王城散歩"ライラック・M・ファンギーニ"
――王城は王女執務室。
「天下八閃:陸之太刀、常山十字の輝夜姫……ですか」
窓の外を眺めていたライラックは、ぽつりと呟いて唇を撫でた。
今、この部屋には他に誰も居ない。
仕事中であるから当たり前だ。フウタを呼び出してあるから、彼が来るまでの間は1人。
ちょうど仕事に切りがついた彼女は、これからフウタと話すことを考える上でちょっとした思考の海に潜っていた。
それで口にしたのは、前回の御前試合でプリムが行った名乗り上げ。
衣装が以前扱っていた一張羅であったことと、コロッセオの時のように戦ってくれというライラックのオーダーがあっての彼女の振舞い。
思い出して、小さくため息をついた。
決して落胆などではない。むしろ感嘆と言うべきか。
「かっこいい……。わたしもやりたい……」
忘れてはならないが、彼女は現実を見据えた策略家であると同時に、見栄えするものに目が無いロマンチストでもある。
フウタを迎え入れる時も、相手の武器が自分の得意武器だという彼の言葉と、その通りの技術に少々熱を上げていたほどに。
せっかくコロッセオを用意出来るのだ。
そして、その舞台に自分も立つつもりでいる。
「やはり……名乗り上げ、パフォーマンス、衣装、登場の仕方、考えることは多いですね……」
俄然、全力でカッコよくなるつもりでいた。
執務机の手元に常備してあるコンツェシュを手に取り、腰に佩く。
「天下八閃:壱之太刀、……あー……絢爛舞踏の……んー……」
素早くコンツェシュを抜いたまでは良かったが、振り切ったポーズのままいまいちノリきれず、切っ先が宙を泳いでいた。
「しっくりきませんね……」
やはり姫を入れるべきだろうか。王女は音が多すぎる。
奸雄? 誰だ今の、埋めるぞ。
やはり、専門家を頼るべきだろうか。
"詩人"である必要はないが、言語センスに溢れた人間を雇うか?
ふむ、中々に難しい。
「ライラック様、フウタです」
「はい」
「失礼しま――ライラック様、何を?」
「……あ」
考え事に没頭していて、普通に答えてしまった。
ポーズは、いまいちキマらないままである。
「あー……侵入者を相手しておりました」
「大変じゃないですか!? 誰だ!! 出てこい!!」
血相変えてライラックの前に駆けつけるフウタ。
「……大丈夫です。虫をやっつけただけですので」
「む、虫? ……それはまた、可愛い侵入者でしたね」
「まあ、そういうこともあります」
適当に誤魔化して、ライラックはコンツェシュを納めた。
誤魔化せたのはフウタであればこそだが、彼の声でなければそもそも自然に返事などしない、とは彼女の心中抗弁である。
別名、言い訳とも言う。
「えーっと。それで、お話というのは」
「ひとまず掛けてください。お茶の準備は出来ています」
「あ、はい」
見れば、確かに既にティーセットは整っていた。
配置を見るに、コローナの手によるものではないようだが。
適当な"侍従"にして貰ったのだろう。
「さて。プリムにも話は聞かせてもらうつもりですが、コロッセオのことを話してほしいのです」
「コロッセオのことを?」
「ええ。具体的には、どういう形で運営がなされていたのか、その理由、辺りが本線になるでしょうか。こと運営やその理由について、プリムから聞けるとは思っておりませんので」
「……それはまた」
日に日に、プリムのおつむがランカスタ、なことが方々に露見しているなあ、と苦笑いするフウタであった。
腰かけて紅茶を1杯。ほっと一息入れたフウタは、コロッセオの運営について幾つか思い出していた。
別にもう、辛い思い出だとか、暗い気持ちになるだとか、そんな精神とは無縁だった。
「結局のところ、強い選手と強い選手を戦わせ、どっちが強いんだ? で盛り上げるのが基本でしたね。だからこそ俺は鍛錬を続けていたわけですが……」
「なるほど」
余談だが、ベアトリクスがこの話をライラックづてに聞いた時は鼻で笑っていた。
『何がどっちが強いんだ、よ。キャラ商売に決まってんでしょ。あたし含めて一般人に剣の技巧なんか分かるわけないんだから、どっちかを応援したい気持ちで引っ張らせんのよこの無能が。エピソードもないマッチョがかきんかきんやってんのが楽しければ戦場にでも連れていけばー? あははははは!!』
同じ"経営者"であっても、一瞬でその事業の本質を見抜く力があるかどうかは人それぞれ。だがベアトリクスは、使えない経営者なら野垂れ死ぬだけでしょ? とでも言いたげに、カップケーキ片手にコロッセオの"経営者"を見下していた。それはもう盛大に。
閑話休題。
「なので強さをはっきりさせるために、リーグというものがあったんです」
「ほう、リーグ。天下八閃ですね」
「え、ええ」
思いのほかぐいっと来たライラックに、フウタは頷いた。
「天下八閃はいわゆるメジャークラスと言って、チャンピオンへの挑戦権を争う一番強い8人によるリーグでした。その下にマイナークラスと呼ばれる、天下八閃に昇格するためのリーグがありまして」
「なるほど。そこには何人ぐらいいたんですか?」
「えーと――」
フウタの説明するところによれば、かなり闘剣士の数は多かった。
そして、リーグの数は5つ。
まず、初めて闘剣士に登録した者が配属されるビギナー用のリーグに、だいたい8000人。
彼らはコロッセオで試合をすることも叶わず、誰の声援も受けないままひたすら戦い続けていた。ファイトマネーも殆ど発生しないため、殆どが別に稼ぎ口を求めていたという。
その熾烈な争いを経て、100人ほどが昇格試験を受けられるのが、アンダーリーグ。1000人ほどの在籍者が居るらしい。
そこでの成績上位20名ほどが昇格試験を受けることが出来、逆に下の100人が降格戦を用意され、ビギナーリーグに落ちるのだとか。
さらにその上にあるのが、ノーマルリーグ。ここでようやくコロッセオの舞台で闘うことが許される。前座として場を盛り上げるために遣われる彼らの在籍者数はおよそ100人。
成績上位5名のみが昇格戦を行い、逆に20人は降格戦を用意される。
この辺りでようやく、闘剣士で食っていく、という生き方が可能になるというから厳しい世界だった。
ここでようやく、マイナーリーグが顔を出す。
在籍者数20名。たった2人が昇格戦に挑むことが出来、5名が降格戦を受けさせられる。
マイナーリーグの闘剣士ともなればかなりの人気を誇っているのが常で、メジャークラスへの昇格を賞賛するイベントが行われることも多い。
そして。
在籍者数8名。次に手を伸ばすのは王座1つ。
誰もが公国全域に名を轟かせる猛者であり、姿を消す可能性があるのもたった2名のメジャークラス。
それが、天下八閃。
「その6番目が、プリムだったというわけですね」
「はい。あいつは、鎗振り回してたらそこまで来られた、みたいなこと言ってましたけど……相当な道のりです」
「です、か。しかし、そのプリムでさえ6位で止まっているという事実が、層の厚さを感じさせますね」
「プリムはまだまだここから伸びると思われてましたし、俺もその意見には同意でした」
「忌憚のない意見を聞きたいのですが、フウタ」
「はい」
「今のプリムは6位のままでしょうか?」
「あー……どうでしょう」
腕を組んで、フウタは悩む。
「今の他の八閃を知らないので、何とも言えませんが。あの頃の彼らと比べてであれば、3位くらいにはなれたかもしれません」
「3位、ですか」
「意外ですか?」
「……さて。1位になれると言われても、6位のままと言われても、そう驚きはしなかったでしょうが。はっきりと彼女より格上が2人居る、そう明言されたように思えたもので」
「あー……まあ、はい」
「なるほど……いえ、ありがとうございます。リーグの構成1つとっても、楽しい準備期間になりそうです」
「ライラック様にそう言っていただけるなら、話した甲斐がありました」
ライラックは少し思案するように紅茶を傾けた。
チャンピオンへの道のりは、思ったよりも遠そうだ、と。
プリムとフウタの間に壁があるのは分かっていたが、さらにその間にもう1つ壁が挟まるか、と。
――楽しい。
それでこそ、剣を交える甲斐があるというもの。
プリムにはせいぜい、足掛かりになってもらうとしよう。
もちろん本人にそんなつもりはないだろう。だからこそ、彼女とも刃を交える意味がある。
「リーグ分けそのものは、こちらでもやりたいものですね。やはり、肩書というのは映える」
「確かに。プリムは割と、名前に関しては頓着してなかったみたいですけど」
「は?」
「……えっ?」
顔を上げると、ライラックは何というか、今まで見たこともないような形相でフウタを睨みつけていた。
彼女の怖い顔は色々見てきたが、これは初めてだ。
なんだろう、憎悪のようで、そうではないというか。
瞳孔が開いているのが実に恐ろしい。
「ライラック様?」
「あんな二つ名を貰っておいて……頓着していない? ほう? ふーん……そうですか……へぇ……」
「ひょっとして羨ましいとか?」
「率直に妬ましいですね」
「妬ましいて」
「やはり彼女はおつむがランカスタなのでは?」
「どんな罵倒!?」
『本職に考えて貰えばいいやー……いいやー……いいやー……』
お花畑を駆ける彼女の幻聴がこだました気がした。
ゴミを見るような瞳から一転、ライラックはカップをソーサーに戻すと。
「まあ、その辺りは追々考えましょう。何人で王座への切符を争うことになるかは分かりませんが、そこはそれとして。これから忙しくなりそうですから」
「そうですね。準備期間ですね」
「ええ、貴方にも、ベア――パスタと協力して貰うことになりますし」
「……まぁ、はい」
舌で頬の裏を突くフウタであった。
「わたしもわたしで……多少面倒事が起きそうなので」
「そうなのですか?」
「はい。今度は力づくというわけにはいかないでしょうが……いざという時には、頼りにしていますよ、フウタ」
そう微笑む彼女の表情はいつも通り美しく。
その声音が本心であることも疑うべくもなく。
フウタは頷き、笑みを返した。
どんな面倒事であろうとも、自分の出来ることを尽くそうと。
「それはそれとして、わたしの肩書を貴方に任せることだけはありませんね」
「えっ」
「わたしの為に尽くしたいなら、そう。精進することです」
ぴ、とフウタの鼻先に指を突き付けて。
ライラックは、楽しそうに破顔した。
NEXT→2/9 11:00