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10 フウタ は だいはちくかく に やってきた!




 ――王都北東第8区画。


「オーシャン・ビッグウェーブさん……ですか」

「おーよ! めっちゃノリにノッてます的な? うぃーっす!」


 焼き鳥串を咥えたまま、ノリノリで敬礼をかますバリアリーフ。


 ウィンドはそんな彼を見て、ふ、と笑った。


「……さようでございますか。や、助かりました、オーシャンさん」

「…………あー」


 ぼりぼりと、その桜色の短髪を掻くバリアリーフ。

 ウィンドのその優しい視線と、苦笑にも似た笑顔に、一瞬空を見上げた。


 綺麗な青空に雲が流れる姿は、自由で、爽快で、自らが好む海の波を思わせる。


 少し黙って、バリアリーフは首を振った。


 ――何故かは分からないが、どうやら自分の本当の名前は、このおっさんにはバレているらしい。


 ただ。オーシャンさん、と口にしたところを見ると、今のところはそれで通してくれるようだ。


 ならば、露見していることを問い詰めるのは、野暮というものだろう。


「ま、いいや。ウィンちゃん、これからどーすんべ」

「どうする、と言われましても。ほとぼりが冷めるまで、表には出ない方が良いでしょう」

「ちょおちょお、そりゃ無茶ってもんでしょー。マジ群れでぶっ殺し来てる連中を1人で相手取るとか、幾ら時間あったって無理寄りの無理っちゅーか。衛兵に匿って貰った方がマルいんじゃね?」

「はは。私だけなら、それでも良いのでしょうがね」


 地面に腰を下ろし、壁に背を預けたウィンドは、懐から葉巻を取り出して火を熾し――盛大にむせた。


「ちょ、ダサくねウィンちゃん……?」

「ははは。もう6年も、禁煙しておりましたもので」

「ほーん?」


 ウィンドの隣で、壁に寄りかかるバリアリーフ。

 両手を頭の後ろで組み、ウィンドを見下ろすその視線は、およそただの世間話ではないだろう彼の言葉の続きを待っていた。


「娘の名は、ルリと言います。母親の名は、アザレア」

「――」


 す、とバリアリーフの目が細まった。


 ウィンドの吐き出した紫煙が、波間に揺蕩うように、海のような空へ消えていく。


「私は、彼女の護衛でした。護衛とは、雇い主を守る仕事。だというのにね。私は、彼女を一度だって、守ることが出来なかった」


 情けなく首を振るウィンド。

 立ち上る煙をぼんやりと眺めていたバリアリーフは、ぽつりと呟いた。


「そのアザレアちゃん? はさ。結婚生活、どうだったんだ?」


 お前との結婚生活、とは聞かなかった。

 もう分かっていた。この男は、ルリの父親ではない。

 いや、父親ではあるのだろう。実の親より、よほど。


 けれど、血は。

 彼と娘との間に結ばれた縁は、きっと血によるものではないのだ。


 バリアリーフは全て察してしまった。

 アザレアという名を、わざわざ自分の前で出したことと。

 そして、おそらくは自分の正体に気付いているであろうこと。


 だって、アザレアという女性は――。


「さて。彼女から不満を聞いたことはありませんでした。いつも、そう。私の娘と同様、笑顔の絶えない方でしたから。――ただ」


 ウィンドは、こぼすように呟いた。


 脳裏に今でもはっきりと焼き付いている、6年前。


 ルリとよく似た、アザレアのようなピンクの髪の女性。

 柔らかな笑みがよく似合っていた、ルリと同じ病弱な女性。


 咳を交えながら病床で、いつも『大丈夫大丈夫』と笑っていた彼女。


 日に日に弱っていく彼女は、婚姻を結んだ男のことを、いつも立てていた。


 だが。


 ウィンドは聞いてしまった。

 食堂の前を通る際に、中でされていた会話。

 それは、彼女の夫である男の、下卑た笑いの混じった声。


『皇家の姻戚になってしまえば、もうあの女は用済みだ。さっさとくたばってくれてかまわんよ』


 ――思えばその時から、ウィンドは。


 その娘をあの男に利用されることが、心の底から我慢ならなくて。


『私が死んでしまったら、ルリのことは――ウィンド。貴方に頼むね』


 あの言葉は、ウィンドにとっての免罪符だったのだ。



「ただ私は、許せなかった。私の愛した人を、ああも利用し投げ捨てた男のことが」

「……」

「勝手なことをした罰が、私に降る分には構わないのですよ。むしろ、良い裁きの時間だ。ですが、ルリは無関係。彼女に累が及ぶことだけは、避けねばならない」


 そうだ。これは、自らの行った身勝手に対する罰なのだ。


 誰に迷惑をかけるわけにもいかない。

 ただ、この時間を切り抜けることが出来たなら、ルリの為にまたこの命を使い切ろう。


 ウィンドにとっては、ただそれだけの話。


「……ウィンちゃんは、アザレアちゃんに惚れちまってたってわけだ」

「ええ。結ばれないと、分かっていましたが」

「そっかー……」


 バリアリーフは大きく、溜め息を吐いた。


「……結婚って難しい(むじー)な」

「はは。私には分からぬ話ですな」

「ゆーても、子供居る系じゃん」

「それは……」


 少し驚いたように、目を見開くウィンド。

 バリアリーフは、完全に事情を把握しているはずだ。

 ここまで話したのだ、おそらくバリアリーフならば推測できる。


 アザレアという名前も、偽名ではない。


 ――隠せぬ罪科は、バリアリーフの祖国の問題。


 だというのにあっさりと、彼はルリを、ウィンドの娘だと認めたのだ。


「オレ、このままいけば綺麗な子と結婚出来るんだけどさ」

「はい、それは……おめでとうございます」

「や、ほら。そこはそれ、別にお互い好きでもなんでもないっちゅーか?」

「……」

「多分だけど、アザレアちゃんと一緒、みたいな」


 ゆっくりと顔を上げるウィンドに、自嘲じみた笑みを返すバリアリーフ。


「ウィンちゃんはさ、たとえばオレが……アザレアちゃんと結婚したとして。ウィンちゃんと全然いちゃついて良いよっつったら、どう思う?」

「…………さて。どうでしょうな」

「オーシャン気になるんっすわー。超気になるんすわー!」

「しかるべき事情があるのなら、致し方のないことかと。――ただ」


 そう、ただ。


「損得で利用しあう愛する人を見るのは、やはり辛い。大事な人には、最も大きな幸せを享受して欲しいと思うのが、人間の性です」

「最も大きな幸せ、か」

「凡百の庶民の戯言と、聞き流していただいて構いません」

「――いや」


 首を振って、バリアリーフは告げた。


「ありがとう」


 そして、彼は背を向けて歩き出す。

 彼の去っていく姿を、ウィンドは静かに見つめていた。


「裁きを受けるっつーならよ、ウィンちゃん」


 一身に受けるその想いは尊いと、バリアリーフは思う。

 自らがしでかしたことは確かに身勝手で、多くの人間に迷惑をかける行為だった。


 けれど、きっと確かに。


 1人の女性の願いと、1人の少女の幸せはもぎとった。


 だから。


 立ち止まり、半身だけ振り向いて、バリアリーフは告げた。


「――罰のみに非ず。貴殿の功もまた報いがあるものと心得よ」


 バリアリーフの来訪は、罪も功もない偶然だ。

 故にバリアリーフはこの場を立ち去る。何故ならば、彼が受けようとする報いに反する行いであるから。


 だが、きっと彼の良き行いを、その義を、見て手を差し伸べる者はいるはずだ。


 その手を取れと、彼は言った。


 路地を抜けて、ウィンドの姿が見えなくなって。

 一度立ち止まって、バリアリーフは空を見上げた。


 空の波間に、紫煙は見えず。


「……なにさせてんだよ、姉ちゃん」


 ままならない過去に、バリアリーフは小さく歯噛みした。




 












 ――王都北東第8区画。


「やっぱり妙よね」


 フウタに背負われながら、パスタは彼の耳元でぽつりとそう呟いた。


 駆けるフウタの息は切れず、むしろパスタの連れてきた商会の武人たちの方がぜえはあと呼吸を整えている状態。


「妙ってなんだ。外したってことか?」


 当たり前のように呼吸1つ乱さず言葉を返す彼に周囲の人間はぎょっとするが、パスタにとっては最早驚くだけ無駄である。


「ああ、全然別の話。さっき帳簿捲ってて気づいたのよ。皇国からの商隊絡み」

「皇国の商隊……? ほんとにウィンドさんと関係ないな」

「どうかしらね。ウィンドを狙ってるヤツが皇国出身な可能性は否定できないわ。このタイミングだし、あいつ皇国出身だし」

「そうだったのか」

「まあ、別にそれと結びついてるかは分かんないんだけど。思ったより買い叩けなかったのよ。皇国の商品」

「はあ……?」


 よくわかんないなー、という顔のフウタ。

 もとよりパスタも、別にフウタに理解してもらいたいなどとは思っていない。


 フウタの速度で走っていたら、パスタにウィンドを探すことなど不可能だ。

 だからそれは彼や、連れてきた護衛たちに任せて、自分は先ほど執務室で見た帳面を思い返していた。


 積み重なった山のような帳簿の細かな数字を、一日暗記しておくくらいパスタにとっては造作もないこと。


 抜けや漏らしが無いかと再確認している中で、別の不審点に気付いたというだけの話だった。


 それが即ち、皇国の商隊からの買い付け金額。


 皇国からやってきた商隊の卸し作業は全てオルバ商会が執り行っていた。

 今まで溜め込んでいたものも含め、セールと称して皇国の品を売り捌いているのもまた事実だ。


 その売り上げ金額の方は予想通りだが、買い付けがいまいちだ。


「皇国の品って、結構モノが良いわけ。だから高いのよ。煩わしいことに。奴らの名産品を如何に安く仕入れるかっていうのは、1つの勝負どころなんだけど……なんというか、肩透かし。皇国から使者来るのは知ってたし? ある程度準備はしてたんだけど」

「なんだ、失敗なら失敗で良いじゃないか」

「理由の分からない失敗なんて、何の利益も無いじゃない。馬鹿じゃないの」

「理由の分かる失敗なら次に活かせる、か」

「分かるなら分かるで、頭使わずに返事すんのやめてくれる?」

「降ろすぞ」

「ぐっ……人の嫌がることがよく分かってるじゃない……」

「誰かさんのおかげでな」


 ふん、と鼻を鳴らしたパスタが続ける。


「噂ってのはね、そこにあるだけで十分効力を発揮するものなのよ。だから本気で仕込んで、皇国皇子の来訪に合わせて結構買い付けた」

「それ、向こうは値段上げるんじゃないのか?」

「だから情報よ。ほら、内乱起きてるでしょ、あっち。だから生産量も落ちてるし粗悪品も多いってことで、値段引き下げてるのよ。2年くらい前から、他の国でも皇国で買える品を注文して、価値を下げてるとこ」

「うわ……入念な……」


 2年前に内乱を知ったパスタは、そこから皇国の品を安く買い付ける為に多くの仕込みをしていた。

 虚実の混じった情報操作を含めて、遠いところからわざわざ売りに来た皇国から安く品を買い付ける。

 それが出来ていたからこそ、皇国の良質な品を、今はある程度安価で、時期を見て高級品として売り捌くことが出来るということだった。


「じゃあ何で、買い付けしくじったんだ?」

「目当ての商品持ってこなかったのよ、奴ら」

「なるほど……」

「おかげでちょっと、不良在庫抱えてるのよね。スパイスとか、香とか、絹とか」

「補充されると思ってたものが、されなかった、と」

「そういうこと」


 来る商隊に合わせて、先んじて準備をしておく。

 ――だからこそ、法国からの来訪に合わせて"魔女"を売り飛ばすなんてことをやったのだろうが、そこはそれ。


「向こうも売れるもの売れないと厳しいと思うけど。詳しいことは、明日にでも商会で聞くとして――」


 瞬間。地鳴りのような鈍い音。


「まずは、ウィンドさんだ」

「そうね」


 ぽん、とフウタの背から飛び降りたパスタは、連れてきた護衛の1人の背後に隠れる。


「ちょっとフウタ。あんた、集団相手でも平気なんでしょうね」

「ん? ああ」


 対戦相手を模倣する。

 そういう話をしていたからだろう、眉をひそめたパスタに、フウタは頷いた。


 確かに演舞場では一直線に駆け抜けていたし、多数相手の戦闘は見せたことが無い。


 だが、フウタは笑って言った。


「むしろ、数が多い方がやりやすい」


 その両手には、護衛の1人から手渡された鉄鐗が握られていた。

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