19 フウタ は けいえいしゃ と はなしている!
――オルバ商会別邸。
数日前にフウタが足を運んだ本部に比べていくらかこじんまりした、それでも大きな屋敷。
身元を偽装してベアトリクスが所持しているこの邸は、公にしづらい商談や内密な取引をするためだけに使用している場所だった。
最近では専ら、とある少女との会議場の1つとして機能していたこの場所に、今日もベアトリクスはやってきた。
内内にことを運び、誰もベアトリクスがこの場所に居ることを知らないように。
屋敷に到着した彼女は、共に連れてきたウィンドに耳打ちされて表情を露骨に変えた。部屋の中に大嫌いな虫でも見つけたようなその顔で、ずんずんと屋敷へ入っていく。
"彼女"との約束の部屋を軽くノックして、涼やかなアルトボイスが帰ってくると、ベアトリクスはその渋面をさらに深くした。
あの女は、自分が後に来るとそれだけでねちねちと煩いのだ。
煩わしいとばかりに首を軽くくるりと回し、その両開きの扉を開く。
「待たせたわね――ひっ」
丁寧に清掃が行き届いた応接間。
豪奢で華美なものを見慣れているベアトリクスにとっては、何てことの無い部屋。
王女たる彼女が当たり前のように奥のソファに腰かけているのも問題はない。
勝手に紅茶を淹れていることも――おそらく茶葉は自前だろうし――構わない。
だが、隣に座っている男は。
『フウタくん!! 法国って――!!!』
『……そうよ。魔女の生存を許さない、神官たちの国。今、ちょうど国王の帰還と一緒に、この国を訪れているでしょうっ――!?』
『――っ!!!』
至近距離で自らの椅子を木っ端微塵にしてくれたトラウマそのものであった。
「な、なな……!」
ベアトリクスを目にするなり、立つでもなく軽く目を合わせるに留める男――フウタ。
心底無礼だと苛立ちもするが、驚きのあまりフウタを指さして震えているベアトリクスも大概であった。
「なんであんたが居るのよ!!」
「ライラック様の許可は得たから?」
「ライ――姫様!!」
危うくライラックと言いかけて、彼女は無理やり軌道修正して声を張り上げた。
だがライラックはどこ吹く風。
この様子だと、ベアトリクスの反応すらだいたい想定していたと言わんばかり。
挙句。
「ライラックで構いませんよ。ああ、お姉さまと呼んでくれても構いませんが」
「死んでも呼ぶかバーカ!!」
悪態を吐いてから、すぐに何かを察したらしい。
ベアトリクスはつかつかとテーブルの前までやってくると、ソーサーが勢いよく揺れるのも構わず両手をついて叫んだ。
「……は? え、なに? ここにこいつ連れてきただけじゃ飽き足らず、姉妹ってこともバラしたってわけ!?」
「え、秘密だったんですかライラック様」
「口止めすらしてない!!」
詰問に視線を鋭くするベアトリクスと、目を瞬かせるフウタ。
ついでに、のんびりと扉の入り口で待機しているウィンドを視界におさめたライラックは、ゆっくりと手に取ったソーサーにカップを戻すと。
「当然、秘密です。商工組合との癒着が疑われるのも嫌ですが――それ以上に、彼女が王族の血を引いていることを知る者がまず居ません」
「そ、うだったんですか。じゃあ、黙ってます」
「宜しい」
「宜しくないわ!」
もう一度勢いよくテーブルを叩いたベアトリクスを、ライラックが無言で睨み据える。
その鋭さに威圧されたわけではない。
だが、彼女の瞳にベアトリクスは察してしまった。
ぽすん、と2人の対面のソファに力なく腰を下ろすと、ベアトリクスは呆れたように呟いた。
「どんだけ信頼してんのよ……。なら最初からそう言いなさいよ、完全に誤算じゃない……」
所詮はこの男も、ライラックが"契約"で縛ったお気に入り程度にしか認識していなかった。
それが、こんな。自らが抱える秘密を話すような相手だったとは。
今まで人生で一度も、誰かにここまでの信を置いたことなど無かった。
だからこそ油断した。
まさかその一例目が、この男だなどと。ベアトリクスは夢にも思わなかった。
ベアトリクスの呟きに、しかしライラックは首を振る。
「別に、信頼と呼べるほどの関係は構築出来ていません」
「はぁ?」
どの口が? と首を傾げるベアトリクスに、ライラックは続ける。
「信頼させてみせるというから試しているだけです」
「……それ信頼と何が違うの?」
ベアトリクスの首がさらに曲がっただけだった。
「……もう、良いわ。あんたがそのつもりなら、別にそれでも」
面倒臭くなったベアトリクスは、思考を放棄して足元のバスケットをテーブルの上に乗せた。
お気に入りのお菓子が盛り合わせにされたそれを開くと、カップケーキを手に取って食べ始める。
なるほど、王女の前でもこの態度なら、姉妹というのも納得がいく。
フウタは1人頷いていた。
際限なくお菓子を食べるベアトリクスと、紅茶を傾けるライラック。
優雅なのはどちらかと言えば言うまでもないけれど。
確かに、思考の際に唇を撫でる動作などは、姉妹に共通していることなのかもしれない。
――しかし。
「……何じろじろ見てんのよ」
「いや」
「言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「お前1人相手なら別に良いんだが……」
頭に浮かんだ言葉を吐くのは、些かハードルが高かった。
ベアトリクスなどフウタにとってはどうでもいいが、隣に居るライラックに要らぬ飛び火があるのを嫌ったのだ。
とはいえ。ライラックが彼の言動を認知してしまったからには、もう遅い。
「フウタ。わたしは言ったはずです。わたしにとって不都合なことであっても口にしなさいと」
「……わ、分かりました」
珍しく、フウタは少し照れが入ったように頬を掻いて。
しかし意を決して言った。
「ライラック様の妹なのに、どうしてお前はそんな……」
「そんな、なによ」
上から下まで彼女を見つめ、必死に言葉を選ぶフウタ。
だが、彼の語彙は決して多いわけではなかった。
「ちんちくりんなんだ」
「ちんっ……!?」
ぽとりと、食べかけのカップケーキがテーブルの上を転がった。
――言ってしまった、とフウタは後悔する。
扉の前に立っているウィンドは苦笑い。
ライラックは、何故自分が気遣われたのかを察してそっと紅茶に手を出した。
暗にスタイルが良いと言われた。ただ、王女の容姿――ましてや身体つきに言及するなど、フウタにとっては禁忌であったのだろう。
悪い気は、別にしないが。
「言ってくれるじゃない……!!」
気分を害したのはベアトリクス1人であったらしい。
ライラックの身長は、およそ1メレトと70セルチ弱。しっかり測れば、66,67セルチくらいだろう。
対してベアトリクスは1メレトと40セルチもないはずだ。
ふんぞり返っているからこそよく分かる彼女のスタイルは所謂寸胴鍋のようであるし、パスタが大変茹でやすそうだと思う。最近料理に凝っていたせいかもしれないが。
一方でライラックはといえば、強調されるほどではないにしろ、均整の取れたスレンダーな美姫。以前童顔なのを気にしていたが、それはまた愛嬌として機能するくらいには、抜群の美少女である。
髪型に関してもそうだ。
ストレートに伸ばした銀の髪は、靡く度に人の目を奪う輝かしい色香であり、添えられた髪飾りもまた彼女の高貴さを表現していて麗しい。
ベアトリクスはといえば、頭の高い位置で結われた髪がどうしても幼さを強調している他、髪質は良いのだろうがふんわりと広がっていてこれまた体格と相まって彼女のサイズを一段階小さくしているようにも思える。
結論、素振りは似ていようとも、どうしてこうも雰囲気が違うのか。
以上、全てフウタの主観である。
「今にこんな奴が目じゃないほどの容姿になるわよ! 放っとけ!」
「わたしが貴女の歳の頃から、わたしの見た目は変わっていませんが」
「何で今言ったの?」
誰に言うでもなくライラックの口から冷たく放たれた一言は、ベアトリクスを苛つかせるに十分であったらしい。
しかしふとフウタは気付いた。
貴女の歳の頃から。そんな言い方をすると、少しばかり歳が離れているようにも聞こえるが。
「……ベアトリクスって幾つなんだ?」
「数えで14よ」
「そうか」
数え年。誕生日など知らないということだろう。
フウタも同じだったから、特に何かを言うこともなかった。
そんな淡泊な扱いが最後の引き金になったのか、苛立ちが最高潮に達したベアトリクスが口角を引くつかせながら告げる。
「ていうかあんた、ライラックの妹だって知ってもその態度なわけ? 少しは敬意を払えば? 王女の可能性だってあるわけだけど」
テーブルの上に転がったカップケーキを口に押し込みながら言われても、説得力は無かったが。
それでもフウタは一応、ライラックに問うた。
「ベアトリクスって王女になるんですか?」
「いえ全く。お家騒動が面倒なので、王女を名乗ろうとした瞬間に殺します」
「なるほど」
何がなるほどだ、とベアトリクスは新しい菓子に手を出した。
"契約"を交わしている以上王女を狙うなんてことにはならない。
ライラックのこの発言もこれが最初ではないし、ベアトリクスは呆れる以外の感情を持ってはいなかった。
「まあでも、どのみち変わらない」
「何がよ」
「俺は別に、王女様だからライラック様を親愛しているわけじゃないしな」
一瞬、ライラックの動きが止まった。
思い返してみれば、フウタはリヒター相手にもへりくだるようなことはしていなかった。
最初こそ丁寧に接するが、相手との間に何かがあればすぐに己の意志を優先する。
――咎めたことはないが、ライラック自身何度か敬語抜きのフウタに言葉をぶつけられたこともあった。
少し、自分の中のフウタ辞典に追記するライラックであった。
それはそれとして、悪い気はしない。ふむ。
「だから悪いけど、お前が王女になろうが俺の上司になろうが、お前を敬う理由は1つも無いな」
「あ、そ」
ベアトリクスはつまらなそうに手を払った。
自らに靡かない、おもねらない人間は相手にするのが面倒だ。
ライラックに付き従っている以上、そうそう面白いことに巻き込むチャンスもない。
こいつと会う時は常に敵同士。ライラックと同じ。
はっきりと認識して、ベアトリクスは目を細める。
――だから、ライラックにぶつけられた言葉にベアトリクスは思わず声を漏らした。
「本題ですが。フウタの主であるわたしから、貴女に対しての"お願い"。10日ほど、フウタを雇って貰えませんか?」
「えっ……」
意図が読めず、ベアトリクスの表情が険しくなる。
急に本題に入られたこともそう。すぐに脳を切り替え、思考を巡らせる。何故そんなことを言い出したのか。目的、裏の暗示、導き出される未来図。
見据えられる両者の瞳。
「そんなことで良ければ構わないけど。ゴミみたいに扱っても良いってこと?」
「後からわたしがそれを聴いて何をするかは想像に任せますが」
「あんたからの"お願い"じゃない」
「つまりさらに具体的かつ限定的な"お願い"の方がお望みですか。箇条書きにして提出がお望みならそうしますが、1つでも外した場合賠償させますよ?」
「"お願い"ってんだから1つでしょ」
「リヒターの証文を拝見してきましたが……貴女は随分と譲歩して貰ったようではありませんか」
「相変わらず用意周到ね」
ライラックから目を逸らして、煩わしそうに舌を出すベアトリクス。ハイペースな条件の応酬は終わらない。
「10日雇うだけ、なわけないでしょ、どうせ。あんたが回りくどいからこうなるのよ」
「最初からストレートに言って、そのまま履行するほど間抜けとは思いませんので外堀からと」
「誉め言葉どーも。ふざけた給金要求する意味もない、10日のリミットもどうせブラフ、オルバ商会探るならもっとやり方がある。――"無職"でしょそいつ」
「調べはついているのですね。今後は酷い目に遭う前の事前調査をお勧めしますよ」
「このクソアマ……!」
ライラックを相手にクソアマなどと吐けるのは、世間広しと言えどベアトリクスくらいのものだろう。フウタは場違いなことを考えながら、彼女らの会話を見守っていた。
――商会で雇われろ。
そのことは、屋敷に入る前にライラックから聞いていた。
目的は酷く単純。だが、そう簡単に運ぶものかという不安と、それでもライラックなら整えてしまうのではないかという期待があった。
1つ目の目的は――。
「神龍騎士団へのツテが、オルバ商会にしかありません。売った張本人である貴女たちなら、接触も可能でしょう?」
「――ああ、そういうこと」
――囚われているコローナに会うこと。
「当たり前だけど会うっつったところで、逃がすとか不可能だけど分かってる?」
「見張りも多いですし、突破も厳しいですからね。フウタが、話がしたいと言うものですから」
「……ふぅん」
ちらりとベアトリクスがフウタを一瞥する。
後ろめたいことも、隠していることもない単なる事実だ。フウタは小さく顎を引いた。
嘘は1つも吐いていない。実際、フウタが知っている情報は今ライラックがベアトリクスに話したことで殆どだ。ライラックから言伝てはあるとはいえ。
腹芸が出来ないなら、しなければいい。
ただ真実を真実と言っているだけで、ベアトリクスは勝手に察する。
嘘は言っていない、後ろめたいこともない。
だからこそ、信じることが出来る。
ベアトリクスとて齢14ながら実力で全てを捻じ伏せてきた"経営者"。
一筋縄ではいかない相手。
だがライラックは言っていた。
何か相手にさせたいことがあるのなら、相手の頭脳に合わせて押し引きを考えるだけだと。
それがどの程度の難易度なのか、フウタにはよくわからなかったが。
「……ま、良いわ。それだけなら別に10日も要らないと思うけど?」
「そんなにさくっと会えるのですか?」
「は? 根回し済ませて呼べばよくない?」
何のための10日なのか。ベアトリクスは思考して、納得がいったように頷いた。
その瞬間、フウタの脳裏には屋敷に入る前にライラックに言われた話がよぎる。
――裏があることを気取らせたくなければ、表を見せてから、裏を勝手に解釈させれば宜しい。
「……ああ、雇ってくれってそういうこと?」
「ええ、お察しの通り」
「オルバ商会の人間として、フウタを連れていかせたいと。……フウタ、あんた神龍騎士団と接触してないでしょうね」
「ああ、それはしてない」
「……予防線として多少髪型を弄ればどうとでもなるか」
――そして、逆に裏をかいたと思わせられれば、あとはもう消化試合です。
「……ねぇ、ライラック」
「はい?」
「10日間雇う間、勿論雇うんだから只飯食らいってわけにはいかないわよね?」
「事と次第によりけり。先ほどのようなふざけたことを口にするなら、別の"お願い"に切り替えますが?」
「そんな警戒しないでよ。あんたやフウタに迷惑かけようって言うんじゃないのよ」
ぴくりと、ライラックの眉が上がる。
それを"予想外のことに反応した"と解釈したベアトリクスは、口角を上げて言い放つ。
「財務卿ったら借金踏み倒した挙句、"例の話"に噛もうとしてるらしいじゃない。その利権はあたしとしても手放せないのよねぇ」
「……貴女、もしかして」
「フウタの価値を最大限に活かすとしたら、闘剣でしょ?」
フウタは思わず顔を上げた。
しかしてそれは、決してベアトリクスの考えたことに驚いたからではない。
だが、驚愕の色は同じ。フウタの顔色に満足げに頷くと、彼女は続ける。
「その10日以内に、財務卿に御前試合ぶつけて――フウタ使って良いっていうなら……あたしとしても、最高なんだけど?」
「そ、れは……」
「裏であんたが財務卿と話してんのは知ってるのよ。そんなことで商会の利益が下がったらたまったもんじゃないわ」
「…………」
ライラックはしばらく瞑目して、諦めたようにため息を吐く。
「……良いでしょう」
「そうよね。財務卿がどうなろうと、究極あんたはどうでも良いものね。……じゃあ、決まりってことで。宜しく、フ・ウ・タ・?」
「……良いだろう」
これが、どういう結末を呼ぶのかはフウタにはまだ分からない。
だがフウタは頷いた。コローナに会うため、彼女を取り戻すため。
だって。
2つ目の目的は――。
――オルバ商会の名代で、御前試合に出場すること。
ライラックは、ただ静かに冷めた紅茶を飲み干した。
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