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18 けいえいしゃ は あるきだした。




 ――あの赤髪のお姉さんが、大嫌いだった。


『なんでこんなことも分かんないわけ? またはたかれたいの?』

『ぐすっ……うぇ……ひっぐ……』


 机にかじりついて、教本を片手に。

 初めて現れた時から怖くて厳しくて、ルリにとっては天敵も良いところだった。


 美味しいご飯と、何でもしてくれる人達。

 そして、時間が空けばすぐにやってきてくれる父親(ウィンド)


 それだけなら幸せだったはずなのに、彼女が来訪する度に地獄を見た。


 何度もぶたれた。

 出来ないなら死ぬ他ないと脅された。

 泣きながら頑張った。彼女が漏らした言葉だけが救いだった。


『成績が悪くなったらまた来るから。忙しいのよあたしは』


 1日の終わりにされるテスト。

 それの成績の話だとルリは理解した。

 そうだ。成績が良ければ、"教師"の優しい先生が教えてくれた。

 油断してうっかり先生に甘えると、次の日は赤髪のお姉さんがやってくる。


 だから必死で頑張った。

 一生懸命勉強した。会いたくない一心で。


 次第に彼女が来る回数は減ってきて。


 ここ最近は、しばらく顔を見ずに済んでいた。












『あたしは"経営者"であって"教師"じゃない。ルリの心が歪もうが知ったことか。あいつが早く1人で生きていけるようにするには、これが1番効率が良い。それだけの話よ』











 ――クリンブルーム邸。


「ねえ財務卿。1つ話があるんだけど」

「……なんだ。お前から振られる話題はたいていろくなものではないんだが」

「そう? うまくすれば皇国から税金搾り取れるかもしれないけど」

「ほう、聞こうじゃないか」


 パーティはまだ続いていた。

 やはりまだ気が気ではないルリを、コローナが上手くあやして一緒にもぐもぐしている。片端からつまみ食いしていくメイドどもに言いたいことは山ほどあったリヒターだが、今はこのいけ好かないガキンチョの相手の方が大事だった。


「うちの用心棒に余計なことしてくれた下手人が分かったのよ。状況とかも、軽く捕まえたヤツに()()()()()()わけ」

「それが皇国の関係者だと?」

「皇国貴族って立場で入ってきてるヤツなんだけど。おかしいと思ったのよねー」


 リヒターに接触してきたのは、フードを被ったままの少女。

 先ほど突然現れて、そのまま居座ってデザートだけをパクついている。


 オルバ商会の事情については、リヒターもある程度耳にしていた。

 と言っても、用心棒たる男に随分と物騒な追っ手が差し向けられていることと、フウタや目の前の女がそれに腐心しているという情報程度だが。


 ベアトリクス・M・オルバが仕入れた情報はろくな入手経路ではなさそうだが、それだけに信憑性も高い。


 皇国の貴族が暗殺者を差し向けたと耳にしただけなら、大した問題にはならないが。

 雇った暗殺者の数と、雇った手法を聞いてしまえば納得できる。


「雇ったのは王都の人間。皇国貴族が報奨金を用意しての暗殺依頼。――皇国の商隊からもきっちり税金を取ってる立場としては、どう思うのよ」

「報奨金次第では、立派な脱税行為だな。商業の権利を有していない人間が、商いをしていることになる」

「そうよね。だから奴らは、5000万ガルド相当の報奨金とした」


 ぺろ、と唇に付いた砂糖を舐めるベアトリクス。

 どういうことかと目を細めるリヒターに、小馬鹿にしたような笑み。


「皇国の通貨なんて王都じゃ信用ゼロだから使い物にならない。けれど足が付かないようにするためには、そいつは王都で商業することを公表するわけにいかない。なら5000万ガルド相当ってなに? ――答えは1つよ」

「――5000万ガルド相当の現物支給か」

「その通り」


 おそらくは、とベアトリクスは目を細める。

 相手も"経営者"だ。


 ベアトリクスが得た情報によれば、報奨金は5000万ガルド相当。

 依頼主は不明。依頼はウィンド・アースノートの処分と、ルリ・アースノートの回収。


 このタイミングで5000万ガルドも賭けてたかが用心棒を殺害したい連中なんて、片手の数で事足りる。


 バリアリーフ皇子が無関係だと言うなら、その周辺に決まっている。


 皇国貴族として入都したなら、商隊の中に自らの持つ"商品でない高額な品"を紛れ込ませることも可能だ。


 賞金を担保しているのは、まぎれもなく報奨金相当の物品。


『目当ての商品持ってこなかったのよ、奴ら。おかげでちょっと、不良在庫抱えてるのよね。スパイスとか、香とか、絹とか』


 おかしいと思ったのだ。

 内乱が起きて、外から金品を手に入れたいあの状況で、自国の持つ大きな資源を持ってこないなどと。


 おそらくは、下手人が勝手に自らのものとして事前に買い取った。


「この話を僕にしてどうするつもりだ?」

「え? 決まってるでしょ。――叩き潰すのよ」


 にたぁ、と彼女の表情が歪む。


「奴らの懸賞金を支えているのは、大量に持ち込んだ上質な絹。ウィンド殺害の賞金を出す為には、これを売らなきゃいけない。そうよね?」

「そうだな。だが――」

「そう。足が付かないようにするためには、売れないのよ。自分ではね」


 商売が出来ないからこその現物支給。

 ならば。


「その絹を贈与するつもりだった。――去年と同じくらい持ってくるなら、絹は5000万ガルドくらいの値が付いたわ。去年なら、ねェ……」

「なんて顔をしてるんだお前」


 ペロリと舌なめずりをするベアトリクスの仕草は酷く不気味で、彼女の見た目に反して妖艶なそれ。


「――ところで財務卿。皇国の内乱が酷くなってきたって()、知ってる?」


 その話は、リヒターの耳にも届いていた。

 出所は不明だが、皇国の商隊がやってきた頃には既に蔓延していた話だ。


「……ああ」

「そっかそっかぁ。だから絹もね、去年に比べたら品質が下がってるのよねー。あー、最近は来る度に質が落ちちゃってるかもー」

「……」

「去年までは我慢してあげてたんだけどね、もう限界かも。買い取り価格は変えないであげたけど、現に売価は安くしちゃってるしぃ?」

「お前、まさか」

「さぁて」


 ぐ、と軽く伸びをして。

 ただただ楽しそうに瞳をぎらつかせ、"経営者"は嗤う。


「悪党の時間よ。奴らの信用ごと叩き落として、暗殺者全員買収してやる。――ああ、だから」


 振り返ったベアトリクスは、リヒターの腹部に人差し指を突き付けて。


「泡食って売却しようもんなら、あらん限りの税金搾り取ってやりなさい」

「言われなくともな」


 話は終わったとばかりに背を向ける彼女。


「後はオルバ商会の受けた被害を全て下手人に押し付けるだけ。楽な商売だわ」


 小さくあくびをして、歩き始める。

 ここにはもう用はない。()()()に言伝を告げて、仕上げだ。あとは全て、上手くやるだろう。


 どうせ、皇国との婚姻など、阻止したいに決まっているのだ。


「――ベアトお姉ちゃん」


 そんな時だった。

 背後から呼びかけられた声。


 ベアトリクスは露骨に表情を歪め、煩わしそうに振り向く。

 瞳に映ったのは、見知った童女と――手を繋いだ、メイド。


 何の気なしに目をやった、握られた手は微かに震えて。緊張からか、力が入っていることが見受けられた。


「……なんか用?」

「あのね。ベアトお姉ちゃん」


 無機物を見るような、つまらなそうなベアトリクスの視線を正面から受けて尚。ルリは、真っ直ぐに彼女を見返して、言う。


「ありがと」


 その万感の思いが詰まった四音に、ベアトリクスの口角が下がる。

 拒絶するような、ともすれば泣き出しそうな歪みはしかし一瞬のこと。


「は? あのままじゃ邪魔だったってだけの話でしょ」


 そう突っぱねて、いつも通りのベアトお姉ちゃんが顔を出す。


「用はそれだけ? くだらないことやってる暇があったら、少しはその弱い心をどうにかしなさい」

「でも、ベアトお姉ちゃん」

「あたしはあんたみたいに暇じゃないのよ」


 切り上げてしまえば、ルリも何も言えない。

 これで良い。

 鼻を鳴らして、踵を返そうとして、しかしそこで動きが止まる。


「ありがとな、パスタ!」

「――あんたにそんな馴れ馴れしくされる覚え、1つも無い」

「まー、そう言うなよっ! せっかくルリちゃんに勇気をくれたパスタが、カリカリのまま外に出るのは、メイドったら忍びないっ」

「……知ったこっちゃない。この際はっきり言ってやるけど、あたしはあんたが――」


 ――気に入らない。

 そう告げようとした口に詰め込まれるカップケーキ。


「こいつぁメイドからもお礼だっ」

「なにが」

「おかげでね。生きたい理由、見っけたよ。多分だけどっ」

「……っ」

「パスタがメイドのことよく分かんねーっつってたの、覚えてるけど。メイドもパスタのことはわかんないっ。でもさ? メイド思うんだ」


 ルリと繋いだ手をぎゅっとして、彼女は憎らしいくらいに一点の曇りもない笑顔をベアトリクスに向ける。


 どうしようもなくルリと似た、ベアトリクスの大嫌いな、人を信頼する瞳とともに。


「世の中に期待してみるのも、案外悪いことじゃないってさ」


 その言葉の重みを。その真の意味を。

 ベアトリクスは、分かっていた。

 当然だ。あの日、処刑台を前に特等席で魅せつけられたのだ。


 くだらない、茶番を。そう、思わず言ってやりたくなるような光景を。


「やめて!」


 弾くようにそう告げて。


 困ったような顔をしたメイドと、ルリを。

 半ば睨みつけるように見据えてから、聞く耳持たずに背を向ける。


「やめて。――得があるわけでもないのに、近寄らないで」


 それだけ吐き捨てるように告げて、ベアトリクスは歩き出す。

 どうせウィンドが死んだら、この少女に価値は無い。

 放り出すだけのこと。それで片付くことなのだから。


 その去っていく小さな背中に声を掛けられる者は、ここには1人も居なかった。



 けれど。その背にルリは1人思う。


 ――いつか。あの赤髪のお姉さんが、大嫌いだった。

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