04 フウタ は たのしい いちにち を すごした!
――夜。フウタの部屋。
お腹いっぱいになるくらいステーキを食べて、ご満悦のルリ。
フウタもソファに腰かけて、ゆっくりと時間の流れを感じていた。
要するに暇なのである。
今日はライラックが来客の対応で忙しいという話は聞いていた。
つまりは手合わせの予定が入っていない。
そういう時だからこそ、良かれと思って財務卿に話を振ったのだが――昼前に訪れた段階で既に彼はげっそりとした表情で、まだまだ白い部分が大量に残った帳面を指さしていた。
今日中に全て終えなければならないらしい。
彼の仕事を手伝えるようなスキルはフウタには無い。
となれば助けになることも出来ず、フウタはリヒターの執務室をあとにした。
すれ違いざまに、「リヒターくーん、あーそーぼー」と殴り込んでいったおつむ・ランカスタのことは、この際気にしないものとする。
むしろ彼女を回収することが一番の手助けだった気が、今はしないでもないが。
「じゃールリちゃん、シャワーでも浴びますかねー」
「おー。コロ姉と一緒ー!」
「はいほーはいほー」
「はいほー!」
と、元気な会話がソファの背後で行われる。
「ってことで、フウタ様。ルリちゃんの為に、どうぞお慈悲を」
「いやシャワールームケチる部屋主ってなんだよ。そもそも俺にそういう権利があるかもわからないよ」
ヒモだし。
「じゃあルリちゃんシャワー入れてきますねー」
「ああ」
手を引こうとするコローナだったが、そこで思わぬ反抗にあった。
動こうとしないルリに、コローナは目をぱちくりさせる。
「コロ姉も入る?」
「まー、ルリちゃん丸洗いするために」
「やー。コロ姉も入るー」
「ふむー」
気の抜けた、悩むような声。
そんなに渋る理由があるだろうか。
寒いから? それはルリをシャワーに入れる時点で、あまり変わらない。どのみち後で暖炉の前で丸くなることだろう。
そこまで考えて、ふと気付いた。
「あー……俺がルリちゃんと入ろうか?」
「ほ?」
「ほぉ?」
「あ、そこの声まで一緒なのね」
小首をかしげるタイミングも同じと来たものだ。
フウタは軽く頭を掻いて、流石に少しコローナから目を逸らしつつ。
「や、その。別に深い意味はないんだけど」
――コローナは、きっと。自分の肌が見られることに、抵抗があったのではないだろうか。
あの日、処刑台で首筋から少し見えただけでも、彼女の体は傷だらけだった。
そんな自分の姿を、子どもに見せるのはどうだろうかと。
きっとコローナの悩みは、そういう手合いのものだ。
「なぜ目をそらすんだー?」
「え、あー……」
だからそんな提案をしたのは良いけれど。
流石に少し、恥ずかしいものはある。提案自体もそうだが、彼女の身体を想ってのことであるから、なおさら。
ジト、と珍しく半眼でフウタを見据えるコローナは、じわりじわりとフウタに近づく。
本当に深い意味のない提案ならば、フウタは愚直に真っ直ぐ宣言したことだろう。ルリと俺が一緒に入るよ。などと、誤解を招くような言い方さえ、あり得る話だ。
コローナとてフウタのことは信頼しているのだ。別に下世話な心持ちでルリとの入浴を言い出すとは思っていない。
いなかった、が。そんな風に自分から目をそらされては、怪しいと思わざるを得ないのも事実だ。
ひょっとして、そういう趣味が?
でも
そんなコローナの思考をよそに、疑惑の視線を受け続けていたフウタはといえば、そろそろ耐え切れなくなっていた。
「あー、いや、その」
だって。
たとえ、その身が傷だらけであろうと、どんなに痛々しい姿だったとしても。
フウタにとっては、関係ない。
ただただ、
それが全てだった。
「キミを想ったら、つい」
「っ……」
部屋が静寂に包まれた。
ぱちぱちと、時折薪の爆ぜる音だけが少し響く。
暇を持て余したルリが松ぼっくりを暖炉にぶん投げて、派手な音で遊び始めた。
「おっ……」
「お?」
徐々に頬を赤らめたコローナが、震える唇で小さく紡いだ言葉。
まるで意味をなさないそれに、フウタが首を傾げていると。
「おんなのこたーいむっ!!!!!」
「なんだその時間は」
ぴゅー、とコローナはフウタのベッドに飛び込むと、毛布を被って見えなくなってしまった。その後、ぺい、ぺい、と靴が放り出された。
「……えーっと」
頬を掻いたフウタは、松ぼっくりで絶賛火遊び中のルリに声をかける。
「一緒に入ろっか」
「うん!」
「るーんぱっぱー、うんぱっぱー。ぱっぱらぱっぱらうんぱっぱー」
その綺麗な桜色の髪を、洗い流していく。この時期の水は冷えるもの。
用意した湯と水で、今度は身体を――と。
「フウ兄? どしたのー?」
「ああいや。何でもないよ」
それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。
ウィンドが説明しなかった以上は、触れる必要もないだろう。
彼女の背中に刻み込まれた、黒い文様。一筆書きで描かれたようなそれは、刺青に見えるが――魔導的なものかもしれないし、そこはフウタには判別がつかない。
ただ、それなりに大きな文字だ。
うっかりするとコローナのように、首筋から見えてしまうかもしれない。
ああ、と思い出す。
だからウィンドは、彼女に厚着をさせていたのだ、と。
「よし、これでお仕舞い」
「おしまーい! じゃあフウ兄もあらったげるー」
「お、おお。ありがとう?」
「パパにもねー、やったげると喜ぶ!」
「……あの人、ルリちゃんのやることなら何でも喜びそうだな」
小さく笑いつつ、ルリにされるがまま、シャワーを浴びせられる。
めちゃめちゃ冷たいが、滝に打たれるようなものだと思えばそう苦ではなかった。
昼にもう浴びたとか、そういうのも言わぬが花だ。
一生懸命ルリが洗ってくれているのだから、それでいい。
「……俺にももし、子供が出来たらこんな感じなのかな」
「ほー? フウ兄、子供産むの?」
「産めはしないかな」
「産んだらルリがルリ姉だよー」
「産めないっちゅうに」
男には無理なんだ、というような話をしても良かったが、教育方針でパパ上と食い違うわけにもいかない。
その辺りは笑って流しつつ、ふと思う。
子供が出来るということは、即ち相手が居るということだ。
相手、相手。
そこまで考えて、小さく笑う。
あまりにも自分に都合が良すぎる。
幸せになって貰いたい人ではあるけれど。
そこに己の欲を混ぜ込むほど、愚かではないつもりだ。
だからもし、いつか。
自分と一緒になることが一番の幸せだと言うような、酔狂な人が現れた時にまた考えれば良い。
いずれにせよ、優先順位はまだまだ低い。
恩人の幸せを掴み取る。
"無職"でもまともに生きていける世界を目指す。
少なくとも、その2つより後で良い。
「ごめんルリちゃん」
「ほー?」
「ルリ姉になるのは、もう少し先のことかも」
「そかー。かなしー」
「はは、ごめんごめ――」
「じゃあ流すねー」
笑うフウタの頭から、ルリは容赦なく大量の水をぶちまけた。
「ねむい……」
髪を乾かしていたルリと手を繋ぎ、暖炉の前でだらけることしばらく。
目を擦る彼女を見て、ふと思う。
預かったからには就寝まで面倒を見るべきだろう。
「じゃあ、寝ようか」
「やー」
「やーて」
いやいや、と首を振るルリ。
暖炉から離れたくないのか、まだ遊んでいたいのか。
さてどうしたものかと考えるより先に、ルリは自分で答えを出してくれた。
「コロ姉も一緒……」
「あー、コロ姉なー」
視線をベッドに投げる。
毛布がこんもりと盛り上がったまま、微動だにしない。
「コロ姉、寝ちゃったからなー」
「寝てないっ!」
「うぉびっくりした」
ぴょこん、と毛布から顔だけ生えた。
乱れた前髪と、少し紅潮した頬。睨むような瞳は、フウタ目掛けて何かを訴えているようで……何も届いていない。
「コロ姉、一緒に寝よー……」
「ってわけだから、そこにルリちゃん置いていい?」
そう問うたフウタだったが、ふと袖を引く感触。
「フウ兄も一緒ぉ……」
「ん? ああ、すぐそこに居るよ」
ソファとか。
「やー」
「やーて」
思いのほか、フウタ自身もやたら懐かれてしまったようだった。
ぐ、と握り込んだ服の裾は、なかなか離してくれないようで。
どうしたものかと天井を見上げ――やけに腹立たしい顔をした星々が描かれていた。
「……いーですよ」
「へ?」
「ひろーいベッドですからねっ。フウタ様の図体がいくら無駄にでっけーとは言え。3人くらい余裕ですよっ」
「……え、いや、でも」
「フウタ様がこっち見なければ! フウタ様がこっち見なければ!」
「あ、ああ。分かった分かった」
もそもそとベッドから這い出てきたコローナは、また子犬のようにぷるぷる震えて、1人クローゼットルームに消えていった。
既にパジャマ姿のルリと、部屋着のフウタだけが残される。
「……なんか、思ったよりも凄いことになってしまったような」
「みんなで寝よー」
「そうだね。みんなで寝ようね」
呑気なルリの頭を撫でながら待つことしばらく。
「……たでーま」
そんな、いつもの声と共に現れたのは、白のネグリジェに身を包んだ少女の姿。
解かれた金の髪は美しく滝のように背に流れ、その癖っ毛は見事に波を打って広がり、壮麗なシルエットを生んでいる。
いつもふんわりとしたメイド服のせいか、そのネグリジェのボディラインは彼女のイメージとは全く食い違う女性的なもの。
ライラックがスレンダーだとすれば、女性らしい丸みが強調された彼女の体型はグラマーとでも表現すればいいだろうか。
所在なさげに耳元の髪を弄る彼女に、つい目を奪われたフウタを置いて。
ルリは言った。
「だ、だれだ」
「コロ姉ですよっ!」
「う、うそだ」
「なぜ嘘を吐くかっ!」
お前なんかこうだ、とばかりにルリを掴んだ彼女は、盛大にルリの脇腹をくすぐり始めた。
そんな微笑ましい光景を見ながら、フウタは1人思う。
彼女が囚われたあの日も、似たような服装ではあったけれど。
今の彼女の魅力は、あの日とは比べ物にならない。
フウタの心情がそれどころでなかったこともあるが。
かつての焦燥を差し引いても、今のコローナは綺麗だった。
「た、たすけてフウ兄! コロ姉が、コロ姉が、あはははは」
「もうコロ姉だって分かってるんだから許してあげなさいよ……」
「仕方ないですねっ。今日はこのくらいにしといてやるっ」
解放されたルリは、満身創痍でフウタの足元に縋りつくと。
「あとは、たのんだ……」
「こんな状況でふざけ始めたらもう、立派なメイド2号だよキミは」
ぱたりこ、と倒れたルリを抱え上げて、フウタは一度コローナに目をやる。
「じゃあ、寝ようか」
「……ですね、うん」
互いに、微妙に視線を合わせづらくはあるが。
ルリのためだと心の中で唱えながら、彼女を挟んで3人でベッドへ。
意外とこの人数でも広々使えるベッドではあるのだが――それと心情はまた別問題だった。
「えへへ」
間に挟まれて幸せそうなルリが微笑む。
「ルリ、今日すっごく楽しかった」
「それは良かった」
「パパも、いつもずっと一緒には居てくれないし。だからね、ありがと」
ころんころん、と2人の間を転がるルリ。
「すっごく、しあわせー!」
父親は多忙。母親は不在。
そんな環境にあるルリの世話役は、派遣された侍従たち。
それはそれで不便はないだろう。
けれど、やはり掛けられる愛情というものが欠けていた。
それを、捨て子のベアトリクスに手配しろというのは、それはそれで酷な話ではある。
ただ1つ言えるのは、ルリにとって今日という日が、幸福に満ちていたということだった。
「――コロ姉、なんか欲しいものある?」
「ほ? なんでまた」
「えっとね、聞いておきたい!」
「そですねー。じゃあ生きる理由」
ルリがめちゃくちゃ難しい顔をした。
「こらこら……。えっとルリちゃん、何でもいいの?」
実際、コローナに対して"欲しいもの"を聞くというのは中々に難易度が高いことではあれど、それをルリが知る由もない。
フウタが横から問えば、ルリはもぞもぞと首を振った。
「んーん。命と引き換えにでも欲しいもの」
「どこで覚えたそんな言葉……」
ぼやきつつも、ルリの言葉は真剣で。
子供だからと小馬鹿にするようなことは、フウタはしない。
コローナもしないからこそ、あの無茶な返答だったのだろう。
「どうしても欲しいものか」
「うん」
「――好きな人が、幸せでいることかな」
だから真心だ。
シャワーを浴びながらも想っていたこと。
隣に背を向けて寝ている彼女にせよ。自分の人生を掛けたライラックにせよ。
彼女たちが幸せでいてくれることが、フウタにとっての一番だ。
「……むずかしい」
「そうだなあ」
そっとルリの頭を撫でて、フウタは告げる。
きっとその好きな人の中には、ルリのことも入っている。
だから。
「ルリちゃんがいっぱい笑ってくれたら、俺は幸せだ」
「……?」
よく分かっていないだろうけれど。
それでも彼女は真剣に頷いて、繰り返すように呟くと。
「分かった。ルリがいっぱい笑うことが、フウ兄の幸せ!」
「そうそう」
にこにこと笑って頷く。
彼女が何故そんなことを聞いたのかは、まだ分からないまま。
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