01 フウタ は メイド と あそんでいる!
――王城、謁見の間。
この日、王都では大きなイベントが催されていた。
皇国第五皇子の来訪――その理由は、ライラック王女殿下との婚約という噂。
噂というものは、ただそこにあるだけで十分な効力を発揮する。
現にそれをまんまと利用したどこぞの商会の元会長などは、話題性だけを勝手に刈り取り、ここぞとばかりに皇国ゆかりの商品を適正ぎりぎりの割引額で売り捌きにかかっている。
値段を釣り上げる手法とどちらも選べたにも関わらず、割引を選んだ彼女の思考は、一旦置いておくとして。
実際、皇国からやってきた商隊の卸し作業はオルバ商会が執り行っていたし、そこに他の商会からの文句も出てはいない。
それは、ベアトリクス・M・オルバの死に全ての責任をなすりつけた転嫁の巧さと、オルバ商会の権力の盤石さを物語るものであった。
さておき、王城は謁見の間。
名だたる貴族たちが挨拶を終えた話題の中心――第五皇子その人は、後ろに控えている初老の男性と共に威風堂々と国王に向き合っていた。
「この度は、お招きいただきありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ。遠いところから遥々ありがとう」
好々爺然とした頷きを見せる国王陛下は、実際にどこか疲れた印象を抱かせる人物であった。
さもありなん。
意を決して派閥の1つと手を組み、他の反対を押し切って行おうとした事業が失敗。外交にも成功したとは言い難く、臣下の信頼は既に薄い。
幸いがあるとすれば娘は未だに自分を信じてくれているらしいこと。
だが、治世にして能臣となるであろうと謳われた彼女に、これ以上失望を抱かせるわけにはいかない。
そういった心労から、国王は疲弊していた。
そして――だからこそ。
『わたしの大切に思っていた客人は、コロッセオの闘剣士でした』
『コロッセオって、どんなところだろう。わたし、凄く興味があって、寝物語に聞かせていただいて――きっと今日は、その影響が色濃く出たのだと思います』
そんな話が飛び出したことを、よく覚えていた。
寝物語。寝物語と来たものだから、大慌てでその相手を問うた。
しかし彼女は押し黙るばかり。そして、周囲もライラックを気遣って口を開かない。知らぬ存ぜぬが大半だった。
――これが、現状の王女と国王の力関係を示す縮図であったことは、一旦横において。
自分の治世が危ぶまれるならば、しっかりとした大人物を婿に迎えよう。
そう判断した国王の計らいこそが、今回の出来事に繋がった。
にこにこと笑みを浮かべるライラックに、皇国の第五皇子を紹介する。
「ライラックよ。ご挨拶なさい」
「はい、お父様」
美しい礼とともに、ライラックは正面の青年へと向き直る。
「王女ライラック・M・ファンギーニですわ。どうぞお見知りおきを」
「これはお美しい。噂に勝る美姫で驚いています。僕の名はバリアリーフ。バリアリーフ・F・クライスト。どうぞ宜しく」
にこりと微笑んだ彼とライラックの瞳が交わる。
その瞬間、ライラックは小さく何かを感じ取り、目を細めた。
――さっさと追い返せばいいかと思っていたが。存外この皇子、面倒かもしれない。と。
――王城、フウタの私室。
「そろそろ冷え込む季節だな」
何の気なしに呟いたフウタの吐息は仄かに白い。
今までは置物になっていた備え付けの暖炉にもそろそろ出番が回ってくる頃合いであろうし、いつの間にかベッドやソファに掛けられる布も厚手のものに変わっている。
部屋の床には柔らかな絨毯が敷かれ、壁にも毛皮を所せましと飾るなど、遮熱に妥協がない内装。
そしてソファやベッドの中には熱で温めた軽石が――
「……幾ら何でもやりすぎじゃない?」
「さむいっ!」
「まだ
「さむいっ!」
「そうか……とりあえず、ベッドから出てこようか」
「さむいっ!」
「ええ……」
木剣の素振りを終えたフウタが振り向くと、彼のベッドから顔だけを出した少女の姿。
いつも通り頭に乗せられたホワイトブリムと、柔らかく綺麗な金の二房。
しかして彼女の特徴でもあるメイド服は欠片も見えておらず、フウタの毛布にくるまったまま引きこもり抵抗を続けていた。
「身体動かせば少しは温まるかもよ?」
「大人はいつもそう言うんだ! メイドたちのことなんてこれっぽっちも分かっちゃいないんだ!」
「何の抗議運動が始まったの?」
「侍従の乱」
「国をひっくり返す気だ……」
そんなに寒いなら、とフウタはふと考えて。
「冬用のメイド服とか、そういうのは無いのか?」
「常にあっためた軽石を服のいたるところにしまい込めるヤツとかっ?」
「鍛えてるの?」
重石と言った方が早そうだった。
「全身毛皮で固めるとかっ?」
「ワイルドなの?」
もはやメイド服とは呼べないデザインになりそうだった。
「やっぱり、ベッドのまま移動できるように」
「どこまで横着するんだメイドさん……」
「むー。じゃあフウタ様から提案してみれー」
「そうだなぁ」
腕を組む。
寒くならないメイドグッズ。
元々彼女の服装は、露出が多い方ではない。それでも寒いというのだから、やはり防寒の為に何かしらの追加要素が必要ということだろう。
「こう、思うんだけど」
「ほ?」
「どうしても温かさっていうのは出ていっちゃうわけで。外が寒いのはどうしようもないし」
「ふむー?」
「だから、温かいものを食べたり飲んだりっていうのが、一番の防寒なんじゃないか?」
フウタは2年間、まともな庇も無いところで過ごしてきた人間だ。
だから慣れている、というわけでもないが、そこで学んだ知恵としてはやはり、食べ物のあるなしの大きさだろう。
毛皮を纏えば吹雪の中でも温かいのか、と言えばそんなことはない。
ただ、身体の芯さえ温まっていれば、それを毛皮で逃がさないことで、何とか寒い季節を踏破することは出来たのだ。
と、コローナはぽつりと呟く。
「……温かいもの食べたり飲んだりしながら、メイドのお仕事」
「あー、そうか」
確かにそれは無理だ。
掃除に洗濯、客人の世話役としての様々な仕事。
それを一手に担う彼女に、暖を取る為の飲食などと。
「……」
「あれ、コローナ?」
むくり。
毛布から這い出てきたコローナは、ベッドを降りるなり子犬のようにぷるぷる震えると。
そのまま慣れた動作で暖炉の薪を準備し、ぱたぱたと外へ出て行ってしまった。
「……無言て」
あっけに取られるフウタは、とはいえ鍛錬の後で汗だくだ。
むしろこの部屋は暑いくらい。
とりあえず、部屋に備え付けられているシャワールームで汗を流すことにした。
フウタの私室として与えられたこの部屋は、基本的にはワンルームだ。
とはいえ着替えの為のクローゼットルームにシャワールームと、ホテルのスイートルーム並の設備が整っている。
キッチンこそ無いが、食事を運んできてくれる少女が居るのだ。必要など無かった。
そう、無かったはずだった。
「ふぅ」
シャワーを浴びて着替えを終え、私室へと戻ってきたフウタがまず感じたのは妙な温もりだった。
そういえばコローナが暖炉の準備をしていたっけかと思い出したのも束の間。
「おお!?」
香る濃厚な
暖炉の前に膝を抱えてうずくまるメイド服。
ぐつぐつと何かが煮込まれる音は耳に心地良いが、窓が毛皮の遮熱カーテンで閉ざされているせいで、部屋の明るさは暖炉の火だけが保っている。
それがまた、まるでメイドが1人で旅の夜を過ごしているかのような雰囲気を感じさせた。
人の部屋で。
「なにしてんの!?」
「へへっ。あったけぇや。旅の空、心細さに沁みる、ポモドーロの味がよぅ」
「人の部屋で旅をするな」
「おっと誰だ? メイドは怪しいもんじゃねえ、ただ一介の旅人さ。今夜だけ、野宿を許してくれや」
「そもそもここは
「ずずっ……はぁ。まあ、座れよ。良い星空だぜ」
「ええ……?」
仕方なくコローナの隣に座る。絨毯に直接腰を下ろすのは少し抵抗があるにせよ、一応は変えたばかりだ。
腰かけると、彼女は暖炉の中に勝手に作った吊り鍋を開き、中の温かいとろみがかったポモドーロのスープを取り出すと、小さな器に盛ってフウタに寄越した。
「骨の芯から、温まるぜ。小難しいことはみんな忘れちまえよ。な?」
「どうしてそんなハードボイルドに……」
そうして口にしたスープに、フウタは目を見開く。
当然と言えば当然であるが驚くほど美味しいものだった。
飛び込んでくる
それらがとろみを合わせて舌から喉へ、そして腹の中へとじんわり温かさを伝えていく様は、確かに寒空の下に大層な安らぎを与えてくれることだろう。
ここは部屋だが。
「どうだい」
「いや美味いけども」
美味しいだろう? とでも言いたげな、やたら上から目線の満足気な表情がやけに腹が立つ。また頬を撫でまわしてやろうか。
「明日からも頑張ろう。そう思えるだろう?」
「まだ昼だけども」
「満天の星が、メイドの明日を祝福してくれているさ」
「満天の星って――あぁ!?」
天井にめっちゃ星の落書きがしてあった。
ぺろりんっと舌を出した、顔付きの星が沢山。
半ばホラーだ。
「いや良いけども」
人がシャワーを浴びている間に、この子はいったい何をやっていたのか。
スープを傾け、ほっと一息吐きながら。
フウタは問いかけた。
「楽しい?」
肩が触れるほどの至近距離。
見上げるようにフウタに目を向けた彼女は、さっきまでの似非ハードボイルドをほっぽり捨てて、満開の笑顔で言う。
「めっちゃ楽しい!」
「そっか」
ならまあ、良いか。
暖炉の前で2人、温かいものを食べながらぼうっとする。
何かを忘れている気がしないでもなかったが――。
「――フウタ様。ウィンド・アースノート様がお見えです」
「めいどー」
そうだった! と思い出すフウタを置いて、当たり前のように立ち上がったコローナが侍従を出迎える。
やたら温かく、
異常に速い切り替えと共に、コローナは侍従と言葉を交わすと。
「フウタ様フウタ様フウタ様っ」
「はいはいどしたの」
「お客様通しても良いですかねっ」
「ああ」
頷くフウタに合わせ、侍従が引っ込むこと少し。
部屋に姿を現したのは、オルバ商会の用心棒である壮年の男性ウィンド・アースノートと。
「わ、良い匂い!!」
その娘である、ルリ・アースノートであった。
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