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EP おうじょ と メイド の おはなし。

あの日(エピローグ)の続き。

綺麗に〆られたけれど、残っていたわだかまりはあった、みたいな。



 ――王城城下、庭園。


 明るく楽しいオルゴールの流れる昼下がり。


 食後の紅茶を淹れるのは、1番上手い人間だ。

 そうでない2人が、彼女の手捌きを眺めながら言葉を交わす。


 歓談していたフウタとライラックの間に、そっと2つティーカップが差し出される。


「おちゃー」

「もう少し出し方があるでしょう」

「えー、メイドったら一生懸命、2人の邪魔しないよーに作ってたのにー! 草の汁ー」

「敢えて不味そうに表現するなよ」

「ぺろりんっ」


 テーブルの周りをうろちょろするメイドが出した紅茶は、薄くなく濃くなく完璧な塩梅。茶葉が立たせる芳醇な香りと、雑味の無い柔らかな甘さはそこらの侍従には出せない手腕。


 なのに、どうして草の汁。


「味に関しては、文句はないのですが」

「ライラック様が文句無しって、最大限の評価ですよね」

「そうでなければこんな存在、わたしが許すはずがないではありませんか」

「こんなそんざいっ!」


 見て見て、とばかりに両手で自らを指さすこんな存在(コローナ)は、特に今のを悪し様に言われたとは思っていないらしい。


 いつか、コローナを初めて紹介された時は、『ちょっぴり癖の強い子だけど、一番信頼してるメイド』だと言っていたのに。


 ――とはいえあの頃は、ライラックがフウタに向ける笑顔も"偽物"も良いところであったことを考えると、こちらの方が素が出ているとも言えるのだが。


「……ふぅ」


 ライラックはティーカップをそっと口に持っていくと、ひと口飲んで溜め息を吐いた。


 いつも通りのにこにこ笑顔で、ライラックの顔を覗き込むコローナ。

 彼女を一瞥したライラックは、面倒臭そうにカップをソーサーに戻すと、告げる。


「腹立たしいことこの上無い」

「やったぜっ」


 いえい、とピースサインを向けてくるコローナに、フウタは納得したように頷いた。


「なるほど。やっぱりコローナが淹れるお茶が一番美味しいんですね……」

「この"魔女"、なにか危ないものでも混入させているのでは?」

「ひどいっ」


 ぺろりんっ、とウィンクして舌を出すいつものポーズ。


 ただ――何というか。先ほどは納得したものの、少々の違和感をフウタは覚えた。


 幾ら何でも、以前のライラックはここまでコローナに辛辣だったろうか。

 コローナが全く気にしていないようだから、フウタがわざわざ何かを告げる必要はないにせよ。どうせこの疑問が顔に出たならば、ライラックが黙っていることはないだろう。


「どうかしましたか、フウタ」

「ライラック様、かなりコローナに辛辣だなあと……」

「……そう、ですか?」

「あ、自覚無かったんですか」

「…………ふむ」


 確かに、先ほどフウタがコローナを許したばかりだ。

 口では『貴女は所詮おまけです』とは言っていたものの。


 コローナの為に、感情を露わにしたライラックのことを、フウタはよく覚えている。




『わたしを誰だと思っている!! 貴女1人も守れないような脆弱な王女と思ったか!! この節穴が!! 恥じて死ね!!!』




 そうまで言っていた以上。



『わたしが許すだとか、許さないだとか、そのような判断を下さねばならないことが何かあったのですか?』




 多分、この人。

 あの一件でのコローナのこと、許せてないんじゃないかなあ。

 フウタはそう察した。


 ゆったりと紅茶を傾ける彼女の所作は優雅なもので、いつも通りの雰囲気を崩さずにはいるけれど。

 もとよりライラック・M・ファンギーニという少女は、これまでどこにも味方が居なかったという人間だ。


 フウタが知るところではないが、彼女は人生の内で自らの感情を意図的に排して生きてきたと言ってもいい。


 利用する、されるの関係であれば、自分が相手に抱く感情など、"どうでもよろしい"。

 それよりも効率的に物事を進め、生存戦略を打ち立てることが最優先。


 であればこそ。



『貴女に親愛を』



『でもさ。姫様――拾ってくれて、ありがと』



 要は利害の関係以外に慣れていないのである。




「コローナ」

「はいはいお騒がせお掃除メイド、コローナちゃんですっ。お茶に指でも入ってたかー?」

「ちょいちょい指入っててもおかしくないかも、みたいな発言するのやめろよ……。じゃなくて、そうだな。ライラック様は、コローナをおまけだって言ってたけどさ」


 ちらりとライラックを見れば、何を話すつもりなのかと半眼をフウタに送っていた。

 とはいえ、フウタの目的はただ一つ。その為なら、多少ライラックから嫌われたとしても、自分が辛いだけで済む。


「本当は、凄い頑張ってくれたんだよ」

「フウタ」

「コローナの小箱聞いた時もコローナの為にめっちゃ怒って」

「フウタ!」

「コローナを必ず助けるって約束してくれたんだ」

「――貴方、ちょっといい加減に」


 立ち上がりかけるライラックが、本気で制止の"命令"を下す前に、フウタは言い切る。


「だから、一回ちゃんとしよう」

「……」


 馬鹿みたいに明るい音楽だけが、その場を満たす。


 ぽけっとしたコローナの表情と。

 そして、感情を押し殺しているような下がり眉のライラックの顔が、フウタの前にあった。


「フウタ様っ」

「ん?」

「……メイド、おまけでも十分だったのにさ」

「うん」


 どうやら本当に、『貴女は所詮おまけです』を信じていたらしいコローナ。

 それでも嬉しかったからこその、先ほどの反応だったのだろう。

 けれど。


 コローナの視線の先に居るライラックの反応に、彼女も少し緊張したように口元をきゅっとして。


「困っちゃった。だってあれ、本気の反応じゃん」

「そうだよ」

「フウタ様に迷惑かけたから反省しろって、そういうのじゃ、ないよ?」

「ないよ」

「そかー。……さよかー」


 上の空、というか。珍しくぼうっとしたコローナの言葉。


 その横で、フウタは1人納得した。

 だから、フウタにだけ泣きながら謝ったのだと。

 ライラックは本当におまけ程度で助けてくれて、フウタに迷惑をかけたから怒っていたのだと思い込んでいた。


 たったそれだけでも、自分に向けられた気持ちが嬉しかったと感じられたのに。


 実はその何倍も想って貰えていたとしたら。


「……フウタ。貴方にどう見えたのかは知りませんが、わたしは彼女にそこまで心を許した覚えはありません」


 ゆるゆると首を振って、ライラックは立ち上がったままフウタを見据えた。

 テーブルについたままの両手が、かすかに指先を震わせる。


 それは屈辱か、それとも。


「ライラック様。俺から、コローナに心を許せなんて言いません。でも、コローナの為に頑張ってくれたことを、隠す必要は無いと思うんです」

「それは違う。わたしが見せた感情は即ち、誰かにとっての付け入る隙になる。"契約"も尽きたままの状態でそんな迂闊なことを」

「ライラック様。俺は――」


 フウタに、気の利いた台詞など言えない。

 そして、今は何と言うべきかもわからなかった。


 ――実際。フウタが何と言ったところで、変わりはしないのだ。フウタとライラックのことだから、あの夜は実を結んだだけ。たとえどんなに絆を結んだ相手であったとしても。


 信頼する人間にとっての信頼する人間が、信頼に値するかどうかなど分からないのだ。


 そして、信を置くということが、彼女にとってどれほど難儀なことか。


 物心ついてから、たった3月前まで1人も味方が居なかった人間に、簡単に人の輪を広げられるはずがないのだ。


 人間の心は、そううまくは出来ていない。


 それはフウタには分からないし。ライラックにも分からない。

 そしてもちろん、2人に分からないことが、この場に居るもう1人に分かるはずもない。


 けれど。









「めいどー!! 姫様ー、好きー!!!」









 分かる分からないなんて、関係ない。


 フウタのお膳立てが無かったら、この場所まで押し上げられなかった2人だけれど。だからこそ、ここからは自分たちでどうにかしなければ、進むことなど出来はしないのだ。


 人間の心は、幾ら信頼する人間の口添えがあったからといって、ほいほい誰かに靡くことはない。


 ないけれど。


 その人の想いを伝って、互いの真実を知ることくらいは、出来るのだ。



 ぱたぱたと小鳥が羽ばたく。

 呆気にとられたフウタと、驚いたように目を見開くライラック。

 その2人の視線を一身に受けて、彼女はぺろりと舌を出した。



「やだ、そんなに見ないでっ。照れるっ」



 にこにこと、いつも通りの笑みを崩さずに。


「姫様が何考えてんのかなんてわっかんないけどさ。メイドは、姫様のこと、好きですよっ。ぽいされなくて良かったーって、ほんとに思った」


 ぽいというのは、録術の小箱のことだろう。

 正しくはぽいではなく、全部聞き終えたあとにバキャッて感じなのだが、そこはそれ。


「信じて貰えるかも分かんないですけど。でも、ほんと」

「……どうして、急に」

「なんだろ。欲張った方が良いかなって思った!」


 その一言は、自然に漏れ出たものではなかった。

 欲張るも何も。元来彼女には欲などというものが存在しなかった。


 だから、未だに"欲張る"という意味が、判然としないきらいはある。

 けれど欲しいなと思ったものを欲しいと言うのが欲ならば。


 自分の命と天秤にかけて、相手を取るくらいの相手からもしも信頼がもらえるなら。


 それは彼女の、精一杯の欲張りだ。


「……貴女」


 今度こそ、感情の行き場をなくしたライラックの表情が、泣きだしそうなくらいに歪んだ。


 信頼を預けるなど許されない。

 それは決して単なる我儘ではなく、自らの命に関わればこそ。


 だというのに。


 どうして急に、この数月だけで2度も。


「ね、姫様」


 見つめる先の少女が微笑む。


「――あったよ、可能性」


 その一言と、満面の笑顔が、答えだった。




『――ここで無為に命を散らすくらいなら、わたしの役に立ちなさい』



『役に立てば、なんか変わります?』



『――さぁ? そんなもの、わたしに分かるはずがないでしょう』


『――わたしはただ、放っておけば腐り落ちる果実を拾いにきただけです』


『――否と言うならこの場で果てろ。応と言うなら、まあ、"可能性"は残りますか』



『ぷっ。あははっ。可能性、可能性! そんなもの――この10と余年、どこにもありませんでしたよっ?』


『そんなものに縋れと、貴女は言う感じですかねっ?』




「まだいまいち、何がどう"それ"なのか分かんない。わかんないことだらけ。でも、ちょっと今、死にたくない」



「それを知れたのは多分、貴女が拾ってくれたから。だから、ありがと。助けてくれて」



メイド(わたし)、結構、姫様のこと、好きですよ」




 ぺろりんっ、と彼女は微笑んで。

 フウタは張っていた緊張の糸が緩んだように、肩に入っていた力が抜けた。


 そして。


「10と余年、どこにもなかったもの……ですか」


 呟き、彼女は目を伏せる。


 少し考えるように唇を撫でて、ぎゅっと目元を抑え込むように瞳を閉じて。


 改めて2人を見る表情は、いつも通りの王女殿下。




「信じるに値するか、試すくらいは……いいでしょう」



 その言葉に、フウタとコローナは顔を見合わせて、笑う。




「素直じゃないなあ、姫様ったらぁ!」

「素直になるほどの友誼を結んだ覚えは、ありませんからね」


 そっと髪を耳にかける、澄まし顔の少女に。


 フウタはふと思いつく。


「"契約"、まだ2人の間で結んでいないんですよね」


 その一言で、どうやら2人も察したらしい。


 目を見開く彼女に、もう1人の少女は楽しそうに、謡うように。





「じゃあ――結んでみる?」






 "契約"じゃなくて。友誼、だけどっ。



【次 回 予 告】

皆さんごきげんよう。王国第一王女ライラック・M・ファンギーニです。

これまでの物事は万事順調。とはいえ、これからもそうとは限りません。

ですから、この先も徹底して目的への道を舗装しにかかる――つもりだったのですが。

一生懸命仕込みを入れていたわたしに降りかかる、煩わしい面倒事。

それというのもわたしの父のお節介が原因で、中々強く出ることも出来ません。

参りましたね、わたしに婚約者を用意するなどと。

さてフウタ、どうしましょう?

……ほう。わたしが幸せならそれでいい。なるほど。

――貴方には失望しました。がっかりです。は~ぁ。


次回、たとえば俺が、チャンピオンから王女のヒモにジョブチェンジしたとして。第三章。


「たとえば俺が、訪れる八つの(つるぎ)を出迎えたとして」


――物語の幕が()け、剣士きたりて、頂に挑む。




そ、そこまで落ち込むことはないでしょう?




NEXT→2/10 11:00 ――第三章開始。

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