王城散歩"ベアトリクス・M・オルバ"
――元オルバ商会別邸。現ベアトリクスのおうち。
久々というほどではないが、二回目の来訪となったオルバ商会の別邸は、以前と比べて随分と雰囲気が変わっていた。
保管されていた美術品や高価そうな品物はその殆どが持ち出され、広いだけの屋敷はどこか殺風景で寒々しい。
それは前回ベアトリクスと話をした部屋も同様で、誂えられていた調度品の殆どが姿を消していた。
あるのは、むしろ逆に周囲から浮きつつある高そうなソファと、相も変わらずテーブルの上に鎮座するカップケーキ。
そして、ライラックが持ち込んだ紅茶。
周囲を見渡すフウタを気にせず、ライラックとベアトリクスはコロッセオの商業戦略についてあれこれと言葉を交わしていた。
「あたしに助言を求めようってんだから、商会にもう少し配当があっても良いと思うんだけど?」
「貴女は既に商会の人間ではないはずでしょう? それに、アドバイザーとしての給金はあるはずです」
「あたしの頭脳が買い切りねえ……ほんと、笑っちゃうわ」
頬杖をついて、殺風景な壁に視線を投げるベアトリクス。
どこか自嘲するようなその台詞に、フウタは少し目を細めた。
「ここにあった高そうなものはどうしたんだ?」
「はぁ?」
ちらりとフウタに憂鬱そうな視線を投げて、ベアトリクスは納得したように答えた。
「別の屋敷に全部移しただけよ。ここはもう商談には使えないし? ならあんなもの置いておいても掃除の邪魔なだけ……。この屋敷のあれこれにはもう商会の金を使う訳にもいかないしね」
「そうか」
「心配してくれてどうもア・リ・ガ・ト」
「そんなわけないだろ」
馬鹿にしたように嗤うベアトリクスを視界から外し、フウタは部屋の内装に想いを馳せる。
心配というほどではない。
酷く寒々しい孤独な部屋に、少しばかり懐かしさを覚えただけだ。
売り払うしかないほど困窮しているわけでもなければ、彼女の手はまだまだオルバ商会の中で息づいている。
ただ。
あれだけ金に執着していた彼女が、自分の住まいに金を掛ける気が無いという矛盾じみた振る舞いと。
自らの人生を閉ざしてまで、商会の権力を維持した彼女の行いが。
どうも、噛み合わないというそれだけの話だった。
「さて、次ですが」
ある程度の話を終えて、ライラックがポットから紅茶を注ぐ。
微妙に色を深くした二杯目の茶に少しだけ不機嫌そうな表情を浮かべつつ、彼女はカップを口にした。
目を閉じ、小さく嘆息する彼女の口は、語らずとも雄弁に告げていた。
やかましいメイドの紅茶が欲しい。
あのメイド、唯一の欠点はやかましいことくらいなのだ。そのやかましさが異常なだけで。
黙っていても動きが、動かずとも表情が、固めておいても存在がやかましい。
ただ、付き人に必要なあらゆる技量が一流であった。
ライラック・M・ファンギーニの葛藤は終わらない。
「ベアトリクス。貴女から、何か注文はありますか?」
「戸籍の捏造」
「ああ、そうでしたね。高く付きますが?」
「今日の打ち合わせの料金はそれでまかるわよ」
「ではそれで」
一瞬、フウタはこの場で行われたやり取りに理解が追い付かなかった。
戸籍の捏造をあっさり要求するベアトリクスも。
高い金額と言うそれを、今回のベアトリクスのアイディア料で終わらせるライラックも。
「――そんなあっさり行くものなんですか!?」
「ええ。フウタも都民として登録してありますよ。安心してください」
「え、いつの間にそんなことを」
「いつやったかはどうでもよろしい」
ぴしゃり。
一刀両断されて、頷くしかないフウタだった。
致し方のない話ではあった。
あの夜の翌日だなどと言ったら、随分と軽い人間に思われそうだ。
「とはいえ、フウタと異なるのは……そもそも、偽名を用意しなければならないということですか」
「別に名前なんて記号みたいなものよ。適当で良いわ」
ひらひらと手を払うベアトリクスは、本心からそう思っていそうだった。
「それを一生使うことになるとしても?」
「この14年で4回目でぃーっす」
「です、か」
唇をそっと、白い刺繍のドレスグローブで撫でたライラックは、フウタをちらりと一瞥する。
フウタはフウタで、どこか思うところがあるようにベアトリクスのだらけた姿を見つめていたが。
ライラックの視線に気が付くと、振り向いた。
「何でしょう」
「貴方、何か面白い案ありますか?」
「面白がるんじゃねーよ!!」
あら、とライラックはベアトリクスに目をやる。
「別に5回目も6回目もあるかもしれませんし、良いのでは?」
「あんたらが面白がって付けた名前であんたらから呼ばれるとか屈辱以外の何物でもないでしょうが!」
「別にわたしは貴女を指さして笑う趣味はありませんが。フウタのセンスに関しては、少し思うところがあったので練習をと」
「練習」
どういう意味よ、と胡乱なものを見る目でフウタを見やるベアトリクス。
別に、面白い案と言われたところで、ファニーなものを考えろという意味ではないだろう。
単純に案が欲しいだけだと判断して、頭をひねる。
安直なものでもよくないだろう。
かといって長すぎてもよくない。
相手がベアトリクスとはいえ、女性に付ける名前だ。
元より不興を買うつもりはないし、嘲笑するつもりもない。
真剣に目の前の女性の為の名前を考える。
何よりライラックはカッコいい言葉が好きだ。
ならば好ましいのはそういう路線――。
「……ふぅん、真剣に考えてはいるのね」
「真剣だからこそ何が飛び出すか分かりませんが」
「なんでそんな微妙な顔してんのよ」
「わたしは一日でも早くちゃんとカッコいい台詞を言えるようになって欲しいだけです」
「はぁ……? え、待ってなに、それ今センス駄目ってことじゃ」
「ホットレディ、とか?」
ライラックは静かに目を閉じた。
ベアトリクスは凍り付いた。クールレディ。
クールレディはしかし、徐々に顔がホットレディ。
そして。
「ぷっ……」
全力で馬鹿にしたように吹き出した。
「ぶ、ふ。何よそれだっさ!!! お腹痛い!! ほ、ほっと、れ、れでぃ……ひぃ!」
「ライラック様、不愉快ポイントを」
「却下します」
「却下ですか!?」
哀しみを湛えた表情でライラックは首を振り、フウタは凹んだ。
一生懸命考えたのに。
「――一応聞いておきましょうか。何故その名を」
「ちょっとやめてよライラック!! ギャグの解説なんてさせるもんじゃないわ、あははははは!!」
フウタはイラっとした。
「はい。ベアトリクスはお世辞にも女性らしいとは言えない立ち居振る舞いなので、せめて少しは気品あるイメージだけでもと思いレディを考案しました。長くなりすぎてもいけないと思い、しかし短すぎるのもどうかと思い、最初は見た目に安直にレッドと考えたのですが、レッドレディは些か語呂が悪いので、レッドから連想してホットで」
「……ロジックがある分、余計に悲しくなりますね」
「そしてレディ部分は最高に余計なお世話ね」
姉妹から総スカンであった。
「あ、あたしの経済ロジックで、最低なものを最初に用意すれば、あとは何でも許せるようになるって、いうの、あるけど、ひぃ、もう何でもいいわ! あははははは!!!」
「だそうですよフウタ。もう少し気軽に考えてみても良いのでは」
フウタは、ソファに転がって座面をばんばん叩き笑うベアトリクスを見つめた。
ついで、見目麗しい自分の主を一瞥。
彼女の期待に応えられなかったのは申し訳ない。次は頑張ろう。
それはそれとして、そこまで笑われたのは癪だった。
「じゃあ、パスタで」
今日から
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