05 フウタ は おうじょ と はなしている!
――王女私室。
フウタとコローナが、ルリの面倒を見ている頃。
「短刀を刺すような言い方で申し訳ありませんが、貴方は何のためにこの婚約を成立させたいのですか?」
幸せとは無縁のところに1人立たされたライラックは、いつものことながら情報戦に身を投じていた。
面倒なのは、"奸雄"であることが筒抜けである点。
神龍騎士団団長ガーランドと異なるのは、既にライラック・M・ファンギーニの本性を見破っているという部分だ。
ライラックが既に国王を動かす側に立っていることを、バリアリーフは確信している。ほんの少しの疑念でもあれば、幾らでもやりようはあるというのに。彼の自信は、いったいどこからきているのか。
「何のため、かー」
ソファの背に両腕をひっかけ、天井を仰ぐバリアリーフ。
その浅黒い肌と、快活そうな表情が少しだけ曇る。
ライラックは小さく一息吐くと、彼の様子を見やるように一瞥した。
彼がここで何と言おうと、裏は取りに行く。
厄介なのは、彼の国までが遠いこと。
ある程度前もって情報を仕入れておかない限り、彼の細かい素性についてはこの国に居る皇国関係者頼りになる。
バリアリーフが口封じをしようと思えば、可能な範囲だ。
国王がライラックの婚姻を願っていると察した頃から幾つもの国に間諜を飛ばしてはいたが――相手が彼だと特定してから動かした間諜はまだ帰ってきていない。
もし相手が婚約成立を急ぐようなら、脛に傷を持っていると考えた方がよさそうだが……果たして。
「
「親孝行……」
「ちょっち
「馬らせる……?」
「早馬を飛ばす的なー。ま、他にも色々使い方あるケド? 馬使って色々話したりとか、とりま連絡するとか? 全部馬らせる的な? 適当に領主とダベった後、細かい話とかその辺全部あとで馬らせるわーみたいな」
「なるほど……」
前皇帝――つまり、バリアリーフの父親が死んでいることは、ライラックの耳にも確かな情報として入ってきていた。
かといって、親孝行の虚実は未確定ではある。
「……わたしとの婚姻が、何故親孝行になるというのです」
「っぱオレ? 最後くらいきっちりケジメつけとかねーとダセェなって思ったんよ。第五皇子ってこともあって、めっちゃくちゃ好き勝手遊んでたし? んでも親父はそんなオレを全然許してくれてて、じゃー最後の頼みくらい聞いてやらなきゃ男じゃねーっしょ、みたいな」
「……その最後の頼みというのが、国力の増加だと?」
だとしたら随分と食い違うものだ。今際の際までこんな有用な男を放置しておいて、最後の頼みに彼を使う――ましてや他国との婚姻になど、無能が過ぎるというものだ。
この時点でライラックは、バリアリーフの言葉がブラフである線を幾つかパターン化していたのだが。
バリアリーフは、首を振った。
「んにゃ? 家族仲良く的なヤツ。親父はマジでオレ含めてめっちゃ子供好きでいてくれて、だからお家騒動みてえなの? 無しにしてくれってのが、親父の最後の願いだったってワケ」
「……なるほど。自分より上の継承権を持つ人間の命令に従って他国との関係をよくするための駒になったと」
「ライラっちゃん厳し~! ま、実際? 俺より上の継承権持ってるヤツで生きてるの、もー3人くらいしか居ねーんだわ。親父の頼み、ぜんっぜん皆聞かねーっつーかさー」
「です、か」
どのみち裏を探らせるのは変わらない。
それまで多少、可能性の絞り込みをするのがライラックの今するべきこと。
ただ、駒という表現にある程度反応は見られた。これすらもブラフかもしれないが、そこはそれ。今後の付き合いで見定めていくべきこと。
多少長期戦になる覚悟はある。
国王も、皇国との婚姻には前向きだろう。何せ婿入りだ。
一番わかりやすいやり口としては、バリアリーフをその気にさせないよう振る舞うことだったが、この分だとそう簡単には引き下がってくれない。
「ま、ライラっちゃんのでだいたい合ってるっちゅーか。一番上の兄貴が、遊び惚けてたオレなんかに国は任せらんねー的なこと言って、どっか消えろみたいな空気感じて? んじゃ親父の為に出来ることって、そんくらいじゃね? みたいな」
「なるほど。兄に良いようにされたと」
「ははは、さっきからウケんねライラっちゃん!」
気持ち良いくらいに大笑いしたバリアリーフは、しかし口角を上げて続ける。
「でもオレを挑発しても、帰るわけにいかねえんだわぁ」
「ちっ」
「あれぇ!? 超絶舌打ちしなかった!?」
――王城王女執務室。
そっと紅茶を傾けたライラックは、その出来に小さく頷くと。
「――ウィンドの娘に関しては、許可しましょう」
「ありがとうございます」
「もとより、貴方の日常まで束縛しようと思っているわけではありません」
困ったように、彼女は眦を下げた。
その表情に微かな疲れを見て取ったフウタは、笑みを返す傍らで問う。
「俺のことばかり頼んでしまって申し訳ありません。どうかしましたか? 酷くお疲れのようですけど」
「そう見えますか? だとしたら、少し気が緩みすぎですね」
やれやれ、と首を振るライラック。
「ライラック様、それは違いますよ」
「何がです?」
「俺の前でくらい、存分に気を緩ませてください」
「……です、か」
そっと唇を撫で、少し思案するように目を閉じた彼女を、フウタは静かに見つめていた。
疲れているなら、疲れていると言って欲しい。
ただそれだけの想いはしかし、最近の自分の油断を戒める大きな楔。
フウタの前で緩ませる、のではなく。
勝手に緩んでいたのだからさもありなん。
面倒な人間の相手をしなければならないことが、余計にここでの弛みに繋がってしまっていたらしい。
「フウタ、この後の予定は?」
「一旦ルリちゃんをウィンドさんのところへ連れていくのと、その後はパスタと会いますが。何かあれば幾らでも」
「いえ。わたしもこの後は色々と外せないのですが……そうですね、今は話をする時間があるようで、結構」
少し冷めてしまった紅茶をそっとソーサーに戻す。
「これは、フウタの信頼を試すという形になりますが。ええ、少し気を抜きます」
「はい、是非そうしてください」
少しだけ、ソファの背に身体を預けるライラック。
カップの水面に映る自らの顔は、少しばかり険が取れていた。
「……貴方の耳にも届いているでしょうが、今回はわたしの婚約についてが焦点になっています。国王は単純に娘の幸せを願っているので、まだあまり派手に動きたくはありません」
ぽつり、呟くように言う。
それはつまり、"奸雄"としての自らはまだ父親には露見させたくないということ。
「なのですが、その婚約相手というのが非常に厄介でして」
「厄介とはまた」
「わたしが、わたしであることを理解している。面倒極まりない」
「バリアリーフ、第五皇子でしたか」
「ええ。皇国の」
バリアリーフ第五皇子という名前に聞き覚えがあるわけではないが、第五などとつくからには政界や社交界で百戦錬磨というわけでもなさそうだ。
どちらかといえば、王家の為に使われる駒、というイメージが強い第五皇子が、ライラックをして厄介と言わしめるほどとは。
「どんな人物なのですか?」
「どんな……」
脳裏によぎる、『うぇーい!』『馬らせるわー』『オケマル商会~』といった言葉の数々。
「……掴みどころのない人間、ですかね」
「はあ、なるほど」
「わたしに女王として好きにしていい、など好条件を持ち掛けてはいますが……さて。どうしてくれようか」
嘆息交じりのライラック。
と、フウタは渋面を浮かべて呟いた。
「……なんというか。婚約だというのに、あんまりめでたくないですね」
「は? ……はあ、まあ。そうですね」
「うーん」
フウタが何に悩んでいるのか、一瞬分からず。
しかし、なんだかまるでめでたい婚約なら喜んだと言わんばかり。
「……フウタ。わたしに婚約者が用意されたと聞いて、どう思いました?」
思えば最初からおかしかったのだ。
自分に婚約者が出来たというのに、随分とリアクションが薄かった。
受ける気が無いと告げていたからかと思っていたが。
「どうって、そうですね」
腕を組み、真剣に言葉を選び、ライラックに向き直ったフウタは言った。
「ライラック様が幸せなら、何より嬉しいなと」
「貴方には失望しました。がっかりです。は~ぁ」
「え……」
何かが砕けたような音が聞こえたような気がしないでもないが。
そんなもの、知ったことではない。
どこの誰が相手であろうと、誰かと結ばれることが自分にとって幸せなはずがないだろう。
そしてそれ以上に、この男。
あの夜の『親愛』はその程度だとでも言うつもりだろうか。
苛立ちを抑えるべく閉じていた瞳をゆっくりと開く。
と。
「……お世話に、なりました」
万感籠ったような言葉と共に深々と頭を下げ、立ち上がり、よろよろと出ていこうとする――
「そ、そこまで落ち込むことはないでしょう?」
「いえ、期待に応えられなかった俺になど、もう構わないでください」
「待って違うっ――違います。貴方へかける期待の話とは無関係です、これから先もずっとわたしは、じゃないああもう!」
が、と腕を掴んで引き留める。
「……ライラック様?」
「……ずっとここに居なさい」
「……いやでも」
「良いですね」
「…………わかり、ました」
渋々、といった様子で席につくフウタに、ライラックも大きくため息をついてから。
軽く頬を扇いで、1人胸を撫でおろす。
全く。
「情けないところを……もう……」
情けないところを。見せないで欲しい。
情けないところを。見せてしまったようで苛立たしい。
やっぱり、気など緩ませるものではない。
自戒するように、ライラックは唇を尖らせた。
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