閑話2:ストラテーグ侯爵
他視点
「申し訳ございません!」
イクト・トトスが去り、私が執務室に戻ると、すぐさまレーヴァンが頭を下げた。
去年、第一皇子が第二皇子を害したと噂になった。
その辺りは実際、私が管轄する警護の失態だ。
ただ不思議なのは、第一皇子に大きな動きはなく、噂を払拭する様子もなかったこと。
そんな中、皇室にも連なるユーラシオン公爵からの働きかけで第一皇子の周囲に転属の誘いがあった。
全員断ったことから、ユーラシオン公爵は全員を敵認定したようだ。
その上で姻戚のある私に、まず所属がはっきり違うイクト・トトスの引き離し依頼があった。
「いや、言ったとおり私の人選ミスだ。性急に動きすぎた。そうした私の思いを汲むお前を行かせたこと自体、悪手だった」
忖度は悪いことではないし、上の内情を知り方向性を読む部下は有能と言える。
だが、それは思考停止にも繋がる恐れがあった。
今回はそれで、私の意を汲んで探りを入れたレーヴァンは、第一皇子を放置して乳母に狙いを定めてしまったのだ。
ところが曲者は第一皇子のほうだった。
シャツ一枚で現れた奇抜さと、行動力を甘く見てしまった私の落ち度だ。
また帝国の有力者ユーラシオン公爵に貸しを一つ作れるという、欲に流された故の視野の狭さもあっただろう。
「一つ確認をしてもよろしいかな?」
第一皇子を診察した医師がレーヴァンに声をかける。
「あの手の傷は、確かにご本人が自らつけられたのかな?」
「そうですよ。液体入れたガラスから石を取り出して、そのまま暖炉にぶつけてがしゃんと」
レーヴァンの言う石についてはイクトに確認した。
詳しくは知らないが錬金術の実験で、無毒とは聞いている。
「あれほどの傷、そして迷いのない自傷。六つにして相当の胆力の持ち主とも言えるでしょうが」
医師は顔を渋くしながら所見を私に聞かせた。
「場合によっては大変な心的負担による暴力衝動かと思われます」
ついレーヴァンを見てしまう。
「え、いや、確かに絡みましたけど、そこまで?」
「元から病んでいたところに見知らぬ男、しかも状況を大きく変えに来たとなれば悪化してもおかしくはないのだよ」
医師はレーヴァンのやりすぎと第一皇子の心の病を懸念するようだ。
だがあの第一皇子の様子はまったくそのようには見えなかった。
謝罪の折も少し驚いたくらいで、あの年頃の子供の割に静かなほどだ。
「全て読み切っていたということはないだろうか?」
最初に怪我を見て思ったことだ。
「あの切り傷は、まるで剣を相手に身を守った時のようではなかったか?」
「ま、まさかぁ…………。もし剣で襲われたとか言われてたら、俺、死刑じゃないですか…………」
自分で言っておいて、レーヴァンの顔が引き攣る。
医師も目を瞠って否定はしないとなると、医師から見ても言い訳が立つ程度には、らしい傷だったということだ。
もしあそこで謝罪せず突っぱねた場合、話は皇帝に届いていただろう。
第一皇子が直接会えること、そして皇帝が話を聞くことはすでに見ている。
「レーヴァン、あの第一皇子の性格は何か掴めたか?」
「ほとんど喋りませんでしたけど、機転は利く感じです。あとは、不気味?」
不思議な人物評価に私は先を促した。
「あの歳くらいの子供って、感情のままに喋るもんじゃないですか? まったく私語ないんですよ。感情的にもならない。ましてやあれだけ血が出てるのに冷静に見下ろして、床に押さえつけられた俺見て笑う余裕あるなんて不気味すぎです」
最初に軍人上がりの家庭教師に連れられて戻った時にも言っていた。
第一皇子が脅し混じりに、医師の手配をこちらでするように指示したと。
「その時入れ知恵をされていた様子は?」
「ありえません。完全にあの第一皇子の独断です。気味悪いし、部屋も居心地悪くて、あれ…………?」
レーヴァンが金髪をかき上げて何かを思い出したようだ。
「…………ごっそり物がなくて、作りつけの棚もからで、余所者の俺が来て慌てて片づけたのかと思ったんです」
「そう言えば通された部屋も簡素だったな」
「いや、そうなんですけど。…………絨毯って片づける必要あります?」
言われてみれば、確かに絨毯さえなかった。
どころか物品と言わず、まず部屋の装飾品が何もなかったように思う。
「水の入った器を割ったのでしょう。それで片づけたのでは?」
「いや、それ別の部屋です。壁が金色の装飾の。先生が入った白に青の装飾が入った部屋は俺が突撃した時からあのままでしたよ」
医師は絨毯がない理由を上げるが、そもそも部屋が違うとレーヴァンが言う。
そして私も行った部屋は、元から絨毯もなければ絵画の一つもなかったと。
それではまるで空き部屋だ。
「そうか、あそこに住むのは第一皇子のみ。使っていない部屋には手を入れていないんだろう」
きっと寝室や別の部屋なら物があるに違いない。
生活する上で、全部の部屋に絨毯の一つもないなんてことはあり得ないのだから。
よし、利益のないことに思考を割くのはやめよう。
「目下の問題はトトスだ。裁量権をもぎ取られたのは面倒だ」
「って言っても、あの人に従う警護いないですし実害はないでしょう?」
「もぎ取られたのが問題だ。御しやすいと侮られては今回の借りで何を言われるか」
「すみません。俺が言えた義理じゃありませんが、返す方法を指定される前に、叩き返すべきかと」
レーヴァンのいうとおり、先手を打って貸し借りといった関係は切るべきだろう。
聡明か、それとも病んでいるのか、どちらにしても関わって愉快なことにはならない。
「怪我の具合を見るために私が様子を探りに行きましょうか?」
医師が自ら申し出る。
警護も訓練があり怪我もあるため、その治療を担当するための医師だ。
温和で争いを好まず口が堅い。
派閥にも関係がなく主義主張に偏りもない好人物。
だからこそ危うい。
皇帝の息子でありながら、宮殿の隅に追いやられた皇子であり、母は亡く、与えられた部屋を満足に飾ることもできない不遇。
それを目の当たりにして、この医師が同情を禁じえないのは想像に難くない。
「トトスに様子を聞いて、悪いようなら行ってくれ。それ以上関わるのは避けるべきだ」
「ユーラシオン公爵のほうはどうします?」
レーヴァンが申し訳なさを滲ませながらも、私が実害を懸念してることを読んで聞いてくる。
今回、今も帝位を睨むユーラシオン公爵からの働きかけからこの結果となった。
皇帝の権威が揺らぐ今、将来を見据えた安定のため、第一皇子の周辺を御しやすい者に変えるのはありだ。
ユーラシオン公爵が自身の帝位を夢見ながらも、継承における争いを失くすための弱体化には反対しない。
ただ私が危険を冒すほどでもないというのが本音だ。
「トトスが元から従順ではないことを言い含めた上で、要請を受けた。特に問題はない」
もちろんこちらが第一皇子に借りを作ったことを言う必要もない。
今回、私はユーラシオン公爵の求めに応じ、対等な立場を担保した上で動いた。
その実績さえあればいい。
私の役目はこのストラテーグ侯爵という地位を息子に明け渡すまでの繋ぎなのだから。
「はぁ、さっさと隠居したい」
遅くに生まれたために成人して間もない息子を思い、愚痴が零れる。
「気が早いことですな。とは言え、憐れな子を思うと政治に嫌気がさすのもわかります」
医師は私より年上で情が厚いため、私の愚痴を勘違いする。
婿養子である私が政略結婚で求められたのは侯爵家の跡取りだ。
ストラテーグ侯爵という名も借り物でしかない。
先代とその娘である妻が、侯爵を名乗らせていいと息子に保証するまでの代理。
勤めが終われば、私は隠居と称して故郷に帰り、静かに暮らすのだ。
「まぁ、政治や権威は現状維持が図れればそれでいいが…………憐れ、か」
第一皇子をそう思ったことはない。
皇子となったからには相応の義務があり、義務が嫌なら放棄する道もある。
担ぎ上げられて神輿から投げ出されるか、引きずりおろされて処刑されるよりましな未来のはずだ。
いずれ割り切るしかないのが人の上に立つ者だと、第一皇子も学ぶことだろうがそれもどうでもいい。
私は第一皇子に深入りする気など、毛頭なかった。
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