#88 蟹、そして入荷リスト。
ブラッディクラブの生息地はミスリルゴーレムを倒したステア鉱山から南に行った荒野だという。
鉱山に「ゲート」で転移してきた僕らはここから南へ徒歩で行くしかない。
「「庭園」でいくほどの距離じゃないしな。走って行こう」
「え? きゃっ!?」
ユミナを両手で抱え上げ横抱きにする。まさにお姫様だっこだ。そのまま軽く走り出す。
「グラビティ」
僕とユミナの体重を半分ほどに軽減する。ゼロに近づけすぎるとあまりの身の軽さに制御できずに転びそうだったからだ。
「アクセルブースト」
さらに加速魔法と身体強化を使い、爆発的なスピードを生み出す。こんなスピードで走ってもなんの抵抗もなく、向かい風さえ感じない。「アクセル」の魔法障壁の効果だ。なんとなく体感ゲームのようだと思った。ものすごいスピードで走っているはずなのに、どこか別の世界のことのように感じられる。
そんな感覚なので、腕の中のユミナもスピードに怯えることなく、流れる景色を眺めていた。
しばらく走ると荒野が見えてきた。ひとまず止まり、ユミナを下ろす。
「検索。ブラッディクラブ。半径三キロ以内」
『…検索完了。ここから南西に1体。表示しまス』
目の前にこの辺りの地図が映像で表示される。現在地がここで、蟹がここか。一キロくらいかな。
「冬夜さん、いまシェスカさんの声が……」
「ん? ああ、こいつの音声に使わせてもらっている。当たり前かもしれないけど、あいつの声って機械的で感情に乏しいからさ。気が散らないっていうか」
懐からスマホを取り出しユミナに説明する。
もう一度ユミナを抱き上げて、蟹のいる方角へ駆けて行く。やがて赤い甲羅に二対四本の大きな鋏と、同じく四対八本の脚を持った大きな蟹の姿が見えてきた。
大きい。ダンプカーぐらいはありそうだ。ゴツゴツと岩のような突起が目立つ甲羅が血のように赤い。見た目のイメージはタラバガニを凶悪なフォルムに変形させた感じだ。だけど四つの鋏はタラバガニと違い異常に大きい。あれに挟まれたら一巻の終わりだな。上半身と下半身がお別れになるだろう。
ブラッディクラブはこちらに気付き、体の向きを変えて僕らの正面に立った。口元にブクブクと泡を出しているが、あれって水中に棲むカニが酸欠で苦しんでいるサインじゃなかったっけ? まあ、あちらの世界の常識がこちらで通じると思うこと自体が罠だ。蟹が荒野にいること自体おかしいってのに今さらだし。そういうのを切り替えないと命に関わる。
ユミナを下ろし、武器を構える。ブリュンヒルドをブレードモードにし、ユミナは腰からコルトM1860アーミーを抜く。そのまま蟹へ向けて麻痺弾を連続で撃ち出すが、甲羅を砕くことはできず、「パラライズ」の効果もあまりないようだった。魔法抵抗力が強いらしいな。おそらく魔法も効きにくいのだろう。赤ランク討伐対象なだけはある。
「土よ絡め、大地の呪縛、アースバインド」
ユミナの唱えた呪文でブラッディクラブの足元の土がそれぞれの脚に絡みつき、動きを鈍らせる。直接対象にならない魔法ならある程度効くみたいだな。
「アクセル」
その隙を逃さずに加速魔法を使い、一気に蟹の頭上を跳び越して、ゴツゴツとした背中に下り立つ。今から使うこの魔法も直接対象にかける魔法だが、多分大丈夫だろう。しゃがみ込み、蟹の背中に手を触れて魔法を発動させる。
「グラビティ」
がくうっ! と蟹が脚を折り曲げ、地面に崩れ落ちる。僕は背中から飛び下りて、動きを鈍らせた蟹を眺めた。
ふむ、一度「グラビティ」を発動させれば、あとは解除も増加もこちらの思いのままか。
「なにをしたんですか?」
「こいつ自身の重さを魔法で何倍にもした。体が重すぎて動けなくなっているんだよ」
重い体を引きずりながらも、なんとかこちらへ攻撃を加えようとするブラッディクラブに、さらに魔力を増加し重さを加える。持ち上げていた鋏が地面に落ち、動かなくなった。相当の重さを加えていると思うんだが、甲羅には一向にヒビひとつ入らないな。
「…冬夜さん、この蟹、もう死んでるんじゃないですか?」
「え?」
そういえばブクブク出していた泡がとっくに消えている。体のいたるところから変な体液が染み出してきていた。どうやら内臓が重さに耐えられなかったらしい。
「グラビティ」を解除する。ブラッディクラブはピクリとも動かなかった。近寄ってブリュンヒルドで叩いてみたが、なんの反応もない。ただの屍のようだ。
「結構あっさり片付いてしまいましたね」
腰のホルスターに銃を収めながらユミナは蟹を見上げた。
「この魔法のいいところは一度発動させれば、遠距離で重さを操作できるところだね」
じゃりっ、と地面にあった幾つかの小石を拾い、「グラビティ」をかけてから目の前に投げた。地面に落ちる前に一個一個の重さを百キロ以上にする。するとボコボコと地面に窪みができ、投げた小石が砕け散った。
「……すごい魔法ですね」
「これを使えばフレイズだって砕くことができるかもしれない。接触しないと発動しないのが難点だけど、それはこれを使えば解決するかもしれない」
懐からスマホを取り出してみる。以前、接触しないと発動しない「パラライズ」で盗賊を一網打尽にしたことがあった。たぶん、「グラビティ」でも同じことができるかもしれない。僕は手にしていたブリュンヒルドを地面に刺した。
「検索。ブリュンヒルド。ターゲットロック。「グラビティ」えーっと、加重二倍で発動」
『…検索完了。ターゲットロックしまシた。「グラビティ」発動』
目の前のブリュンヒルドを手に取る。いつもより重い。どうやら効果は出ているようだ。実験は成功。これはかなりの武器になる。魔法の効果を打ち消す魔法というのもこの世界には存在するらしいから、万能というわけではないだろうが。
「グラビティ」を解除し、ブリュンヒルドを腰に収める。
「とりあえずこの蟹を持って帰らないとな」
「討伐部位は鋏ですけど、それ以外もギルドで買い取ってくれるそうですよ。全部売ります?」
「うーん、脚を一本だけ残そうか。クレアさんへのおみやげにしよう。今日はカニ鍋だ」
「いいですね」
一旦「ストレージ」で収納し、「ゲート」を使って一気に王都のギルドへと戻る。
受付のお姉さんに討伐部位を渡すとあまりの早さに目を丸くされたが、「ゲート」の説明をすると納得してもらえた。一応ギルドでのこういった個人的な能力は職員には秘匿義務がある。つまり、バラされる心配がないってことだ。怪しむ奴らはいるかもしれないが。
ギルドの中庭の方で、持ち帰ったブラッディクラブを「ストレージ」から出し、査定してもらう。ちゃんと脚は一本もぎ取っておいた。
甲羅や肉、すべて含めてかなりの金額になった。討伐の報酬も合わせてカウンターでお金をもらう。いつものようにポンポンポンとギルドカードにハンコが押されていく。
「このポイントでユミナ様のギルドランクが上がりました。おめでとうございます」
赤くなったギルドカードを受け取り、ユミナは嬉しそうに微笑んだ。
「これでみなさんと同じランクですね」
あ、やっぱり一人だけ違っていたの気にしてたんだ。まあそうか。仲間外れな感じがするもんな。
さて、あとはリーフリースの本屋に行って買ってくるだけか。んー、お金も予定より多く入ったし、その他の本も買ってくるか。……そういう方向のやつを。お客様あっての商売だしな。幸い? 事情通そうな人が目の前にいるし。
「えーっと、受付さん」
「あ、私プリムっていいます。なんですか?」
これから先ほどの本を買ってくることを告げ、ついでに同じようなジャンルで人気がありそうなものをよければピックアップしてもらえないか、と伝えたら、
「えっ!? それってその本を入荷するってことですか!?」
「向こうに在庫があれば、だけど。お金は今回の討伐で儲けたから大丈夫だし」
「ちょ、ちょっと待って下さいねっ!?」
と、言うやいなや、同じ女性ギルド職員の元へ行き、なにやら話して、メモに書き留めている。するとまた別の女性職員に同じように話し、また書き留める。それを数人繰り返し、挙句、知り合いらしい女性冒険者数人にまで話しかけて、僕の方へ戻ってきた。おいおい、業務滞ってるぞ……。
「こっ、これが入荷するならみんな明日「月読」に行くって言ってました! なにとぞご考慮を!」
「…はあ……前向きに検討いたします……」
渡されたメモを手に取り、顔をあげるとギルド内のほとんどの女性たちからキラキラした目で見られていた。キラキラ? ギラギラな気もしないでもない……。
ギルドを出て、ひとまず屋敷に戻る。ユミナを送り届けてから本屋へと向かおうとしたのだが、タイミングよく? リンゼがテラスで食事をとっていたので、プリムさんに書いてもらったメモも見せてみた。
「…これ、全部買ってくるん、ですか?」
「在庫があればだけどね」
リンゼは懐からペンを取り出すとキュキュキュッと何点かメモにタイトルを書き加えた。増やすな増やすな。
「…これは絶対買っておくべき。最終巻が出たばかりだから買い逃すと全部手に入れるのに時間がかかります。「月読」に入荷されたら取り合いになるほどの本です」
……そうなの? よくわからないが、まあ、リンゼさんがそういうならそうなのでしょう。
とりあえず礼を言ってメモを受け取り、タイトルにざっと目を通した。
「薔薇の騎士団」全15巻
「執事の秘密」全5巻
「堕ちた王子 隷従の誓い」全8巻
「檻の少年」全6巻
「甘く危険な抱擁」全12巻
「灼熱の夜想曲 戻れない二人」全5巻
「甘い罠と魔術師」全12巻
「背徳の花婿」全17巻
「薔薇色マジカル」全9巻
「ご主人さまがみてる」全18巻
……本当に入荷していいんだろうか? 並ぶタイトルに心が折れそうになる。しかし、今さら入荷しませんとも言える状況じゃないしな…。
これらのジャンルは別エリアに隔離して、他の本と区別するか。暖簾みたいなので中を見れないようにして、18歳以下お断りみたいな注意書きを……。って、それじゃあまるきりレンタルビデオのアダルトコーナーと一緒だ。ううむ……こんなことで悩みたくないなあ。
まあ、なにか犯罪が助長されるわけでもないし、こっちはまだ健全な方か。……健全か?
モヤモヤと悩みながらオーナーの地位をリンゼに譲ろうかと本気で考えながら「ゲート」をリーフリースへ開いて転移した。