07 コローナ は メイド を やめた!
――朝。王都メインストリート。
昇りたての陽光に照らされて、人々は1日の活動を開始する。
王都の中心を作るメインストリートともなれば、朝一番から大賑わいだ。
まだまどろみの中に居る人々も多い中、メインストリートは今日の新鮮な品を求める業者や民衆でごった返す。
そんな中を、1人の少女が器用に人ごみをするする避けながら歩いていた。
「るーんぱっぱー、うんぱっぱー」
呟かれる文言の意味は分からず。
足取りは軽やかで、今から楽しいお出かけにでも向かうようだ。
その、お世辞にも綺麗とは言えない、すっぽり全身を包むような煤けた白のワンピースと、担いだ棒きれの先に括りつけた風呂敷さえ無ければの話だが。
まるで、その身1つでどこかから追い出されたような出で立ちで。
しかしてその金の二房は、高貴な屋敷で整えたように美しく。
どこかちぐはぐで浮いた見た目の少女は、周囲の目を惹きながら歩いていく。歩いていく。
肩に担いだ棒きれと、その先の風呂敷がふらふらと揺れる。
物取りにでもあったらあっけなく盗まれそうなのに、まるでそれでも構わないといった風。
逆に不気味で、盗人たちも警戒した。
何かの罠でも敷かれているのではないかと。
だって今日は、国王が王都に帰還する日。治安維持の為に何等かの方策を取っていたっておかしくはない。
「ぱっぱらぱっぱらうんぱっぱー……」
ふらふらと、1人歩く少女。
あっちへこっちへ、目的地など無いかのように。
ここにもし、誰か手を繋いでやれる人が居たならば、真っ直ぐ歩けもするだろう。
ここにもし、誰か声をかけてやれる人が居たならば、きっとどこへなりとも行けるだろう。
だが、少女の周りには誰も居ない。
ただふらふらと迷子のように、大きな路から細い道へ、細い道から大きな路へと歩き回る。
そうしてようやく出てきた先で、彼女は長い行列に出くわした。
王城へ続く最も大きな馬車道は、国王陛下が法国との会談を終えての帰還に伴い、ぞろぞろと大規模な行列で埋められていた。
物見遊山にやってきた王都の人々の脇を通り、彼女は行列が向かう方とは反対の方角へと向きを変える。
即ち、王城とは真逆の方角へ。
「……」
ふと、彼女の口ずさんでいた歌が止まる。
そして、彼女は一度だけ、王城を振り返った。
晴天に突き抜けるような美しい王城は、三年間も暮らした庇。
"契約"のもと過ごしていた場所ではあれど、生きられる程度には楽しかった空間。
とはいえ。
「はふぅ」
小さく息を吐く。
これ以上、城に居たら。
『いつも居てくれてありがとう、コローナ』
『貴女には、一定の信を置いていたのですが』
くるり、とコローナは王城に背を向ける。
満面の笑みとともに、一歩前へ。
これで良いのだ。
メイドなんかのために、危険に晒すのは"もったいない"。
「るーんぱっぱー、うんぱっぱー」
歩く、歩く、歩く。目的地などはないけれど。
まあ、この先で果てようと、野垂れ死のうとどうでもいい。
王城で面倒が起こる方がずっと損。
曇る顔なんて見たくない。だって――
『俺は、キミに生きていて欲しい』
あんなことを言ってきた人は初めてだったけれど。
初めてだったからこそ、目の前で死んだら彼が悲しむだろう。
悲しんでしまうなら、居なくなった方が良い。
だって、大事な人を悲しませたくはないのだから。
そうして、ようやく、街門の前。
真っ直ぐ歩いてきていれば、もう少し早くついたかもしれないけれど。
あいにくと自分は方向音痴。
だらだら歩いてようやっと、王都の入り口までやってきた。
ここを抜ければきっとおそらく、もう戻ることはないだろう。
「それではみなさま、ごきげんよー」
最後に一度、三年過ごした街にご挨拶。
そして、一歩、踏み出したその時だった。
「あんたがお姫様から離れるのを、心待ちにしていたわ」
十数人の黒服を引き連れて、赤髪の女が愉快気に口元を歪ませた。
やっぱりかー、と、彼女は目をバッテン印のようにして。
しかしすぐに、まいっか、と彼女らに向けて踏み出した。
――昼。王城、謁見の間。
「――よく分かりました、陛下」
ずらりと立ち並ぶ貴族たちの中心に、ライラックは立っていた。
帰還間もなくの自らの父に一度頭を下げ、彼女は慈愛に満ちた笑みを向ける。
「それでは、法国から神龍騎士団の方々を招かれたのですね」
「ああ。差し当たっては、隣国への遠征に向けて詳しい話を練ることになると思う」
鷹揚に頷きながらも、国王は久々に見た娘の笑顔を満足げに眺めていた。
蓄えた髭を撫でながら、うんうんと頷く。
聡明で可愛らしい娘も、国王がこうして立派である間は、"能臣"として自身を支えてくれることだろう。
と、そこに割り込む声。
「お、お待ちください!」
ライラックの背後に膝をつき、国王へと諫言する青年が1人。
「遠征については、これから協議を――」
「クリンブルーム卿」
しかし、その青年の言葉は、国王の傍に立っていた鎧の男に遮られる。
軍閥派のトップである将軍だ。
「貴殿の利益を考えれば、確かに受け入れがたいことだろう。だがこれは、国王陛下の決定であり――殿下も頷いておられる。貴殿の発言は議会によってのみ通される」
「しかし――」
「控えよ、クリンブルーム卿」
ぐ、と歯噛みするリヒターは、しかしなおも口を開こうとして――思わず息を飲んだ。
国王陛下を見て、ではない。
もっと近く。リヒターが顔を上げたすぐそばに、同じく国王と相対するように立っている少女。
彼女が、冷たい瞳でリヒターを見下ろしていた。
言外に訴えている。
『今は黙れ』
「…………御意。王の御前で、大変なご無礼を」
「よい。配下の忠言に耳を傾けるのも、国王の務め。そうであろう、ライラック」
「はい。お父様の背中は、いつも勉強させていただいておりますわ」
「そうかそうか」
国王が穏やかに頷くと、将軍が王に耳打ちする。
「……そういうわけで、法国神龍騎士団の団長を紹介しよう。彼は、法国にて軍議における最大決定権を持つ存在。今後の王国法国の関係をより一層深いものにすべく、私自ら招いた」
法国と王国が、並んで隣国へ遠征を仕掛ける。
その段取りのために招かれた国外の存在。
ライラックが静かに目を細める中、その扉は開かれた。
――夕刻。ライラックの執務室。
「……殿下。僕と密会とは、穏やかではありませんな」
普段は殆ど人を入れないことで有名な、薄暗いライラックの執務室に、フードを脱いだリヒターの姿があった。
「密会などと、そんなつもりはありません。お茶でも淹れましょうか?」
「……否やとは言えますまい。どうか、手短に。今の僕の立場を分かっていてのことでしょう」
「立場? 貴方は我が国の大切な財務卿ですよ」
「……」
大きくリヒターは嘆息した。
そして、勧められるがままに腰かける。
今のリヒターは、ざっくり言えば板挟みだ。
好戦派からは睨まれ、貴族派からは失望の間際。
そこで"あの"王女殿下から呼び出しを受けたと知られれば、どうなるか分からない。
それを理解して、この女はわざとこのタイミングで呼びつけた。
苛立たしげにその背中を睨みつければ、彼女は瞬時に振り向き笑顔を返す。
どれほどに警戒しているのか、それだけで分かろうというものなのに、国王と来たら可愛い娘にころっと騙されている。
「で、どういう話ですか、殿下」
「せっかちですね。紅茶を楽しむ気品あっての貴族では?」
「……」
身分さえ考えなければ、ええいおのれ、とでも言いそうな顔で紅茶を喫するリヒター。美味しいのが腹立たしい。
紅茶を口にすると同時、ライラックは口を開いた。
「もうそろそろ、あの男に
「ぶっ」
あわやライラックに引っかかるかといったスプラッシュを、彼女は予見していたようにさらりと避けた。
絶対にわざとだ。恨みがましく見つめても、どこ吹く風。
「貴方がわたしを警戒しているのは知っています。どうでもよろしいが。……その上で言いましょうか。――わたしに付け」
見つめる瞳は冷徹。
リヒターはしばらく目を閉じ、悩んだ末に頷いた。
「……この戦争の問題を片づけるまで、で宜しければ」
「良いでしょう。"契約"は交わしていただきます。――まぁ、どのみち。この戦争の問題が片付けば、殆どのものが片付きますが」
「……貴女という人は」
思わず言葉を零すリヒターだった。
と、そこでノックが響く。
「はい」
呑気に返事をするライラックに反して、リヒターは目を丸くした。
「人払いは済んでいるはずでは!?」
「わたしは、貴方に『この件は内密に』と言っただけですが」
「ぐっ……!!」
歯噛みするリヒターを無視して、ライラックは扉を開く許可を出す。
すると、その先に居たのは、思わぬ人物だった。
目を丸くするリヒターを放置して、彼は息を荒げたまま告げる。
「ライラック様。コローナが、居ません」
なんで僕の居るところで。
リヒターは1人頭を抱えた。
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