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32話:三匹の子熊2

 連れていかれたのは帝都の一画で商店が並ぶ表通りだった。

 ただ裏に行くと商店とは別の入り口が同じ建物に設けてある。


「ここって何?」

「あ、そうか。そういうとこからですよね」


 ヘルコフが驚くってことは、どうやら相当一般常識かつ、見たらわかる建物だったようだ。


 ただ僕は初見なので、店の裏の完全に区切られた別の空間に興味津々で首を動かす。

 一階部分は階段だけが主要な設備で、登るヘルコフを慌てて追った。

 すると一直線の廊下と等間隔に並ぶドアが姿を現す。


「もしかして、ここ住居?」

「えぇ、町人の住まいですよ。珍しいですか? よくある構造なんですがね」


 僕がきょろきょろし続ける姿に、ヘルコフは照れくさそうに言う。


 映画なんかのアパルトマンに似てるけどもっと粗野というか、飾りっ気がない。

 アパルトマンはフランスが有名だけど、パリほど小づくりでもないし、日本の団地に近い雰囲気だ。

 ただしコンクリート不使用なのでひたすら異国情緒を感じる。


「面白くもない拙宅ですが、どうぞ」


 ヘルコフが角部屋のドアを開けてそう言った。


「ここ、ヘルコフの家なの? お邪魔します」

「そんな期待した目で見るようなもん、本当に何もないんですけどね」


 室内は簡素な二間で、その分広め。

 僕が前世で住んでいた単身者用マンションより広いんだけど、台所も洗面所もない。


「暖炉が確か炉代わりなんだっけ。けど、水やお風呂はどうするの?」

「えっとですね、まず風呂が贅沢でそうそう入るもんじゃありません」


 僕はヘルコフが譲ってくれた一番立派な椅子に座って市井の暮らしについて聞くことに。

 背もたれとひじ掛けがある椅子を僕に譲った家主は、背もたれもひじ掛けもない作業椅子のような物に座ってる。


 説明されたのは、不必要に火を焚くことを庶民はしないし、水も井戸から汲んで運んでこなければない。

 つまりはお風呂なんて設備いらないし、台所は非効率ってことらしい。


「お風呂代わりに濡らした布で体を拭くのはわかった。じゃあトイレは?」

「一階に共用があります。ここはその点良心的なんですよ。ないところも珍しくないし、そうなると辻ごとにある公共のトイレを使うことになる。」


 つまり治安が悪くなる夜には行けない場所だ。

 わざわざ火を焚いて行くのももったいない。

 けど水道もない暮らしだと水自体限られてるから、トイレが近くならず不便はないらしい。


「そうなると、僕が毎晩使ってるお湯ってどうやって用意してるの? バスタブにお湯、張ってあるよね?」

「ハーティが時間指定で毎日湯を沸かすように厨房に言ってあったんです。それが決まった時間に同量の水と一緒に赤の間に運ばれるんで、バスタブで混ぜて適温を俺らが作ってます」


 どうやら僕に見えないところで側近や使用人たちがやってくれてたらしい。

 宮殿の厨房は決まった時間に火を入れ、決まった時間に火を消すんだそうだ。

 宮殿の住人はお湯を使いたい放題の贅沢な暮らしなのだと改めて教えられた。


「別に殿下が気にすることじゃないというか、気にするような立場がまず皇子として間違ってるというか。身分に相応しい暮らししないと、その下が割を食うこともあるんで、風呂の習慣は続けてください」


 宮殿では贅沢することで仕事が生まれる。

 そして贅沢をすることで国威を示すことになり、帝国の安定に寄与できるらしい。

 その国威を示すいの一番が皇帝とその親族というのが序列だとかで、一番偉い人が贅沢しないと下は汲々と暮らすしかないそうだ。


「だいたい偉い奴がせせこましくしてるなんて見てられないでしょう」

「その割りに借金してでも贅沢しろとは言わないね。セフィラが読んだ誰かの手記に、贅沢して見栄を張って一目置かれてこそ縁故もできるからって書いてあったよ」

「そうした見栄が力になることもありますがね。殿下が身の振り方自分で考えてやってることですし。金の使い方はご随意に。あと湯をこれでもかと使って今までなんとも思ってなかった辺りちゃんと皇子はしてると思いますから、特に俺から言うことはありませんよ」


 あまり皇子らしくないと思ってたんだけど、他から見ると僕は皇子をしているってちょっと面白い。

 けどたぶん、ここに連れて来た本題はこれじゃない。


「わざわざ僕を家に連れて来たのは、その身の振り方ってとこ?」

「ご明察。…………はぁ、今年で八歳でしたね。俺がそのくらいの頃なんて、まだ家離れなきゃいけないとか考えてませんでしたよ」


 表情の読めない熊顔だけど心配してくれてるのはわかる。


「ま、なんかどうしても宮殿にいられないことがあればここに来てください。その時は俺も動けないだろうから、ある物好きにどうぞ」


 つまり、お酒の出資先ゲットでモリーも乗り気なのでお金の目途が現実的になったと見たんだろう。

 その上で自分の家を逃げ場に指定して、ヘルコフが動けない状況…………。


「陛下に害が及ぶようなこと?」

「最初にそこ疑います? ないとは言いませんよ。戦うならまず弱いところを責める。それで言えば陛下はまだ立場が弱い」


 僕が三歳で皇帝になり、八歳になった今、父は五年でだいぶ足場を固めた。

 それでも連綿と一族で宮殿内部の立場を作って来た貴族たちの中に放り込まれた形は変わらない。


 前世でも歴史であったな、摂関政治って。

 自己判断のできない子供をあえて上に奉って臣下が実権を握る政治形態だ。


「テリーや双子も生まれて跡継ぎを作るっていう皇室の義務は終えたからこそ、陛下を廃すなんて考える者も…………」

「あ、待って待って。それは俺も想定外だからちょっと待ってください」


 ヘルコフがついていけないというので、僕は外戚が実権を握るという説明をした。


(その状況を踏み込むにはまだルカイオス公爵に比肩する敵が多すぎます)


 ヘルコフに説明したのにセフィラが口を挟む。


「わかってるよ。陛下がよほど失態を犯すか、ルカイオス公爵と仲違いした時でしょう。けどさ、その失態のだしに使われそうなのが僕なら、ルカイオス公爵と仲違いの原因になりかねないのも僕なんだよ」

「いや、そこまで…………ありえます?」


 ヘルコフは僕の悪い想像を止めようとして、自分が考え込む。


「すごく極端な想像だけど、今はまだ悪評で済んでる。それが冤罪に発展したら? 陛下は僕を庇う。けどそれが反感を買う。冤罪だからって僕を訴えた相手を追い落としたらその派閥が敵になる。それがルカイオス公爵の派閥でないとは言えない」


 今のところ僕を一番目の敵にしてるのが妃の実家のルカイオス公爵だ。

 自分の娘の息子であるテリーが皇帝になる道を僕が阻むかもしれないと疑心暗鬼。

 別に可能性を考慮して動くのは悪いことじゃないけど、僕を左翼の端に追いやったり、派閥の貴族使って父との接触邪魔したりしてる人。

 正直極端なことしそうだと僕が思う相手の筆頭だった。


「まぁ、僕もルカイオス公爵直接知らないから、想像で疑心暗鬼になってるかもしれないけど」


 言ったらなんかヘルコフががっくり項垂れた。

 前かがみで開いた足の間に頭が落ちそうな勢いだ。


「なんでそんなに冷静に? 実は殿下、情緒育ってません?」

「それはちょっと失礼だな。ちゃんと嫌なことされたら怒るよ。それに楽しいことは楽しいし、僕を思ってくれてるヘルコフのことも好きだよ」


 顔を上げるヘルコフに笑いかけると、被毛に覆われた耳の根元を掻いて目を逸らす。

 これはわかるよ、照れてるな。


「冷静なのは、皇帝になる気がないからだよ。権力闘争にも興味がないし、いつか出て行く場所だと思っているから、距離を置いてみられるんだ」

「…………殿下なら、あそこでもやって行けると思いますよ?」

「やって行ったとして、錬金術極められると思う? 僕はまだやりたいことだらけだよ」


 手を広げて子供らしく言えば、ヘルコフはようやく笑う。


「野暮言いましたね。忘れてください。あ、けど鍵は渡しときますね」

「ここってヘルコフの持ち家?」

「賃貸ですけど向こう十年分前払いしてあるんで」


 そんなことできるんだ。


(接近者あり。廊下の先はこの部屋以外にないため目的地はここであると推定)


 セフィラが突然警告を発した。

 ヘルコフにも聞こえていたらしく、口の前に指を立ててみせる。


 僕は頷いてフードを被り直して顔を隠した。

 その上でセフィラに心の中で迷彩発動を命じる。


「…………あ、この足音は」


 ヘルコフが何かに気づいた様子で呟くと、次の瞬間ドアを叩く音が室内に響いた。


「いるのはわかってるんだ! すぐにこのドアを開けろ!」


 強くドアを叩く音の合間に、何やら物騒な声がかけられる。

 その様子に怯えることなく、ヘルコフは真っ直ぐドアを見据えて歩み寄った。


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