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閑話5:レーヴァン

 ストラテーグ侯爵の執務室に、見慣れない額縁が鎮座している。

 別に絵画で部屋を飾るのは、貴族として普通のことだ。


 今にして思えば広いばかりで絵画一つもない第一皇子の部屋がおかしかったと気づくべきだった。

 まぁ、俺も実用品以上の家具置かないし気づかなかったね。

 あと見られたくない物あるんじゃないかと疑ってたから、片づけたんだろうなとしか。


 で、ストラテーグ侯爵の執務室に置かれた絵画は、描かれているものが問題だった。


「いや、そもそも没収したこと自体、第一皇子側から文句言われたら侯爵さままずいですよね?」

「うぅ…………」


 俺の指摘に、絵画の前で上司が嘆きの声を上げる。


 描かれているのは橙色の髪を緩やかに靡かせた少女の肖像。

 白い肌は血色よく、理知的な瞳は真っ直ぐ澄んでいて、形良い唇は愛らしい。


 描かれているのはルキウサリアの王女ディオラ姫だ。

 そしてやらかしたのは、第一皇子に贈られた肖像画を渡さないストラテーグ侯爵だ。


「本当、やめましょう?」

「言うな。私とてここまでとは思っていなかった…………」

「こじらせてますねぇ」

「言うな!」


 初恋の伯母を思わせるディオラ姫に、ストラテーグ侯爵はご執心だ。

 初恋の面影のある肖像画を、他の男に渡したくないと思って行動してしまうほど。


 初めて会った時にはこんなとは思わなかったんだけどな。

 もっと厳格で近寄りがたい感じで、仕事以外興味ありませんみたいな。


 そう思ってみても、そこにいるのは初恋をこじらせて伯母の孫の恋路を邪魔したくせに、良心の呵責に悩む人。


「いちおう向こうにも釘は刺しておきましたよ」


 そもそも絵は第一皇子に贈られたもので、ストラテーグ侯爵に横取りする権利はない。

 ないが、これはしょうがない面もある。


「肖像を交わすとか、あの第一皇子は意味を知ってるんですかね?」

「そんなの知っていて当たり前だろう?」


 俺の疑問に侯爵さまはようやく肖像画から離れた。

 そんなストラテーグ侯爵が言うとおり、王侯貴族なら知ってて当たり前の常識だ。


「けどあの皇子さま、貴族の当たり前の中で育ちましたっけ?」


 俺の指摘に侯爵さまは黙る。


 そもそも第一皇子は伯爵家で生まれ、三歳で宮殿に皇帝の息子として移り住んだ。

 以降、宮殿の端で四人の側近だけを伴に暮らしている。


 その側近の中でも貴族出身でマナーを教えていただろう乳母は、先年再婚で離れた。

 八歳までに何を教えられたかは不明だ。


「ギリギリ教えられてるかも? ディオラ姫に求婚されたこともありますし?」

「肖像画を交わすことが、事実上の婚約の前段階だと知っていたとして、反応は?」


 すでに肖像は渡さないことは第一皇子に言ってある。

 今まで先に目を通すことはあっても、贈り物を横取りするような真似はしなかった。


 そのため最初は、不思議そうにされた。

 あれは多分知らないか、知っていても自分の身に置き換えて想像できていないんじゃないだろうか。

 しかも第一皇子だけじゃなく、側近三人もこれといった反発はなし。

 一人貴族位持ってるが、イクト・トトスは本来平民だ。

 知らなくても無理はない。


「反応? そりゃもう…………いい歳して何してんだって顔されましたよ」

「ぐ…………!? 違う、いや、違わないが、そうじゃなく…………」


 第一皇子側からすれば、そこまでディオラ姫が可愛いかというところだろう。

 もしくはそんなに邪魔したいか、かな?

 どちらにせよ大人げないやり方に呆れはしても怒っている様子はなかった。


 実際、大人げないなとは俺も思うし?


「あ、それとですね。ディオラ姫へ肖像画が手元にない理由付けはこっちでするようにと」

「…………それは、搬送中に汚したとでも言えばいい」

「それが無難ですかね。ただ…………」

「こ、梱包が破けていたとでも言えば、いいだろう?」


 俺が言う前にストラテーグ侯爵が言い訳を絞り出す。


 贈られた肖像画は丁寧に何重にも梱包されていた。

 水が入らないように油紙で包み、衝撃が伝わらないよう布で包み、汚損がないよう木の箱に包まれ運ばれてきたのだ。


「どれだけ帝都の道荒れてるんですかね」


 ちょっと無理がある気がする。

 確かに馬車でしか輸送できないとは言え、首都から首都への道は整っているのだ。

 王家が出す馬車にがたが来てるわけもなく、事故があればそれこそ一大事で報告される。


「こちらでの保管のやり方に不備があったと言うしかあるまい」


 ストラテーグ侯爵が泥を被る形で言い訳をするようだ。

 被る必要ない泥なんだけど、だけど、被ってでも渡したくないってことなんだろう。


「ほんともう、本人に知られたら嫌われますよ」

「ぐぅ」


 胸を押さえて苦しそうな声を上げる。

 それほど嫌って、どれだけ伯母のこと大好きなんです?


 ちょっと面白くないな。


「お前…………今日は辛辣すぎないか?」


 ばれた。

 けど知らないふりをする。


「肖像画があるけど渡せない。持って来ないし、見せもしないって言った時の空気感。わかります?」

「それは、すまなかった」


 俺は矛先を逸らすために被害者ぶるが、実際いたたまれない空気だった。

 ただそれはたいていいつものことだ。


 俺はあそこでは外様。

 その上側近たちが大事にしてる皇子さまに無礼を働く。


 その無礼を黙認してる皇子さまもどうかと思うが、あれは寛容っていうのか?

 もしかしたら俺に興味がない故の許容かもしれない。

 いや、興味がないのは皇子という立場に対して?


「どうした? 考え込んでいるが。何かあったか?」

「あぁ、いえ。第一皇子はいつまで皇子でいるのかと思って」

「いつまで、か」


 俺のなんとなく浮かんだ疑問に、侯爵さまも考える。


「先帝以前であれば、皇帝の領地を任されて領主として出る、手柄を立てて公爵家を立てて出る。どちらにしても臣籍降下をいずれする。年齢はその時の情勢によるが」

「公爵家と言えば、ユーラシオン公爵は?」

「あれは先帝の弟殿下が立てた家を継いで公爵になっていらっしゃる。あぁ、そうか。公爵家を立てたのが四十前。すでに今のユーラシオン公爵は生まれているな」


 一人納得するのはつまり、ユーラシオン公爵が帝位に欲を持つに至った根本に思い当たったってことか。

 たぶん帝室の一員として育った経験から、自分が帝位に就いてまた宮殿に住むってことに意義を見出してるんだろう。


 侯爵さま曰く、先代のユーラシオン公爵は、皇帝と血筋が近いため、長く帝室で仕事を任されていた。

 その上で一つの公爵家が男児がおらず断絶。

 そこを埋める形でユーラシオン公爵家が新たに創設されたそうだ。


「そのため、ユーラシオン公爵の子息は断絶した公爵家の娘の子と婚約が内定している」

「うへー、お貴族さまは大変ですね」

「…………お前も貴族の血筋だろうが」

「はいはい、お家のために結婚しろと言われることのない自由を満喫させていただいております」


 俺のふざけた物言いにも、ストラテーグ侯爵は苦笑するだけだ。

 ただ、俺としては言いすぎたと反省をする。


「あ、そうそう。俺も最近あの殿下が大人しいんで何してんのか聞いたんですよ」


 ここは面白い話で話題を変えよう。


「お勉強だとか錬金術だとか面白みもない答えだったんですけどね。もっと変わり映えすることないんですかって聞いたら、なんと返った答えがかくれんぼだったんですよ」

「は? 何かの比喩か?」

「いえ、それがそのまま。色々異名を持つ側近三人相手にかくれんぼしてるそうです」


 ストラテーグ侯爵は、俺の報告に何とも言えない顔をする。

 第一皇子は上手く隠れるとか言ってたけど、無理だろと俺も思った。


 それを世では接待という。

 言おうか迷ったけど言わなかった。

 俺、大人。


 そう考えると嬉しそうにしていた第一皇子が、年相応の子供らしいと初めて思えたのだった。


ブクマ500記念

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