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3話:皇帝の長男3

 五歳になった朝、僕は大人でも持て余しそうな広いベッドで目を覚ます。

 天井から下がる天蓋がついていて、その向こうから窓を開く音がした。


「まぁ、アーシャさまはいつもご自身でお起きになられてご立派ですね」

「おはよう、ハーティ」


 乳母のハーティが日の光を背に紺色の髪を揺らして顔を出すと、天蓋のカーテンを結ぶ。

 日の光を入れた室内は窓の大きさもあって明るいんだけど、十メートル四方に近い室内は広すぎて端が暗い。


「朝食は如何しましょう?」

「食べるよ、大きくならないとね」

「ふふ、では何処で?」

「ウェアレルを待ちたいから青の間で」


 この世界なんと一日二食が基本で朝は食べない。

 その代わり間食が三度ある。


 ハーティが聞いた朝食は間食扱いで軽い物。

 食事というのは食堂できちんとコース料理を食べる物のことを言うそうだ。

 これが昼餐や晩餐と言われる食事。


 僕はハーティに着替えを手伝ってもらってまずは寝室で待機。

 ハーティが朝食を取りに行ってる間、ほぼベッドしかない部屋で一人時間を潰す。


「やっぱりこれ、おかしいよね。周りにいる大人が、乳母、家庭教師、家庭教師、警護係の四人だけって。皇子でなくてもお坊ちゃんだったらメイドさんとか執事とかいるはずじゃない?」


 僕の思い込みとは思えないし、排除しただろう人物に心当たりもある。

 あと使用人にも差異があって、主人に直接会ったらいけない掃除専用の人たちがいる。


「そっちは出入りしてる音聞くけど。はぁ、そんなに怖がらなくても皇帝になんてなりたくないよ」


 一人呟いた時、何処かでドアが開く音がした。

 この区画の住人は僕だけなのに、十部屋以上もあって持て余してるし使ってない。


 ついでに言うと区画は大まかに四つに区分けされていて、内装がそれぞれ統一されてる。

 白壁に金縁の模様の金の間。

 白壁に青縁の模様の青の間。

 赤い緻密な模様の壁紙が使われた赤の間。

 エメラルド色の壁に赤いカーテンという元住人の趣味が反映されたエメラルドの間なんかがある。


 ハーティは赤の間の階段を使って下階のほうへ行ってるはずで、ドアの音は青の間のほうからだと思う。

 青の間は家庭教師であるウェアレルやヘルコフが主に待機する時に使ってもらってた。


「もしかして、ウェアレルもう来た?」


 聞こえたように寝室の奥のドアが叩かれ、そこは青の間に通じていた。


「起きておられますか、アーシャさま」

「ウェアレル? もう来てくれたの?」


 僕が金の間にある寝室のほうからドアを開けると、緑の被毛に覆われた耳と尻尾のある獣人のハーフ、ウェアレルが立っていた。


 ウェアレルは元々伯爵家に雇われていた魔法使いで、父が宮殿に引っ越す時、僕の家庭教師として雇い直している。

 ただ通いなので朝からはいないことが多く、いても一人しかいない警護のイクトと夜番を代わっているだけなので朝には帰った。


 こうやって考えると、僕は皇子として相当雑な扱いを受けてるな。

 自由だからいいけど。


「今日は少し贈り物があったので早く来てしまいました」

「贈り物?」


 僕はウェアレルに連れられて青の間へ行く。

 金の間が一番広いけど、こっちも広くて複数の部屋からなっていた。

 その一室、出入り口である階段に一番近い部屋に梱包された箱が幾つも積まれている。

 青白い肌のイクトが細身の割に軽々と抱えて運び込んでいるんだ。


「おはよう、イクト。重くない?」

「えぇ、おはようございます。大丈夫ですよ。魔物化したグリズリーを引き摺って帰った時のほうがずっと重かったですから」


 イクトより上背のあるウェアレルが呆れ顔するけど、僕は目を輝かす。

 元魔物専門の狩人をしていたイクトの武勇伝は、物語を聞くようですごく楽しい。


 この世界には魔物がいる。

 大陸一つが丸々帝国の支配下で治まっているのも、魔物という脅威がいるからだ。

 人間同士の争いがないわけじゃないけど、まとまってるほうが防衛では安全だった。

 動物が魔力を得て突然魔物化し、危険になるんだそうだ。

 それを倒して報酬を得るのが狩人で、有名になるとちょっとしたスター選手のような扱いになるらしい。


 イクトはそうしたスター選手になってから一代限りの貴族位を得て今は宮廷勤め。

 皇帝になる前の父と知り合いで、イクトになら任せられると父が僕の警護として指名した。


「あらあら、これはいったい?」


 ハーティが銀盆に朝食を載せて青の間へやってくる。

 サンドイッチとミルクティ、フルーツとバケットにジャムもあった。

 多めなのはハーティも食べるつもりだったからだろうか。


 贈り物だと言ったウェアレルが梱包を一つ解く。

 何重にも巻いた布の中からは僕の頭くらいあるフラスコが現われた。


「実は学園のほうで器具を処分すると聞いて引き取らせてもらったんです」

「もしかして、錬金術の器具!?」


 僕は座っていられずフラスコの下へ走る。

 その間に運び込み終えたイクトは、警護の仕事でもないのに荷ほどきに移っていた。


 出てくるのは蒸留装置や錬金炉と呼ばれる専用器具。

 乳棒と乳鉢といった理科の実験でおなじみの道具もある。


「これは本格的なものばかりだね、ウェアレル」

「学園の錬金科からの処分品ですから」


 イクトに答えるウェアレルは困ったように笑う。


「学園って、あのルキウサリア学園王国の?」

「よく覚えていましたね、アーシャさま。そう、学園の運営を主要産業に据える帝国旗下でも変わり種のルキウサリア。学問の殿堂ですから、処分品とはいえ質は確かです。殿下が先日読まれた本の錬金術についてご質問いただいたので、学園の知り合いに問い合わせたところ、これらを処分すると聞いて引き取りました」


 ウェアレルは元学園の教師と聞いてる。

 僕が専門外の錬金術について質問したから答えようとしてくれたそうだ。


「うわぁ、ありがとう! あの、それで悪いんだけど、錬金術についての本を」

「そう言われると思って、すでに借りて来てます」


 帝室図書から錬金術関連の書籍までウェアレルは周到に用意してくれていた。

 僕は嬉しくなってフラスコを抱きしめる。


「いやぁ、殿下が錬金術ねぇ。俺もちらっと本を見たが全く訳が分からなかった」

「ヘルコフ、おはよう。早いねって、もしかしてこれこの三階まで運んだのって?」


 ヘルコフは厚い肩を竦める。

 僕の剣術指南の家庭教師のはずが、まだ幼いためお役目は果たせずこうして荷物運びをさせてしまっていた。


「朝食が追加で必要そうですね」

「うん、ありがとう。ハーティ」


 ハーティはヘルコフたちの分も朝食を取りにまた赤の間へと向かう。

 僕は応答しつつも、我慢できずに朝食もそっちのけで器具を見て回った。


「何処に置きましょうかね? いっそ部屋が余ってて良かったかもしれない」


 ヘルコフが冗談にもならない冗談を言いつつ聞いてくる。


「錬金術だし、エメラルドの間かな?」

「錬金術だとエメラルドなのかな?」


 僕の答えに、イクトがウェアレルへと答えを求めた。

 けれどウェアレルも門外漢で答えがうろ覚えだ。


「確か、エメラルド板とかいう代表的ななぞかけか何かがあったような」

「錬金術の奥義が書かれてるって言われてるんだ。そう本に説明されてたけど、誰も難解な文言を読み解いて奥義に辿り着けてないんだって」


 つまりは眉唾な言い伝え。

 けれど僕は科学知識があるからこそ真理が潜んでいることがわかった。


 エメラルド板曰く『万象は一つのものから適応によって生じたのである』。

 これは原子やさらに細かく考えて陽子や中性子の話に当てはまる。

 というのもその後に『微細なものを粗大なものから、非常なる勤勉さで丁寧に分離するが良い』とやり方まで書いてあるからだ。


 全然知らない魔法より、僕は錬金術のほうに親しみを覚えて本を読むのにも熱が入ったのは仕方ないと思ってほしい。

 そのせいで一日にウェアレルを何度も帝室図書まで往復させてしまったのは悪かったと思う。


「アーシャさま、熱心なのはよろしいですけれど、今日はお散歩です」

「あ、はい」


 いつの間に戻って来ていたハーティに釘を刺されてしまった。

 がっかりする僕にウェアレルたちも笑う。


 戻って来たハーティが言うお散歩は、ちょっとした罰則。

 先日も本を読み過ぎて夜更かししたり食事を抜いたりしてしまっている。

 そのせいで今日はお腹もすいて眠くなる散歩を厳命されていたのだった。


今日二話投稿(次回投稿18時)

次回:皇帝の長男4

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