閑話7:アーシャ
蒸留酒を作る工場が稼働し、僕はお祝いにホワイトレディのカクテルを振る舞った。
お代わりは話題に出たカクテルの王さま、マティーニだ。
ただ三匹の小熊はマティーニで、モリーはもう一度ホワイトレディをオーダー。
「気に入ってくれたなら、彩り重視で女性の顧客を呼び込むのも手かな?」
「本当、なんでも思いつくもんですね」
ヘルコフもマティーニを飲みつつ、僕の呟きを拾う。
「それもありだけど、今は高級志向で行きたいわ。マティーニがいい評判になっているんだもの。王さまの呼び名に相応しいイメージで戦略を立てているし」
モリーは嬉しそうにホワイトレディを見つめながら、思考は現金だ。
「あの修道院からジンという薬酒を買うときにずいぶん渋られたのよね。ちゃんと定期購入で契約を結んだけど、また渋られないように手を打っておかなきゃ」
マティーニにもホワイトレディにも使っているお酒について、モリーは何やら考える様子。
この世界では薬酒として古い修道院に秘蔵されていたとは僕も聞いてる。
錬金術が衰退し、今ではお酒の蒸留も失伝したのか行われていない。
けれど一度は錬金術が隆盛して、この帝都を作るほどまでに技術は活用されていたんだ。
だから何処かに蒸留技術が残ってるかもしれないとは思っていた。
「さっきディンカーが言ってた、飲み過ぎて害になるってやつか」
ヘルコフが聞くと、モリーは小首を傾げて記憶を手繰る。
「そうなのかしら? 毒性の強い薬だと言われたのよ。実際死んだ人もいるって」
モリーの言葉に小熊たちがぎょっとする。
けどその毒かもしれないジンを使って作ったマティーニを放そうとはしない。
「薬って飲み過ぎれば毒になるのは普通じゃないの?」
「そうなのか? 飲み過ぎるくらい薬持ってる奴なんていないと思うぞ?」
僕の疑問に黄色い毛並みのテレンティが、熊の丸い耳をそびやかす。
すると紫の毛並みのエラストは、手に持つマティーニを見下ろした。
「酒を飲み過ぎると吐くけどな。死ぬほどの毒って言われるとどうなんだ?」
「そうじゃないけど、いや、そういうものかな?」
説明が難しいなぁ。
お酒を吐くっていうのは、別にお酒の作用だけじゃないし。
それで言えば毒性がもたらすのはアルコール分解できずに倒れるとか、中毒症状とかのほうだと思う。
僕が考え込んでる内に、橙の毛並みのレナートがモリーに聞いた。
「その修道院、人が死ぬような薬をどうして今も作ってたんだ?」
「それはもちろん、死ぬ人よりも助かる人のほうが多いからよ。それに修道院周辺の住民も、たまに貰うと元気になれるって言って、修道院の秘薬として重宝してたそうなの」
僕としては一地域で、しかも危険だからって隠してたお酒を探し当てたモリーがすごいと思う。
さらには毒だと言われて渋られても、口説き落として買ってきたのもすごい。
それにしても、なんだかジンの使い方がエナジードリンクみたいだ。
あれも確か飲み過ぎると中毒だったか依存だったかするって聞いた気がする。
「念のために、どうして死人が出たか聞いてくれる? 飲む量を制限すれば大丈夫なのか、それとも食べ合わせとかが問題なのか」
僕の懸念にモリーは肩を竦めてみせた。
「あんまり渋るから私が行ってって話したのよ。その時に毒としての危険性を語られたわ」
モリーは本当にすごいバイタリティだ。
ここで工場作ったり、人員整理したりで大変だったはずなのに出向いてまでいたなんて。
「ある時、この秘蔵の薬酒の存在を知った、三人の若い修道士がいたそうよ」
そしてなんか昔話が始まった。
「製法を知り、その危険性を熟知して秘匿していた修道院の院長は、三人に毒だから決して飲んではいけないと厳に命じたそうなの。けれど若い修道士の一人は言った。院長からは酒の匂いがする。あれは自分で飲むための酒を毒と偽って飲ませないための嘘だと」
あれ?
なんだかこれに似た話、聞いたことある気がする?
それ、実は舐めたら飴でしたとか?
いや、さすがにないか。
「三人の若い修道士は、院長の留守を狙って修道院の地下に隠された貯蔵庫へと向かったわ。そこにあったのはもちろんお酒。嘘だと言った若い修道士は喜んで飲んだそうよ。あまりのおいしさに、一杯が二杯に、二杯が四杯に、四杯が八杯に」
「おいおい、なんだその増え方。倍々じゃないか」
ヘルコフは呆れるけど、増え方が二乗なのはわかってるようだ。
そういえば軍は数だって、計算得意なんだっけ。
この世界、算数も必修じゃないため、小熊たちはわかってない。
「その様子を見て、二人の修道士のうち一人は薬酒を飲んでそのうまさに驚き、もう一人に勧めたわ。けれど最後の一人は疑問に思ったの。院長は薬酒があることを否定はしなかった。ここに酒があることになんら不思議はない、と」
どうやら僕が知る水飴の話とは違うようだ。
「一杯だけ飲んだ一人は、最初の一人の止まらない飲酒に危機感を覚えたそうよ。あれは悪魔の手招きが如く、一度飲めば死ぬまで求めてやまない毒ではないかと」
モリーが言うには、勇んで飲んだ一人の修道士のあまりの勢いに、一緒にいた二人の修道士は危機感を覚えたらしい。
そして、水飴の話と同じくほとんどを飲みつくした時、院長が戻ってことが露見する。
「あれ? 死んでなくないか?」
「やっぱり毒は嘘か?」
「どっちにしても怒られるな」
結論を急ぐ小熊たちを、モリーが片手で制す。
「酔って陽気になった修道士は、院長が余所行きで着ていた高価な服を掴んで破ってしまったの。そして、残りの酒を飲みほして、謝罪で死のうと思ったけど毒ではなかったから死ねませんでしたと言って見せたのよ」
それが水飴なら嘘でした、で終わる。
けど飲んだのは、アルコール度数の高い蒸留酒だ。
「そう言った後に、死んだんだね。その修道士」
「はい? どういうことです?」
ヘルコフが驚くと、モリーは落ちを言ってしまった僕に困ったように笑う。
「そう、少量なら薬として使える薬酒だけど、問題は度を超えて飲んでしまう味だった。貯蔵庫に保管されていた酒を飲みほした修道士は、突然倒れて動かなくなったそうよ」
「吐いて喉が詰まったとかじゃないんだね」
「知ったように言うわね。私が聞いたのは、突然倒れてそのまま。味良く、酩酊し、夢心地のまま死ぬ毒だと語られたわ」
たぶん急性アルコール中毒だろうな。
吐いて喉に詰まらせて死ぬこともある。
あとは内臓の機能不全で一気に意識喪失で戻らないとか、だったっけ?
大学でも危険性を訴えるポスターがあったのを覚えてる。
会社では管理職向けに、ハラスメント講習でアルコールの恐ろしさも一緒に習ったと聞いた。
「アルコールとして純度を高めたからこそ味が良く、害になるんだ。モリーの売り方は一つ買うにも大金だから、そんな乱暴に飲むようなことにはならないはずだよ」
「えぇ、高級品として数を絞ることなんかを説明して売ってもらったわ。この話から、量を売るのはすごく渋られたけど。あそこの修道院、人が減って経営難だったらしいから最終的にお金を積んだわよ」
修道院に対して何してるんだろう。
まぁ、背に腹は代えられないってことかな?
「それにしてもよく知ってたな、ディンカー」
からのグラスを僕に押しやってお代わりをねだりつつ、エラストが言う。
レナートも頷きつつ、からのグラスをこれ見よがしにカウンターに置いた。
「錬金術の本なんかに書いてあるのか?」
「叔父さんから聞いたけど、めちゃくちゃ本読むんだってな」
テレンティも笑顔で、お代わりのためにグラスを持ってきた。
前世の実体験とは言えず頷いておくけど、なんで今の話でお代わりする気になるんだろう。
実際セフィラが勝手に読んで伝えてくるようになってから、ウェアレルも僕の読書の実数はわからなくなってる。
ヘルコフは文章書くのも読むのもやっぱり軍では必要だったって言って、読み書きはできるけど、進んで読みはしないから把握してない。
イクトもヘルコフと似たようなものだ。
「ふふ、いずれあの修道院には出資をして、権利を買い上げて製造の実権手に入れるわよ。今までのノウハウある分、修道院の副業として大々的に作ってもらうようにしなくちゃ」
何やらモリーがあくどい顔で呟いて、ホワイトレディを飲み干す。
修道院潰すとか、修道士辞めさせるわけでもないし、いいのかな?
ちゃんとギブアンドテイクを徹底するつもりはあるみたいだし、商売なら言うこともない。
僕は聞かないふりをしつつ、小熊の圧に負けてシェイカーを手にした。
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