19 やりつかい は たたかっている!
――3年前。コロッセオ。
『――勝者ァ!!! 爆砕!金時! イズナアアアアアアアアア!! シィシエエェンザアアアアアアアアアアアン!!!!』
爆発的な歓声が、コップを内側から打ち破る爆風のように、はじけるようにコロッセオに響き渡った。
勝者の名はイズナ・シシエンザン。
槌斧を大仰に振るい、観客に向けてその力を誇示するように戦叫で応えるその姿は、まさしく"力"の体現者そのものだった。
そして。敗者の名は、プリム・ランカスタ。
天下八閃に登りつめて以来、勝率が著しく落ちた"これからに期待"の少女。
壁にぶつかった。そう思い知らされるには十分すぎるほどの完敗。
自慢の鎗こそ折れることは無かったが、もう肩から先の感覚が無いほどに力負けしていた。
初めての爆砕金時との試合を、プリムはよく覚えている。
その悔しさをバネに、それからひたすら天下八閃という人外魔境を戦い抜き――
3-5。
それが、プリム・ランカスタ対イズナ・シシエンザンの、最終的なスコア。
あれから3勝を挙げた自分。
そして、今。
あの"チャンピオン"ともやり合って、充実した日々を送っている自分がどれほど、負け越していたイズナを相手に戦えるのか。
彼女自身、強い興味を持っていた。
――オルバ商会本部北東部。
「――どおりゃああああ!!!!」
重量にして100ウェイトはゆうに超えるだろう槌斧を振り回しながら、大きく跳躍するイズナ・シシエンザン。
それに合わせて、プリムは地を駆る。
既に、オルバ商会本部の北東部は全壊状態だ。
戦いの始まる前は存在した天井も、床も、調度品も全てが瓦礫の中。
プリムが駆ける地面の凹凸が激しいのは、即ちそれが建物の一部であったが故。
夜も更けようかというこの時間、暗闇の中に火花が散る。
大地を割るように振り下ろされた一撃が、瓦礫の山に亀裂を作ったかと思うと勢いで爆ぜた。
その飛礫を全て鎗で弾いたプリムは、そのまま矢のようにイズナへ突っ込む。
《常山十字:流星一矢》
解き放たれた矢となって、イズナに迫るその一撃。
着地の隙を狙ったそれは見事にハマった。
目を見開いたイズナは、しかし胸を逸らすようにして神速の一撃を回避する。
空気が鎗に切り裂かれたような風鳴り音を置き去りに、プリムは勢いを維持したまま回転しての薙ぎを目論む。
槌斧と鎗。
いずれも長距離に対応できる得物であるが故に、近距離に置いては不利を隠し切れない。
だが十字鎗が十字鎗である所以は、最強の武器を目指したが故。
距離の遠近による不利を排除したその強みは、相手の武器の弱点を突く鋭利な一撃であるが故。
穿つ。
槌斧の不利、近距離を。
だが。
「はっ!! やり口は変わってねェな!!!!」
「ぐっ、ふ……!?」
空の左手が、唸るようにプリムの腹部をとらえ吹き飛ばした。
バックジャンプからの着地で何とか衝撃を殺しながら、呼吸を整えたプリムはイズナを睨む。
彼はぷらぷらと左手の熱を逃がすように手を振るい、右手の槌斧と共に構えた。
これだ。
これが、イズナ・シシエンザンを伍之太刀まで押し上げた真骨頂。
《黒鷹空手:螺旋撃》
槌斧による圧倒的な力にばかり目が行くこの男のスタイルは、弱点足り得る至近距離を己の拳で解決してこそ完成する。
重量100ウェイトを超える重さの得物を片手で振るい、空いた手と両足で至近距離を牽制、場合によっては必殺の一撃を見舞う。
「はは。久々だから良いの貰っちゃったな」
「そうか、久々だからか。じゃあしょうがねえな!」
機嫌よく笑うイズナも、一発貰ったばかりのプリムもまだまだ元気だ。
そうだ。久々だからしかたない。
プリムはもう一度、1人呟く。
「うん、久々だもん」
なんだか、リズムが合っていない。
リヒターとの手合わせは充実していたし、何よりあのチャンピオンとの試合は自らを更なる高みへ押し上げてくれた。
だから、決して自らが劣っているわけではない。
「――一撃貰っても、仕方ないよね」
「うん? さっきもそう言ったじゃねえか」
プリムの姿が掻き消える。
夜闇ということもあるが、姿勢を極限まで低くして、滑るように肉薄するそのプリムの速度に、イズナは虚を突かれた。
「なっ」
槌斧を振るう時間は無い。
ならばと拳を握りしめ――その光景をプリムは冷静に見つめていた。
「なんか、違うなと思ったんだよ」
そう。拳を貰ってしまった時。
槌斧を振り回していた時。
鎗で迎え撃った時。
リズムが合っていない。そう思った。
「――あの頃は、来る、と思ったらもう来てたくらい、キミの一撃が速かった。だから身構えるタイミングを間違えたんだね」
拳を握るタイミング。振るわれる速度。
どれをとっても、あの頃は感覚で避けることしか出来なかった。
でも。
妙にそのテンポが遅い。
一瞥して、拳を握られたことが分かって、回避したつもりだった。
けれど、その一瞬後に衝撃が来た。
当然だが、何事も全てを見てから反応することなどは出来ない。
来ると分かった刃を、速度を予測して回避するのが剣士の在り方だ。
その反応速度がズレていた。
だから一撃を受けてしまった。
つまり。
プリムは一段階、自らの反射速度を上げている。
そんな難しいことは、この2人には分からないが。
「あ、来ないな、と思ったのに、来たからさ」
す、と鎗を腰だめに引き絞る。
《常山十字:満天》
放たれるは無数の突き。
その速さは以前とは比べ物にならないと――いまいちプリム自身は自覚がない。けれど、多分そうなんじゃないかなー、くらいのノリで放った。
「ぐ、おおおおおおおお!!!」
その浅い考えは、しかして正しかった。
満天の星々のように放たれるその鎗に、槌斧では対応しきれない。
だから、左手で柄を打ち払うと同時――槌斧をプリム本体めがけて振り下ろす。
「おっと!」
横っ飛びに回避した先へ迫る、横薙ぎの槌斧。
それからさらに距離を取れば、イズナは楽し気に笑みを浮かべて、血の滴る左手を眺めていた。
「なるほどな。久々だから仕方ねえわ。お前、速くなってんな」
「そうだね。けど、速くなったからと言って」
ちらりと、振るわれる槌斧を見やる。
「勝てるってわけでもなさそうだ」
「よくわかってんじゃねえか」
けれど、やはり。
プリムにとって、この1年――否、ここ数月がどれほど大きいものだったかは、自覚が出来た。
「随分腕上げたなおい」
「そういうキミもね。私ばかり強くなってたら、もっと一方的なはずだし」
「あー……まあ、ちょっと色々あってな。なんか溺れてるガキ拾ったら軍っぽい奴らにメッタクソに追われたりしたし」
「溺れてるガキ……?」
「俺が建物ん中で迷子になってたら、なんか水ん中でごぽごぽしてたからよ。とりあえずなんか、ガラスにしてはやけに綺麗な透明の壁突き破って助けてやった」
「良いことしたじゃん」
「だろ? 俺はそういうこと出来るヤツだから」
「じゃあ殺しもやめよーよ」
「そうはいかねえ。明日からご飯が食えなくなる。それに」
ニヤ、と口角を上げてプリムを見据えるイズナ。
「せっかく、久々に骨のあるヤツとやり合えてるんだ。寒いこと言ってんじゃねえよ」
「そっかー」
そりゃあ。
「そうだよね。分かる。私もキミの立場ならそうするよ」
「だろ?」
「でも、今の私は――キミ以外にもいっぱい来るだろう連中の心配もしなきゃいけない」
十字鎗を構え、ちらりと背後に目をやる。
そこには、息をひそめて鉄鐗を両手に握る男の姿。
いよいよとなったら逃げろと告げてはいるものの、現状安全な場所は無い。
狙われているのは彼自身。おそらくは彼を狙う"暗殺者"たちもオルバ商会の現状に気付いている。
八方塞がりな現状をどうにか打開できるとしたら、夜のオルバ商会に詰めている、生きているかも分からない他の人間の行動に期待するか――先ほど逃げたパスタだけ。
暗殺者たちがこの場に現れないということは、もしかしたらオルバ商会の護衛たちは今外からやってくる暗殺者に対応してくれているのかもしれないが――目の前の男がどれだけこの商会本部を滅茶苦茶にしてくれたのかも分からない現状。
「悪いけど、通さないよ。イズナ」
「いいねェ。そうこなくちゃよ!!」
正面から互いに突っ込む2人。
槌斧の刃を華麗に跳躍して回避するプリムだが、イズナとて槌斧が彼女を叩き潰せるとは思っていない。
狙いは柄だ。
十字鎗が如何に万能の武器とはいえ、槌斧の柄とは使っている素材が異なる。
ぶつかり合ってしまえば、その膂力でもって十字鎗を叩き折る自信がイズナには有った。
しかし、その狙いはプリムに筒抜けだ。
「分かってるよそのくらい!!」
「ちっ!!」
振るわれる槌斧は空を切る。
宙で引かれた鎗はそのまま次の突きへの布石。
《常山十字:流星一矢》
「ぐっ……!! 強くなりやがって!!」
「おかげさまで、ね!!」
コロッセオ時代の目の上の瘤。
どうやって倒してやろうかと自分なりに色々考えた。
けれど結局、勝ち越すことは無くコロッセオ人生は幕を閉じた。
今と昔と、一番大きく異なることは何だろう。
確かに自らの反応速度が上がったことは今実感出来た。
だが最も大きい経験は、最も得難い経験。
即ち、格上の"十字鎗使い"との試合。
自分に足りないものは何か、十字鎗の弱点は何か、未だ知らぬ強みとは。
常山という故郷で如何に教本を諳んじようと得られない、生で目にする大きな経験こそ。
プリム・ランカスタを一段高みに押し上げた。
「だから、これで!!」
決着させるとばかりに、槌斧を掻い潜ったプリムの鎗が迫る。
狙いは喉元。少し逸らした程度では、十字鎗の戈が喉を裂く。
大きく回避に出れば、もう後は詰みだ。
「――くっ!!」
握りしめた拳は鎗を跳ね上げるに間に合わない。
槌斧を引き戻す時間も無い。
これは――と思ったその時だった。
「マスター!!!」
びっ、と何かに引っ張られるような感覚と共に、プリムの身体が動かなくなる。感覚がない――とは違う。これは、まるで糸か何かで抑えつけられているような。
「モチすけ!!」
「はい、モチすけです。ご無事ですか、マスター」
「いや無事だけどな。あー。クソ、怒るに怒れねえ」
何も知らず、息せき切って追いかけてきたのは――童女。
ルリよりは年上。見た目はパスタと大して変わらない。
真っ白な髪と肌は夜を背景にくっきりと象られ、どこか俗世離れした印象を抱かせる。
がしがしと頭を掻いたイズナは、首を振ってプリムを見やった。
「悪ぃな、プリム。楽しむのも大事だが――こいつに腹いっぱい飯食わせてやらなきゃならねえ。容赦はしねえぜ」
「ご飯くらい今からパーティでも行けばいくらでも食べられるよ!!」
「はっ。そんな都合のいいことがあるかよ」
「あるよ!!!!!!」
あーもう、どうしてこんなことに。
プリムは大きく嘆息して、2人を見やる。
あの少女が何をしてくるのか分からない。
ウィンドと共に、無理やりにでも逃げるべきか――。
「――マスター。この女性との勝率はおよそ7割。攻めるべきかと」
「7割ぃ?」
7割ってどのくらいだろう。
首を傾げるイズナの横で、プリムは額に青筋を浮かべた。
「それ知ってる。10回に7回はキミたちが勝つって言いたいんだよね」
「はい。降伏するなら今のうちです」
「うるさいなあ」
3回勝てるんじゃん。
なんだ、大したことはない。もとより、コロッセオでの勝率も大して変わらない。
「気が変わった。纏めて叩きのめしてやる」
プリムの鎗が、2人組と向き合った。
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