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08 フウタ は おうじょ に ねがった!




 その日は朝から妙だった。


 目が醒めて、いつものように身支度を整えて、そこでふと思い立って、彼女から貰ったオルゴールを掛けた。


 明るく楽しく、今にも彼女が勢いよく扉を開いて突っ込んできそうな、そんな音色。


 実際入ってきた時に流していたら照れるだろうか。それとも喜んでくれるだろうか。何れにせよ、気に入ってしまったのだから流し続けることだけは決まってしまっているが。


 思考をぐるぐる巡らせながら、日課の素振りを始めた。


 そして。


「――フウタ様。お食事をお持ちいたしました」



 彼女とは程遠い、完璧な"侍従"が顔を出した。




 聞けば、今日からはその"侍従"さんが食事を持ってくるとのことで。


 彼女の所在については何も聞かされておらず。


 フウタには何が起こったのか全く分からなかったが、"何か"が起こったことだけは分かった。



 飛び出していったフウタ。私室には、ただ延々とオルゴールの音だけが響いていた。












「――金髪のメイドですか? ああ、あの。いえ、今日は見ておりませんが」



 探した。



「――見ておりませんな。騒がしいメイドですから、すぐに気づけそうなものですが」



 探した。



「――昨日は凄く楽しそうに、珍しく酔って帰ってきましたが……朝から見ていません」



 探した。



「――申し訳ありませんが、存じません」


「――昨日まででしたら」


「――え、居ないのですか」


 探した。探した。探した。



 それでも、どこにも居なかった。


 ただのかくれんぼならそう言ってくれ。


 遊びで振り回されるなら、見つけた時に笑い合おう。


 だが――ダメだ。



 初めて入った彼女の私室は。



 本当に、私物の1つも無いまっさらな部屋でしかなかった。



 そして。

 綺麗に折りたたまれたメイド服が、幾つか丁寧に仕舞われていた。



 まるで、役目を終えたように。






「コローナ!!!!!」


「どこに居るんだ!!」


「返事を、してくれ!」






 悲痛さえ孕んだ彼の声に、返ってくる言葉は無い。


 ライラックは今日、帰還した国王との謁見で時間が取られると言っていた。その謁見の場に、従者の立ち入りは禁じられていた。



 だから、会議が終わったと聞いたフウタは一目散に向かった。


 自分は何も知らないかもしれない。


 でも、あの人なら何かを知っているはずだと。



「ライラック様! フウタです!」


「はい。――どうぞ」


 頭では分かっているのに、身体は礼儀を忘れてしまった。


 勢いよく開かれた扉の先で、ライラックは客人とお茶をしていた。


 それがコローナで無いことだけを瞬時に判断し、告げる。



「ライラック様。コローナが、居ません」



 彼女はゆっくりと紅茶を傾けて、一言頷いた。


「でしょうね」

「あ、やっぱりご存知なんですか。良かった」


 ほっと胸を撫でおろすフウタ。

 ライラックが知っているなら、自分が全てを把握している必要はない。

 そのくらいに思ったフウタだったが、それにしてはライラックの表情が妙だった。


「……ライラック様?」

「――どこに行ったのかは、知りません」


 ライラックはあっさりと首を振った。


「えっ……じゃあ、戻ってくる時期は分かってるとか?」

「戻って来ることはないでしょう」

「どういうことですか!?」


 思わずフウタはライラックに詰め寄った。

 そのさまを、おいおいおいとリヒターが見守る中。


 しかし冷たいはずの王女は意外にも、フウタに対して思いやりがあった。

 それが果たして"思いやり"なのか"利用するため"なのか、或いはもっと別の――"期待"のようなものがあるのか。


 リヒターには、判断が付かなかったが。


「――彼女がわたしとの"契約"を切りました。貴方と同じように、いつまで逗留しても構わないというものです。それを、切った。彼女から提案してきた以上、ここに留まるつもりがないということ」

「……そんな」


 目を見開くフウタから漏れる、小さな叫び。


 ライラックは、静かに髪を払うのみ。


「ライラック様!」

「……なんですか」

「俺、探してきます!!」


 その言葉に、思わずライラックは口を開きかけて、やめた。

 首を振って続ける。


「無意味ですから、やめておきなさい」

「そんなことないです! 無意味だなんて!」

「彼女に戻ってくる意志が無いのなら、引き留めたところでわたしに害しかありません。そんな人間を呼び戻すなど」


 ゆるゆると諦めるよう諭したとて、フウタは聞く耳を持たなかった。


「ライラック様……」

「分かったなら、下がりなさい。わたしは職務があります」


 そう言って、背を向ける。


 その背を、リヒターはつまらなそうに見据えていた。









「嫌だ!!!!」








 ゆっくりとライラックは振り向いた。


 拳を震わせ、胸を強く握りしめながらも、その場から動かずに彼は居た。


 それほどまでに、ライラックに対して言葉をぶつけることはフウタにとっては苦痛であった。

 だがそれでも伝えたいことがあった。


 だってそうだ。


『……分かりました。何事も正直に、素直にします』

『ええ。その結果、わたしにとって不利益があったとしても、そうしてください』



 そう告げたのは、ライラック自身なのだから。



「……フウタ?」

「俺は」


 一歩、前へ出る。


 ライラックは動かない。彼女の前に、一歩一歩。


「俺はな、ライラック様!」


 躊躇って、それでも首を振って。


 ライラックを見つめる顔は、どうしていいのか分からないような、苦しそうな表情で。それでも、瞳は強く意志を持ち、ライラックを射抜いていた。


「貴女と同じくらい、あの人のことが好きなんだ! 一緒に居て欲しいんだ!」

「だから、何ですか」


 問われても、フウタは少しも怯まなかった。

 そうだ、だから何だと問われて当然だ。

 自分の想いを綴ったところで、コローナには関係がない。

 そうライラックは言いたいのだ。だが。


 そんなもの、関係ない。



「だから連れ戻します!」

「……意味が分かりません」

「一緒に居て欲しいから、連れ戻します。あの子が、コローナが何で居なくなったのかなんて知りません。俺が嫌なんです。俺が、居なくなって欲しくないから、連れ戻します」

「……あの子にメリットが無いとしても?」

「俺は、嫌なんです」

「……単なる、わがままではありませんか」

「わがままですよ」


 でも。


「俺はあの子のわがままに、救われてきたんです。それが、別れも言えずに居なくなるなんて、俺は嫌だ」

「フウタ」



 オルゴールのかかっていない部屋に、フウタの我儘が響き渡る。




『お騒がせお掃除メイドのコローナちゃんです、ぴっ!』


『作り甲斐のあるやつめー。今夜からはちゃんと、配膳台で持ってきてやることにしますよっ!』


『八百長は無職のせいじゃなくてお前のせいですよ』


『良いじゃないですか。それでもぎゃーぎゃー言う奴が居たらメイドがきれいきれいにしてやりますよっ』




『……ま。いっか。いつまでこうして遊んでられるかもわっかんないしっ』




 彼女に何かがあることくらい、フウタも分かっていた。


 分かっていて、触れなかった。

 でも。


『初日の言葉、そっくりそのまま返してあげるっ』


 あんなに幸せそうに笑ってくれた彼女が居なくなったのが、単に王城に居続けるのを嫌がったからだとは思えなかったし。



 もし、居続けるのに飽きたからと言われても。



 土下座してでも連れ戻すつもりだった。



 もし彼女を諦めることがあるとすれば、それはたった1つ。



 彼女が、どうしようもなく幸せだった時だけだ。




「俺は、コローナを捜しに行きます。手合わせの時は――」

「良いですよ」

「えっ」

「どのみち、ここ最近は忙しいと言ったでしょう。それに、コローナを見つけるまで、手合わせも上の空でしょうし。構いません」

「……ライラック様」

「もう一度言います。下がりなさい。わたしは、職務があります」



 そう告げて、ライラックはもう一度背を向けた。


 その背に、フウタは頭を下げて。


 それから、あのメイドでもしないような全速力で部屋を出ていった。




「……殿下、貴女という人は」

「幾らでも利用してくれと言ったのは、フウタの方です」


 肩を竦めて、ライラックはリヒターを見据える。


「別にわたしは」


 改めて、ライラックは席に着いた。


「コローナを取り戻したいわけではありません。ただ」

「ただ、なんですか」

「フウタには、自分の意志でどうするか決めて欲しかっただけです」

「だから、貴女の命令という大義名分を与えなかったと?」

「はい。それをするには、まだ少し時期尚早」

「どうでもよいのですが、殿下。僕に対して何も隠さなくなってきましたね」

「ああ、そのことですか。では聞きますが」


 ライラックは自らの唇をそっと指で撫でて、リヒターに告げた。


「――フウタは、わたしと貴方の密会を目撃しましたが。どうします?」

「っ~~~~~!!!」

「まぁ、そう焦らず。安心してください」


彼女は目を細めて嗤う。




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「まさか!」

「板挟みから解放されて良かったではありませんか」

「僕には、意志の自由は無いのですか……?」

「フウタのように、『嫌だ!』と言っても構いませんよ?」

「できるわけないでしょう……!」


 やられた、と頭を抱えるリヒターを無視して、ライラックは窓の外に想いを馳せる。




『貴方の気持ちは、まだよくわかりません』

『えっ』

『でも。……分かろうと努力してみよう、なんて思います』





『貴女と同じくらい、あの人のことが好きなんだ! 一緒に居て欲しいんだ!』






「いざとなれば、貴方は。わたしのことも、強引に連れ戻してくれるのですか?」


 少しだけ、胸の内に疑念と期待が摩擦して。ライラックは困ったように眉を下げた。

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