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25 フウタ に おおなみ が おしよせる!

なげえ……。

モチすけによれば、普段の1.7~2.5倍だそうで……。




 ――清々しい晴天だった。


 踏みしめる土は柔らかくも踏ん張りが利いて、そうそう風に舞い上がらないくらい粒の1つ1つも大きくて。


 見渡せばぐるりと己を取り囲む壁。


 得物が弾かれたとしても客席に飛び込むことはないだろう程度には高く作られたそれは、観客と闘いとを隔てるものでありながら、不思議と闘剣の熱だけは素通りさせる不思議な代物だ。


 その先に段々と広がり高く、きっと客席が建設されていくはずだ。


 未だ完成していない、公にはされていない王都の新しい観光地。


 フウタは通用口からフィールドに足を踏み入れて、当たり前のようにその中心に立った。


 そして気づく。ここは、あの日のコロッセオとは違う。初めて入った場所なのだと、今更に。


 突き抜けるような空はあの日と同じ。

 それでもこの清々しい気持ちは、あの日と比べ物にならない。


 天気と心が重なるのは、こんなにも心地よいことなのだと知った。


「――さまになっていますね」

「そうですか? ライラック様にそう言って貰えるのは、嬉しいです」

「です、か」


 傍へ歩み寄った白銀の少女は、この闘剣士の聖域には場違いなドレス姿だ。

 そっとグローブ越しに唇を撫でて、思案するように目を閉じる。


『貴方と皇国について洗っている最中に見つけたものですから。わたしにとって大切なのは、わたしの企画ただ1つ』

『……ふぅん。よく分かんねえけどさ。もうちょい、素直になった方が良いんじゃない?』


 ――何の話だ。そう突っぱねてしまえれば、どれほど良かったか。


 分かっている。自分が彼を見抜いているように、彼もまた自分を見透かしていたことくらい。

 だからこそ性根を隠すことなく話すことが出来た。それは認めよう。


 けれど、素直になれ、などと。


 そう出来る相手なら既に傍にいるだろう、などと。


 所詮バリアリーフは、ライラックを見透かした気になっているだけだ。


 確かに愚痴を零せる相手なら居る。

 毎日のように話をして、それを楽しんでしまっている自分が居る。

 だからなんだ。


 その相手に、貴方が気に掛けているからルリのことを調べてあげました、とでも賢しらに言えば良いのか。


「……ふぅ」

「ライラック様、大丈夫ですか? 日傘はありますから、そちらで――」

「わたしとて、この場で剣を振る身。そこまで軟弱と思われては心外です」

「……そう、ですか。すみません」

「いえ」


 何をやっているのかと、思わず額に指を当てた。


 心の底では、分かっているのだ。

 バリアリーフの言いたいことは、したり顔で自らの実績をひけらかすようなことではないと。


 恥も外聞も捨てて、あのやかましいメイドのように看板引っ提げて『構って』と言えたらどんなにいいか。


 良くは、ないか。


 あのメイドが自覚しているかはさておいて、弱くても許される人間だけが使えるやり方だ。


 自分は王女。彼は、ライラック王女たる自分であるからこそ付いてきてくれている。

 幻滅させるようなことをするつもりもなければ、そうしたいとも思わない。


 ただ。


『そろそろお着換えの時間ですよーっ』

『やー……』

『眠いのは分かるけど、パーティ行けないぞ?』


 ソファに並び腰かけて、幼子を抱く2人の姿。

 寄り添う肩は睦まじく、ぐずる幼子に向ける瞳の名は慈愛。


 ただ。あの光景に抱いた感情は。

 ライラック王女が抱いていいようなものではなかった。


 そこに、素直になれと言うのか。


 家族への慈愛の情など、とうに切り捨てた身の上に。

 つい先頃も、妹の人生を踏みにじった人間に。


「ライラック様」

「……なんですか?」

「軟弱だなんて、思ってません。でも……昨日から、あまり元気が無さそうなので。何か、手伝えることがあったらいつでも言ってください」

「わたしのしていることは、全て滞りなく順調ですが?」

「じゃあ、頑張りすぎて疲れてたり」

「しませんが」

「――ひょっとして、俺が何かしましたか?」


 何を言っても、ばっさりと切り捨てられる。

 けれど、それで『そうですか』で片づけるフウタではない。


 ライラックに元気がないのは明白だ。

 そして、フウタにとって、自分がライラックに嫌われることと、ライラックの機嫌を損ねた原因を探ることは、天秤にかけるまでもない。


「はい? 何故そう思うのですか」

「何故と言われると……」


 少し考えて、フウタは言った。


「オーシャンと話している時のライラック様は、普通でしたし。俺の部屋で最後に話した時と、今と、両方元気が無さそうなので、俺のせいかなと」

「……」


 バリアリーフ皇子と話している時少しフウタが驚いていたのは、彼に対して素を見せている他にもう1つ理由があった。

 それは、別に不機嫌そうには思えなかったことだ。


 ならば今も不機嫌な彼女の、心を落ち込ませている原因は自分ではないか。

 酷くシンプルで、それが故に隙のない結論である。


 こんなところばかり察しが良い無職に、ライラックが苛立つのも無理はない。


 結局、ここでライラックが選ぶ選択肢は撤退の一手だった。


 何を言っても互いの為にならない。


「別に。バリアリーフ皇子について、少し考えていただけです」


 だからここで終わらせようと、話題を切り替える。

 自分たちの話でなければ、不要に感情が揺さぶられることもないだろうと。


 だというのに。


「……そう、ですか」


 妙に気落ちした様子ではにかむフウタ。

 話題を逸らされたことに対する感情かと推測するも、どうも違う。

 なんだろう、彼のその瞳に映る表現し難い色は。

 バリアリーフ皇子に何か思うところがあるのだろうか。寂寥と祝福が同居したような、名状しがたいその色合いに、ライラックは眉を寄せる。


「フウタ? 貴方こそ、バリアリーフ皇子に勝つ自信でも失っているのですか?」

「え? 勝つ自信? ですか?」

「え、ええ。他に何が?」

「いや……お互い気心知れてるみたいだし、婚約が上手くいくのかな、と」

「は?」


 一瞬固まった思考は、すぐに動き出した。

 粗方の彼の心情を分析して、徐々に半眼だった瞳が見開かれていく。


「えと。――貴方、」


 試合の前にそんなことを考えていたのですか。

 と口にしようとして、何故かその言葉が出なかった。

 言ってしまえば話題は逸れる。自分の目的は果たされる。

 だというのに、なんだろう。この、妙に期待に揺れる気持ちは。


 怖くもある。けれど、好奇心とはまた別種の、知りたいという欲求が勝手に言葉として先行する。


「わたしが幸せになるなら祝福すると言っていたではありませんか」

「はい。祝福します。ライラック様が幸せになるなら、それが俺の一番の望みですから」


 違う。そんな台詞はどうでもよろしい。


「で?」

「……ライラック様は、何でもお見通しなんですね」


 もったいぶるな。


「――」


 ライラック様、凄い睨んでくる……とフウタは思った。

 けれど、先ほどのように感情を隠しているよりは遥かにマシに思えた。

 自分に、言葉で人を喜ばせるような才能は無い。

 相変わらず、気の利いた台詞1つ言えやしない。


 だからいつも通り、素直な気持ちを口にするだけ。


「ただ、その。いざ誰かと幸せになるライラック様を見るのは、寂しいと言いますか」


 頬を掻いて、正直に吐露する言葉。


「いや、言ってることが矛盾していて、自分でもどうかと思うのですが」

「で?」

「で!?」


 これ以上何を言えば良いと言うのか。

 思わず復唱したままライラックを見やれば、腕を組んで視線を逸らした彼女。

 うっすらとその白い頬に朱が差していることに、フウタは気が付いた。


「食客ごときが言うことではないのですが、その。出来ればもう少し近くで幸せになっていただきたいなと」

「……です、か」


 なるほど、と呟いたライラックの表情は既にいつものものに戻っていた。

 ついでに元気も取り戻したというか、フウタに対して突き放すようなこともなく。


「悪くありませんね」

「え、凄い不敬なこと言いましたよ俺!」

「どうでもよろしい。貴方に敬意があるかどうかは、言動ではなく判別できるのですから。いっそ敬語やめてみます?」

「急に!? できるわけないじゃないですか!」

「ふむ。まあ、今のは冗談です。冗談というか……」

「冗談言える流れだったんですか今の……」

「……いえ。勢いで何でも言うものではないなと。それだけの話です」

「は、あ……」


 王女様、からライラック様、に変えるのも一工夫必要だったのだ。

 こんな流れで彼が「はい分かりました。いや、分かったよ」などと言うはずもない。

 分かっているのにな、と唇を撫でるライラック。


 そんな2人のやり取りを、遠くで、ガーデンチェアにふんぞり返っていた少女が鼻で笑った。

 闘剣の始まる直前に、何を下らない会話をしているのかと。


「今すぐコロッセオの中央に火砕流でも流れ込んでこないかしら」


 小馬鹿にしたような表情でカップケーキを口にする彼女。

 しかし、その背後からメイドが現れた。


「ポモドーロスープが飲みたすぎてそんな妄想をっ?」

「違うわよ!!」

「メイド、いつでも食事の準備は出来ちゃうぞっ?」

「違うっつってんでしょうが!」


 右から、左から、上から、下から。ちょろちょろと人の顔を覗き込むような挙動を見せるこのメイドを本当にどうしてくれようかと悩む少女――パスタ・ポモドーロであった。


「ベアトお姉ちゃん、ポモドーロ、好きー?」

「……だったら何よ」


 そこに、まさかのメイド2号が現れて。

 煩わし気に、パスタは彼女を見やった。

 父であるウィンドはまだ病床。当然と言えば当然だが、彼女の面倒を見るべくメイドがついてきているのは分かる。

 本来、パスタこそここに居る理由は無いのだが。


「じゃー、覚えとく」

「言っとくけど、あたしを強請るならポモドーロ如きじゃ意味ないから」

「ば、ばかな」

「……あんたほんと、なんで一瞬でこの魔女の影響受けてるわけ」


 実はルリをここに連れてきたのは、コローナではなくパスタの意思だった。

 バリアリーフとの血縁関係もそう。

 自分がこれからどうなるか、その決定の場に本人が居ないなど言語道断であると、コローナとセットで引っ張ってきたのだ。


 ただそれだけのはずなのに、異様に苛立つ結果になってしまっているのは何故だろうか。だいたいこのやかましいメイドのせいである。


「ねえ。メイドって言うなら給仕の1つくらいしたらどう?」


 観客席はまだ完成していない。

 彼女らが居るのは、フィールドの壁に程近い場所。

 パスタは自分のガーデン用のチェアにふんぞり返り、優雅に見物と洒落こんでいた。


 これでメイドがやかましくなければ快適だったというのに。


「ほんじゃ、その辺で拾った草の汁ー」


 そっとサイドテーブルに置かれたティーカップは、透き通っていながらはっきりと茶の色を出している。これがファーストフラッシュの紅茶だと言うなら文句のない、薄くも明確な橙色。しかしこいつ今その辺で拾った草の汁っつったな?


「……香りは、ダージェン地方の良質な茶葉に感じるんだけど。それこそ、うちの商会でも流通握ってる高級茶の」

「だーけーどー?」

「え、なに、本当に香り付けただけでその辺で拾った草汁飲ませようとしてるわけ?」


 冗談でしょう? と恐る恐る口を付ければ。


「……」


 思わず、メイドを睨み据えた。


「くーさのしるー、くさのしるー」

「くさーのしーるーくさのしるー」


 くるくるメイドが2人で踊っている。パスタの周りで。


「うちの商会の品を、よくもまあ草の汁呼ばわりしてくれたわね!!」


 がなるパスタに、きゃーきゃー逃げるメイドーズ。

 全てが終わって、平和な世界がそこにあった。


「うぜえ……」


 舌打ちするパスタにとっては、本気で煩わしいようではあるが。



 そんな彼女らを置いて、ライラックは目を閉じる。


「ともあれ、バリアリーフ皇子の話です。わたしは闘剣にしか興味はありません」

「あ、はい」


 気を取り直して。

 フウタは、己が握る刀に目をやった。

 数打ちの鈍らではあるが、同じ形状の武器ではある。

 ならばやりようはある。


「弐之太刀。……それは、貴方自身がプリムを評する時に言っていた、別格の2人のうちの1人ですね」

「はい。天下八閃は文字通り天下に響く8人の剣士ですが、その中でもオーシャン・ビッグウェーブとレザード・ブレードキッドの2人は群を抜いていました」


 戦績を見れば、一目瞭然だろう。


 フウタが知る――"歴代最高の天下八閃"が揃った伝説のシーズン。


 弐之太刀の戦績は、


 対壱之太刀3-5

 対参之太刀6-2

 対肆之太刀8-0

 対伍之太刀8-0

 対陸之太刀7-1

 対漆之太刀7-1

 対捌之太刀8-0


 総計、47勝9敗。


 もちろん、それ以前のシーズンでイズナやプリムに負けたことはあれど、最終シーズンの結果はこの通りだ。


 プリムに負けた試合は、うっかり変なところに触ったのを試合中にめちゃくちゃ口で攻められ、精神的な動揺で負けるというなんともアレな結果ではあったものの。


 直接対決で負け越している壱之太刀と、勝敗数が変わらないというのは凄まじい戦績だ。


「彼はどういった闘剣士なのですか?」

「そうですね……まず、客観的に説明しますと、ただ1本の刀を振るうシンプルな剣士です。剣術は我流ではなく、蒼海波濤流という東国の流派の流れを汲んでいて、得物を振るう速度はコロッセオ1です」

「コロッセオ、1……?」

「俺より速いです」

「……嘘でしょう?」

「こればっかりは、本当です」


 あの、チャラけた男が?

 驚くライラックをおいて、フウタは続ける。


「――刀の銘は七海征覇。凄まじい切れ味を有する名刀を、ただ振るうだけで相手の得物を両断する。それが彼の強みです」

「なるほど……しかし、そうなると少し分からない点が」


 そう、1つ解せない点が生まれる。

 フウタもそれは織り込み済みだったようで、頷いた。


「では、主観的な話をします。オーシャンの相手は本気でやりにくいです」

「やりにくい……?」

「彼が天才と呼ばれる所以は、その流派の剣術を修めた上で、勝手にアレンジを加えているところです」

「そのアレンジが、ひょっとして、"武人らしくない振る舞い"に繋がるのですか?」

「はい。実力者特攻と言いますか。その速さを利用して、絶妙に無駄な動きを入れるんです。遊んでいる、というと彼に失礼ですけど……攻めに最適解をわざと選ばない時があって、でもそのブラフで押し切れる強さといいますか」


 剣術を修めた上で、敢えてそれを崩す。これがどれほど難しいことかは、想像がしがたくもあるだろう。


 当たり前に出来るはずのことを、敢えて慣れていないように見せる。それを常日頃から行う。

 その結果、相手の読みが崩れる。自分は速度で誤魔化せる。


 それが、オーシャン・ビッグウェーブ。

 どんな波も乗りこなし、どんな海も征してきた男の闘剣。


 七海征覇という名刀と、オーシャン・ビッグウェーブという男。

 その2つが合わさって初めて完成する、彼だけの闘剣。


「七つ海を征し、覇を上げると謳われたその刀で、彼は六つのコロッセオで天下を取ったと言われています」


 そう、ライラックに告げた時だった。


 割り込むように、声が響く。


「いいや。七つの海を征したぜ」

「……オーシャン」


 通用口に、人影。

 彼は感慨深そうに周囲を見渡してから、一歩を踏みしめる。

 そして、一歩、また一歩。

 中央にフウタと向き合った時、ライラックは思わず退いた。


 別に、気圧されたわけではない。

 怖気づいたわけでもない。


 けれど。

 このフィールドの中央に、自分が居るべきではない。

 そんな風に、一瞬でも思ってしまった。


 闘剣の熱に晒されないよう、わざわざ闘う時の服装ではなくドレスを纏ってきたというのに。


「七つの海を征したっていうのは」

「一度だけな。レザードに挑戦して、チャンピオンになった。すぐに奪い返されましたけどー! ……それでも、間違いなく。オレはあの場所を征した」


 だから。

 七つの海を、七海征覇と共に征したからこそ。

 自分の航海は終わり。旅の幕引きだと、そう思っていたのだ。


「そうか」

「ああ」


 交わされる言葉はそれのみ。


 ライラックは、2人の間に立って、告げる。


「ルールは、一本勝負。相手が降参と言うか、寸止めで勝利。良いですね」


 頷く2人の間から、ライラックは距離を取った。


「ありがとな、ライラっちゃん」

「礼には及びません。意味は、分かっているでしょう?」

「……ま、ね」


 ライラックが何やら抱えた思惑を、理解したらしいバリアリーフは苦笑する。そして。


「ふぅううう……」


 バリアリーフは、大きく息を吐く。


 目を閉じれば、歓声が聞こえる。

 ここはコロッセオ。きっと、未来では大勢の観客が、目の前の男の戦いを見ることになるだろう。


 不思議なものだ。

 彼の目は、それを是としている。

 あの頃ではあり得なかった。彼の意志。


 まあ、いい。


 未来に想いを馳せる意味はない。

 ただこのひと時を待っていた。


 ただ、このひと時を待っていた。待ち望んでいた。


 腰に差した刀を、手に取る。


 どくん、と"契約"がこの身を縛る音がした。


 構いはしない。後悔はない。


 鞘奔り、抜き身の相棒を久々に握る。


 ――よう。悪かったな、ご無沙汰で。


 手入れこそ、していたものの。

 武器として認識するのは、本当に久々だ。


 この刀と共に、七つの海を征してきた。

 冒険譚はそこでお仕舞い。今の自分は、もう危険を冒す自由は無い。


 そう、想っていたけれど。ああ、とかく、性というのはどうしようもない。




「元【天下八閃】弐之太刀――七海征覇の英雄賛歌(シンドバッド)。オーシャン・ビッグウェーブ」

「――元、コロッセオチャンピオン・フウタ」


 名乗り上げは、一瞬。




 さあ。行こうか七海征覇。




 八つ目の海を征する時だ。






 フウタの瞳が金に染まる。

 同時、刀を抜いた。オーシャンのそれとは違う、数打ちの鈍ら。

 けれど、武器の差を卑怯とは思わない。

 既に得物を用意する段階で勝負は始まっている。

 決まった得物を持たないフウタが問題なだけ。


「行くぜ」


 駆け出す速度は最高速。

 一瞬でフウタに肉薄したオーシャンは、すぐさまその刃を横薙ぎに振るった。

 回避するフウタは後方へのスウェー。

 鼻先をかすめた刃をはっきりと目にして、フウタも刀を振るう。


 七海征覇とぶつかり合う――否、滑るようにフウタの刀はいなされた。

 すぐさま反転、独楽のように回転してフウタの二度目の横薙ぎがオーシャンを襲う――が。


 今度はオーシャンが同じようにスウェーで躱した。――否、むしろこちらがオリジナルだ。フウタの模倣に動じることなく、オーシャンはそのまま両手で握った刀でもって、逆袈裟に――


「うぇーい!」


 ――受けようとしたフウタの動きが止まった。

 このまま逆袈裟に斬られたら、それで勝負が付く。

 だが明らかに、"オーシャンの体勢が崩れていた"。


「――これは」


 ――ブラフ。

 オーシャン・ビッグウェーブの崩し。

 まともに受けようとしたら、その瞬間に返り討ち。

 だが受けないわけにもいかない。


「マジかよ」


 ならばとばかりに、高速で放たれる彼の刀に向けてフウタも刀を振り下ろす。


 ぶつかり合う刀の感触は、いやに弱い。

 それはそうだ。オーシャンはまるで力を入れていない。


 叩き落とすようなフウタの刀に合わせ、刃毀れしないよう引いたオーシャンの七海征覇。


 生まれる間隙はフウタの振り下ろし直後。

 流れるようなフウタの剣術でも、オーシャンの速度ならば虚を突くことが出来る。

 それが分かっているからこそフウタは警戒せざるを得ない。

 彼の鍛錬があれば、フウタを今突き崩すことが"出来る"。


 "出来る"。それは、他の闘剣士ならば実行するということだ。

 自らの最高を、最高のままに叩きつけてくる。それがフウタという模倣の達人との互角の戦いを演出する。


 しかし。


「うぇーい」


 その隙を敢えて突かない。無駄に一瞬手元で刀を回転させる"遊び"。

 このままでは拙いと刀を引き戻した直後に生まれる、隙の次の隙こそが、オーシャンの狙い。


「――そこだ」

「っ!」


 刀を戻したからこそ、次の一手で同じ場所を突かれれば最も体勢を崩すことになる。


《蒼海波濤流:崩波(ダンパー)


 受けることを許さない二連撃。

 両方を受けようと思えば、その次がチェックメイトだ。

 だが受けないわけにはいかない。一撃でも入れば、七海征覇は相手を斬り捨てる。


 だからフウタは、一撃目を避けた。

 それでも体勢は崩れるが、まだリカバリが利く。


「相変わらずだな、オーシャン」

「っかしいなぁ――この状態で受かるの、お前だけだぜ?」

「それはつまり、模倣してるお前が避けられるってことだろ」

「――抜かせよ、頂点」


 フウタがオーシャンの"全力"を模倣するからこそ、急に七割程度の"余裕"を入れることで崩す。

 全力と7割を、同じ試合中に使い分け、戦略に組み込めるのはこの天才ただ1人。

 フウタの言う"やりにくさ"の真骨頂がここにあった。


「く、はは」


 だが、思わず笑ってしまうのはオーシャンも同じだった。


「なんでだよ! なんでそんなふざけた動きが出来んだよ!」


 七海征覇を振るい、理想的な動きで追い詰めている。

 その実感は確かにあるのに、完璧な勝ち筋が反則で躱されている気分だ。


 盤上遊戯で詰み手順をしっかり構築したのに、最後の最後で、やれバリアだの、やれ端と端は繋がっているだの、やれ実はこんな動きが出来るだのと言われているような。


 笑えてしまうのは、闘剣にはルールが無いからか。


 逆手で刀を握り、脇腹を襲う刃を受け止めたと思ったら、左手に持ち替えて攻勢に転じる。


 理論上は可能だし、有効な場合もあるだろう。

 けれど、そんな奇策が通用するのは極限られた場合だけだ。


 多くの条件が重なった時のみ使える有効打。

 普段は使い物にならない技。


 全て使いこなせてこその一流、などというのは素人の戯言だ。


 本当に強い人間は、汎用性の高い技を磨き上げる。


 しかし、だからこそ。

 限られた場合にその場その場で最高の技を繰り出せるのは、"癖"が付いて居ない、瞬間的な模倣であればこそ。


 フウタという男の模倣が相手の120%を引き出せる正体はここにある。


 だから100%を上回れる。


 だが。


 120%の力を、100%を相手にぶつければ確かに力押しで勝てるだろう。

 では、120%の力を、70%相手にぶつけたら?


「うぇーい」


 フウタの放った最速の一撃は、七海征覇の腹を狙う。

 幾ら名刀とはいえ、横薙ぎに打たれたら刀は折れる。

 だから、本来の正着は刀を寝かせて空を切らせるか、或いは根元で受けて押し切るか。その読み合いが強者の証。


 けれどオーシャン・ビッグウェーブには第三の選択肢がある。


 負けるわけにはいかない戦いで、敢えて手を抜くことが出来る唯一の男だからこそ。


 七海征覇とフウタの刀が打ち合う。


「波に乗るってのは、自在じゃなきゃ意味ねーっちゅーか?」


 脱力した七海征覇が、フウタの刀に圧し負けて傾く――否、波が引くように、衝撃を殺す戦士のように、ゆっくりと自ら引いていく。


 そして、波が引けば、次の波が押し寄せるのが大海原というものだ。


《蒼海波濤流:槌波(ショアブレイク)


「っしゃァ!!!」


 フウタが刀を振り切った。確かな鍛錬に裏打ちされたその鋭い剣閃はしかし、美しく強い一撃であるからこそ、後の隙が僅かに生じる。


 120%を70%にぶつけたらどうなるか。


 その答えは、"読み違え"だ。


 全力ならばこうするだろう。剣士に限らず、たとえば盤上遊戯、たとえば球技、多くの対人の戦いは、相手の全力を見極めることが戦いの初手の初手。


 そうして把握した相手の実力に合わせ、自らは最善手を取りつつ、相手も最善を尽くすことを信頼してぶつかり合う。


 しかし、その信頼がオーシャン・ビッグウェーブという気まぐれな波には通用しない。


 振り下ろす刀は、フウタさえ凌駕する最速――。




「――あのフウタが、押されてる?」

「うっそでしょ。あいつが?」


 戦いがどうなっているかよく分からず、いけー、おせー、と声だけあげて楽しむ観客メイドの横で、目を細めたライラックが小さく呟いた。


 難しい表情で、ライラックは思う。

 少なくとも、そう見えると。


 ただ。


「やりにくい相手、とは言っていましたから。……しかしあの男、フウタにあそこまで戦えるとは。わたしももう少し鍛錬を重ねねばなりませんか」

「よくわかんないけど」


 頬杖をついて、カップケーキをぱくつきながら、パスタは火花散る闘剣の方に目をやった。


 別に、どっちが勝とうとメリットもデメリットもない戦いだ。

 ライラックのように、武人というわけでもない。


 もっちゃもっちゃと咀嚼しながら観る分には、悪くない見世物だと思うだけ。

 この戦いを如何に彩り、そして観客から金を巻き上げるか。それを考えるのが己の仕事。


 そのくらい冷めた目で見ているからこそ、気づくこともあった。


「……楽しそうね」


 多くの感情を握りつぶして、念願の刃を交える男はそうだろう。

 しかし一方で。

 戦いを引き受けただけのはずの男もまた、あんな風に口角を上げて、目の前の男を打ち倒さんと笑うのだと初めて知った。



「……良い顔するじゃん、あいつ」



 そう、思わず口元を緩めてから。

 はっと気が付いて周囲を見た。幸い、周りの誰もパスタのことなど見ていないことを確認して。

 もう一度、小馬鹿にしたような表情を作り直してから、闘剣に興じる男たちを眺めるのだった。


NEXT→3/6 11:00

またしても熱いレビューせんきゅー!!!

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