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15 ざいむきょう が かわいそう。


 ――第8区画。


 よろよろと、顎を抑えて歩く男の姿がそこにあった。


「クソ……クソ、許へねえ……あにゃろ……(ほろ)す……!!」


 鉄鐗で砕かれた顎ではまともに言葉を紡ぐことすらできず、直剣を握った男は憎悪に塗れた瞳で一歩一歩前に進む。


 骸の山を乗り越えて、向かう先はオルバ商会。


 ウィンド・アースノートが連れていかれた先は分かっていた。聞こえていた。


 なれば、向かって殺すまで。

 どんな困難が待ち受けていようと、如何に無謀であろうと、ウィンド・アースノートの表情がほんの少しでも曇ることだけを願い、男は歩む。


 その時だった。


「お、生きてるヤツ居るじゃねえか!」

「……あぁ?」

「ウィンド・アースノートはどこだ!」

「あんで、教えなひゃならねえ……」


 巨大な槌――否、斧。片刃の戦斧を担いだ青年がそこに居た。


「なんで、だァ?」


 ぼりぼりと、その赤銅色のぼさついた長髪を掻きながら、青年は渋面を浮かべる。


「聞くのに、理由が要るのか?」

「うるへえ!! 言いたくねえんらよ!!」 

「言いたくねえだァ?」


 どん、と石突を地面に叩きつけた瞬間、波紋のように地響きが広がった。


 男は、槌と見間違えた理由を察する。


 この青年の斧は、刃の部分こそ鋭いが――柄に近づくにつれ、まるで鈍器のように分厚い槌のような形状だ。


 重量のすさまじさは、一瞬で見て取れる。

 槌斧とでも言うべき、大振りの得物。


「言いたくねえってことは……つまり……知ってるってことにならねえか?」


 考え込むように青年は呟き、男を睨み据える。


「俺はバカじゃねえからな、そのくらいは分かるぜ!! 知ってるなら、言えや。言わねえっつうなら、言いたくなるまで殴りつけるぜ!!」

「ふらけんな!! ウィンろ・アースノーろの命は俺のものらぁ!!」

「そうかい」


 青年は槌斧を振るう。風圧で、足元の瓦礫が転がった。


「俺ァ嘘は言わねえ」


 軽々と片手でその槌斧を掲げ、男を見据えて言う。


「んじゃ――殴りつけるぜ。何度でもよ」


 ――少女が追い付いたのはそのタイミングだった。

 勢いよく吹き飛ばされ、壁に背を殴打する男。追撃とばかりに腹部に槌斧を振り下ろす青年を見て、少女は言う。


「はぁ……はぁ……マスター。ウィンド・アースノートの目撃情報を確認しました」


 両膝に手をついて、呼吸を整えながらの進言。

 彼女の声に振り向いた青年は、おお、と目を丸くして。


「よくやった、モチすけ! どこに行ったって!?」

「はい、モチすけです。オルバ商会の人間たちと共に南西へ向かったとのこと」


 モチすけと呼ばれた少女は、無感動にそう報告する。

 無造作なショートカットにされた美しい白髪と、陽に当たったことが無いかのような白い肌。紅宝石もかくやという神秘的な赤い瞳。

 名前はモチすけ。


 なんだか噛み合わないその印象に呆然とする男を置いて、青年は槌斧を担ぎ直す。


「南西ってことは、南と西だろ? つまり――左斜め後ろってことだな!」

「マスター。違います、マスター」

「つまりこっちだ」

「奇跡的に合致しておりますが、そういうことではありません、マスター」

「あ? 何が違うんだよ。合ってるんだろ?」

「合っています。ですが、違います」

「はっはっは、モチすけ。お前はバカだなー! 合ってるってことは、合ってるんだよ! 疲れて眠くなっちゃったか。ごめんな、今夜はもうちょい頑張ってくれよ」

「マスター。違います、マスター」


 呵々大笑する青年は、そのままのしのし歩いて行こうとして。

 そこでモチすけの瞳に駆け巡る魔導術式。


「マスターッ!!」


 叫ぶ。次の瞬間、むくりと起き上がった男が引き抜いた直剣を手に、背後から青年に襲い掛かった。


「お前らみたいなやつにいいいい!!!」

「あ?」


 肩に担いだ槌斧を振るうような時間はない。

 獲った、と口角を釣り上げる男の直剣を――青年は左手で掴み取った。


「……い?」

「しけてんなあ。正面からじゃ勝てねえって、後ろから来たのか? お前はバカだなあ」


 ぐ、と青年が力を入れた瞬間、直剣が砕け散る。


「俺が振り向けば、結局正面ってことになるだろうが」

「ぎゃぱっ!?」


 そのまま顔面に叩き込まれた拳に10メレトは吹き飛ばされ、頭から壁に頭を打ち――その威力にたまらず崩れる外壁に呑まれて、男の姿は見えなくなった。


「おうい、モチすけ」

「はい、モチすけです。マスター、ご無事ですか」

「おう。まあ言われなくても気付いたけどな! ありがとよ!」


 ぐしぐしとモチすけの頭を撫でつけて、彼は闊歩する。


「よし、目的地は左斜め後ろだ!」

「マスター。違います、マスター」














 ――クリンブルーム邸。


 リヒター・L・クリンブルームがパーティを開く。

 王国社交界の貴公子とも名高い彼の主催ともなれば、多くの貴族たちが詰めかける――と思いきや、今日の催しは貴族のパーティとは一風変わったものだった。


 というのも、リヒターが招いたのは貴族や王族ではなく自分の門下で仕事を全うする文官たち。


 そして、リヒターが個人的に呼んだ、世話になっている人間だった。


 以前フウタとの話題で出た、部下を報酬以外でも慰労するという企画。


 仕事外の時間にも職場のトップと顔を合わせるのは実際いかがなものかと考えたリヒターであったが、思いのほかというべきか、部下は皆乗り気であった。


 想像以上に喜ぶ文官たちに、人知れず胸を撫でおろすリヒター。


 仕事はこの先も多く降りかかることだろうが、皆頑張って欲しいと手短に挨拶だけ終えて、立食形式の会食へと場は移る。


 入れ替わり立ち替わりリヒターには多くの――特に若い女性の文官が挨拶に来るものの、だいたいを秘書が軽くあしらっていた。


「いや、ミオン。彼女たちはもう少し話したそうだったが」

「リヒター様にご挨拶を、という方は多くいらっしゃいますので」

「そうは言うが」

「それから、結婚相手はもう少し慎重に選ぶべきかと」

「いや、僕もえり好みしていられる歳では」

「貴方1人の身体ではないのですよ」

「いや、まあ、うん。それは結婚してから言われる言葉ではないか?」

「国が貴方を必要としています」

「それは……後進にも頑張って欲しいところだが」

「ですので、もう少しきちんと貴方をサポートできるような方が良いかと」

「理想が高すぎると婚期を逃すと言うだろうに……」


 などと。

 珍しくゆったりとした会話を楽しんでいたリヒターの視界に、1人の青年が現れた。


「フウタか」

「ああ。招待ありがとう、で良いのか?」

「別に肩ひじ張らずとも良い。今日はそういう礼儀を求めてはいない」


 貴族も殆どいない晩餐会だ。

 ライラックの出席すら渋ったとあって、殆どが平民か、平民と変わらない程度の立場の貴族しか居ない。


 それなりに広い会場を見渡して、フウタもなるほどと頷いた。


「で」


 リヒターは腕を組む。少しだけ視線を下に持っていくと、そこに居た。

 フウタと手を繋いだ、童女が。


「めいどぉー!」

「どういうことだ。王宮の洗脳教育か」

「いや……勝手に懐いた、かな?」

「悪魔にもアヒルのような刷り込みがあるのだな」

「そこまで言う?」


 服装がメイド服というのもいただけない。

 最近、あまりに心労が祟るせいで家を任せている侍従の服装を全て執事服に改めさせたくらいだというのに。


 おかげで、リヒターの背後に控えている秘書の少女(ミオン)ですら執事服だ。


「出たなもっぴー――んがっ」


 びし、と指さした彼女の頭を、リヒターがぐわしと握る。


「もっぴー言うな、このちんまい天敵が」

「いつからメイドが天敵になったんだよリヒターさん……」

「お前が来てからだフウタ」

「謝った方が良いのか?」

「謝られても僕の溜飲は何も下がらん」


 じたじたと暴れる童女――ルリは、頭を掴まれて全くその場から動けない。


「ふっ……僕の勝ちだな」

「あんたそれでいいのか?」

「……言うな」


 さっと目を逸らし、我に返ったリヒターはルリから手を放した。

 瞬間、噛まれた。


「おうおっほほぅほーう!!!!!!」

「あ、こらルリちゃん、ダメだよ噛んじゃ」

「もっぴー、食べ物じゃない?」

「ああ。モッピーは食べ物じゃない」

「誰がモッピーだ、誰が!!!!」


 歯型の付いた親指をふーふーするリヒター。

 秘書から手渡されたハンカチで、煩わし気に手を拭う。


「全く……メイドというのはどうしてこうも」

「いや、何だろう。メイド界のスタンダードはこれじゃないと思うんだけど」

「僕の周りのスタンダードがこれになってしまっているんだ。悪夢でしかない」

「それは全員執事服に変えたからじゃ」

「おのれ、何をどうしても忌々しきメイドの呪縛からは逃れられないというのか」


 この人ほんと苦労してるな、とフウタは少し遠い目をした。


「お酒のお代わりいかがですかーっ」


 と、そこに給仕がやってきた。


「ふむ、いただこう」

「めいどありー。フウタ様はー?」

「え、じゃあ、ありがたく」

「めいどありー」


 2人の手に新たなグラスを手渡して、給仕は持ち場らしき会場の中に戻っていく。


 リヒターは酒の香りを楽しみ、中々に高級な酒を開けたものだと感心しながらひと口。


「ほう。これは、僕のセラーにもある高級酒だ。このパンチェッタとの相性は抜群と言っても良い」

「……」


 後で食べるつもりでいた、すぐそばのテーブルにあるパンチェッタを口にして、酒を飲み、頷く。


「ああ、格別だ。しかしどこから持ってきたのだろうなこの酒は。今日は全て外注の――」

「……」

「――待て、フウタ」

「ああ。待ってたよずっと」

「そうか。それは礼を言おう。1つ聞きたいことがあるんだが」

「うん、いくらでも聞くよ」

「……お前、今日は何人で来た?」

「3人かな」

「2人しか見えないのは僕の目がおかしいか?」

「いや、正常だと思う」

「そうかそうか……」


 パンチェッタを酒で流し込んだリヒターは、満を持して言った。


「……何故ヤツはうちのパーティで勝手に給仕を?」

「俺に聞かれても困る」

「お前のメイドだろうが!!!!」


 めいどー! めいどー! とあちこちで給仕に活躍中のメイドが、フウタの目にもはっきり見えていた。

 挙句、シェフたちと「コローナちゃん、こっち持ってって」「ハイハーイ」などと会話をしている始末。


「トレイ・サーフィンっ!」


 ついでに広い会場を移動するためか、お盆で滑るなどという暴挙まで犯していた。


「つまりあれだ」


 リヒターは、呆然とその光景を眺めながら言った。


「これは僕の酒だな?」

「気づいちゃったか……」

「気づいちゃったかではない!! 結構良い値段するんだぞ!?」

「いや、うん、俺に出来ることで何とか返しますんで」

「ふざけるな。お前を勝手に使ったら後で殿下に何を言われるか」

「じゃあ……ライラック様には俺の方から」

「想像してみろ。良いか、このパンチェッタは相当に良い品だ。そして、この酒はパンチェッタに抜群に合う高級酒だ」

「……あ、ああ」

「殿下の言うことは決まってる。『ですが貴方は最高の飲み方をしたのでしょう?』だ。クソ!!」


 一気にグラスを空けて、パンチェッタを掻っ込むリヒター。


「クソ! 美味い!」

「……ミオンさん、この人相当疲れてるんじゃ」


 流石に心配になったフウタが、リヒターの背後に佇む秘書に問いかけると、彼女は真顔で頷いた。


「可愛らしいですよね」

「えっ」

「……?」

「いや小首傾げても発言の凄まじさは隠し切れませんが?」

「今日は無礼講だとリヒター様ご自身が」

「便利な言葉だな……」


 リヒターを真に思いやれるのは自分だけか、とフウタは憐憫の目を彼に向けた。

 だがそもそもフウタが来なければこんなことにはなっていない。


 リヒター・L・クリンブルームの受難はまだまだ続く。


「リヒターくーん! こっちのテーブル美味しいもの無い?」

「無い。持ち場に帰れ」

「やだなー。この会場くらいどこに居たって一緒だって」


 現れた十字鎗の少女に、溜め息を吐くリヒター。


「リヒターさん。プリムは今日も護衛の仕事なのか?」

「やあ、フウタくん。ほんとは休みの日なんだけど、パーティと聞いてやってきたってわけさ。何もしないのもアレだし、護衛くらいはするよー、って話だよ」

「なるほど……相変わらずよく食べるな」

「そーお?」


 せめてパンチェッタと酒を美味しくいただこうと思っていたはずのリヒターのテーブルから、もりもりプリムのお腹に仕舞われていく食材たち。


「いやー、どこのテーブルも美味しいものがいっぱいで困っちゃうよ」

「そんな無料だからって」

「お金のことは別に気にしてないよ。いつものことさ」

「そうか……」


 そういえばこの前、お菓子もよく食べていたなと思い出すフウタだった。


 リヒターは悲しそうな目でテーブルとプリムを交互に見て吐き捨てた。


「蛮族め」

「あー、またそうやって差別するー」

「差別なものか。どうしたらその身体にこんなに大量の食材が入る」

「どうしたらって言われてもなぁ。……あ!」


 心当たりを見つけたように、プリムは手を打った。

 リヒターは嫌な予感がした。


「運動してるからだよ! やっぱりリヒターくんは身体が鈍ってるからそれっぽっちしか食べられないんだ」

「そんなことはない」

「ダメだよ座って文字書いてるだけの生活なんて! 今のうちから身体動かしておかないと後できついよ!」

「……最近お前はよく"今のうちから"と口にするが、何の話なんだ」

「ぴゅーぴゅー」


 へたくそな口笛だった。

 大方彼女は、コロッセオにリヒターをエントリーさせるためにそんなことを言っているのだろうとフウタは理解する。

 本人に言っても断られるから、ライラックに直接言おうとも言っていた。


「そんなに運動がしたいなら1人でしろ」

「1人ではいつもしてるもん。リヒターくんと違って!」


 ぎゃーすかぎゃーすか何やら盛り上がり始めた2人をぼんやり眺めていたフウタだが、ふと袖を引かれる感触に気付いて見下ろした。


 口の周りを調味料でべちゃべちゃにしたルリが居た。


「あーあーもう」

「んー!」


 ハンカチでごしごし拭ってやると、気持ちよさそうにしていた彼女。

 しかし用件はそれではないようで、ルリは言う。


「ルリね、パパにもあげたい」


 一瞬何のことかと思うフウタだったが、彼女が指を差しているのはテーブルだ。

 なるほど、美味しいものを父親に分けてあげたいという優しい娘心だった。


「んー、そういうのは良いのかな」

「――別に構わん」


 いつの間にか言い合いをやめていたリヒターが口を挟む。


「ミオン、少し包んでやれ」

「はい」


 その場を去っていく秘書を見送って、フウタは問う。


「良いのか?」

「礼儀を気にするなと言ったろう。……気にしないにも程がある連中には絶対に言いたくないがな。お前とかお前とか」


 プリムとルリを指さすリヒター。


「だがまあ、メイドにも人の心があるというのなら、それを否定はするまいよ」

「確か、ウィンドさんって今オルバ商会の本部で寝てるんだよね? 私が持ってってあげるよ」

「いーの!?」


 リヒターの口から零れた言葉には哀愁を感じないでもなかったが、プリムはにこやかにウィンクすると、ルリの頭を軽く撫でて笑う。


「いいのいいの。家族は大事にするものさ」

「ありがとお姉ちゃん! もっぴー!」

「うんうん。良いってことさ」

「この小娘……」


 はあ、と一息ついて。

 ちょうどいい厄介払いだと、リヒターも頷いた。


「そうだな、せいぜい運動してくると良い」

「うん、ちゃんと私の分も料理、残しておいてね」

「あれだけ食べておいてまだ食べるつもりかこの女」



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