13 フウタ は こばこ を かいしゅう した!
――オルバ商会本部中庭。
「約束のものを渡して貰うぞ、ベアトリクス」
フウタの表情は険しかった。
それは、今の試合に対するフウタの申し訳なさが発露したものだった。
ウィンドに対する、殺意むき出しの戦いであったり、必死に生還の術を探した彼への敬意であったり。
が、どうにも。
「わ、分かったわよ……」
ベアトリクスには、いっぱいいっぱいなフウタから漏れる闘気が威圧に感じられてしまったらしい。
「あたしを萎縮させようだなんて、良い度胸じゃない……!」
「別に萎縮させているつもりはない。――確かに、言われてみれば」
目を閉じて、フウタは呟く。
ベアトリクスを威圧して、無理やり小箱を奪い取る。
確かにそのやり方をすることも出来た。だがそれは、絶対にライラックに迷惑がかかる。
本当の本当に最終手段としてしかやりたくはなかった。
だが。
「ライラック様の止めが入らないということは、俺がここで何をしても良いということなのかもしれないけど」
「っ……!?」
思いついたから口にした。
フウタにとっては、それ以上でもそれ以下でもない台詞。
だが、この状況で。
自らが腕を信頼していた用心棒をあっさりと下すような男が、鉄鐗を手にしたまま口にする言葉としては最上級の脅迫だ。
「な、なによ、あんた……何をする気……? 小箱は渡すって言ってんでしょ……?」
「? 別に何もするつもりはない」
様子の変わりように、今度はフウタが首を傾げる番だった。
「――何かしたのか、プリム」
「いや私のせいかよ」
呆れたように眦を下げるプリムは、しかし何も言わない。
だってプリムにとっては、散々おまけだの敗北者だの言ってくれた女がここまでビビり散らかしている状況が面白くて仕方ないから。
得てして。
権力というものは、確かに強大だ。
だが、その反面。権力の及ばない人間や、その権力で将来に脅しをかけることの出来ない人間には酷く弱い。
支配圏をぐんぐんと伸ばし、ありとあらゆる状況に応じられるほどに"金"を"権力"に変換し続けてきた彼女だからこそ。
将来に全く頓着しない"無職"の無敵ぶりが、どうしようもなく相性最悪だったというだけのこと。
それが、個として圧倒的な力を持っていると来て、王女のお抱えなんてオプションまで付いている。
ベアトリクスにとっては、天敵の爆誕に混乱するのも致し方ないと言ったところだった。
そんな彼女の慌てようを、フウタの後ろからウィンドが愉快気に笑っていた。
「何であんたは笑ってるわけ? 報酬はゼロよ」
「分かっております。フウタ殿との相性が悪すぎました」
「……武人のあんたがそう言うのなら、そうなんでしょうよ。ふん」
少し、その光景にプリムは驚いた。
あんな横暴な経営者なら、もう少しウィンドに辛く当たるものだと思っていたが。
どうも、自分の出来ないことに対しては専門家に譲る気概も持ち合わせているらしい。
金で全てを解決しようとしたスタンスが今回は仇になった形のようだが、ある種上司としては理想的な側面はあるのかもしれない。
自分は、リヒターに雇われたことに不満は全く無いが。
と、そこでフウタが一歩前に出た。
ベアトリクスが、う、と一歩下がる。
「ベアトリクス」
「なによ。用事は終わったでしょ。帰りなさいよ……」
考えて考えて考える。
彼をいつでも排除できる状況に置ければ、どうとでもなる。
だが、今彼を脅すのは悪手だ。
フウタが図らずも口にしてしまった"ライラックの存在"が、ベアトリクスから脅迫というカードを奪い去ってしまった。
言われてみれば確かにそうだ。ここで何が起こっても良いからこそ、ライラックはフウタを野放しにしている。ベアトリクスが消されたとして、ライラックは建て直す手段を用意しているとしたら?
ベアトリクスの身は、全く保障されていない。
目の前の、謎の無職によって。
――もっとも、フウタにそんなつもりはないのだが。
頭が働く故に、ドツボにハマってしまっているのが今のベアトリクスだった。
久々に、"目の前のことを切り抜ける"という思考に全力を割かなければならない事態。
裏では既に本部中の護衛を呼び集めてはいるのだが、フウタと――そしてそのフウタと斬り合っていたプリムの2人を相手に、どれだけ自分の身が守られるだろうか。
金は、命とは釣り合わない。
目を逸らしていた現実に、苛立ちながらも考える。
残されているのは、試合の前に手にしていた無形の財産というカードだけ。
「――条件用意して、ここまで譲歩してあげて、約束も果たした。もう用はないでしょ。少しは有り難く思って帰ったらどう?」
薄い胸を張って、虚勢も良いところの発声。
しかし腐っても"経営者"。その切り替えの速さと堂々とした佇まいは、プリムも少し感心するほど。
しかし、フウタはあらゆる全てを理解していない。
交渉も何も素人である無敵の無職は、ベアトリクスが懸命にアピールした"恩"というカードを完全に無視する。
「お前らがコローナを攫ったんだろ」
「……そんなことまで言うような条件にはしてないけど?」
フウタに押し付けた小箱を指さして、彼女はそう告げた。
「あたしは3つ目の条件の時に、その小箱をあげることを対価にしたはずだけど」
「コローナを引き渡すことは出来ないって言うのか?」
睨み据えるフウタの一言。
交渉もへったくれもない真っ直ぐな瞳に、ベアトリクスは苛立ちながらも正面から見つめ返して言い放った。
「――居ないわよ」
ぴくりとフウタの眉が動く。
彼の挙動を気にすることもなく、ベアトリクスはツーサイドアップの髪を弄りながら乱暴に続けた。
「あのメイドはもうここには居ない。連れ去ったっていうのも随分な話ね。さくっと来てくれたわ。自分の足でね。だからあんたに物騒な気迫向けられても困るってわけ」
「……自分の足で」
フウタは目を閉じた。
彼女が、自分の足でベアトリクスたちに合流した。その言葉の真偽は、フウタには分からなかった。
だってそうだ。
コローナがオルバ商会に接触する理由があるかどうか、フウタには分からないのだから。
それが最初からコローナの目的だった――とそこまで考えて首を振った。
だったら、ベアトリクスたちが彼女を捜していたことに説明がつかない。
けれど。
『10日後に、フウタ様の手料理が楽しめると良いですねっ』
あれはコローナの定めた日数だった。
そして、フウタとライラックと食事を共にして姿を消した。
思い返せばあの10日間は、コローナの様子はおかしかった。
何故?
何のために彼女は居なくなった?
――ベアトリクスとの合流をあっさりとしたのは何故。
自分で考えても、限界がある。
フウタは自分の頭を信用していない。
だから、正面から問いかけた。
「その、一緒に来たコローナをどうしたんだよ」
ベアトリクスは、観念したように首を振り。
「何を言っても、オルバ商会に害を与えないと誓ってくれる?」
「……分かった」
フウタが頷いたことを確認すると、「あんたも察してるとは思うけど」と前置きして、言い放った。
「売り払ったわよ。当たり前でしょ?」
何を言われたのか、理解が出来なかった。
「当たり前……?」
「別に乱暴な真似はしてないわ。する意味もないくらい、大人しく言うこと聞いてくれたからだけど。ほんと、"奴ら"の考えてることはあたしには理解出来ないわね」
奴ら。まるでコローナ以外の人間を含んでいるような言い方だった。
彼女をどんな括りで纏めたのだ。
メイド? 人種? ――或いは。
「なんで、コローナを売り払うのが当たり前なんだ」
怒りを押し殺したようなフウタの問いに、ベアトリクスは一瞬驚いて。
そして、納得したようにフウタを見た。その瞳には、どこか憐憫すら浮かんでいて。
「ああ、知らなかったのね。そりゃ隠すわよね。あたしも、3日前に初めて知ったし」
「なに、を」
「仕方ないから教えてあげるわ」
"奴ら"。
その括りは、仕事でも人種でもなく。
――"職業"。
「――"魔女"は金になるのよ」
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