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15 メイド の ねがい



 ――王城はライラック王女執務室。



 しんしんと降る雪景色のような音色が、静かに部屋を満たしていた。


「――」


 筆を動かしていたライラックの集中がちょうど切れ、一度ゆっくりと目を閉じる。


 ペン立てに筆を仕舞って、彼女はゆっくりと立ち上がった。


 窓から見える空は曇り。


 溜め息を1つ。


 仕込みは全て順調だ。今までで一番うまく行っていると言っても良い。


 だというのに、心は晴れない。



 ――3年前を思い出す。



 あの頃と今とでは、実力も環境も何もかもが違う。


 あらゆる全て、自分の手でつかみ取ってきた。


 3年前にもっと頭が回れば、今をもっと良い状況に持っていけたはずだ。


 にもかかわらず3年前を想起するのは、ひとえに。



 誰も味方がいないと分かっているからだろう。



 たった独り、世界を相手に生き抜いてきた。



「……くだらない感傷ですね」



 あのメイドは所詮"契約"関係だ。切れれば終わり。敵でないにせよ、味方ではない。


 自分から切った"契約"ならまだしも、相手の方から切ってきたのだ。

 みっともなく縋ったところで、以前と同じ立場にはならない。


 "契約"を結ぶのは、対等な相手か格下のみ。良いように利用されて終わり、という可能性がある以上、不利な条件で誰かを味方に付けるのは悪手だ。


 だから、これで良い。


 フウタも、じきに戻ってくる。


 彼の表情がどうなっているかは想像に難くない。ただ――大切な人を失った傷は、時間がどうにかしてくれるものだと、ライラックも知識では知っていた。


 何度も、そういう人間を見てきた。


 だから、これで良い。



 "契約"の切れたコローナを救うなど、メリットとデメリットが釣り合っていない。



 国王がどうなるかはさておいても、法国との繋がりは持っておくに越したことはない。


 彼女が契約を切りさえしなければ――。



「……たらればは不要」



 首を振る。

 ヒールの音が、オルゴールの音色に合わせてゆっくりと響く。


 前に立つと、蓋を開いている間は延々と奏でられる――彼女の作った小さな箱。


 録術を落とし込めるというその小さな箱に、どこから仕込んだのか美しい音色を封じて。


 あの魔女を、メイドに命じた自分の采配は、間違っていなかったと思うのだが。


 ――結局、彼女も"職業"の宿命に逃げるのか。


「……ふぅ」


 天井を見上げた。


 自分でも何故そんなことをしたのか分からない。

 けれど、時間差で気が付いた。


 感情が揺さぶられたわけでもないのに、頬を伝う何か。


 馬鹿げている。


 "契約"相手にしていた期待を裏切られただけだ。

 そんなこと、いつものことだろう。


 気にせず前を向いて、自分の目指す目的の為に戦うだけ。


 そう、戦うだけだ。



「――ライラック様!!!!!」



「っ!」


 瞬間、開かれた扉。

 反射的にライラックは小箱を閉ざした。

 部屋に流れていたオルゴールの音色がはたと止まり、瞬間的に背を向けたライラックの姿だけがフウタの視界に映り込む。


「……ノックもせずわたしの部屋に入ってくるなんて、幾ら貴方でも緩み過ぎではありませんか」

「申し訳ありません、ですがっ…………ライラック様?」

「何です?」


 背を向けたままの彼女を呆然と見つめ、フウタは言葉を漏らした。


「何か、あったんですか?」

「別に何もありませんが――それより、何の用ですか」


 振り返ったライラックはいつも通りの澄ました表情。


 はっとしたようにフウタはライラックのすぐ近くまで駆け寄ると、そのままの勢いで頭を下げた。


「お願いします!!! コローナは、このままでは法国に連れていかれて殺される!!!」

「……でしょうね」

「知って、居たのですか……?」

「そういうケースも考えては居ました。大方、街を出る前に見つかったというところでしょう」

「はい……」



 そうだ、だから。


「――ライラック様に迷惑をかけない範囲で良いんです!! どうか、彼女を助けだすのに手を貸してください!! お願いします!! 俺は、あの子が死ぬなんて絶対に嫌だ!!!!」


 頭を下げ、震えるフウタの体を、ライラックは静かに見下ろした。


 一言二言口にしようとして、躊躇ったように閉ざして。


 首を振って、告げた。


「――迷惑をかけない範囲など、ありません。わたしがあの子を救うのに手を貸せば、多かれ少なかれわたしが危害を被ります」

「そんな」

「それに」


 思わずと言った様子で顔をあげたフウタを見つめて、ライラックは眉を下げた。困ったように。ただそれも一瞬のこと。


「コローナはわたしのことなど信頼していません」

「そんなことはありません!!」

「あります」


 静かなれど、ぴしゃりと彼女はフウタの言葉を断ち切った。


 そっと、ドレスグローブに包まれた右手で、自らの左腕を抱きかかえて。口にするのも屈辱そうに、彼女は。


「……信頼していないから、出奔したのでしょう。わたしが、メイド1人よりは法国との友宜を取ると判断したのです。そうでなければ、出て行く理由が無い。違いますか」

「ライラック様……」




『次の"契約"の更新、やめとこー? って話ですよ、姫様っ』



『はいはい、おっけー。気にしなーい。そんじゃ、残り10日間だけ世話になるぜっ!』



『おっとっとー? メイドったら姫様の心の声、聞こえないぞー?』




 目を閉じて思い返せば、何てことはない。

 自分にとって彼女が"契約"以外の何でも無かったように。

 彼女にとっても、同じことだったというだけ。



 だから、





『フウタを気にかけて、ですか』





 ライラックが切り捨てた時に、フウタが心を痛めると思ったから彼女は王城を去ったのだ。


 自分の命は二の次どころの話ではなく。天秤にかけるまでも無かったというだけのこと。


 ライラックに介在の余地はない。信頼関係には程遠い、ただの契約であればこそ――










「――違うよ、ライラック様」










 知れず、震えていた手。きつく腕を握っていたらしいライラックの手を、そっとフウタは手に取った。


 我に返ってフウタを見れば、なんという顔をしているのだろう。


 泣きそうで、苦しそうで、それでもライラックを想う優しい瞳。


「何が違うというのですか」

「何もかもだよ。――ライラック様。俺はさ、ずっと思ってたんだ。2人に仲良くしてほしいって。こんな形になっちゃったのは嫌だけど、でも」

「どういう……それは、コローナの小箱?」

「……コローナが想ってたのは、俺のことだけなんかじゃない」



 懐から取り出した小箱。


 見覚えのあるそれは、しかしオルゴールとは違う。フウタが数日前に貰っていたものとは異なるし、自分のものは部屋にある。


 そっと開いたそれから聞こえてきたのは、――彼女の声。



『あー、あー。チェックチェックっ。うん、反応してますねっ! それじゃー全国のフウタ様っ、あとおまけでライラック様っ。ちょっとメイドの最後のお話、聞いてってー?』



「……これは」


 ライラックは静かに片眉を上げた。

 出だしのおまけ扱いに思うところが無かったと言えば嘘になるが、底抜けに明るいその声はくぐもっていて、どこか狭い場所で録られたものらしいことを察する。


「ベアトリクスから回収した。10日後にライラック様に渡すはずだった遺書だとか」

「……遺書、ですか」


 回収という台詞で粗方の展開を察したライラックは、静かに小箱を見つめた。


 フウタもそれ以上は何も言うことはない。


 ただ流れる音声が、静かな執務室に響く。





『えーっと、最初は残すつもり無かったんですけど。何でですかね。フウタ様と姫様には、なんか最後に言いたいことがわーって出てきちゃって。困った困った』


 何故そんな感情に至ったのか、何も理解していない様子で。

 彼女はあっけらかんと言葉を紡ぐ。


『フウタ様には、メイドが死んだって分かっちゃったら聞いて貰うと良いですねっ。どうせ最初は姫様1人で聞くかー、何も聞かずにぽいするかだと思うので。ぽいはやだなー。うん、ちょっとやだなー』



『るーんぱっぱー、うんぱっぱー』



『えっと。フウタ様にはですねっ。なんかこう、うまいこと元気を出して欲しいですねっ。メイドのことなんてすっきり忘れて、楽しい人生! みたいなことして欲しいので、姫様は頑張るのです。ふぁーいとっ』


『急に居なくなったのは、ごめんなさい。ほんとはてきとーにどっか行くつもりだったんだけど、結局こうなったかーって感じ。まあ仕方ないかな。フウタ様は本当に大事にしてくれたけど、メイドはちょっと、人にはよく思われないものなので』


 小箱を握る手が、ぐっと強張る。

 それでも、閉じることはない。ライラックには最後まで聞いてもらわなければならない。

 荒れ狂うような感情を必死に抑えてフウタがちらりとライラックを見れば、彼女は真っ直ぐ集中したように小箱を見つめていた。


『――姫様。結局お前はもー! 最後の最後までメイドに少しも心なんて開いてくれないんだからー! メイドはこんなにメイドメイドして、ちゃんと役に立ってたのにさー。ふらっと出てきたフウタ様に靡いて、メイドったら嫉妬ものだぞっ? ――嘘、やっぱそうでもない』


 す、とライラックの瞳が細まる。


 お前、などと呼ばれたのも初めてで。

 流石に、最後に遺す言葉ならば本音であろうことも理解していて。


 だからこそ、役に立っていた自覚があるなら、"契約者"として待遇を変えるくらい求めればよかったものを、などと場違いなことにまで思考が及んで。


 それでも、一番気になったのは。

 心を開けという、無理筋なメッセージ。


 ころころと表情と共に感情も変える女を相手に、どうやって心を開けというのだ。

 嘘か本当かもわからない。


 今だって、コローナの嫉妬が本当かどうか、ライラックには読めない。


 遺書だというのなら、ちゃんと相手に伝わるように言葉を選べ。


 そう言ってやりたい相手は、目の前には居ない。



 苛立ちを胸に耳を傾ければ、言葉にはまだ続きがあった。



 そしてその言葉こそが、フウタがライラックに聞かせたいものだった。



『でもさ。姫様――拾ってくれて、ありがと』


 ライラックの表情に、困惑が色濃く映る。


『メイドやってる時間が、人生でいっちゃん楽しかったー』


 それは、分かっていた。


『本当は、ずっとやっても良いかなって思ってた』


 それも、知っていた。


 だからこそ、信用が置けないという理由しか――


『でも、メイドの命くらいで姫様に迷惑かけるのはなんか嫌でしたっ。うん、なんかすごく嫌!』


 ――息を、飲んだ。


『じゃーま、メイドが居なくなるのが、一番の恩返し? そう思った!』



「――貴女!!!!」



 思わず半歩前へ出て、小箱をフウタからひったくる。



『だからまー、許して欲しいなー。"契約"切るって言った時怒ったのは、流石に分かったし。思ったより短い"契約"で、ごめーんね?』


「ふざけるな……!!」


『――ふむー。こんなものかな。なんかすっきり。じゃ、ばいばい2人とも。幸せになれよー?』



 録術は、あっけなく終わった。しばらくすればまた、彼女の挨拶から始まるであろうそれ。


 小箱をひったくったライラックに、フウタが声をかけるよりも先に。


 ライラックは、小箱を床に叩きつけて盛大に砕いた。


「ふざけるな!!」


 抱いた感情の名は怒り。


 なんのために"契約"した。なんのために連れてきた。なんのために、彼女を雇った。

 全て、彼女に価値を見出せばこそ。


 ――何が、心を開けだ。


 お前の方が余程、わたしの言葉など聞いていないではないか。


「ふざけるな、ふざけるな――ふざけるな!!!」


 叫び、床を踏みつけるライラックを、フウタは慌てて止めた。

 砕いた破片が足に少しでも刺さろうものならコトだと。


 ただ、彼女は全くと言っていいほど意に介さない。


 髪を振り乱し、小箱の残骸を踏みしめて尚、怒りは収まらない。




「わたしを誰だと思っている!! 貴女1人如き庇うことが、重荷になるほど脆弱な王女と思ったか!! この節穴が!! 思い上がるな!! 恥じて死ね!!!」




 はぁ、はぁ、と荒げた息を整えるように、爛々と輝く蒼の瞳を動揺にゆらがせて。


 それから。力なく倒れ込もうとしたところを、フウタが正面から抱きかかえた。


 抱きすくめた胸元で、小さく漏らされる声。


「……愚か者め」


「ライラック様……」


 なんと言えばライラックが喜ぶのかは、フウタには分からない。


 気の利いた台詞など、未だに口に出来るような男ではない。


 だが。言うべきことは分かっている。


「コローナは、貴女の"職業"なんて気にしていません。貴女のことを"契約"だけの存在だとなんて、思ってません。……俺だけじゃない」


 首を振って、抱きすくめた王女の髪をゆっくり撫でて、彼女の吹き荒れる感情を宥めながら。



「コローナも、俺も、貴女のことが好きなんだ」

「……問います、フウタ」

「はい、なんなりと」

「今のは、彼女の本心ですか」

「間違いなく。……俺は、彼女と貴女を見て、ずっとそうだと思っていた。……貴女が、自分で想っているよりもコローナを気にかけていることを、俺だけは分かっていました」

「誇らしげに言うことではありません」


 息を吐いたライラックは、そっとフウタから身体を離す。


 そして目元を拭うと、軽く首を振った。


 すぐに現れる、"ライラック王女殿下"の表情。



「フウタ」

「はい」

「ありがとう」




 ふわりと、華やかな笑顔を見せて彼女は続ける。





「神龍騎士団のこと。国王陛下のこと。法国との関係。オルバ商会のこと。コローナのこと。――フウタが得意とする盤面へ至る、お膳立て」






「あらゆる全て、あとはわたしが請け負いましょう」






  王女が、動く。

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