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24 おうじ は ゆめ を みる。



『――お前まで、辞めるのか?』

『テンパり過ぎだろレザっちゃん』


 目の前に立ち尽くす壱之太刀に、オーシャン・ビッグウェーブは首を振った。

 ここは控室。

 最近になって人気闘剣士の流出による興行収入の低下が著しく、もはや見るべき試合はこの2人の試合のみ、などと言われるようになった頃。


 どこか、諦めたような表情のオーシャンに対して問い詰めるレザっちゃん――レザードという青年。


 彼こそは、"永遠の第二位""事実上のチャンピオン"と謳われた、一番人気の闘剣士。


 しかし、いつでも自信に満ちた彼らしくなく、奥歯を噛みしめるような様相でバリアリーフを見据えていた。


 というのも、彼すらもコロッセオを辞めるのではないかという噂が発端だった。


『……悪ぃな』

『お前も……お前も、フウタを追うのか?』


 他の6人は既に、最強の剣士を追うべくこの街から姿を消した。


 あの頃。王座にあの男を頂いていた時期の、"歴代最高"の天下八閃は、もうその殆どが、櫛が欠けるように零れ落ちていった。


 そして、今。最後に、とうとう目の前の男さえこの場から去ろうというのだ。

 レザードの瞳に映るのは、羨望か嫉妬か憤怒か、或いは失望か。否、そのどれでもない。


 フウタを追うつもりだと言うのなら、そうすれば良い。

 けれど、違う。


 フウタが追放された時、残ると決めたのは彼ら自身だ。


 それに。真っ直ぐに見つめるオーシャンの瞳には、強いヤツに会いに行くという希望の光は見えなかった。


 だからこそ問うたのだ。

 追うのかと。追わない選択肢が、まるで彼にあるように見えたから。



『いいや』


 しかしてその予測は正しかった。

 致し方ないといった風に首を振るオーシャンは、フウタを追うことを否定した。


 そしてコロッセオを辞めるという。


 ならもう、答えは1つだった。


『――引退する』

『なんでだよ!!!!』


 思わず胸倉を掴んだレザードを、せめることすらせずオーシャンは続ける。


『いずれこうなることは、分かってた。――ちょっち早まっただけさ』

『何が!』

『親父が死んだ。――オレが戻らねえと、すげえ多くの人に迷惑が掛かる。それこそ』


 困ったように。そう、まるで遊ぶ約束の日に予定が入ってしまったような、そのくらいの軽さで。


『コロッセオに詰めかける人たちの、数倍の人を泣かせることになっちまう。そいつぁ、オーシャン・ビッグウェーブとしては、ダメだね』

『……お前は』


 彗星のように現れた天才剣士。

 などと持て囃された彼の素性について、コロッセオの誰もが知らなかった。実は某国の皇子、などという噂もあった。色んな噂を、彼は肯定も否定もしなかった。


 だからこそレザードは何も言えない。

 たかが親父が死んだ如きで、と叫びたい気持ちは、あった。

 けれどそれはレザードの価値観であることは分かっていたし、何よりもこんなにやるせないツラをしたオーシャン・ビッグウェーブを、レザードは見たことが無かった。


『いつか。またいつか、やろう』

『うーし、そろそろ勝率ひっくり返してやるぜ』


 覚悟を決めたように、感情を押し殺したレザードの言葉。

 オーシャンは彼に拳を突きだす。


 力が抜け、破顔したレザードはその拳に応えるように、軽く小突くと。


『分かったよ。お前すら居なくなったこの場所でも、俺はあいつを待ち続ける。どのみち』


 オーシャンに背を向け、レザードは呟く。


『――俺から玉座を奪えるとしたら、あいつだけだ』


 オーシャン・ビッグウェーブが闘剣を引退するということは、つまり、そういうことなのだ。


 だからこそ、オーシャン・ビッグウェーブは。

 その寂しい背中に、いつか必ず帰ってくると誓って、コロッセオを辞めたのだ。


 期待に応えることこそが、オーシャン・ビッグウェーブ――バリアリーフ・F・クライストの生きざまなのだから。


『なあおい。オーシャン』

『ん?』


 別れ際に、レザードはオーシャンを呼び止めた。


『たとえばお前が、あいつに再会することがあったとしてさ』


 どん、と拳をオーシャンの胸にぶつけ、レザードは告げる。


 きっと自分が誰よりもやりたいだろう、再戦を夢見て彼は言う。


『――他の誰でもない、お前だから。オーシャン・ビッグウェーブにしかこんなことは言わねえ』

『もったいぶるねえ』

『ああ。でも、お前にしか託せねえ』


 真っ直ぐ向けられるは闘志。ただそれだけ。


『――俺の分も、ぶつけてきてくれ』

『ああ』


 まだまだ、闘剣の熱は冷めない。


 何れ、またレザードとも。そしてフウタとも。



 戦えるものだと、その時はそう思っていた。










『なんだよ、これは』


 皇国へ戻ったバリアリーフを迎えたのは、決して父の葬儀に胸を痛める家族の姿などではなかった。


 盛大に行われた国葬とは裏腹に、始まっていたのは権力争い。

 既に分裂していた派閥。

 様々な国や領へと、半ば売り払われるように婚姻させられた兄弟姉妹。

 戦の火種はそこかしこで燻っていて、戦端が開かれてしまった領さえも存在した。


 たった1つ"家族仲良く"と残された遺言だけが、父が生きていた証拠だった。


『ごめんね……ごめんねバリアリーフ』

『泣くなよ母ちゃん。こいつぁ、どういう』


 許しを乞うように、すすり泣く自らの母親。

 父の遺言は、およそこの状況を予測してのものだったのだろう。


 次期皇帝争いの兆候に気付いたからこそ、最期に残した言葉。


『しっかし、病気だっつーなら、死ぬ前に呼んで欲しかったもんだぜ。まあ、ゆーてもオレ、放逐されてたようなもんだけど』

『違うの。違うの、バリアリーフ』

『母ちゃん?』


 主語の欠けた、涙ながらの母の声。

 皇城の一室。たった2人だけの、最後の時間になるとはバリアリーフは露知らず。


 首を振る彼女に寄り添うように、そっとその手を取って落ち着かせて。


『何が、違うんだ?』

『……陛下は、貴方のことを想っていたわ』

『そうは言うけどよ』


 頭を掻いて、バリアリーフは困ったように返した。

 故人を、ましてや自分の父を悪く言うつもりはない。

 けれど想っていたとまで言われるほど、何かをして貰えた覚えは無い。


 母にとってはそうだったのかもしれない。

 彼女は確かに父を愛していたし、逆もそうだと分かっていた。

 その関係を疑ったことはなかった。

 そういう意味では、母を大事にしてくれた父に感謝する気持ちはある。

 けれど、こと自分の話となると。


 ――好きなことをして生きていい。


 放逐と、バリアリーフは表現した。実際それで社交の場には出なくなった。

 遊び惚けることが出来たのは、そうだろう。

 かといって、愛されていたかと言えば、否だ。

 

 バリアリーフのことよりも、第一皇子や第二皇子、第一皇女といった面々と、いつも難しい顔をして国の将来を語り合っていた父。

 その輪の中に、自分は入れてもらうことが叶わなかった。


 国の未来予想図から、自分は省かれていたと思っていた。


 けれど。


『……試合も、観に行っていたのよ』


 息が、詰まった。


『――っ。馬鹿な、ことを』

『負けちゃってたけどね。あの人も、とっても悔しがっていたわ』 

『わざわざ、来たのか? 公国に?』

『そうよ。それが、8年ぶりの休暇だった』


 思わず、天井を仰いだ。

 そんなこと、知りもしなかった。

 もちろん、コロッセオで会うことは叶わなかっただろう。互いに立場を隠す身だ。

 けれど。伝言の1つくらい、残しておいてくれたなら。


『貴方が、自由に、好きに生きられる国にしたい。あの人はそう思ってた』

『それは』

『貴方が頑張らなきゃいけないような国にしたら、皇帝失格だって。……だから、跡目争いをしそうな子供には目をかけていた。でも』


 ダメだった、という言葉は、ついぞ口から零れることは無かったが。

 結局父は失敗したということになるのだろう。

 子供たちの勢力争いは起こったし、家族はバラバラどころか殺し合いを始めている始末だ。


 邪魔なバリアリーフにも、接触を図った人間は居た。


 ――好きなことをして生きて良い。


 それが命令ではなく、父の願いであることを知って。


 もう、彼に返せるものなど何もなくて。

 結局こうして戦端は開かれた。


 ならせめて。


『……分かったよ、母ちゃん』

『バリアリーフ……?』

『ゆーてもオレ、親父の子供だからさ。遺言には、従うよ』


 せめて、これぐらいは。せめて、自分くらいは。



 第一皇子は、バリアリーフに"契約"を迫った。

 今は従順でも、いずれ邪魔になるだろうと。


 バリアリーフの剣は脅威だ。バリアリーフのカリスマは脅威だ。バリアリーフは、脅威だ。


 なればこそ、武器を抜くことを許さない。

 あと3度だけ。そう約束すれば、殺しはしないと彼は言った。



 ――バリアリーフは、それを呑んだ。




『悪ぃな、レザード』


 お前との決着も、付けたかったが。


『約束は、果たせねえかもしれねえ』


そのうち2度。

皇都の仲間を守るために、使ってしまった。















 ――暗殺者によるオルバ商会襲撃から一夜明け、翌朝。


 あの後、衛兵たちがやってきて暗殺者もといイズナとモチすけは拘束された。

 気心知れた仲であるプリムは、ライラックに彼らの処遇について聞いたものの、返ってきたのは『悪いようにはしない』という答えだけ。


 実際、オルバ商会に攻撃を仕掛けた下手人ではあるものの、彼らから奪えるものは特に無い。

 ならばその黒幕の方から、貰えるものを貰えるだけ貰っておこう。

 そう考えたが故の言葉だった。


 その黒幕たるエルフリードは、バリアリーフと共に王城へと一旦引き上げることになった。

 そして知ることになるのは、5000万ガルド相当と謳っていた絹の価格崩壊。実際には徐々に徐々に年単位で価値を下げられていたのだが、買い取り価格に影響させなかったベアトリクスの勝利というべきか。


 そうすると、今のエルフリードに5000万ガルドの支払い能力はない。

 後日、暗殺者たちに対し報酬詐欺をはたらいたことになり、国に賠償を求められる結果になる。

 これには財務卿もにっこり。

 だが予算外の資金を"国家事業"に充てられる結果になり、殆ど王女様に持ち逃げされたのはまた別のお話。


 絹を買い叩いたベアトリクスもといオルバ商会には国からの補償金も合わせ、損害は最低限に落ち着いた。そこにはベアトリクスの手腕が働いたものの、それを知る者は多くない。


 ウィンドの調子は未だ戻らないものの、ようやく落ち着いて眠りに就くことが出来ていた。


 ルリは未だ父と会うことは出来ていないものの、無事を知って安堵していたとか。



 そして。



「今の夢……あー、ホームシック的な?」

 

 起き上がったバリアリーフは、軽く伸びをすると、ベッドの上に吊るしてある刀に目をやった。


 本当に、これを抜く機会がやってくるとは。と。


『試合、してくれよ。――あと腐れなく、オレが今度こそ皇子に戻れるように』


 昨夜のことを思い出す。


 フウタを目にしてしまったら、もう決意は固まっていた。

 その場の勢いに流されただけでないことは、今なお疼く闘志が教えてくれている。


『――ああ、やろう』


 勝負を申し出たバリアリーフに対し、真っ直ぐに告げられた彼の言葉。


 渋ることも、萎縮することもなく。

 たった1度しか抜けない刀を向けられたことに対する情念もなく。


 ただ、当たり前のように。挑戦を受ける頂点がそこに居た。


「プリちー、めちゃんこキレてたな」


 プリム・ランカスタは1人、フウタとバリアリーフの勝負に憤慨していた。

 あれはどちらかと言えば、1度しか戦えない"契約"に対する怒りであった気がしなくもないが。


 久々に会えた自分と戦いたい、そう願ってくれたことは素直に嬉しかった。

 あれだけボロボロになっていたのに、元気なことだと1人笑う。


 実は皇子であった、ということに対する驚きは皆無であった辺り、実に彼女らしいというべきだろうか。


 コロッセオに帰ってきたような、不思議な気持ちだ。


 イズナが転がっていたことも、そう。


 あのコロッセオの日々と、変わらない。


『勝てよオーシャンくん。……いややっぱ負けて。や、どうだろ。まあ勝った方に勝てばいい? いやでもどっちもブチ転がしたい……』

『ブチ転がしたいって物騒なプリちーだな』


 あはは、と笑う。


 "歴代最高の天下八閃"。


 その中で、唯一誰とも交流があったのがオーシャン・ビッグウェーブだ。


 その誰もが、別れ際にこう告げた。


 もしもフウタと戦うことがあったなら、その時は自分の想いも、と。


 オーシャンにしか託せない理由は、きっと彼の社交的な性格もあったのだろう。けれど一番は。


 誰もが認める、最強の一角だったからに他ならない。


 自分より先にフウタに届き得る可能性があるとしたら、オーシャン・ビッグウェーブをおいてほかにない。




 夢を託され、その夢を諦めざるを得なくなって、それでも未練がましく握っていた。




 オレの刀は、天下八閃の夢。







「オレが、天下八閃だ」








 準備は万端。


 シチュエーションは最高。


 今日は清々しい快晴。


 闘剣士は本日閉店。





 さあ、最後に最高の舞台へ赴こう。





 場所は。



 王都コロッセオ。



 生まれたての闘技場に、闘剣を教えてやるには最高のマッチアップだ。

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次回、三章クライマックスバトル。

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