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EP メイド は フウタ の もと に かえってきた!



 ――御前試合から、数日後。




 優しく降り注ぐ陽気に照らされ、正午は過ごしやすく穏やかな気候。


 植物園の緑はご機嫌に揺れて、混ざり合った花の香りは職人の粋によって人の心を安らがせる。


 そんな、王城の庭園で。


 少女は紅茶を傾けて、正面に腰かける青年に問いかけた。


「左腕の経過はいかがですか?」

「すみません、もう少し安静にと"癒師"の厳命が」

「です、か。いえ、フウタの体が第一です。王家のお抱えがそう言うのであれば、そのように」


 申し訳なさそうに眉を下げるフウタの左腕は、添え木と包帯による治療の真っ最中だった。

 それはそうだ。如何にフウタが鍛錬を重ねた武人とはいえ、ギロチンと正面からぶつかり合って何ともない、などというびっくり人間ではない。


 とはいえ、適切な治療を受ければ後遺症が残ることもないとのことで。

 ほっと胸を撫でおろしたのは、この場に集った全員である。


「……ぅー」

「あ、あの……ライラック様」

「さて、フウタ。せっかくこうして改めてフウタの手料理を楽しめるというのですから、冷めないうちにいただきましょうか」

「え、あ、はい」


 何かを言いかけたフウタをよそに、少女――ライラックは微笑んだ。その優し気で柔らかい表情筋とは裏腹に、目は全く笑っていない。


 テーブルの上には"3人分"の食事。

 いつかフウタが振舞ったシチューを改良し、シチューをソースに変えてパスタと和えた代物だ。


 並んだカトラリーは少ないながら、ライラックにとっては悪くない食事だ。贅沢を凝らし、多くのカトラリーを並べて食べる冷めたものよりも、こちらの方が好ましい。


 であればこそ、ライラックが自らセラーに赴いて持ってきた葡萄酒を開け、厨房ではライラック自身が少しばかりフウタの手伝いをしたのだ。


 せいぜいがディッシュプレートの用意とカトラリーのセレクションくらいのものだったが、それだけやれば後はフウタが全部出来る。


 ――もう1人、何もさせて貰えず右往左往していた少女が居たことは、今は考慮しないものとする。


「――あの、ライラック様」

「何ですか?」


 グラスに、ライラックお気に入りの葡萄酒を注ぎながら、フウタは何とも言えない苦笑いのような表情で彼女に視線を向けた。

 蒼の瞳は全く笑っておらず、並み居る貴族も裸足で逃げ出すような彼女の雰囲気。


 それでもフウタにとっては、親愛なる王女殿下のお怒りだ。

 甘んじて彼女の感情を受け入れながらも、そろそろ潮時であろうと口を挟む。


「もう、許してあげてください」


 そう言って、フウタはテーブルから自らの隣へと目を向けた。


 椅子に座ることも許されず、ぷるぷる涙目のメイドがそこに立たされていた。


 首から下げた看板を持たされたまま、今日はずっと話すことすら許されていなかったのだ。


【わたしはフウタ様に黙ってメイドをやめた挙句、金の亡者に捕まって皆さんに大変な迷惑をかけました】


「はて」


 小首を傾げたライラックが、そっと唇を撫でる。

 そしてフウタを真っ直ぐ見て――つまるところ、彼女には全く目を向けず、問いかけた。 


「わたしが許すだとか、許さないだとか、そのような判断を下さねばならないことが何かあったのですか?」

「わーお……」


 これは、ダメだ。フウタは察した。


「……ぅー」


 耐えきれずに必死にアピールする彼女を視界に入れることなく、ライラックはそっぽを向く。その先にあった果樹園を眺めながら、


「ああ、もうメイドの鳴く季節ですか」

「そ、そんな季節ないもんっ!」

「おや、口を開くことが許されていたとは知りませんでした」

「ひ、姫様だうとぉ……! 許す許さないは姫様関係ないって言った癖に!」

「ええ、関係がありませんね。何せ――わたしはおまけのようですので」

「あっ」


 そっと、食前のお茶に口を付けるライラック。

 こともなげに言い放たれた一言に少女は押し黙り、フウタは小さく息を吐いた。


 なるほど。

 この人、あの日の遺書を根に持っている。



『あー、あー。チェックチェックっ。うん、反応してますねっ! それじゃー全国のフウタ様っ、あとおまけでライラック様っ。ちょっとメイドの最後のお話、聞いてってー?』



 フウタは、ちらりと看板を持った少女を見上げた。


 目を合わせた彼女は、ぺろりんっ、と舌を出した。


「……と、いうことはライラック様。ひょっとして、許す許さないは俺の裁定ってことですか?」

「許すのですか? 徹夜で王都を駈けずり回り、ベアトリクスに罵られ、自分だけ満足気な遺書じみたものを聞かされて、要らぬ試合に駆り出された挙句、左腕を怪我するような事態になったにも関わらず、『わたしの為にそこまでしなくても』とかなんとか言っていたようですが」

「あの、ライラック様……」


 ――そこまでにしてあげてください。


 澄ました表情のまま淡々と垂れ流されるフウタのここ最近のイベント。

 口を挟むことも出来ず、彼女はぷるぷる震えるしかなかった。


 いつものように絶やさぬ笑顔のまま、真っ赤になった頬と潤んだ瞳だけが彼女の感情を訴えている。


「それでも許すというのなら、好きにすれば宜しい」

「許しますよ」

「……そうですか」


 片眉を上げて、ライラックはカップをソーサーへと戻した。


「どうせ貴方は自分の苦労も、怪我の容態も、伝えてはいなかったのでしょう。このくらい言ってやらねば、自らの失態の大きさに気が付けないというものです」

「……そのためにわざわざいちから言ったんですか」

「さあ。腹に据えかねたのかもしれません。フウタ、貴方の行いにもです」


 つん、と取り付く島もないほどに彼女の感情は凝り固まってしまっているらしい。


 とはいえ、自分が許せば彼女の人としての尊厳が守られるというのなら、フウタの取る選択肢は1つしかなかった。


 良かったな、ともう一度彼女を見上げて――


「ごべんなざい~……」

「うお!?」


 だうー、と滂沱の涙を流す彼女に、流石のフウタも驚いた。


「あーあー、もう、鼻も垂らして。ほら、ハンカチ」

「うー……」


 慌てて立ち上がり、ぐすぐすとぐずる彼女の顔にハンカチを添える。


 やれやれと吐いた溜め息が――何故だかとても幸せなものに思えた。


 目元を拭ってやる彼女の背丈は、いつも通りフウタの胸くらいまでしかない。見下ろすような視線で彼女を見れば、綺麗に整えられた金糸の髪と、ちょこんと載せられたホワイトブリム。


 くるくるとカールした二房はいつも通り可愛らしくて、纏う服装も一番良く目にしてきたクラシカルなメイド服。


 ――それだけで、フウタにとっては十分だった。


「本当に良かった……。でも俺だけじゃないからな。ライラック様もあれを聴いてから凄い頑張ってくれて」

「頑張ってなどいません」

「えっ」


 何度も泣かせるよりは、一度に話してしまった方が良いだろう。

 そう思ってライラックのしてくれたことも話そうとしたフウタだったが、思わぬインターセプトに振り向く。


「ライラック様?」

「わたしは最初から最後まで、如何にうまく国王の影響力を落とすか――そして新たな経済のきっかけを作るために動いていたにすぎません。ええ、ですから」


 ここで初めて、ライラックは彼女に目を向けて。


 不敵な笑み、とでも言えばいいのだろうか。

 珍しく、してやったりとでも言いたげな表情で。


「貴女は、所詮おまけです」


 思わず眉尻を下げるフウタ。

 そして。


「ぷ、ふふ。あはは」

「……何がおかしいのですか」

「おかしいですよっ。おかしくて仕方ないってやつですよっ。おなかごろごろ言ってますよ!」

「それはただの下痢では」


 目元を拭って、彼女は笑った。


「姫様が、こっち見た」

「はい?」

「3年間、ずーっとそっぽ向いてた人がこっち見たもん。そりゃ笑いますよっ」


 ぴくりと、ライラックの眉が動く。




『貴女には、一定の信を置いていたのですが』

『3年くらい? けっこー楽しかったですよっ』

『所詮は双方合意のもとに交わされた"契約"。貴女がもう良いというのなら、わたしに止める権利はない。どこへなりと、消えなさい』




 ――ただの一度も、ライラック・M・ファンギーニは。


 たとえ"おまけ"であったとしても、利用する以外の目的で。




「わたしのために、何かしてくれたの。初めてじゃん?」





「……くだらない感傷です。フウタ、いい加減にお腹がすきました」

「はいはい、そうですね。みんなで食べましょう」

「なんですかその薄気味悪い笑顔は」

「すみません、嬉しくて」

「何がですか。わたしはこの"おまけ"にまだ利用価値があると判断したにすぎませんが」

「いや、もちろんです、はい」

「フウタ。言いたいことがあるならはっきり言ったらどうですか」


 にこにこと、否、にやにやと。

 見ていると自然に心を逆撫でされるような、そんな表情。


 とはいえ、ライラックにそう言われたからにはフウタは正直に口にする。



「俺はずっと、ライラック様と――コローナに、仲良くしてほしかったからさ」




 一瞬固まるライラック。

 笑顔のまま、ぱちくりぱちくりと目を瞬かせる彼女。


「だから、おかえり。コローナ」


 正面から、そうフウタに優しい笑みを向けられて。


 少し言葉に詰まった彼女は、ライラックとフウタを順番に見つめた。


 ――ライラックが、自分の為に何かをしてくれた。


 それ自体が初めてで笑ってしまったけれど、彼女は遅れて気が付いた。


 おかえりと言われて。

 自分が帰ってくるために、2人が頑張ってくれたことが。



「嬉しい――なぁ」



 その感情を、知った。







「てひひ。ありがと……ただいまっ」








 フウタが笑う。


 ライラックが嘆息する。


 帰って、来られた。


()()()、おなかすいたー!」

「分かった分かった」

「この無駄な時間は貴女のせいでは?」

「姫様ったら辛辣だぞっ?」


 ぺろりんっ。


 いそいそとフウタの隣に腰かけて、すっかり冷めてしまったパスタに、それぞれのカトラリーが動き出す。


「んー! フウタ様フウタ様フウタ様っ」

「はいはいどしたの」

「今までで一番美味しい!」

「冷めてるのに?」

「冷めてるのにっ!」


 満面の笑みで、コローナは言う。

 そんな彼女に、呆れたような表情でライラックは問うた。


「しょっぱいのに?」

「しょっぱいのにっ!」

「……です、か」


 仕方ないですね、と敢えて彼女を視界から外して、ライラックは呟く。

 フウタも、出しかけたハンカチをそっとしまった。


 美味しそうに食べる彼女の笑顔は、たとえ録術などなくたって、ずっと覚えていることだろう。



「フウタ様フウタ様フウタ様っ!」

「はいはいどしたの」

「メイドの箱、持ってる?」

「ああ、あるよ」


 コローナからもらった、底抜けに明るいオルゴール。

 フウタが懐から取り出すと、にへらと彼女は笑って言った。


「なんか、むしょーに、開きたい気分!」

「ああ」


 よく分からないけれど。

 開きたい気分だというのなら、それを否定する理由はフウタにはない。


 そっと手渡すと、心底嬉しそうにコローナは小箱を開く。





せい(Say)っ!」






 開いた瞬間、流れるメロディーに合わせて。


 コローナは叫んだ。










「るーんぱっぱー、うんぱっぱー!」

「あ、それってこのオルゴールの歌詞だったの!?」














「たとえば俺が、落とされる処刑の刃と打ち合ったとして。」

おしまい。

ここまでの御読了、まことにありがとうございました。

これでようやく、この物語の序章は終わりです。完成度という意味で「これからもっと面白くなるぜ!」というわけではなく、土台が整ったと言いますか。

1章で終わりにしようと思っていた今作ですが、続けて良かったなと思えたのは皆さんのおかげです。本当に楽しい1月でした。

物語はまだまだ続きますが、これも1つの節目。

ご感想、レビュー、評価などなど、ボクの執筆の励みになるものをいただけたら本当に嬉しいです。

王城散歩を挟んで、また3章を作っていきますので、今後とも宜しくお願いいたしますね!

皆さんに届け、るんぱっぱー。


2020/01/31 藍藤唯





「ねくすとっ!」→2/1 11:00

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