35話:三匹の子熊5
情熱ってすごい。
八歳でお酒造りに手をつけ、一年経った九歳の今、お酒を売り出す算段が立ってしまいました。
「熟成よ。やっぱり熟成期間をもっと置いてまろやかさを追求すべきよ」
「いや、結局混ぜるなら落ち着くくらいの期間でいいだろ」
「工場の地下貯蔵庫はもっと深くしたほうが良かったんじゃないか?」
「寒すぎても駄目なんだ。それに風通しも必須ならあれくらいで十分だって」
モリーと三つ子の子熊が熱く意見を交わしている。
最初はわからないばかりだったのに、原理やなんかをいろいろ説明するとお酒の常識というものを逆に僕に教えてくれるようになった。
そして出会ってほぼ一年が経った今、それぞれが意見を言えるようになっている。
器具作りを模索しつつ、場所の選定から蒸留器の作成、蒸留作業の効率化や残留物や不純物の処理、容器の作成や発注までもろもろ忙しい一年だった。
「…………情熱ってすごい」
「ディンカーの人選が上手く噛み合いましたね」
思ったことが結局口から洩れた僕に、ヘルコフが笑う。
今僕たちがいるのは帝都商業区の端にある蒸留所。
元は倉庫で広くて何もなかった場所だ。
そこに据え置きの炉と釜と樽を使い、冷却器を連結した蒸留装置を一定間隔で並べてある。
蒸留装置への移し替えは人力だけど、僕がエメラルドの間でちまちま作るよりずっと多く作れる形になっている。
「僕としてはもっと効率化したかったけど、情熱に負けたよね」
蒸留は複数回必要で、今の蒸留装置では一度の蒸留しかできない。
だから一つの蒸留装置で必要回数蒸留できる仕組みを作るつもりでいたんだ。
前世の世界では発明されてたから理論的にはできるはずだった。
けれど噛み合ってしまったモリーと三匹の子熊に押され、ともかく安定した量を作れる形に落ち着いている。
木工職人のレナートは専用の樽を作り、鍛冶師のテレンティは各部を連結する専用の金具を作った。
ガラス職人のエラストは熟成保存のための瓶からフラスコ、ガラス管などを担当している。
「熟成に最低二か月はいるんで、来年売り出しだとこれでギリギリなんですよ」
「数年かかる覚悟してたよ、僕」
「俺もですが…………まぁ、ことあるごとに焚きつけるように新たな酒のレシピちらつかせたで、ディンカーにも非はあると思いますよ」
四人にはそれぞれ必要になる錬金術アイテムの作り方を教えた。
モリーは一度つまずくと長く、三匹の子熊はそもそも深く考えるのが苦手で勘に頼るせいか良く失敗した。
そんな四人を机に向かわせるべくレシピをちらつかせ、量産できれば君たちの食卓にも並ぶんだよと囁いてたんだよね。
結果、台所レベルでの量産に舵が切られることになったんだけど。
「まだ材料揃ってないのにもう稼働させてるし」
「熟成期間とは別に混合のための材料はまず高級品からってんで、モリーが時間逆算してるようですよ」
すでにアルコール作りは専用に雇った人に手順を指示して作らせている。
製法を秘匿するため錬金術アイテムはモリーと三匹の子熊だけが今のところ握っている状態だ。
ここは元倉庫の蒸留所横に立てた別棟で、錬金術の器具を置いた専用の部屋だ。
下階にはカクテルとして仕上げるための部屋もあるので混合棟と呼ばれてる。
他にも保管庫や熟成庫、アルコールの蒸留回数によって部屋もわけて品質管理をするらしい。
「うん、これへい、父上には絶対言えない」
「すでに名前だけなら知ってるかもしれませんよ。モリヤム酒店のディンク酒って」
「名前別のにしてほしかったな。リキュールとか、アクアヴィテとか」
「リキュールは語源不明で、アクアヴィテはすでにそう名付けられたまずい薬酒があるもんで」
リキュールはこっちにないし、語源は確かラテン語だったはずだけど説明できず不明に。
そしてアクアヴィテはすでに名付けられたものがあり、マイナスイメージで却下。
そのせいで僕の名前がついてしまった。
いや、偽名なんだけどね。
しかもまんまディンカーはここで名前呼ばれた時困るって言ってちょっと変えてもらったし。
「宣伝用の完成品は結局僕が部屋で作ったのに、回り回って宣伝品が陛下に献上されるなんて」
モリーが蒸留器の作成が始まってから宣伝に力を入れた結果なんだけど。
「蒸留所の監督から人員の精査、材料の確保や運搬の手配とか忙しいなのに、さらに売り出すための前宣伝にも余念なくって、すごい人だよね」
「あいつは趣味を仕事にした奴なんで。けどディンカーの作った宣伝用、あれの効果もあってこそでしょ」
宣伝用に作ったのはなんちゃってマティーニだ。
作り方はまず麦酒を蒸留して針葉樹の実で匂い付けされた地酒を探します。
これはなんと蒸留酒として古い修道院が薬扱いで作ってた正真正銘のジンを見つけた。
次に白ワインに香草やスパイスを入れたベルモットを用意。
これは甘いものが主流だけど、地域によっては辛いものがあったのでそちらのレシピを採用。
ドライ・ベルモットと言われるやつだ。
「僕、寝かせた以外は混ぜただけだな」
二つを混ぜればお手軽にできちゃうカクテルの王さま、マティーニの完成。
あとは瓶に詰めてお早めにお召し上がりくださいと一筆入れるだけ。
ちなみにスイート・ベルモットでも作ったけど大人は辛口が好評だった。
内陸では手に入りにくいけどオリーブもって押したらそっちも輸入して抱き合わせで売るプランをモリーが画策してる。
「アイデアを売るってところは成功かな?」
「大成功でしょう? 酒の王さまと銘打ったのはいい宣伝文句ですよ」
「ジンだけだと手順さえわかれば手軽で度数が高くて、逆に飲み過ぎて害になるんだよ。だから少しくらい手が出しにくいようにって思ったんだ。王さまだし、遠慮するかなって」
「そりゃ逆効果ですね。権威欲の強い貴族はこぞって手を出しますし、そこまで謳われて実際に美味いとなれば、良いものを献上してさらに陛下に覚えよくと画策するのが貴族ってもんです」
「なんで叔父さんのほうが貴族のお坊ちゃんに講釈垂れてるんだ?」
黄色い耳を揺らしてテレンティが寄って来た。
「僕はちょっと、貴族との交流薄いから」
「おい、ディンカーは複雑な生い立ちだって聞いただろ。こんな所で酒造りしてるんだ。貴族として扱ってもらってねぇんだよ」
エラストが気を使ってくれるけど、実際はもっとどうしようもない背景なんだよね。
実は帝国の継承権持ってますって言ったら、きっと今みたいに普通に相手してくれないだろうな。
「あと忘れがちだけど、今の叔父さん宮仕えってやつだろ」
レナートがついでのように重大なことを指摘してしまう。
「そう言えばそうだね」
「なんでで、ディンカーが他人ごとなんです」
ヘルコフに頭わしわし撫でられた。
宮殿の外のほうがスキンシップ激しめだ。
「零れる零れる」
「おっと悪い」
「あら、せっかく蒸留所稼働のお祝いにお酒作ってくれるって言うのにもったいない」
モリーも参戦してヘルコフはまた謝った。
実は今カクテル制作中だ。
待ってる間にモリーと三匹の子熊が意見を戦わせてたんだよね。
「匂いはオレンジとレモン」
「ディンカー柑橘類好きだな」
「こっちはジンっていう修道院の薬酒だろ」
三匹の子熊が興味津々で手元を覗き込んでくる。
「これも売りたければ後でレシピ教えるけど、ジンとホワイトキュラソー、レモンジュースだよ」
キュラソーはオレンジのリキュールだけど、ここにあるのは僕のなんちゃって品。
蒸留酒にオレンジの皮を入れて匂い付けしただけのもの。
シェイカーを鍛冶師のテレンティに作ってもらって、氷はモリーに用意してもらった。
そして適量を入れてシェイク。
色が見えるようレナートに作ってもらったガラスの器に注いで完成だ。
「はい、ホワイトレディ。甘くて苦くてちょっと酸っぱい。ジンの風味を楽しんでゆっくり飲んでね」
言わないとカパッと飲んじゃうからあえて勿体つけて説明した。
もちろん白い髪のモリーを意識してのカクテル選びだ。
途端にモリーは飲もうとしてた手を止めてじっくり眺めて頬を染める。
「うわ、こういう手管で会ったその日に婚約申し込みだったのか」
ヘルコフが何やら邪推をしたようだったけど、好評だったので良しとしよう。
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