王城散歩"ウィンド・アースノート"
――オルバ商会本部。
雑多な荷物の運び出しや、運び入れ。
活気のあるこの場所はしかしこれまた、前回来た時よりも覇気が薄れているように感じるフウタであった。
「――ったく、あのガキに従ってたらこの始末だ」
「だから俺は最初から言ってたんだよ、子供に仕事任せんなって」
「はーあ、天下のオルバ商会が泣けてくるぜ」
複数人の商人たちが出て行くのを見送ったフウタは、そこでようやく待ち人がやってきたことに気が付いた。
「……いやはや。人間、恩というのはすぐに忘れ、自らの不利益を他人の責任にすることでしか生きていけないものですな」
「こんにちは、ウィンドさん。なんというか……あんまり良い活気ではないですね」
「悪態を力に変えて商売するように誘導しろ、と命じたのは何を隠そう会長本人ですがね。とはいえ、あれは彼らの本音でしょう。年端もいかない子供にいいようにされた結果、法国に手痛い一撃を受けた、という事実は変わらない」
「そうですか」
「ただ」
屋敷の激しい出入りを眺めながら、彼は続ける。
「ここまで商会を大きくしたのは、外ならぬ会長ご本人。元は、王都に店を構えることすら叶わぬ小さな商会でしたから。新参の下々には、子供がふんぞり返っているようにしか見えなかったのでしょうが」
「ウィンドさんはパスタを尊敬してるんですね」
「ええ。恩人でもありますからね――パスタ?」
「次の偽名はそうなりました」
「はぁ、なるほど。美味しそうな名前になりましたね。パスタ会長」
わざわざフウタがこの場所を訪れたのは、ウィンドにベアトリクスの新しい偽名を伝えるためであった。
他の重役にはベアトリクス自身から直接伝えられるだろうが、ウィンドは所詮ただの用心棒。
ベアトリクスについていくわけにも行かず、さりとて出奔するのも不義理だと、彼はオルバ商会に籍を置き続けていた。
そういうわけで、ベアトリクスが個人的に気に入っているだけだった用心棒のウィンドには、フウタが直接伝えにきたというわけだった。
何か思うところがあるように少し目を閉じたウィンドだったが、そこはそれ。
「さて、では立ち話も何ですからどうぞこちらへ。今日は娘が遊びにきておりましてな」
「例の6歳になった娘さんですか」
「ええ、可愛い盛りです。さあ、出荷の馬車にはねられても困ります。こちらへ」
「あ、ちょっと待ってください」
フウタはふと気が付いた。
そういえばおかしい。ウィンドが先ほどからフウタだけに話をしていたところからおかしい。だって今日自分には、もう1人連れが居たのだから。
慌てて振り向くと、そこにはメイド型の空白があった。
「あれ!? どこ行った!?」
「どうかしましたか?」
「いえ、連れが――ああっ!?」
慌てて周囲を見渡す一瞬。フウタは、屋敷に併設された倉庫の上で、年端もいかない子供を振り回すメイドを発見した。
ウィンドが発狂した。
「る、ルリいいいいいいいいいいい!!!!」
――商会本部応接間。
「お姉ちゃんのくるくる、楽しかったぁ!」
「そ、そうか……いや、ルリが楽しかったなら、パパは良いんだ……」
ウィンドの隣で心底楽しそうに微笑むのは、季節外れな厚着を纏った童女だった。
ふわふわの淡い桜色の髪は極東の国でよく見られるもので、おそらくはウィンドの相手の血であろうことを察するフウタ。
ぷにぷにとした頬は健康的で、どこかのんびりした印象を抱かせる。
「なんで屋根の上であんなことしたんだ」
「元気になるかなってっ」
「どういうこと!?」
ぺろりんっ、と舌を出す彼女の正面で、幼いルリちゃんも一緒にぺろりんっしていた。
「パパ追いかけてたら転んじゃって。そしたらお姉ちゃんが拾ってくれて、砂払ってあげる、って、くるくるしてくれたの!」
「そうかそうか、良かったなあルリ……」
完全に使い物にならないウィンドと、ご機嫌なルリ。
そして隣のコローナ。
フウタは頭を抱えた。
「屋根の上に居た理由が何もない」
「そこはほら、気分ですよ気分っ。開放感溢れる明るい職場っ!」
「まずここキミの職場じゃないからね」
職場っ! と元気に拳を突き上げるコローナの横で、ルリが一緒に笑顔で「しょくばっ!」とやった。
「……なんでこの一瞬で無限に懐かれてるんだ?」
「メイドの心が通じちゃったかもしれませんねっ。メイ道、貫いていけー?」
「つらぬいていけー?」
「待て待てこの英才教育は良くない」
流石のフウタでも、コローナが2人に増えるのは許容量を超えた状況。
そもそもメイ道とやらが何なのかすら聞き損ねる始末だった。
つらぬいていけー? と拳を突き合わせる2人から、フウタは目を逸らす。少々空気についていけず、ここはウィンドに逃げ場を求めようと思ったフウタだったが……フウタの正面に腰かけるウィンドは、フウタが見たこともないようなゆるっゆるの表情で愛娘を眺めていた。
「ああ……娘が可愛い……」
「おぉ、もう……」
壮年の紳士、用心棒、敬意を払うべき先達。
そんな風に彼を認識していたフウタだったが、その積み上げた信頼がガラガラと音を立てて崩れていった。
崩れた信頼という瓦礫の山を、箒で回収していくメイドを幻視した。
「で、でも本当に健康そうですね」
フウタにとって意外だったのは、その6歳の娘――ルリがどこをどう見ても健常な6歳児に見えたことだった。
『6歳になる娘がおりましてな』
『最近まで病気がちでか弱く、薬1つにも金が必要で必死でした。私は、娘の為なら何でもやった。殺しも、盗みも』
最近まで、と言っていたから、今の彼女が元気であることは想像出来ていたが、それにしても天真爛漫で、病気とは無縁の少女に思えた。
「ええ。――まぁ、だからこそ私は、オルバ商会に身を捧げているのです」
「それは」
「妻は故郷で亡くなりまして。男手1つで育てることになった私には、養育の基礎などさっぱりでした。頼れる伝手もなく――方々から恨みも買っておりましてね……娘に充分な幸福を与えることが出来なかった」
方々から恨み。
その言葉にフウタも思い当たる節があった。
模倣した彼の軌跡は、熟達した殺しの武。彼の"職業"を詳しくは知らないが、それでも闘いより殺しを目的とした武人であることは間違いない。
オルバ商会に拾われたきっかけすら、商隊を襲撃したことであるというから、ずっと殺しで日銭を稼ぐことしか出来なかったのだろうとは察しがついた。
「この子の身の保障を条件に降ったオルバ商会は、私にとっては福音だったのですよ。ベアト――パスタ会長は、身の保障の一言に娘の全ての面倒を詰め込んでくれました。有能な者には相応の条件を、とは彼女の弁でしたが」
「え、パスタが世話を?」
「まさか。お忙しい方ですから」
「そりゃそうですか」
「ただ、娘の為に"侍従"を5人と、健康に育てるようにと様々な手配をしてくださったと聞いております」
頷くウィンドの横で、ぶすっとした顔のルリが呟く。
「ベアトお姉ちゃんきらい……」
「なんだ、悪いことしたのに謝らなかったか?」
「? ううん。こわいしきびしい」
「それはまた」
何をさせられているのやら。
「なるほど……パスタがなぁ……」
「はい、パスタ会長が」
パスタパスタと言っている横で、コローナはルリと――ルリで? 遊びながら、今晩はパスタにしようと考えていた。
「きっと、会長は――」
メイドに頬を弄ばれる愛娘を愛おしそうに眺めながら、ウィンドは小さく呟きかけて。それから、首を振った。
「いえ、何でもありません。とまれ、フウタ殿。娘ともども、今後とも宜しくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
「ところで――」
ふと思い立ったようにウィンドは問いかけた。
「どうしてパスタに?」
「それは……なんでですかね」
この時フウタたちは知らなかった。まさか、2人でルリを預かることになるなどと。
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