14 おうじょ は すこし かんがえる。
――王城、王女私室。
時は遡り、コローナやフウタが王城に戻ってくる少し前のこと。
王国第一王女ライラック・M・ファンギーニは、正面のソファに悠々腰かける青年と向き合っていた。
いつでも気品を忘れず、ストレートの白いドレスに身を包んだライラックは、そっとドレスグローブ越しに自らの唇を撫でた。
彼女の口角は微妙に下がっており、瞳には呆れにも似た軽蔑の色が窺える。
それというのも、正面に座る男の服装が問題だった。
「……寒い季節になってきましたね」
「王国の寒季ナメてたわマジで。超さみーの! やべえ!」
けらけらと笑う青年――バリアリーフ第五皇子の格好は、およそ勝手に外へ出かけていった時と同じ。
上からコートのようなものを羽織っているのがせめてもの温もりだが、短パンというのが何とも片手落ちだった。
素足であるし。
「……貴方が、自らのありのままを見せると言ってその様子なのであれば、国王陛下もきっと御考慮くださいます」
「それ、婚約破棄ってことじゃね!?」
「さあ。お父様の深いお考えは、わたしのような子供では何とも」
「うーわ、超笑うじゃんライラっちゃん」
ま、いいや。
そう後頭部に両手をやって、足を組むバリアリーフ。
少し雰囲気を変えた彼に、ライラックの瞳が合わせるように細まった。
「あんさ。超さみーじゃんか。マジ、外で一夜とか、普通に終わるっしょって感じっつーか」
「オール?」
「一夜を明かすぜ的な」
「なるほど」
皇子の言わんとしていることは、ライラックにも伝わっていた。
つまりは治安の話だ。
王都の中心地から外れた箇所では毎日のように死亡者が出ているし、その殆どが飢えや衰弱によるものだ。家もなく職もなく、少しでも温かい王都の小路に住み着いた者たち。
下手を打てばフウタも同じ場所の住人になっていたのだから、ライラックとてその状況は把握している。
「んで、その辺ライラっちゃんはどう考えてんのかなって」
「貴方に話す理由はありませんが、対策は既に考えています」
「超絶塩いんですけどこの王女様! マジつれえ! えー、ちょマジどーすんのヒント! ヒントだけでも教えてちょ!」
「…………」
凄まじく嫌そうな顔をするライラック。
「……職を与えるというだけです。"職業"関係なく」
「なーるーほーどーねー。ゆーてもライラっちゃん、法国とのご縁切っちゃいました的な感じだし? なんかでけえ事業でもある系か。――たとえば、王都の中心に造っているものとかね」
「さて、そこまで答える気はありませんが」
ライラックはそっと紅茶に手を触れた。
この男、既に国営事業の関係にまで情報網を広げていたか。
――バリアリーフに聞かれたとしても、今のところ実害はない。
だが、伏せられるものは最後まで伏せておくのが定石だ。
国営事業コロッセオ。
その建築から経営に至るまで、多くの人足を必要とすることは分かっている。ライラックはそこで"職業"無関係に人間を雇いつくすつもりでいた。
人間は"職業"の奴隷ではない。
それを示すために、頂点だけでなく裾野に至るまで全てで"職業"を否定する。
需要と供給が見合っていないせいで外へと押し出され、職を失った人間たちへの救済。
たとえば"経営者"などがその最たる例だ。
彼らが何百人居たところで、土木工事1つ出来やしない。
需要に対して供給が多すぎる職業など、潰し合う他ないのだ。
人の幸せは、決して職業に従事することに非ず。
"職業"と合致していない仕事をするからなんだという。
笑いものにされる今の世界をこそ、壊すべきだ。
「やー、何が出来るのか、オレだけ知らねーってのもハブられてる感じしてテンション下がるっちゅーか?」
「……さて、どうでしょうね」
「ライラっちゃあん」
頼むよー、と情けない声を出すバリアリーフに、ライラックは小さく嘆息した。
別に、折れたわけではない。
むしろ、そろそろこちらから仕掛けるべきだと思ったまで。
この数日間である程度、バリアリーフという男の素性は理解出来た。
決して馬鹿ではない。そして明確に目的を持ってこの街を訪れている。
矛盾はない。しかし――本当のことも言っていない。
「……王都を見て回ったのですね、皇子」
敢えて、時間差でバリアリーフに問いかけた。
先ほど自ら治安の話を振ったのだ、突っ込まれるだろうとは思っていたはずだ。
だが、このタイミングで仕掛けてこそ意味がある。
ほんの少しの動揺でも見せようものなら、と思ったライラックだったが、案外とバリアリーフは平常心だった。
「ゆーてもオレ、この国に住むし?」
「です、か。それはどのような目的で?」
「目的?」
解せない、とばかりにバリアリーフは首を傾げた。
それはそうだ。一番の目的については既に話をした後だ。
ライラックのことだから裏付けも取れていることだろうと判断する。
もしも、親父に出来る最後の親孝行、以外の目的があるとすれば。
「超可愛い女の子とイチャイチャしたい」
「はあ……またそれですか」
「や、だから全然ライラっちゃんも――」
そこまで言って、一瞬バリアリーフは口ごもった。
思い返されるのは、ウィンド・アースノートとの出会い。
『ウィンちゃんはさ、たとえばオレが……アザレアちゃんと結婚したとして。ウィンちゃんと全然いちゃついて良いよっつったら、どう思う?』
『損得で利用しあう愛する人を見るのは、やはり辛い。大事な人には、最も大きな幸せを享受して欲しいと思うのが、人間の性です』
「……ライラっちゃんさ。好きなヤツ居る?」
「は?」
急に何を、とライラックは固まった。
こちらから質問を投げかけていたはずだ。
冗談にしては粗雑。表情は割と真剣と来た。
さて。何と返したものかと悩みかけ――何故悩む必要があるのかと首を振った。
「居ませんが」
「そう? 家族になりたい、みたいな相手居ないの?」
「……貴方ほど、家族というものに神聖さを感じておりませんので」
「じゃあ、イチャイチャしたいとか」
「わたしにそんな悠長な時間は必要ありませんから」
「そっか。……マジなら、オレも楽なんだけど」
「マジですが」
「ライラっちゃん、マジとか言ってくれるんだ?」
「どうでもよろしい」
見透かしたようなバリアリーフの瞳が無性に苛立たしいが、そこはそれ。
所詮ポーズだろう。そうに違いない。
如何に彼が自分の心中を見抜くほどの瞳を持っているからと言って、動揺する必要はない。
そう。こんなことでテンポを崩されるわけにはいかない。
ふう、と息を吐いて、ライラックはバリアリーフを睨み据えた。
「他には?」
「他? あー、目的の話か。なんだろ。え、イベントとか? 超やりたいよね。イベンターバリアリーフ的な?」
「他には?」
「え……他……王国の酒でプール作りたい……とか……」
どんどん、真面目な方向から逸れていくバリアリーフの目的。
ただ。
おちゃらけているわけではなさそうだ、とライラックは渋面を浮かべた。
「全て手配したら帰りますか?」
「いやいやいやいや、一番の目的は親父だからね?」
「です、か」
「ライラっちゃん、どしたん?」
何を聞かれているのか分からない、といった風のバリアリーフ。
それがポーズでないことを、ライラックは感じ取ってしまった。
だからこそ、分からない。
彼には、何等かの強い目的がある。
ライラックはそう確信していた。17年を生き抜いてきた彼女の、最も信頼する自らの眼が訴えている。
数日間の彼のプロファイリング。彼の動きには、あるべき"気迫"というものが無かった。目的が無い無気力ではない。
もっと別種の、来るべき目的に備えているような。
或いは、目的を待っているような。
ただ、今のバリアリーフとの問答に致命的な矛盾が生まれている。
彼の言葉は、嘘ではなさそうなのだ。
「あのさ、ライラっちゃん。初めましてにもゆーたけど、オレ、別にライラっちゃんを困らせたいわけじゃないんだわ。聞かれたことには、マジ答えるつもりでいっから、言って欲しい」
「……そうですね。貴方くらいです。わたしが、そう。ヒントを求める相手は」
「はは、超嬉しいわ。っぱ"職業"……ってーと、ライラっちゃんめっちゃ不機嫌になるんだった」
「貴方に気遣って欲しいとは思いませんが」
そう告げつつ、ライラックは真っ直ぐバリアリーフを見つめて言った。
「貴方、他に強い目的があるでしょう」
その問いに、バリアリーフは目を見開いた。
「――。……確信があった、的な?」
「ええ」
「マジかー。……そっかー」
ぼりぼりと、桜色の短髪を掻くバリアリーフ。
彼の視線は、一瞬だけ自らの傍らに置いた、刀へと向く。
しかして。
ゆるゆると首を振った。
「有っちゃ、いけねえんだわ。その目的は」
「……有っては、いけない?」
「ああ。オレは、バリアリーフ・F・クライスト。皇国第五皇子にして、親孝行の為にこの王国へ来た」
そう、自らに言い聞かせるように宣言するバリアリーフに、ライラックは静かに目を閉じた。
なるほど、と納得する。自ら望み求めながら、しかして叶えるつもりのない目的。
であれば、矛盾はない。
「悪ぃ、ライラっちゃん。見透かされるくらいマジなのは認める。けど、それがこの国に来た理由ってわけじゃねえんだ。……それじゃあオレは結局、親父に顔向けできねえんだ」
「それはつまり、我欲だと」
「ああ」
「です、か」
なるほどなるほど。
宛が外れた。
そっと窓の外に想いを馳せるように。
ライラック・M・ファンギーニの持つ空気が変わる。
王女のそれから、"奸雄"へと。
とぼけたように、本当に深窓の令嬢のように、柔らかく。
まるでバリアリーフの方など見ずに、彼女は告げる。
「安心しました」
「……ライラっちゃん?」
ふんわりと、笑み。
「貴方の腹心が王都で勝手にやっていることとは、無関係だったのですね」
「……なんだって?」
――王城、フウタの部屋の前。
バリアリーフとの問答を終えたライラックは、一度執務室で残った仕事をこなし、フウタの周辺で起きていた事変の話を聞くために彼の部屋へと向かっていた。
その足は、そう。少しばかり苛立っていた。
というのも、腹立たしいメイドのせいである。握りしめた小箱はオルゴール。どうせ彼女が自分のそれを持っているのだろう。
今日という今日は一喝くれてやらないと気が済まない。
許せない。
人をびっくりさせるなんて。
つかつかつかつかと、その歩みは速く。
こんな状況だから、ノックをしてやるつもりも無かった。
さて第一声で何て言ってやろうかと思いながら、彼女は扉を開く。
「コロ――」
言葉の途中で、途切れた。何故口が、喉が、頭が。動かなくなってしまったのか、その時は分からなかった。
けれど、見開いた目に飛び込んできた光景は。
「そろそろお着換えの時間ですよーっ」
「やー……」
「眠いのは分かるけど、パーティ行けないぞ?」
ソファに並び腰かけて、幼子を抱く2人の姿。
寄り添う肩は睦まじく、ぐずる幼子に向ける瞳の名は慈愛。
まるで。
『そう? 家族になりたい、みたいな相手居ないの?』
『……貴方ほど、家族というものに神聖さを感じておりませんので』
どうしてだろう。
たった一歩、部屋に踏み入る気力さえ、失われてしまったのは。
「あ、ライラック様」
それでもフウタは、ライラックに気付くやルリをコローナに預けて立ち上がった。
「ルリちゃんの件も含めてお話したいことが――」
「フウタ」
その彼を押しとどめるように、ライラックは告げる。
「おおかたの事情は把握しています。そちらはベアトリクスが上手くやるでしょう。パーティの件、財務卿には宜しく伝えてください」
「え、あ、はい」
「コローナ。オルゴールはここに置いておきます。わたしのものは、時間がある時に戻しておくように。……忙しいので、わたしはこれで」
「ほ?」
それだけ言って、ライラックは部屋の扉を閉じた。
息を吐いて、廊下を行く。
だって、そう。
「わたしにそんな悠長な時間は必要ありませんから」
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