しいなんて思ったこともないのに」


 思わず呟くと、僕の存在を思い出して側近たちは口を閉じてしまう。


 気まずそうなので冗談めかして笑いかけた。


「僕は今錬金術に夢中なんだ。きっと皇帝になるような立場だったらそんなことしていられないでしょう?」

「いやはや、アーシャ殿下と話していると時折同じ視点を持つ大人と話している気になりますね。環境がそうさせるのでしょうが、あまり急いで大人になる必要はないのですよ」


 イクトが優しく言ってくれる。

 そして笑うんだけど、なんだかその取り繕った笑いに剣呑な空気を感じた。


「それはそれとして、警護のあの不届き者どもは顔を覚えましたので相応の躾けはしておきますからご安心を。何、世の中剣を抜かずとも敵を無力化できるという稽古をつけようと思います」


 それってつまり、稽古にかこつけてあの剣に手をかけた三人を甚振る気じゃない?


 公式にペナルティ課せないからって、思ったよりイクトは怒っているようだ。

 警護の人たちとぎくしゃくしないでくれたらいいんだけど。


「ほどほどにね?」


 僕のお願いは大人たちの愛想笑いで流されてしまったのだった。


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