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28 おうじ は おうじ を まっとうする。



「……そっか。終わっちまったのか」



 その言葉は、観客不在のコロッセオに小さく響いた。

 

 おろされた七海征覇は、バリアリーフの影に隠れてどこか寂し気だ。


 大きく、息を吐き空を見上げる。

 眩しい陽光に目が焼かれ、ゆっくりと額を手で覆った。


「――ありがとう、オーシャン」


 フウタは一言そう告げて、折れた刀をゆっくりと納めた。

 そして、立ち尽くすバリアリーフに背を向けて、ゆっくりと観客たちの方へと戻ってくる。


「楽しい時間をありがとうございました、ライラック様」


 まずは報告と、ライラックの前に立つフウタ。

 彼女は小さく首を振ると、柔らかな笑みと共に告げた。


「です、か。貴方にとって楽しい時間であったなら、わたしも特に言うべきことはありません」

「はい」


 別に、仮面を被った言葉ではない。ただの本心だ。


 今回の戦いは、戦うべくして戦ったわけでも、フウタが望んだわけでもない。ただひとえに、バリアリーフに応じただけだ。


 そこにライラックの手引きがあったから、というのはある。

 けれど、もし無かったとしても、フウタの方からライラックに願い出に行ったことだろう。


 バリアリーフと、試合をさせてくれと。


 問題があるとすれば、そう。

 ライラックの表情に浮かぶ、微妙な寂寥。


 気付いたフウタが、彼女に問いかけようとした時だった。


「――ちょっと。あいつあのままで良いわけ?」

「ん? ああ」


 ライラックの隣に、自前のガーデンチェアでふんぞり返るパスタの姿。

 彼女の指さす先で、バリアリーフはまだフィールドの中央から動く気配は無かった。


「良いんだ。あいつは、いつも負けた試合の後はああしてしばらく動かない。……その、最後なんだ」

「あ、そ。……ふぅん」

「なんだよ」


 何か言いたげなパスタの言動に、フウタは何の気なく問いかける。

 彼女はフウタを上から下まで見やると、「まあ」と前置きしてから煩わしそうに言った。


「金は取れそうな催しだったわ」

「えっ?」

「……なによ」


 パスタからすれば、言い方に気を付けろだのなんだのとごちゃごちゃ言われるのを予測したうえでの言葉だったのだが。

 素直に驚いた風のフウタの間抜けた面は、特に悪感情を抱いた様子はなさそうで。


「いや……」

「――コロッセオでの評価を鑑みれば、フウタの闘剣で"金が取れる"と評した貴女の言動はただの褒め言葉ですよ、ベアト……麺」

「麺!?」

「ちょっと今パスタが出てこなかっただけです」

「だからってそんな略称ある!? …………別に褒めては居ないわ。この組み合わせが初見だからっていうのは大きいわけだし」


 ふん、と鼻を鳴らして腕を組むパスタ。

 彼女の言うことはその通りではあった。観客に今の闘剣が評価されるとすれば、それはバリアリーフの剣技ありきだ。

 初めて目にしたからこそ、フウタの闘剣が映えたように見えただけ。


「あんたに縁の無い観客にとっては、あんたの闘剣は今のところ普通よ」

「そうか。いや、その通りだな」


 ――なら、縁があるから、楽しんでくれたのだろうか。


「嫌に素直じゃない」

「そりゃあ、まあ」


 そこまで言って、ふとフウタは思い出した。


『なんだよ。お前にとっちゃ、あんだけ近くにいた人よりも、俺を使って金稼ぎする方が大事ってことか!?』

『だったらあんた、辞めるわけ?』

『――っ……!』

『あはは。いい気味。ほんと、やっぱり人の顔が歪むのって最高よね』


 ウィンドを探そうとして、彼女との顔合わせを中止した日。

 思えばパスタは何冊もの分厚い本に幾つもの栞を付けて臨もうとしていた。

 あの腹立たしい顔の裏で彼女が何を思っていたかは分からないが、少なくともあの本の山は嘘ではないのだろう。


 フウタはパスタの記憶力を知らない。

 あの栞は全て、彼に見せるために用意したものであることもまた。


 ただ。



『あんたは、"経営者"なんだから』



 ルリの両肩に、まるで縋るように声を絞り出した彼女が、意味もなくあんなに人を突き放すとは思えないから。


「――あの時は悪かったな」

「は?」


 虚を突かれたように、パスタの目が丸くなる。


「金取れるように頑張るよ、俺」

「――っ」


 まともに二人三脚出来るかどうかさえ怪しかったけれど。

 この性格のねじ曲がり切った"経営者"が、ただの嫌なヤツではなくなった今なら。


「は、ぁ? あんたが頑張るのは当たり前でしょ? 今更何言ってるの?」


 照れているわけではないだろう。

 どちらかといえば、持て余した感情の行き場に困ったように、パスタは顔を背けた。


「ライラック様、1ポイントで」


 フウタはとりあえず容赦しなかった。


「はい」

「はいじゃねーよ!!」


 椅子をばんばん叩いて抗議するパスタをスルーして、小さく笑うフウタとライラックだった。


 そして。


「良かったな、麺!」


 ぽん、と肩に手を置かれ、苛立ち全開で下手人を睨みつけるパスタ。


「麺言うなギロチン送ってやろうかクソ魔女」

「まーそう言うなよっ! ケーキ食べる?」

「食べ……これは元からあたしのよ!!」


 差し出されたカップケーキをひったくり、もちゃもちゃ食べ始めるパスタを置いて、そのメイドは楽し気に微笑む。


「かっこよかったぞっ」

「ありがとう、コローナ」

「てひひ。おりゃ、くらえ!」


 ぺち、と。とろいストレートがフウタの頬にヒットした。

 当てられた冷たい布に、眦を下げるフウタ。その布を抑えたままのコローナの手に手を重ねて、笑う。


「助かるよ」

「フウタ様ったら、痕が残ったら大変ですよっ?」

「……そうか? 気持ちは有り難く受け取っておくけど」

「おー、受けとっておけー?」

「でも、その。なんだ」


 何というべきか、少し悩んで。


「痕があろうがなかろうが、生きてれば良いかなって」

「ふむー」


 それは、コローナを慮ってのことだったけれど、彼女はいつものように気の抜けた声と共に少し思案してから告げる。


「別にメイドは、自分の身体については気にしてませんよ?」

「えっ?」

「この前も気遣ってくれてましたけど。むしろ、フウタ様がメイドの身体のこと考えてる方がちょっと照れますねっ」

「ばっ……」

「だからまー。気にしなーいでっ?」


 ぺろりんっ、と舌を出してウィンクするコローナに、脱力したようにフウタは息を吐いた。


「分かった。気にしないよ」

「物分かりの良い子は好きよ、坊や」

「だから誰だよ」


 そんな下らない話をしながら、いつまでも手を重ねている2人だったが。

 フウタはふと気が付いて、視線を会場に巡らせた。


「そういえば、ルリちゃんは?」

「あっこ」


 ぴ、とコローナが指さした先はフィールドの中央。


 未だに動かないバリアリーフの前に、ミニメイドがぴょこんと立っていた。







「……ありがとな、七海征覇」


 毎日、手入れを欠かすことなど無かった。

 それすらも、今思い返せばきっと、心の矛盾が生み出したものなのだろう。

 後悔はもう無い。最後の刃を、ここで振るうことが出来た。


納めずともどのみち、もうこの刀を、武器として扱うことは出来ない。分かっている。


「――」


 額を覆っていた手を下ろし、鞘を手に取った。

 そして、刀と鞘を正面に持ってきて、水平に構える。

 納刀してしまえば、それで終わりだ。


 それで、終わりだ。


「ふっ……くくっ……」


 情けないものだと、思う。

 たった1つ、刀を仕舞うことが出来ない自分に思わず笑う。

 磨かれた刀身に映る己の情けない顔。

 どんな名刀でも主がこれでは、形無しだ。


 自嘲するように一頻り笑って、あとはもう勢いで刀を納めようと心に誓った。


 そうしてもう一度目を開いた、正面に。



 なんか居た。



「めいどぉー」

「おう。めいどー。どしたい」


 妙な挨拶だなとは思った。けれど、大海の順応は早かった。


「えとね」


 少し考えるように、彼女は悩む。

 歳の頃は6歳くらいだろうか。

 桜色の髪は己と同じ。柔らかな頬は幼い童女特有のそれ。

 しかしその、美しい瑠璃色の瞳は、バリアリーフの姉である、アザレアと同じ。


 ――どうして気付かなかったのだろう。


 いや、メイド服のせいだ。どう考えてもそうだった。

 まさか皇族が侍従の服を楽し気に纏っているなど夢にも思わなかった。

 それだけの話だ。


 間違いなく、彼女がルリ・S・クライスト。

 バリアリーフの姪に当たる少女であり、そして。

 ウィンド・アースノートがあれほどまでに身を張って守ろうとした、彼の願い。


 目と目を合わせたバリアリーフの手は、気づけばおろされていた。

 鞘と、刀とを、それぞれ握ったまま。


「がんばったね」

「……」


 その一言に、バリアリーフは目を丸くした。


 頑張った。

 そうだろうか。


「そう見えた?」

「? うん、いっぱいがんばってた!」

「そ、っかー。そっかー」


 ――姉ちゃん。


「ルリちゃん、だよね?」

「おー? なぜ知ってる。しらべあげた?」

「調べ上げてはいねーよ。面白ぇなキミ。姉ちゃんとは全然違ぇわ」


 鞘を腰に戻して、そっとルリの頭に手をやる。

 さらさらとした髪は、きっと伸ばせばアザレアと同じくらい美しいものになるだろう。


 アザレア色の髪と、瑠璃色の瞳。


 親子の証は、背中など見なくとも分かる。


「……なぁ、ちゃんルリ」

「ちゃんルリ?」

「そう、お前、ちゃんルリ」

「……ルリ……ちゃんルリだった……!?」

「驚愕の事実にビビッてるとこアレなんだけど、あのさ。パパと一緒に居たいよな」

「? うん。ちゃんルリ、パパと一緒に居たい」

「順応性まるすぎかよパねえな、ちゃんルリ」


 とぼけた口調とは裏腹に、強い意志の感じられる瞳。

 それはとても6歳に出来るような目ではない。まるで何かをもう乗り越えたような、――自身の姉を感じさせるような、そんな。


「そ、か。そっかー。そうだよな。良いぜ、分かった」

「何が判明した?」

「そうだな。驚きの事実ってヤツかな」

「ちゃんルリ、すごいことしたのでは……?」

「したした」

「とても、実感がない……!」

「……お前、マジどこで覚えたんだそんなボキャブラリ」


 だいたいメイドのせいである。

やれやれと首を振って、バリアリーフは決意した。

己は我欲でこの刀を振るったのだ。そのけじめを付けなければならない。そしてそれは、今度こそきっと彼女(だれか)のため。


「ちゃんルリ」


 立ち上がったバリアリーフは、彼女の目の前でもう一度鞘を手に取った。


「オレ、もう少し頑張っちゃうわ」

「? がんばれ?」

「ああ。あとは、兄ちゃんに任しとけ」


 そう言って。


 彼はゆっくりと、その鞘に七海征覇を納めた。


 ぱちり、と音がして。


 息を吐いたバリアリーフは、七海征覇を腰に戻すと、ルリをひょいと持ち上げる。


「ゆーかい!」

「おうやめろ、オレの部下泣いちゃうから」


 肩に軽々とルリを乗せ、彼は悠々とフウタたちの元へと戻ってきた。


「よっ」

「――オーシャン。もう良いのか?」

「おーよ。んなわけで、オレはバリアリーフ皇子だから。敬っちゃう?」

「公の場ならともかく、すげえやだな」

「嫌とまで言っちゃう? ま、良いですケドー?」


 先の敗北を気にもしていない風で、バリアリーフはフウタたちの前に立つ。肩車されたルリは、バリアリーフのつむじを探していた。


「フウタ。1つ頼まれてくんね?」

「良いよ」

「かっる。おいおい良いんですかライラっちゃん。おたくのフウタくん、安請け合いが過ぎるんじゃね?」

「まずその呼称を改めていただけますか?」


 額に青筋を浮かべたライラックは、フウタからすれば恐ろしいものだったのだが。バリアリーフにとってはどこ吹く風。


「そ、それで。頼み事って? ライラック様に迷惑が掛からなければ受けるけど」

「お、マジで? じゃあさ」


 次に放たれた言葉に、フウタは目を見張った。


「――"契約"1個交わしてくんね?」

「"契約"? 俺と、オーシャンで?」

「おーよ」


 "契約"。

 その言葉を聞くのは初めてではない。

 ライラックも、多くの人間と取り交わしていることは知っているし、何よりフウタも最初は彼女と"契約"関係だったのだ。


 だが、バリアリーフが"契約"を使えることは、初めて知った。


 何故ならこれは、限られた"職業"にしか使えない魔導術で。


「お前の模倣って、全部が全部ってわけじゃねーけど、魔導的なもんっしょ。なら多分イケるんだわ」

「え、そうなのか?」

「知らなかった系? マジかよ」


 驚いた様子なのは、何もフウタだけではなかった。

 ライラックも少し目を丸くして、口を挟む。


「フウタの模倣について、何か知っていることでも?」

「いやなんも知らね。ゆーてもオレ、魔導詳しいわけじゃねーし? でも、なんかそんな気がする。良い感じの勘」

「勘ってまた……」


 脱力するフウタだが、自分のやってきたことが魔導の力によるものだと聞かされて、少し表情が渋くなる。

 その気持ちを察したのだろう、バリアリーフは付け加えた。


「言うたっしょ。全部じゃねーって。何割かとか全然知らね。けど、多分混じってるみたいな。まーちょっと聞いちゃってよ」

「ああ……"契約"だっけ。その前にちょっと聞きたいんだけど、お前そんなこと出来たのか」

「そりゃまあ」


 ぼりぼりと頭を掻くバリアリーフ。

 髪がぐしゃぐしゃになって、せっかくつむじが見つかると思っていたルリがショックを受けていた。


「第一皇子に"契約"しろって言われたのも、オレの力ありきだし?」


 あと3回しか武器を使えないという、"契約"。


 第一皇子との間で取り交わしたそれ。


 ならば何を"契約"するつもりなのか。


「――オレが居なくても、オレの"模倣"が出来るように」

「えっ」

「契約期間は、お前とオレがもう一度会うまで」

「……なんで」


 簡単っしょ、と彼は告げる。


「オレだけのオリジナル剣技。使えるのはオレとお前だけ。万が一絶やすのは勿体ねえし……何よりさ」


 バリアリーフの口角が上がる。


「オレだけの剣技がお前に使われてるって知ってたら、ゆーてもオレ、死ねないっしょ」

「お前、何をするつもりなんだ?」


 決まってる。


「帰るよ。帰って――兄貴ぶっ飛ばすわ」


 絶句するフウタに、さらに加えてバリアリーフは言った。



 彼をライラックが疎んだ理由。


 第一皇子が、殺さず外へ放り出すしかなかった理由。


 父親たる皇帝が、彼が自由に生きられるようにと願った理由。


 ライラック同様に"契約"を操る彼の"職業"。


 そして、何より今から彼が成そうとしている、動乱の平定。




「親父の後継ぐわ。ゆーてもオレ、"英雄"ですから」



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