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王女様の、最後の一手(下)




「……本気ですかライラック様」

「そのねじ曲がり切った性根はともあれ、利用する価値は十分あります」

「好き勝手言いやがって。……あ、あたしの好きな店のやつじゃーん」


 テーブルに置かれたカップケーキを目敏く見つけたベアトリクスは、2人を放置してソファにぽすんと腰を下ろすなり、お菓子に手を出し始める。


 その光景を眺めながら、フウタはぽつりと問いかけた。


「……アレですか?」

「アレですが」

「そうですか……え、じゃあ試したってつまり」


 思い返すのは、御前試合の日。



『キャラが立ってないのよこの無個性根暗野郎!! あんたが今するべきは悪役(ヒール)よ!!! そんな煽情的な女が目の前にいるんだから、せいぜい下劣に迫りなさい!!! 男どもは目を剥いてあんたを応援するに決まってるわ!!!!!』



 確かにあの時彼女はそう叫び、渋々従った結果として――生まれて初めて"闘剣士"を相手に声援を受けることが出来た。


 そこまでライラックの計算尽くであったことはさておき、確かに"実績"はあるのだ。


「え、なんでこいつが暇なんですか?」

「会長を降りたそうですよ?」

「――降ろされたっていうか、社会的に終わりましたんでぇ、表向きにはあたし死んだことになってるから宜しく」


 会話に割り込み、ひらひらと手を振るベアトリクス。

 その小さな手には食べかけのカップケーキ。


「死んだ?」

「そーよ。あんたの大事なお姫様のせいで、うちの商会は法国から損害賠償含めてえぐい打撃受けてるのよ。被害を最小限に抑えるために、ベアトリクス・M・オルバは死にました。あはは、ウケる」


 やけっぱちとばかりの甲高い笑い声。

 それがどこか虚しく感じるのは、気のせいだろうか。


「はて。あれは全て、オルバ商会が"魔女"を惜しんだのでは?」


 小首をかしげるライラック。

 ソファ越しに見えていた赤髪が、ぴたりと動かなくなる。


 ついで、カップケーキを持っていた手がゆっくりと下ろされた。

 その手は、小さく震えていた。


「……あんたにはさぁ、妹を慮る気持ちは無いわけ?」


 喉を引きつらせたような声が、どんな表情から紡がれたものなのかは想像に難くない。

 だが、ライラックは軽く一蹴する。


「血のつながっただけの他人でしょう。第一、貴女も国王に対して微塵の憐憫も抱いていないのですから、語るに落ちますね」

「…………っ」


 ぎり、と歯を擦り合わせたような音。


「さてフウタ、立っているのも何でしょう。せっかく客人が先にソファで待っているのですから、話を始めましょうか」

「あ、はい」


 特に何の感情も見せず、ライラックはベアトリクスの正面に腰かける。

 当たり前のようにその隣へ座るよう促されたフウタも、大人しく従った。


 正面には、俯いて表情の見えないベアトリクス。


 大股を開いて腰かけていたソファには、幾つかの雫の跡が見えた。


「――で? フウタ使って金儲けして良いって話、詳しく聞かせて貰おうじゃない」


 顔を上げたベアトリクスは、相変わらず不遜で横柄。いつも通りの、"経営者"としての面がそこにあった。

 髪を弄びながら、ライラックを睥睨する彼女の鼻が少し赤いことには、ライラックは一切興味がないらしい。


「……お前、今金儲けする意味あるのか?」

「は? ……ああ、あたしが死んだだけだと思ってるわけ? バッカじゃないの? 死ぬことすらどーでもいい"魔女"じゃないんだからさぁ、大人しく終わりにするわけないじゃん」

「ライラック様。不愉快ポイント2でお願いします。いや、3? 4くらい行っちゃいましょうか」

「分かりました」

「分かりましたじゃねーよ!!!」


 テーブルを盛大に叩くベアトリクスだが、ライラックは無機質に指を折るだけ。

 そのポイントが貯まるとどうなるのかなどフウタは知らないが、そこはそれ。


「で、ただでは死なないベアトリクスは今何してんだ?」

「あたしの"経営者"としての仕事を真似できる奴なんて、商会にはもう居ないのよ。だからあたしは別邸から指示を出して、今の商会を回してるってワケ。会長は代わっても、あたしのやることは変わんないのよ」

「ということで、多少手が空いた彼女を使うことにしました。性格はねじ曲がり切っていますが、腕は確かなので」

「なるほど……」


 頷くフウタを胡乱げに眺めつつ、ベアトリクスは新たなカップケーキを手に取った。


「で、事業も国営になっちゃった以上、明らかに旨味が少ないわけですけど? オルバ商会にすら商売の機会を与えないってのは、議員たちからどんな目で見られるか分かっているであろう王女様は、あたしらに何の仕事を回してくれるワケ?」

「ですから、言った通り。フウタ関係の営業権は全て貴女にあげますよ」

「……は?」


 ぽとり。手にとったばかりのケーキが落ちた。


 ライラックが差し出したスクロールを手に取り、さらさらと読み進めていくベアトリクスの眼光は鋭い。


 フウタ関係の営業権。

 そう聞いてフウタが思い出すのは、コロッセオで全く売れなかった自分のグッズの数々。オルバ商会に対して与える営業権がそれで良いのかと、フウタは少し難しい表情になる。


 そんな彼をおいて、ベアトリクスは口火を切る。


「試合入場料」

「1割」

「イベント」

「どうぞ」

「グッズ」

「どうぞ」

「系列店」

「どうぞ」


 ある程度言い切ったベアトリクスは、ライラックを睨む。

 フウタのイベントやグッズを売ったところで、たかが知れているからか。


「――どういうつもり?」


 ライラックはそっと紅茶を傾ける。


「馬車馬のように働いてくれればそれでよいので」

「……へぇ?」


 挑発的に口角を上げるベアトリクス。澄まし顔を崩さないライラック。


 姉妹の間に挟まれたフウタは、たまらず言った。


「さ、流石にそれは……」


 ライラックの交渉に口を挟むのもいかがなものかと思ったが、この場に席を許されているのだ。少しだけと思い声を上げる。


 しかし、それを止めたのはベアトリクスだった。


「そうはいかないわ」

「えっ」

「良いわよ、この条件で」

「ええ!?」


 驚くフウタを、ベアトリクスは睨みつける。


「あんたの余計な台詞で変に条件弄られるのは御免よ」

「なるほど?」

「ライラックが何考えてんのか知らないけど。これ以上の条件なんてどうせ用意してないでしょ」

「さて、どうでしょうね」


 ついていけないのは、どうやらフウタだけらしい。

 ベアトリクスは手元のスクロールを叩きつけると、続ける。


「――馬鹿にしないでくれる? こと商いに関わる話なら、あんたに後れをとるはずがない」


 実のところ、それだけは事実であった。

 だからこそ彼女とライラックの交渉は難航し、条件を引き出せなかったライラックが絡め手でリヒターを介して権利をもぎ取ったのだから。

 あの時、メイドを捕まえでもしなければ、今頃はもっとベアトリクスに有利な条件でコロッセオの建設が決まっていたはずだった。


「じゃ"契約"して。早くしてくれる?」

「良いのですか?」

「良いのよ。何なら」


 ちらりとフウタを一瞥してから、ライラックに向けてベアトリクスは獰猛に笑った。




「国より儲けてやろうじゃない」

















「本気なのかよ、お前」

「は? 何が?」


 ライラックが化粧直しに席を外した。

 そのタイミングも、ベアトリクスはわざとだと睨んでいたがそれはそれ。


 フウタと2人取り残された部屋で、彼の視線は疑わし気だった。


「オルバ商会、今大変なんじゃないのか?」

「だから何よ」

「もっと稼げる方法探すとか」

「はっ、王女のヒモが偉そうに稼げる方法の説教? 笑わせないでくれる?」


 フウタはとりあえず、遠慮なく不愉快ポイントを1つ増やした。


 そんな彼の内心を知ってか知らずか、ベアトリクスは面倒臭そうに客用ソファに寝転がると。


「――だからあの女の話なんかに飛びついたんじゃない」

「え?」

「何ふざけた顔してんの? 一番金になるからあたしはこれをやるって決めたの。悪いけど、あんたには最高の金儲け道具になって貰うから」

「……俺が?」

「は? 他に誰が居るわけ?」


 一瞬、理解できないものを見る目でベアトリクスを見つめるフウタ。


「だって俺は、確かに闘剣は強いけど」

「絶対に負けない男。"無職"という被差別職業で? 他に何かある?」

「よく調べてるな」



 卑怯だ。要らない。無個性野郎。

 何度言われたかもわからないその台詞。

 どうせフウタが勝つのだからと飽きられて、チャンピオンという名で流刑されたような、寂しい闘技場。


 商品などになるものか。そう、眉根を寄せるフウタに。


「対戦相手を模倣することが抜けてるかな」

「模倣?」

「ああ」


 ベアトリクスは、片眉を上げて体を起こした。

 それはまるで、彼女の姉に出会った日を想い出すような、真剣で鋭い表情。





『では、最後も。わたしが放ってもいない技を模倣したと?』

『そういうことになります』

『なるほど……』


『――え、最強では?』



 ベアトリクスは唇を撫でて「つまり」と呟いた。

 武人ではない彼女にとっては、よくわからないことだったから。


「何あんた。毎回相手と同じ武器わざわざ使って、全部勝つワケ?」

「そういうことになるな」

「なるほど……」






 あくどく愉悦と恍惚に歪ませた口元と共に、少女は言い放つ。







「――え、最っ高じゃない?」







 あの日の彼女と、見てくれも心根も全く違うけれど。


 この2人、確かに姉妹であった。






 極悪"経営者"が、フウタの人気に全力を尽くすよう仕向けること。

 利用できるものは全て利用し尽くすライラックの、これが最後の一手であった。

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