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16 おうじょ が あらわれた!



 ――王城。中庭広場。


 貴族たちの憩いの場として知られるそこは、本日も燦燦と降り注ぐ陽光が美しく木漏れ日を描きあげ、心身ともに癒される理想の場所として機能していた。


 王城で最も日当たりの良い中庭広場。

 ここを設計した自分の祖先を、今日ほどに褒め称えたいと思ったことはない。




 その日、リヒター・L・クリンブルームはたいそうご機嫌であった。





「ほほう……ふむ。なるほど? ふぅん、へぇ。そうかそうか」





 手には、スクロール。証文らしきその文面を陽光に透かしてみたり、ぱたぱたと仰いでインクの香りを楽しんだり、一文字一文字を指さして、0の数を数えてみたり。


 そんな彼の後ろで、鎗を杖代わりにだらんと護衛をしていたプリムは呆れたようにため息をついた。


「ちょっと気持ち悪いよリヒターくん」

「気持ち悪いとはなんだ。言葉の使い方に気を付けろ」

「国民でもないのに貴族に敬意払えって言われてもなー」

「雇い主だろう」

「私は雇い主に対してはこんなスタンスだよー」


 振り向いたリヒターに、ひらひらと振られる手。

 二房の黒髪が、彼女の気だるそうな雰囲気に釣られてふりふりと揺れた。


 諦めたようにリヒターはため息を吐く。

 護衛に雇ってから日は浅いが、それでもこの護衛のひととなりが分かってきた気がした。

 普段はだらけている癖、一度スイッチが入ると蛮族もかくやという猛獣に豹変する。強い獲物を見つけては斬りかかろうとする悪癖は、最早くせというよりも病気の類ではないかと疑い始めているリヒターだった。


「……まあ、いい」


 そう。それでも、別に構わない。

 扱いにくいじゃじゃ馬であろうとも、意志疎通の難しい東国の蛮族であろうとも、持ち帰ってきたものが持ち帰ってきたものなのだ。


 オルバ商会からの膨れに膨れ上がった借入金。

 クリンブルーム家単体でも相当な額であり、貴族派の人間が際限なく借りていたものまで含めると目も当てられない金額。


 そこに、国が商会から得ている国債が積み重なれば、もうリヒターはあの性格のねじ曲がり切った"経営者"相手に頭が上がらない状態だった。


 それが、だ。


「クリンブルーム家の借金は棒引き(破棄)、貴族派への借金も利子の無い臨時債券、そして国債も戦時国債扱いで償還義務が五十年延長! 最高か?」

「なんて言ってるの?」

「よくやったプリム、と言っている」

「あそ? オルバ商会から借金してるって頭抱えてたしね。あいつら凄くむかついたし、良かったじゃん」

「そうだな。おそらくお前が想像しているような額ではないが、それだけにあっさり言えたんだな。見事だ。交渉の基本は吹っかけだ。うむ」

「……そんなにダメ男なの、キミ?」

「そういうことではない!!!」


 リヒター・L・クリンブルームがどれほど国の機能を救っている才人かなど、露ほども理解出来ない東国の蛮族プリム・ランカスタであった。


「しかし……ふふふ。ふはは!」

「うわ、酔い過ぎなんじゃないの」

「良い酒も開けたくなるというものだ! 降って沸いた幸運とはまさにこのこと。忌々しいメイドが消えることに否やは無かったが……お前をフウタのところに行かせたのは結果的に正解だったというわけだ!」

「――そう。まぁ、良いけど。私はむかつくから痛めつけたいってだけだし」

「蛮族め。……いや、良い。ああ、酒が美味い!! めっちゃ美味い!!」

「うわあ……」


 ここまで幸せそうに昼間から酒を飲むリヒターは、初めて見たプリム。

 彼女は知らない。こんなリヒターに会えるのは、数年に一度あるかないかだということを。

 秘書が聞いたら、少しばかり羨むことだろう。それはさておき。


「さて、浮いた分の金は貯めている場合ではないな。今の陛下に相談するわけにもいかぬから、一度持ち帰って部下たちに話をするか。王都周辺の治水や開発も考えねばならんが、とりあえずは戸籍を調べて供給過多な"職業"に仕事を与え――」


 夢が広がるとばかりに、あれやこれやと案を出してはテーブルのスクロールに書き込んでいくリヒター。


 オルバ商会への返済に充てるつもりであった多額の金を、王都の流通へ一気に流し込む。

 商工組合からの突き上げもない。軍資金に充填される心配もない。なぜならば、浮いた金額は全てクリンブルーム家の私財であるからだ。


 利子のない借金など、無いも同じ。


 それならば、クリンブルーム家にのみ許された債権破棄を利用して、王都活性化のために使いこもうというリヒターの腹積もりであった。


 そうすれば、巡り巡って財務卿の懐には多くの金が入って来る。

 要は投資だ。いずれオルバ商会へのあらゆる借金を返済し、議会から商工組合を締め出すことも出来るだろう。


「ようやく……ようやく風がこちらに向いてきた」


 プリムには、リヒターの言っていることはよく分からない。


 だが、まあ、頑張れと思った。


 今しがたプリムの隣を横切った人影を、彼女は制するつもりはない。


 だって、リヒターくんのお友達みたいなものだしね。




「――リヒター。話があります」




 ぴしり。

 先ほどまで、異様なペースで酒を飲んでは羽ペンを走らせていたリヒターの後ろ姿が、まるで冷気に当てられたように固まった。


 そのまま、ゆるゆると、まるで死刑台へ呼ばれた罪人のように立ち上がるリヒター。


 振り向けば、何の役にも立たない護衛と。

 その前に、柔らかな笑みを浮かべた敬愛すべき王女様。


「……こ、これは殿下。ご機嫌麗しゅう」

「ええ。貴方こそ……能臣の機嫌が宜しいのは、わたしもとても嬉しいですよ」

「は。ははっ」


 さて、何の用事だろう。

 などと悠長なことを考えるほど、リヒターという男は呑気ではない。

 彼女がリヒターに接触する時は必ずと言っていいほど理由があるし、何よりプリムがこの証文に通じる吹っかけをした時、フウタが居たのだ。


 どう考えても、状況を理解しているとしか思えない。


 ライラックはそっと唇を撫でると、ゆっくりテーブルの上に目を向けた。そこには、リヒターが大切にしていた、自らのセラーで2番目に上等な高級酒。


「なるほど、確信は得られましたね」

「は、ぁ。何のことでしょうか」

「風の噂で聞いたのですが」


 絶対にそんなお花畑な状況ではない。リヒターは内心で毒づいた。

 風の妖精が囁いて、この女に優しく何か幸せなお話を与えるだと? そんなもの、むしろチップスを片手に舞台で眺めて笑いたいものだ。


「――何でも、財務に余裕が出たとか」

「余裕ぅというほどのぉことではありませんよぉ」

「何ですか今の裏返った声は」

「いえ何も。ええ。余裕と言えるほどではありません」

「わたしでもそうそう口に出来ないようなお酒を開けているというのに?」

「あ、あー。たまにはそういうこともあるでしょう。良かったら殿下もご一緒されますか?」


 酒なんて飲むんじゃなかった。

 酒まっず。酒とか何が良いの? 何が高級酒だ。ぺっ。


「いえ。わたしは酒精を入れると、執務に支障が出る人間なので」

「そうですか。いや、残念ですね」

「……さておき、リヒター。余裕が出たなら、やって欲しいことがあります。以前お話しした企画ですが、予定を早めましょう。詳しい日程はのちに伝達しますが、そう遠くないので準備を」

「き、企画ってまさかっ……。待ってください! 流石にアレを早められるほどの余裕はありません! どれだけの金がかかると思っているんですか!」


 なるほど? とライラックは片眉を上げると、そっとリヒターの手から証文をかすめ取った。


 そしてゆっくりと文面に目を通し、リヒターに返す。


 何を言い出されるかと気が気ではなかったリヒターに、ライラックはやんわりと微笑んだ。まるで、慈愛に満ちた聖母のように。


「貴方の私財で賄う必要はありませんよ」

「えっ」


 それは意外な台詞だった。

 浮いた額はリヒターないしはクリンブルーム家の私財だけだ。

 それをふんだくるというのなら、必死の抵抗でどうにかしようと必死に思考していた彼にとって、彼女の台詞は意外そのものだった。


 どういうことかと首を傾げるリヒターに、くすくすとライラックは微笑む。

 何も理解していないプリムは、笑顔が可愛い王女さまだなあと思っていた。


「貴族派の債務に利子が付かなくなり、国の借金もまた同じ。であれば、簡単なことでしょう?」


 彼女の台詞で、リヒターも察した。

 聖母が悪魔に成り代わる。



「――また借りれば宜しい」

「えぁ?」


 変な鳴き声が漏れたリヒターだった。


「オルバ商会はかなりの財を抱えています。ええ、わたしもどうにかして彼女から資金をもぎ取れないかと悩むほどに」

「いや、でもちょっと待ってください。借りるっていったって」


 そうだ。証文は今回までの借金に関する内容。

 次に借りたら、また同じことの繰り返しだ。当然ながら利子が発生する。

 商工組合を議会から締め出したいリヒターにとっては痛手である。


 だが、そんなデメリットを王女に言えるはずもない。

 この女は、商工組合を利用できるだけ利用するつもり満々なのだから。


「宛にしていた借金返済の目論見が崩れ、ベアトリクスは泣いていますよ。かわいそうに」


 全く可哀想とは思っていない顔で、いけしゃあしゃあと王女は言う。


「一度貴方は信用を踏みにじってしまった形になります。ですから、溝の浅いうちにもう一度、今度はちゃんと返すと言って借りればよいではありませんか」

「――し、しかし」

「……そうですか」


 す、とライラックの瞳が細まった。


「ではリヒター。今、わたしとの繋がりが露見するのと――企画が成功した折に手を取り合ったと宣言するのでは、どちらがお好みですか」

「脅しではありませんか!?」

「いえ、そんなつもりはありませんが。わたしはどちらでもよろしい」



 リヒターは崩れ落ちた。



「ねえねえ王女さま。私ってあんまり政治とか分かんないんだけどさ」


 横から割り込んだプリムに、ライラックの感情を持たない瞳が向けられる。しかしプリムは特に何も気にせず問いかけた。


「それってさ。せっかく私がリヒターくんの借金チャラにしてあげたのに、あのベアトリクス? っていうのに良い想いさせるってこと?」

「いえ全く」

「……そう聞こえるんだけど」

「では分かりやすく説明してあげましょう、プリム・ランカスタ。元々わたしが立てていた企画では、ベアトリクスの資金力に頼ることが前提でした。何度も交渉はしていたのですが、あまり良い条件は引き出せず。当然ですね、相手は商人ですので」

「ふんふんそれで?」


 頷いたプリムに、ライラックは華やかな笑みを向けて言った。


「そのお金がリヒターに動いたのだから、リヒターと一緒に大きな仕事をしましょう!」

「なるほどー! リヒターくんリヒターくん、ベアトリクスからいっぱいお金取ろうね!」

「そうですね。企画の為の資金ではなく、いつもの貴族派同様首が回らなくなったことにすれば宜しい。そうすれば、単なる借入で済みますよ。企画のインセンティブを与える必要はありません」

「話せるじゃん王女さま! やっぱ王女さまもあいつ嫌いなの!?」


 不敬が加速するプリムだが、リヒターは制止する気力も残っていなかった。


「嫌いというわけではありませんが、あまり商会に儲けられても都合が悪いので。生かさず殺さず、馬車馬のように働いてくれれば、わたしはそれだけで十分です」

「こっわ」


 何がそれだけだ、と思ったプリムだった。

 ライラックが、まるで聖人が罪人を想うような表情をしていたのが、余計に恐怖を加速させた。


「ところでプリム・ランカスタ」

「あ、プリムで良いよー」

「そうですか。ではプリムと。しかし、公の場でそのような言動は控えていただきたいものですね」

「えー、でも別に王女さまに養われてるわけでもないしなー」

「そうですか。では後悔しないように」

「はいご用件は何でしょうか王女さま!」

「公の場だけで良いのですよ」


 リヒターは、世の中の不平等を呪った。


 さておき、ライラックは小さく咳払いを1つすると。


「プリム。貴女にも1つ、面白い話があります。そこの財務卿にとって面白い話かどうかは判断しかねますが」


 そう言って、小さくプリムに耳打ちした。


 プリムの表情が、喜色満面の獰猛なものへと早変わりする。


「へぇ、良いじゃん。乗ったよ」

「そうですか。では、リヒターにも貴女から言っておいてください。それでは」


 そう言って、彼女は悠々と歩き去っていく。

 プリムの緩い見送りに小さく笑みを浮かべ、それから廊下を曲がったところで息を吐いた。



「さて、次」



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