20 フウタ は コローナ と あった!
――数日後。王城地下。
神龍騎士団の滞在用貨物が安置されたその場所には、1つ大きな荷車があった。
馬を繋いで走らせるための大きな台車は、猛獣でも入れておくのかと思うような、隙間の空いた鉄格子に包まれている。
上から布を被せることもない。
何故ならこれは、絶対に逃がさないようにではなく、市中を引きずり回して見せしめにするのが目的の牢獄なのだから。
移動式の独房ともいうべきその台車の中に、1人の少女がぺたんと座り込んでいた。
思ったより恨まれていたのかな?
冷たい監獄の中で、ふと彼女はそんなことを思った。
神龍騎士団の団員が簡潔に彼女に伝えたのは、予定の変更。
何でも、法国に連れ帰って処刑するのではなく――王国と法国の友誼の為、共に"魔女"の処刑を行うとかなんとか。
彼女は、この国の王女を信頼していた。
王女の良心や信条を信頼しているのではなく、彼女の手腕をだ。
自らの気に入らないことを、王国――ましてや王都でさせるはずもない。
ならばきっとこの予定の変更は、彼女の望みなのだろう。
ある種間違ってはいない推測は、しかし捻じ曲がって胸に届く。
そして出た結論が、「思ったより恨まれていたのかな」だ。
「はふぅ」
別れ際にもまともに話はしなかった。
"契約"の更新をやめておく、なんて会話が、最後にした1対1。
それ以降はお互いに、せいぜい間にもう1人挟むことでしか成立しない関係でしかなかった。
裏側で何をやっているか、"契約"期間中でさえ教えてくれなかった彼女のことだ。"契約"が切れると分かった後で、自分をどうするか考えていたとしても、不思議は無い。
別に生きたい理由があるわけではない。
世話になった王女の望みであれば、まぁ最後に彼女の溜飲が下がるような死に方をするくらいは、恩返しになるのかもしれない。
笑顔の裏で少し、思う。
それならやっぱり、あの小箱は余計だったかなと。
今更になって胸の内に去来する感情は、さて何と表現するべきか。
いつか、彼女の手にあの小箱が渡ったとして。この様子なら。
「ぽいかー。そっかー……」
にこにこと笑みを絶やさず、しかしつい零れた言葉に自ら気づく。
「るーんぱっぱー、うんぱっぱー……」
なんとなく口にした方が良いような気がして、そう唱えた。
ふと楽しい記憶が溢れてくる。
殆どがこの3年間のものなのは、それだけ愛着があったからなのだろう。
中でもこの3月は楽しかった。遊び甲斐のある客人は、王女様にとっても大事な人で、それだけに泡と消えない信頼もあった。
感情を隠すのが下手なのか、そもそも隠すことをしないのか。
『何のつもりか知らないが。――この人には指一本触れさせねえ』
『大事な人を害そうなんて人間を許せるほど聖人でもない』
『俺にとって、キミは心を救ってくれた恩人なんだ』
などと。
そんなことを言われる人生を、自分は歩んできてはいないのだ。
だから楽しかった。
嬉しいという感情を、それだと教えられたことは無かったが。
自分にとっての嬉しいとは、きっとこういう感情を呼ぶのだろう。
だから。
『俺は、キミに生きていて欲しい』
その言葉を、想い悩む。
幾らあの王女であろうとも、自分にそれなりの好感を持ってくれている彼に対して、処刑を見せつけるようなことをするだろうか。
そこに関しては、ちょっと分からない。
フウタの精神的にどちらが良いのか。どのみち、自分は死ぬとして。
ばっさり見せた方が良いのか、後から死んだと伝わればいいのか。
自分としては、死んだことすら知らない方が良いと思ったのだけれど……王女の考えることは、自分にはきっと分からない。
でも。
フウタの目の前で死ぬのは、嫌だった。
ぽいされるより嫌だった。
生きている価値すら怪しいのに。
素直にそう考えてしまうのは、"魔女"としての性なのか。
どうしようかな。彼女は悩む。
いっそ、ここでさらりと自害してしまおうか。
そうすれば処刑台に上らされることはない。見晴らしのいい場所から、彼を探して慌てずともいい。
でも。
「姫様は怒るだろーなー」
ジレンマである。
彼女は悩んでいた。
今ここで死ねば、処刑台よりは彼に隠蔽出来る可能性が高い。
処刑台に行けば、せめて3年の恩は王女に返せる。
今ここで死ぬと、王女は怒る。
処刑台に行くと、彼に見つかる。
「ふむー。まさかここに来て、2人のどっちかを選ぶ展開っ」
困った困った。
難問を前にした彼女は、地下の剥きだしの土壁を鉄格子越しに眺めながら、そうして悩むことしか出来なかった。
――そして。あまりあり得るとは思えませんが、最終的にわたしよりもフウタを取る。つまり、ここで自害されるケースを考えたからこそ。
――一度貴方には、コローナに会いに行ってもらいます。フウタには辛い思いをさせますが……彼女に、処刑台までは行って貰わねばならない。
――大丈夫です。俺は、コローナを救うためだったら何だってしますよ。
2人分の足音が、冷たい地下に響いてくる。
「すみません、ウィンドさん。付き添って貰ってしまい」
「いえ。会長が行かぬのなら、私が共に行くのが一番スムーズです」
「ベアトリクスに来られても困りますから」
「はっはっは。ああ見えて可愛いところも沢山あるのですよ。まあ、娘には負けますが」
「はぁ、そうですか。あれが……」
ふと、顔を上げた。
聞き間違えようもないバリトンは、彼女の良く知る相手。
そして――正直に言えば今一番会いたくない人。
「止まれ。貴様らは――」
「やぁどうも。オルバ商会会長の代理で来ました――」
「俺はオルバ商会で護衛をしている者で――」
何やら、見張りと話し始める2人。あっさりと通されたところを見ると、根回しは既に済んでいるといったところだろうか。
しかしもう片方はベアトリクスの護衛の男のはずだ。
2人一緒に、それもオルバ商会名義でやってきているとはどういうことだろうか。
疑問に思う彼女をおいて、恙なく2人は牢の前へとやってくる。
どうしよう。死ぬタイミングがなくなってしまった。
だって、見つかってしまったのだもの。
見張りらしき神龍騎士団の男とウィンドが隣り合って見守る中、彼は牢獄の前までやってきた。
「――"時の魔女"コローナ」
そして彼は、開口一番そう言った。
彼女――コローナもそこで察する。今の彼は、"オルバ商会の護衛"としてここを訪れている。
下手なことは出来ないのだと。だからこそ、最初の呼び名でコローナに察させたのだと。
それが分かった上で、もう1つ。どうも自分の素性は彼に露見しているらしいと察して、コローナは目をばってん印のようにして笑った。
「あちゃー。見つかっちゃったっ!」
「……」
彼は小さく目を閉じる。
何を想い悩んでいるのか、それはコローナには分からなかった。
けれど、何やら辛そうなことだけは分かったし、それが自分を端に発することだとも気が付いた。
「ごめーんねっ?」
「っ、謝るなよ!」
ばっどこみゅにけーしょんっ。おこられちったっ。ぺろりんっ。
泣きそうな顔で、思わず声を上げた彼。
後ろの神龍騎士団員が、なんと言われてこの会話を容認しているのかは知らないが。少なくとも、親密度が高そうな会話は拙いだろう。
彼の表情は、見えないとはいえ。
せめて自分は、ずっと変わらず笑っていよう。
そう思い、いつも通りにこにこ笑顔。
「へいへーい。何の用でここまでやってきたー?」
「……」
躊躇う自分に憤るような、彼の表情。
拳を握りしめ、それでも彼は、コローナを真っ直ぐ見据えて言い放った。
「
オルバ商会の名で来ているが故の言い回し。
ただ、フウタが"俺の主"と言った以上、決してベアトリクスのことではないだろう。
単に、見張りに対してのブラフのはずだ。
真っ直ぐに見つめられる彼の瞳。
台車の上と下。座り込んだコローナと、その正面に立つ彼。ちょうど、高さは同じ程度。
視線の高さも合わさるなんて、今までで初めてのこと。
薄暗いせいでよくわからないけれど、それでも辛そうなことは分かった。
さて。王女様からの伝言は、何だろう。
胸の内が少しきゅっとする。へたりこんだまま、身に纏うボロ布の裾を小さく握りしめて、コローナはフウタの言葉を待った。
「――せめてギロチンで死ねと」
困ったように眉を下げて。彼女は。
「そっか」
一言。笑って頷いた。
彼に知られている以上、選択肢はどのみち無いようなものだったのだ。
わざわざ伝言までさせる辺り、徹底している。
コローナはそれでも笑っているつもりだった。いつもと変わらぬ笑顔を向けているつもりだった。
それでもどうやら、目の前のひとは耐えきれなくなってしまったらしい。
思わずと言ったように開かれた口に、彼女は被せて声を上げる。
「コロ――」
「オルバ商会の、護衛さんっ」
「っ……」
顔を上げた彼に、微笑みと共に、告げる。伸ばせば簡単に格子をすり抜け彼女へと届くその腕は、しかし力なく下ろされた。
「あのねっ、良かったら伝えて欲しいんだー。ほんとは、言うつもりなかったんだけどっ。でもびっくり、メイドの居場所がバレちったみたいでさっ」
「……伝言?」
「伝言預かってきたんしょ? なら、メイドの伝言も届けてみれー?」
「……分かった」
頷く彼。
きっと、目の前のこの人は、今の言い回しから相手を特定した。
伝言を預かってきたのだから、その人に返す伝言を受け取るのだと思っているに違いない。
でも違う。貴方はただの、オルバ商会の護衛さん。
伝えたい相手は――。
「メイド――って、もうメイドじゃないじゃんね。ぺろりんっ」
えへへ、と笑って、真っ直ぐに。彼の泣きそうな面に目掛けて、最期の気持ちを。
「メイド――ううん、わたしね。フウタ様と居られて、結構楽しかったよ」
「っ、ぁ」
――そりゃそーでしょ。伝えたい相手は、その人だよ。決まってるってばさ。
まだまだ修行が足りんなぁ。昇段試験はお預けですねっ。
なんて。目の前の人はあの人じゃないから、言えないけど。
言えないまま、終わるんだけど。
「って、お伝えくださいっ。以上、"時の魔女"さんからのお手紙っしたー」
「……コローナっ!」
感極まったように声を上げようとする彼。
コローナは少し目を見開く。失敗の二文字が脳裏をよぎる。
このままでは団員に、変な繋がりが露見――。
「ところで私は、屈強な男がだあいすきでしてなぁ!」
はっとしたように振り向く彼。
視線の先では、連れてきた男が騎士団員に盛大に絡んでいた。
「ほう鎧越しにも分かる筋肉!! いやぁ、素晴らしい!!」
「な、なんだ急に!?」
「辛抱たまらんくなってしまいまして!! はっはっは、そのかんばせは如何に――おお何とも骨ばった歴戦の面構え!!」
「やめろやめろ!! 兜を脱がすな!!」
慌てたように兜を戻そうとする団員。
一瞬振り向いたウィンドが小さく微笑む。
迷わず、彼――否、フウタは鉄格子越しのコローナを力いっぱい抱き寄せた。
「わっ、ふ、フウタ様っ?」
「今までの俺の言葉は全部嘘だ」
「……え? 嘘?」
「ライラック様もキミを待ってる。――必ず助け出す」
ばっと、温もりは一瞬。
つい、抱き返してしまいそうになっていた両手が宙を泳ぐ。
目を瞬かせるコローナに小さく笑みを浮かべ、フウタは頷くと背を向けた。
「ちょ、ちょっとウィンドさん! 何を!」
「む、今大事なところですぞフウタ殿」
「すみませんすみません、うちの代理がとんだ失礼を!」
「…………いや、良い。慣れている」
「えっ」
「えっ」
間抜け面を浮かべたオルバ商会の2人。
少し頬を染めた騎士団員。
視界に全部を収めたコローナは、ついうっかりと吹き出した。
「……困るよ」
自分を助けた先にある未来。それは決して、フウタにとって明るいものではないだろうと。
誰にも聞こえないように言った呟きに、どうしてか振り向いたフウタは優しく眦を下げて。
こんな状況で尚も彼を案じるように眉を下げる彼女を一瞥して、1人誓う。
――次は必ず、隔てる
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