王女様の、最後の一手(上)
――王城は王女執務室。
その日ライラックから呼び出しを受けたフウタは、対面のソファに腰かける彼女と共にお茶と菓子とを楽しんでいた。
落ち着いた空間で、のんびりと話をする。
最近は――特に数日前の御前試合までは慌ただしかったこともあり、こうしてゆっくり出来るのは久々であった。
紅茶と、それから添えられたお菓子。
今日は普段のクッキーではなくカップケーキが幾つか置かれており、最初の話題はそれだった。
クッキーでは物足りなくなった時は、よく口にするとか。
国営事業コロッセオのこともある。彼女にとっては、今までよりもここからが企画の本番なのだろう。
「……さて。これから忙しくなりますが、フウタ。王都でコロッセオを開くとして。貴方は、出場してみるつもりはありますか?」
「えっ? ……俺が?」
「ええ、貴方が」
冗談を言っているようには、思えなかった。
頷くライラックは、そっと思案するように唇を撫でる。
「――貴方の悩みは分かります。コロッセオが完成するまで時間もかかる。それと、これはわたしの命令ではありません」
「……」
ライラックが望むのなら。そのカードが潰されて、フウタは悩んだ。
思い返すのは、今回のプリムとの試合。
――楽しかったのだ。今までで、一番。
だが、ライラックは経済の為に今回の企画を立ち上げたのだ。
自分が参加することで、果たして経済が機能するのか――フウタには分からない。
「貴方がやりたいかどうか。闘剣の世界にもう一度飛び込んでみる気はあるかどうか。それを、わたしは聞きたい」
「……先に、質問を返してもいいでしょうか」
「ええ」
「コロッセオで、王都の文化を立て直したいというのは、ライラック様の本心ですよね?」
「はい。そこに偽りはありません」
ライラックは頷く。
そして続けた。
「御前試合が王国の伝統文化だなどと、わたしは毛ほども思っておりません」
「えっ」
王国の文化であればこそ、法国の人々に伝えたい。
そう言っていたのは彼女自身であったはず。
いい加減フウタも分かってきた。
あちらがブラフで、本心はこちらなのだろうと。
「文化? 伝統? そんなもの、愚にも付かない。どうでもよろしい。必要なのは熱。ゆるゆると腐り落ちていく果実を、わたしは見て見ぬふりなどしない」
それはきっと、コローナを拾ったのと同じ。
『この国をぶち壊す』
きっと、その言葉に繋がる考え。
「ですがフウタ。貴方が参加することでわたしに発生する損害はありません。それだけは先に言っておかないと……貴方は、遠慮するでしょう?」
「ライラック様に損害が、ない?」
「ええ」
目を見開くフウタ。
自分がどういう人間かは、自分が一番よく知っている。
"無職"として、観客を沸かせることが出来ずに苦渋の人生を送ってきた闘剣士。
チャンピオンとなったにも関わらず、不人気の代表でしかなかった無能。
まさかライラックがフウタに八百長をさせることもないだろう。
となれば、必ずフウタに自分が勝ってみせるから、ということだろうか。
ぐるぐると思考を巡らせるも、決して頭脳が優れているなどと己惚れてはいない。
すっかりと理解できないことは諦めて、フウタはライラックに頭を下げた。
「……すみません。お答えすることが出来ません」
その答えにも、ライラックは特に感情を示さないまま言葉を返す。
「というと?」
理由があるのだろう。そう決めてかかった彼女の問いは果たして、その通りであった。
「俺は、闘剣がやりたいかと言われれば分かりません。プリムとの一戦は楽しかったし、ライラック様との手合わせも充実していると……自分では思っています。だからこれで良いと思っている自分も、居ます」
「続けなさい」
「"無職"でも、本職に負けないと示す。それが俺の目的でした。でも、実力とは別のところで、俺はプリムや、他の皆に勝てなかった。今だって、解決策が見いだせたわけじゃないんです。もう一度、闘剣の舞台にチャンスが欲しいと思う俺も居る。でも、具体的な方法があるわけじゃない。そんな半端な状態で、ライラック様の大きな夢に割り込みたくはない」
「……です、か」
なるほど、と唇を撫でて、彼女はドレスグローブを軽く拭った。
ケーキの脂が少し残っていたらしい。
「――わたしが貴方に期待したことを憶えていますか」
「人間は"職業"の奴隷ではない、と」
即答するフウタに、ライラックは眉を下げた。
困ったように微笑みながら、彼女は言う。
「もう、数月になるというのに。すぐに言葉が出てくるあたりは、好ましいというか、なんというか」
「すみません。期待に応えたいとは思います。でも、応えられる確信もないのに、貴女のやりたいことにただ乗りしたいとは思えない」
「宜しい」
頷いた彼女は、真っ直ぐにフウタを見据える。
「期待に応えようとする気概が聞ければ十分です。決して、闘剣に後ろ向きというわけではないのですね」
「はい。――ああ、なるほど。すみません気づかなくて」
「はい?」
心底申し訳なさそうに、フウタは頬を掻く。
また要らぬ勘違いをしているのではあるまいな? と疑念を持ちながら、ライラックは紅茶を傾けた。
「俺を心配してくれていたんですね」
「ごぼっふぇ」
「ライラック様!?」
「――っ、学習しろ、わたし!」
けほけほ、と涙を拭うライラック。
フウタはテーブルを軽く飛び越えてライラックの背をさすりながら、ハンカチで彼女の手元を拭っていた。
「心配、などと大げさです。わたしは、今回も貴方を利用しようとしているだけですので」
「すみません」
「……"無職"のチャンピオンが、本当にチャンピオンになるにはどうするべきか。わたしも少し考えてみたのですが。1つ思い当たりまして」
「そうなんですか!?」
「一度試してみたのですが、存外悪くなかったので――その方法で行こうかと思っています。フウタさえよければですが」
「やらせてください!」
立ち上がり、頭を下げるフウタ。
何でどう試したのかは知らないが、フウタにとっては些末な問題だった。
「一度、道半ばで心が折れてしまった情けない人間ではあります。追放を受けて、俺はどうすれば良いのか分からなかった。でも、"無職"でもやれるんだと示したい気持ちは、変わっていません」
フウタの中で、優先順位が変わっていただけだった。
ライラックとコローナ、2人の恩人が人生の最優先になっていただけで、心根や願いが消えたわけではない。
その願いすら、2人の迷惑になるから口にしなかっただけのこと。
ライラックの方から求めてくれるなら、断る理由は1つもなかった。
「宜しい。なら、1人貴方に紹介したい人間が居ます」
「その人が、手伝ってくれるんですか?」
「そうなります。貴方を、闘剣士と全ての面で対等に戦えるよう仕立て上げる――マネジメントの天才を付けましょう」
「そんな人にも伝手があったのですね……! でも、良いんですか?」
「何がです?」
「そんな優秀な人、凄く忙しいのではと」
「ああ、前よりは暇になりましたから大丈夫ですよ。裏方に回らざるを得なくなったので」
「なるほど……」
フウタの頭の中には、初老の理知的な男性が浮かんでいた。
「流石はライラック様」
「ただし、条件があります。フウタ」
「条件だなんて。幾らでもやりますよ。やらせてください」
「ふむ。条件の前にその感覚は正してください。……わたし以外に、幾らでもやるなどという台詞を吐くことは禁じます。自らの求めるものこそ、最も簡単な餌であると知りなさい」
「言われずともライラック様以外とこんな話はしませんから」
「……です、か」
「俺の人生は全部、貴女に差し出したはず」
「…………分かりました」
少し隣のフウタから目を逸らして、頷く。
なんとなく、顔を見ていたくなくなった。急に。
感情の制御を考えると、あまり頻繁に思い出したい記憶ではない。
大事にしまっておこう。
「えと……では条件です。その人物との友好を図り、一応相手の立てたプランに従うこと」
「勿論です。相手はライラック様も太鼓判を押すほどのマネジメントの天才なのでしょう。従いますよ」
「そして、向こうにも条件を設けました。貴方が不当な扱いを受けないように」
「……それは、そうですね。どんな無茶でもやってのける心持ちでは居ますが、一応。ライラック様のご紹介なら、信頼に足るのでしょうけれど」
頷くフウタからライラックはさっと目を逸らした。
「やっぱりやめておきますか」
「え!? やらせてくださいよ!?」
「わたしが貴方から得ている信頼と天秤にかけるほどの仕事でしょうか」
「待ってください、なんでいそいそと片づけを!? いつもはしないのに!」
「あまりわたしを信用しない方が」
「なんで急に弱気になるんですか!?」
「分かりません!!」
分からないものは分からないのだ。
だって、もしこれでフウタからの信頼が無くなったら――とそこまで考えて首を振った。
「……フウタ。わたしはリスクを警戒しています」
「は、はあ。リスク……」
「ええ。わたしとて女神ではありません。わたしの考えたことが上手くいかない万が一を考えて行動せねばなりません。分かりますね」
「それは、はい。ライラック様も、準備が大切だと常々言ってますよね」
「その通りです。相手の思わぬ行動によって、わたしのプランが瓦解するなどということも充分あり得るわけです。人間ですから」
「なるほど」
相手も人間だ。だからこそ、読めない部分というのはある。
なるほどとフウタは納得した。幾らライラックが万全の準備をしたとしても、相手の人間の感情で左右される部分はどうしてもあると。
「ですから、わたしはリスクを考えて尚、貴方とその人物を引き合わせようと考えたわけです」
「なるほど、相手の行動によってはライラック様でも読めない、と」
「そうです、相手の行動によっては」
「分かりました。ライラック様に恥じないよう、その人と頑張りたいと思います」
「ええ、そうしてください」
もし失敗してもヘイトが全部相手に向くように仕向けたライラックは、満面の笑みで頷いた。
「で、条件っていうのは何ですか?」
「ああ。貴方が少しでも不愉快に感じたら、わたしの方で処理を進めるという話です。もしそういうことがあったら、遠慮なくわたしに言ってください」
「不愉快、ですか。俺はそんなに相手に対して不愉快とか感じる方ではありませんが……分かりました。その時はライラック様に報告を」
「ええ。貴方がどう感じるかは大事ですが、もっと大切なのは、自分がそのカードを握っていると見せることですから」
と、結局ソファに横並びで最後まで話をしていたライラックとフウタの2人。
そこに軽いノックの音がして、ライラックが応じると。
「めいどー! ブツをお届けに上がりましたー!」
勢いよく開いた扉の先に、何やらワゴンを引っ張ってきたコローナの姿。
あっけに取られるフウタを置いて、ライラックが軽く頷く。
すると彼女は、そのワゴンをそこに放置するや否や、
「またのご利用をお待ちしてまーっすっ」
「え、もう帰るの!?」
「いつだって惜しく思われる女でいたいのよ……坊や……」
「誰だよ……」
「ぺろりんっ」
背を向けて、とててー、と戻っていってしまった。
取り残されたのは、ワゴンと、2人。
「コローナには、怪しまれないように振る舞えと言ってありましたので」
「な、なるほど。で、これはいったい」
食事を載せてくるワゴンにはしかし、何も載っていない。
否、違った。本来は寸胴鍋を置くような、下の収納スペースに何かが入っている。
「……あーもう、せっま。なんであたしがこんなこと」
「えっ」
寸胴鍋入れる場所から寸胴鍋が出てきた、などと言うほど彼は失礼ではないが。思ってしまうくらいは、許されると信じたいフウタであった。
「フウタ、紹介します。貴方のマネジメントをやらせる――」
「……ベアちゃんでーっす。相変わらず陰気な部屋ね」
フードを取った赤髪の少女は、フウタを見るなり小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ライラック様」
「はい、では1不愉快でカウントしておきます」
「ざっけんな!!!!!」
ベアトリクス・M・オルバが現れた。
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