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25 おうじょ の おかたづけ




 ガーランドは言葉を失っていた。


 法国神龍騎士団は精鋭だ。

 だというのに、たった3人の武人を相手に、この数が物を言う広いフィールドで、重鎧を身に着けていながら、"魔女"の奪還を許してしまった。


 挙句、事態の収拾に駆り出された王国の兵士たちは、狼藉者を捕らえるでもなく、騎士団員たちの快復に努める始末。


 おかげで、暴れに暴れ倒したオルバ商会の闘剣士や護衛、そして何故か動いた財務卿の懐刀に関しては、兵士たちは構うこともなく放置である。


 とはいえ。


 "魔女"を断頭台から取り外した彼らの動きは緩慢だった。


 ガーランド自ら動けば、今からでも咎めることは出来る。


 そう、一歩を踏み出した時だった。



「よ、かった……良かった……」



 へなへなと、その場にくずおれた少女が1人。


 慌てて抱きかかえる国王と、自重を支えることすらままならない王女の姿は、この場の騒ぎが落ち着いたこともあって注目を浴びていた。


 それはそうだ。

 この乱痴気騒ぎの裁定者が居るとしたら、それはガーランドではなくこの国の王族なのだから。


「ライラック。大丈夫か?」

「ありがとうございます、お父様。……はい、わたしは、大丈夫です」


 力なく微笑んで、彼女は同時に周囲を見渡した。

 その瞳は既に、フウタも、コローナも、処刑台すら視界に入れていない。


 見定めるべきは、観衆。彼らの注意が自らに向いていることを察した彼女は、ゆるゆると立ち上がった。


 そして言い放つ。


「――オルバ商会の皆さんに、勇気を貰いましたから」


 ぐ、と自らの胸を握りしめるようにして、ライラックは国王を見据えた。

 確かに先ほどは貴方の言うことを聞いて、辛いながらも国の為に堪えたのだと。


 だが、ことが既に台無しになった以上、今から告げることは決して、国王の名誉を踏みにじるものではない。

 無論、神龍騎士団長のメンツを潰すことにもならない。


 だってそれは、先にオルバ商会がやってしまったのだから。


「本来わたしは、オルバ商会を咎める立場なのかもしれません。ですがそれは、法国の文化を誇りに思うガーランド閣下が行うこと。ですからわたしは、わたしの想いを口にしたい」


 さらりと全ての責任をオルバ商会になすりつけ、法国と王国の亀裂を最小限に留めつつ。


 ライラックは、その透き通るような声を、静まり返った演舞場に響かせる。



「――あれは、わたしのメイドです」



 安堵と、義憤と、悲嘆。

 そんな感情がないまぜになったような表情で、王女は言葉を紡いだ。


 毅然とした態度でガーランドに向き合う彼女は、麗しき姫の輪郭を残したまま、そっと目元を拭って声を上げる。


「確かにわたしは、法国の皆さんに王国の文化をお伝えしたいと願い、この催しを提案いたしました。――それは、ひとえに互いの国の未来を思えばこそ。なのに、なのに貴方は、どうしてわたしのメイドを衆人環視の中で処刑するなどと!」


 叫ぶ王女に集まる同情。


 あの様子では、魔女狩りの儀式とやらを王女様は何も知らなかった。

 そして、たかが1人のメイドの安否にあれほど心を痛めている。


 こんなことでは、法国の文化を伝えるも何もあったものではない。


 ガーランドは一瞬言葉に詰まりながらも、何を今更と表情をこわばらせる。


「最初にお話しした通りです。御前試合が王国の文化ならば、"魔女狩り"は法国の文化。法国の信ずる教えに従い、災厄をもたらすと謳われる"魔女"は生かしておくわけにはいかない。これは譲れない一線です」

「譲れない、一線……?」

「ええ。文化を知って貰いたい、毛嫌いされては悲しい。貴女が先に仰ったことです、王女殿下」

「そんな――お父様! わたしは、法国がわたしのメイドを殺すことを是とする国だなんて、知りませんでした!」



法国(・・)()文化(・・)()()()()()()()()、その。お伺いしても宜しいでしょうか』



 その言葉に矛盾はない。

 急に水を向けられた国王は、しかし首を振る。


「互いの国の文化を受け入れることで、同盟はより強固なものとなる――ライラック、お前にも分かるだろう。どうして、そんな」

「どうしてですって……!?」


 目を見開いたライラックに、国王は一瞬たじろいだ。


 聞き分けの良い娘だったのだ。

 いつも微笑みを絶やさず、優しく聡明で。

 自分が正しい政治をしている間は、決して背くことはないだろうと安心して、この王城で過ごさせてきた。


 それが、まさか。メイド1人でここまで取り乱すなどと。

 心優しく育てたが故に、情に厚くなったのか。それでも、国王の意向が分からない娘ではないだろうに。


 そんな困惑に、畳みかけるようにライラックは叫ぶ。


「"職業"が"魔女"だから殺す――それはお父様がわたしにしてくれた優しい行いと真逆のことではありませんか!」


 ガーランドは、拙いと察し口を挟もうとする。

 だが、ライラックはそれを許さない。


「"職業"で全てを判断する国と、文化を共にするなどと! でしたらお父様、わたしは貴方を殺すような人間に育つと、そうおっしゃるのですか!?」

「そ、れは」

「彼女を殺すということは、わたしのことも疑うということではありませんか……!」


 目に浮かぶ涙を拭い、声を嗄らして訴える愛娘。


 国王はそこで気づいてしまう。

 メイド1人の問題ではなく、これはライラックに関わる話だったのだと。


 ――得てして。人間は、自分の尺度でしかものを測ることは出来ない。

 国王である自分が、メイドを"たかがメイド"と判断しているのだから、ライラックにとってもそれは同じだと思っていた。


 だから先ほどまで、ライラックがどうしてここまで、胸を傷めながらも公の場で自分を糾しているのか分からなかった。


 しかしここで"納得"してしまう。

 ライラックの怒りは、"これなら理解できる"と。


 国王を黙らせるや否や、今度はもう1度ガーランドに振り向くライラック。


「わたしは国を乱す"奸雄"なのでしょうか! これでも、国を想い、民を想い、お父様の治世の為にと努力を続けてきました! "神官"さまの瞳には、わたしの人生とは無関係に、"奸雄"は"奸雄"と映るのですか!?」


 ガーランドは、そうだ、と言ってしまいたかった。

 今この行いが、法国と王国の和を乱す"奸雄"の如き行為であると。


 感情の話だけをすれば、ガーランドにとっては目論見が無茶苦茶だ。


 狙いを定めた相手は結局何もせず、無関係な商会が暴れた挙句気づけば糾弾される側だ。


 行き場のない怒りのままに、"奸雄"を"奸雄"として吊るし上げてやりたい。その気持ちが無いと言えば嘘になる。


 だが――腐ってもガーランドは法国の神龍騎士団長。国のトップと言っても過言ではない立場の人間だ。

 吐いた言葉はそのまま法国の総意になると言っていい。


 そんな状態で迂闊なことを言えるはずもないし――何より、今この場で彼女を"奸雄"と断定してしまったら、それこそ王国との亀裂は決定的なものとなる。


 オルバ商会に勝手に引っ掻き回されたのではない。

 自らの手で、法国と王国の関係にひびを入れることとなる。


 それにこの女、たまたまかわざとかは分からないが、敢えてここで"神官"と口にした。


 彼の"職業"に対する鑑定は、それそのものが保証となる。


 死体にでもならない限り、その人間の"職業"については全てを把握すると言っていいガーランドの"神官"としての実力は、発言力としてはかなりのものだ。


 "奸雄"は治世で能臣となるという、最高位の神官の保証か。

 それとも、法国と王国が袂を分かつという宣言か。


 その二者択一を、この一瞬で迫ってきた。


 出来れば、黙ってしまいたい。別の話にすり替えてやりたい。

 その二択は、ガーランドには出来ない。


 ――そうして、黙ってしまえば。


 あとは、王女の独り舞台だ。


 ガーランドが黙ったことを確認するや、ライラックは今度は観衆に振り返った。



「わたしの言っていることは、間違っていますか!?」



 国王ないし、好戦派たる軍閥派は、ここで異を唱えなければならなかった。

 だが言えるだろうか。国王も、神龍騎士団長も言葉に窮したこの場所で。

 それも、明らかに空気が王女への同情へ傾いているこの演舞場で、果たして王女に野次の如き否定が飛ばせるだろうか。


 殆どの観衆は王女に心を寄せ、国王よりも王女が声を大にして主張している現状を"認めてしまっている"。


 色んな意味で間違ってねぇんだよなぁ、と財務卿だけが白けていた。


 もはや、完全に好戦派の意気は消沈してしまっていた。


「権力って、脆いものね」


 自らのことか、それとも国王を眺めてのことか。

 赤髪の少女は、どこか達観したように呟いた。



「――わたしは今日、とても楽しかった」



 気付けば急に、話題は転換されていた。

 しかし流れるような演説に観衆は耳を傾け続ける。

 ガーランドと国王でさえ、何をと思っても声はかけられない。


 悲痛そうな王女の訴え。その想いを妨害することは即ち、今までの同情、観衆の心を敵に回すことになるからだ。


「わたしなりに趣向を凝らし、法国の方々にも、そしてご観覧の皆さんにも楽しんでいただけるよう努力したつもりです」


 御前試合の為に用意した、新たな会場。

 プリム・ランカスタの衣装。

 無礼講と化した歓声の数々。


 処刑で冷めきってしまった空気を、ゆっくりと手繰り引き戻すように、あの御前試合を想起させるライラックの語り口。


「皆さんにとって、今日の御前試合はいかがだったでしょうか」



 そう、一拍置いた。


 国王は、文化と称して法国を招きながら、伝統とは全く異なる御前試合を執り行ったライラックに思うところはあった。

 けれどそれも、皆を楽しませようという純粋な心の発露と言われてしまえば、今は何も言えない。


 国の首魁たる国王が何も言わないのであれば、貴族や王都議員たる彼らは自らの想いを素直に胸に抱くことが出来る。


 ただ純粋に楽しんだ、数刻前の思い出を再生すれば。


 王女と同じく、楽しかったという感情がふわりと起こる。



「陛下や、将軍の想いは分かります。王国経済は今、斜陽の中にあると。ですから、隣国の資源を手に入れることで活力をもたらしたい。――その想いに共感したからこそ、法国との同盟を歓迎しておりました」



 そっと胸に手を置いて、彼女は謡うようにその声を染み渡らせる。  



「わたしの大切に思っていた客人は、コロッセオの闘剣士でした」



「コロッセオって、どんなところだろう。わたし、凄く興味があって、寝物語に聞かせていただいて――きっと今日は、その影響が色濃く出たのだと思います」



「そしてそれは――とても楽しい催しでした」



「もしも」



「戦争と言わずとも、経済を上向かせる手段があるとしたら。そう思って実は、財務卿とお話をしておりました」



「いかがでしょうか」



「皆さんが肌で感じたこの闘剣――この王都の新たな経済になりませんでしょうか」





 ざわ、と観衆がどよめいた。




「ははっ」




 少女を抱き留めていた青年は、思わず笑った。



『闘剣士のチャンピオンになってみたい。貴方の見た景色を、いつか見てみたい。フウタでも出来たのですから、わたしが夢見ても良いでしょう?』



 彼女は本当に、実現する気だったのだと。




「ら、ライラック……」



 国王は言葉を挟む隙を見失った。


 観衆を味方に付けてしまったライラックに、最早どんな言葉も届かない。

 完全に"国王"よりも"王女"が人心を掌握した。




『まずは、職業"貴族"を平民と同列にし、"国王"を引きずり降ろす』




 王女の目論見は、この演舞場で花開く。





「――何だ。何が起こった。戦の選択肢が、消された?」





 ガーランドの呟き、もといガーランドのことなど既に誰も見ていない。


 法国との同盟など、観衆の頭から完全に消え去った。

 肌に感じた"楽しい"感覚がビジネスに活きる機会を希望に変え、観衆の関心は最早完全に持っていかれた。



『……戦争になりそうだとか』

『ああ。させませんよ』



 あの日から既に、法国との同盟ごと、力づくで打ち砕く気でいたのだ。





「リヒター様! いつの間にそんな素晴らしい案を!」

「なるほど、最近は羽振りが良いと思ったら!」

「我々にも是非とも、お力添え出来ることがあればと!」


「そうか、なら今、是非とも王女殿下に応援の言葉を投げて欲しい」



 煩わしそうに、リヒターは言った。

 腕を組み、既に今後の事業に思考を巡らせている渋面。



『……さておき、リヒター。余裕が出たなら、やって欲しいことがあります。以前お話しした企画ですが、予定を早めましょう。詳しい日程はのちに伝達しますが、そう遠くないので準備を』

『き、企画ってまさかっ……。待ってください! 流石にアレを早められるほどの余裕はありません! どれだけの金がかかると思っているんですか!』


 国営事業コロッセオ。

 それこそが、ライラックが持ち掛けてきた"企画"の正体。


『ではリヒター。今、わたしとの繋がりが露見するのと――企画が成功した折に手を取り合ったと宣言するのでは、どちらがお好みか』


 ふん、とリヒターは鼻を鳴らした。


 貴族たちがこぞってリヒターを賞賛しながら、王女に向けて手のひらを返すような応援を送る姿を眺めて。


 馬鹿も数あれば使えるか。そして確かに、財務卿は立場を取り戻し――その代わりとしてこの事業をまるまる背負うことになってしまった。





「……御前試合での勝利は、無意味ね」


 頬杖をついて、ベアトリクスはつまらなそうにそう言った。


「法国との同盟は決裂。矢面に立たされるのはオルバ商会。となれば、最も商会が損をしない選択は――ちっ」


 目を閉じて、ベアトリクスはこれからの未来図を展開していく。

 この観衆の熱狂など最早知ったことではない。

 いつの間にか財務卿に鞍替えしていたライラックに対する憎悪はあれど、憎しみで経済が動くわけではないのだ。



『今から、血を分けた異母妹(いもうと)を酷い目に遭わせます』



 所詮ベアトリクスは、ライラックにとっては血を分けただけの赤の他人。ベアトリクス自身もそれは分かっていたはずだった。


 だが、なるほど。ここまでするか。


「――あたしの首じゃん。一番安く済むのって」


 会長の任を降りる、などという甘い話ではない。

 そんなものは当たり前だ。法国の名誉を傷つけたのは、オルバ商会ではなく会長のベアトリクスであるということにして、責任の所在を自分自身に押し付ける。


 つまり、けじめとして、会長の首を塩漬けにして送るくらいのことは、やってのける必要があった。


 それが――自分をここまで育ててくれたオルバ商会に対する、"経営者"としての冷静な判断。


 損害は大きい。とはいえ、自らがオルバ商会にもたらした利益と比べれば、吹けば飛ぶようなもの。

 会長を挿げ替えて、オルバ商会の権力だけは、文字通り死んでも維持する。


 そこまで考えて、ベアトリクスは息を吐いた。


「かと言って、大人しく死んでやるとは、あんたも思ってないわよね」


 観衆の声援に涙で応えるパフォーマンス中の姉を眺め、ベアトリクスは嗤う。


「――あたしと見た目の似た死体を用意しなさい。手段は問わないわ」


 控えていた商会の人間にそう言って、ベアトリクスは1人、この会場をあとにする。


 その背は、酷く小さなものだった。 







 ――その数日後。王都議会で、隣国遠征の否決と。




 王都コロッセオ設立案が可決された。





 誰も居なくなった議会で、王女は呟く。








「さて、次」






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次回、エピローグ。

月末に間に合った…!!!!!

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